臆病な小鳥と地獄のお医者さん.
小鳥は戸惑っていた。かの傍若無人なラジオデーモンから逃げ出したかっただけなのに、目の前に広がるのは、細身だが自分より遥かに長身の白衣を着た男性が、見たことの無い白い空間に立っていたのだから。
【臆病な小鳥と地獄のお医者さん】
レラージェは、目の前の光景に戸惑う。
今日はアラスターが出かける予定だったので、早めに血をいただき、休憩も兼ねて控え室で微睡んでいた。
いつも通りの午後。
だったはずなのだが…
勝手にゲートが開いたかと思えば、勢いよく飛び出してきたのは羽根の生えた小さな女の子。
ーーー脅えている?
「…大丈夫かい?酷く脅えているようだけれど……そもそもどうやってココに、」
「…た、助けてください……!」
小鳥は紙袋が気になりつつも、優しげなその声色に安堵したのか、ぶわりと涙を零す。
突然泣かれてしまえば、流石のレラージェも慌ててしまい、ひとまず椅子に腰かけさせる。
「落ち着いて、Lady。ここには私しかいないから…何があったのか、説明できるかい?」
「っ…は、はい…」
ぽろぽろと涙を零す小鳥の目の前に膝をつけば、地獄に似つかわしくない真っ白なハンカチを差し出す。
綺麗なハンカチを受け取れば、涙を拭きながら、小鳥は起こった出来事を説明し始めた。
・・・
小鳥は、つい先程までホテルのロビーにいた。そこに現れたアラスターが視界に小鳥を映すや否や、愉しいことをしましょうとにこやかな笑顔を向けてきたのだ。
小鳥は一体何をされてしまうのかと恐怖すれば、この場から直ぐ様逃げ出し、凄まじいスピードでホテルの入口へと飛び去る。
『学ばない人ですね』と触手を伸ばすも、それが彼女へ届くことは無かった。扉の前の時空が歪み、妖しげに光る緑色のゲートが出現したのである。
『なんだアレは』
「ぴぃっ…!」
小鳥は突然の事に勢いを殺せず、か細い悲鳴を上げながら、その中へと引きずり込まれる。
その場にいたハスクとエンジェルも驚いて立ち上がれば、何事かと駆け寄ってくる。
アラスターは小鳥を連れ戻そうと触手を伸ばすも、小鳥のアンクレットの音だけが余韻を残し、無常にもそのゲートは閉じられた。
『………………何処の誰だか知らないが、いい度ですね…』
角はメキメキと音を立て、力を肥大化させていく。所有物を盗られたアラスターを止められるものは、この場にはいない。
・・・
ーーーそして、今に至る。
小鳥が最後に見たのは、何かを企み楽しそうに笑う彼の姿。
“たのしいこと”とは一体何だったのかと、考えるだけでも身震いする。
そんな彼女とは裏腹に、レラージェは紙袋の奥で眉をひそめた。
「アラスターが君にそんなことを?…それに、ロビーにいたって?」
「は、はい…そうです。……あの、そもそもここは何処なんでしょう…?」
彼女が嘘をついているようには見えないし、自分を騙そうとしているようにも思えない。
しかし、レラージェの知っているアラスターは、子どもに対して基本的には優しく接している。彼女が実はかなりの悪さをする子どもでは無い限り…
それに、チャーリーからホテルに客が来ている話は聞いていない上に、話を聞く限り住んでいるようなことさえ伺える。
少し考え込むも、小鳥の問いに我に返れば、忘れていたと手を叩いて切り替える。
「あぁっ、自己紹介がまだだったね。私の名はレラージェ。皆からはドクターと呼ばれているよ。ちなみに、ここは私の診療所でね。患者さんの中で更生したい人をホテルにご案内する役目をしているんだ」
「…お医者さま…それに、病院…?初めて聞きました…。それに、ホテル…ホテルって、ハズビンホテルのことですか?」
「That's true.ただ、どうやら私の知るホテルと君の知るホテルは、同じのようで同じではないらしい」
ーーーここでレラージェは、一つの仮説を立てた。
まず、彼女の語るアラスターと自分の知るアラスターとの食い違いがあること。そして、同じホテルでも何処か状況が違うこと。
勝手にゲートが開いた理由だが、先刻までアラスターの血を飲んでいたせいで、力を制御しきれない状態だったことに加え、小鳥の逃げ出したい思いと、人々を救いたい自身の思いが時空の歪みを生み出してしまったのではないだろうか?
あくまで仮説だが、思ったことを小鳥に伝える。もちろん、血を飲んでいることは彼女には伝えずに。
「つまり、ここは…私のいた世界じゃないってことですか?」
「あくまで仮説だが……そうなると、巻き込んでしまったのは、私のせいかもしれない。…すまない Lady」
「あっ、謝らないでください!もし、仮にそうだとしても、ドクターさんのおかげで逃げられたんですから!」
「…ありがとう。君は優しいね」
酷い目にあっておきながら、相手を気遣うことも出来る彼女に、レラージェは優しく微笑みかける。
一体なぜ、このような綺麗な魂が地獄に堕ちてしまったのか…ふとそんなことを思うも、今はそれについて考えている暇はない。
「できるか分からないけれど、もう一度ゲートを開いてみるよ。上手く元いた場所に繋がるといいのだけど…」
「っ、!」
「……戻りたくない?」
レラージェの言葉に、小鳥は体を硬直させる。戻ってしまえば、またアラスターに追われる日々が始まる…そう思うと、一歩尻込みしてしまうのだ。
ぎゅっと服の裾を掴み、羽根を震わせる彼女を見やれば、眉を下げ、そっと肩に手を置く。
「戻りたくないのなら、ここに居てくれても構わない。私やホテルのみんな…それに…こちらのアラスターなら、君に手荒な真似はしないだろうしね」
「……っ…、ドクターさんが知っているアラスターは、優しいんですか?」
「…会ってみる?」
「会いたいような…会いたくないような…」
レラージェがこんなにも終始穏やかに語るものだから、小鳥も多少の興味はあった。
しかし、あちらに残してきたアラスターのことが少しだけ気がかりでもある。
「…うぅ…っ…(今頃、どうしているんだろう。私が目の前から消えて、怒り狂って……そっ、想像しただけでも気絶してしまいそう…っ!!…怖くて、恐ろしくて堪らないっ……でも、なんでだろう。ずっとここには居られない。居ては、行けない気がする…)」
小鳥は意を決したように、溢れる涙をぐっと堪えて、レラージェへと向き直る。
「私は…っ、私の世界に帰ります…っ!」
「……うん、そうか。君は強い子だね」
瞳を潤ませる小鳥の頭を、レラージェは優しく撫でる。
彼女の振り絞るような小さな勇気に、彼自身も覚悟を決めれば、ゲートを開く態勢へと入る。
「さぁ、私の手を取って。君の世界に帰りたいと強く願ってくれるかい?」
「はいっ…!」
小鳥が右手を握ったのを確認すれば、先程と同じ場所に手をかざし、空間を歪めて行く。
一度開くことが出来たのだ。まだアラスターの血が体内に残っているうちは、恐らく繋がるだろう。
小鳥のアンクレットが、小さく揺れる。
ーーー時間にして数分。
ほんのひと時の、別世界からのお客様。
「そういえば、名前を聞いていなかったね。これも何かのご縁だ…教えていただけますか? Little bird.」
「!私の名前は…『 ミ ツ ケ タ 』ッ、わっ」
開かれたゲートから禍々しいオーラと共に、ズルリと鋭い爪が伸びてくる。
小鳥がその正体に気づくよりも先に、レラージェは彼女の腕を強引に引っ張った。
レラージェは自身に向けられ、乱暴に振り下ろされたモノから、小鳥を守るように腕の中に引き寄せるとそのまま壁へと衝突する。
「ぐ、ッ…!」
『おや…今のに反応するか。私のモノを盗む何処ぞの馬鹿が、一体どんなヤツかと思っていましたが…幾分か愉しめそうですね』
「ぅ…ッ、痛たた……ど、ドクターさんッ」
「大、丈夫……怪我は?」
「私は大丈夫です…!」
背中を強く打ち、息が止まるも腕の中で悲鳴を上げる小鳥の声に一瞬で我に返る。その様子にこちらの世界に踏み込んできたアラスターが眉を顰めるも、にこやかに小鳥へと笑顔を向け、手を差し出す。
『Hi, Darling. 迎えに来ましたよ』
「…Hi, アラスター…お迎え、ありがとう…ございます…」
言葉とは裏腹に、やはりアラスターを前にすれば、先程の決意は揺らぐばかりで、小鳥はびくびくと怯えながら、レラージェの白衣を掴んだ。
レラージェは小鳥と支え合うように立ち上がり、乱れた服を整えれば、あちらの世界のアラスターへと向き直る。
差し出した手を取ってもらえなかったアラスターは、口角はそのままに、眉間に皺を寄せる。そんな彼の様子を見て、益々怖くなってしまった小鳥は、レラージェの後ろに隠れてしまった。
尋常ではない怯え方に、話し合いをしようと思っていたレラージェは眉を顰める。
「…貴方、彼女に一体何をしたんです?」
『何の事だか分かりませんね。それは私のモノです。返しなさい。…もし、彼女が何か粗相をしたのなら、こちらにも非がありますが………先程の変なゲートはお前のだな?』
「…話し合いに、応じるつもりは?」
『ハッ、ふざけたことを。…殺されるだけで済むと思うなよ』
「ひっ…!」
小鳥が怯えるように小さく鳴いた。
今のままでは会話すら不可能だと、レラージェが首に下げた聴診器を手に取り、鞭へと変形させる。
ーーーじわじわと毛先が赤くなる。
臨戦態勢に入るや否や、アラスターの出現させた触手がレラージェへと襲い掛かった。
向かってくる触手を数本まとめて鞭で縛り上げ、床へと叩きつける。瓦礫と化した壁を鞭で投石すると同時に、複数のゲートを解放すれば、アラスター目掛けてメスを飛ばしていく。
小鳥を巻き込まぬようシールド用のゲートを張るのも忘れずに。
『ーーーさては、上級悪魔か?』
「如何にもッ…!」
いくつか読まれている攻撃パターンや闘い慣れている相手の様子に、アラスターは楽しげに目を細めた。
小鳥を連れて帰るのは前提として、まずは目の前の男の悲鳴を地獄中に届けてやりたいと、久々の感覚に気分が高揚していく。
「す、すごい…」
一方、その場から一歩も動けずにいる小鳥は、二人の動きを目で追うのもやっとであった。彼女は、アラスターの動きについていくレラージェに尊敬の眼差しを向ける。
『ハハッ!久々に愉しめそうだ!』
「ッ、それは、何より…っ!」
一方、レラージェは内心穏やかではなかった。
いくら別世界の住人とはいえ、相手はあの“アラスター”である。
最恐とも言える上級悪魔の彼と同じ攻撃手段と圧倒的な力、そして小鳥を護りながらの攻防戦。
ましてや、目の前に立ちはだかるのは、自分の全てと言っても過言ではない愛しい彼と瓜二つの男。
自分の仮説が確かであれば、他人の空似ではない。正真正銘、別世界のアラスターである。
レラージェは、紙袋の中で顔を歪める。
ーーー身体が、思うように動かない。
『おやおや、どうかしましたか!?私の顔に何か問題でも!?じっと見つめられては益々興奮してしまうッ!」
「っ、その顔でっ…!喋らないでいただきたい…ッ!」
『それは無理な話だと言うことを、お前がよく分かっていているのでは?ハハッそれにしても最初の威勢はどこに行ったんでしょうね〜ッ!見えていないんじゃないでしょうか〜?
そ ん な も の を 被 っ て い る か ら ッ!』
「ーーーッ!」
地獄で再会した時に言われた同じようなセリフと男の声が、彼と重なる。その刹那、上から振り下ろされた触手が直撃し、視界がグワンッと揺れる。
そのまま床に叩きつけられれば、背中に重い一撃を喰らい、裂かれた背中と圧迫された体内から迫り出した血が、彼の真っ白な白衣をじわじわと真っ赤に染めていく。
「がっ、はッ…」
「ぁ…あぁ…っ…ドクターさん…ッ!」
「っ……ゔッ…げほッ……はぁ…ッ、はぁっ…ッ、…」
床に倒れ込むレラージェを見て、すっかり腰を抜かしてしまった小鳥だが、口からボタボタと血を流しながら、すぐにでも立ち上がろうとする彼に気づけば、もつれそうになる足を何とか動かして駆け寄る。
『察するのは得意でね。どうやら、ここは別世界のようだ。お前は私のことを知っているようですが…どうやら、こちらの“アラスター”とやらは、とんだ腑抜けのようですね!下僕の躾すらまともに出来ないッ!……さぁ、My Dear. 帰りますよ』
小鳥はアラスターの言葉に足を止める。
自分の為に身を粉にする目の前の彼を支えたいのに、怖くて足が震えてしまう。
先程の衝撃で破られたレラージェの紙袋が、ぱさりと床に落ち、隠されていた表情が顕になる。
ーーー頭部からぽたぽたと滴り落ちる真っ赤な血。
小鳥はその血に気づけば、今にも気絶してしまいそうだった。
自分のせいでレラージェが死んでしまうのではないかと、震える手を伸ばして、白衣を掴む。
「ぁッ、アラスター!もうやめてください!ドクターさんもッ、私、帰りますから!もうやめ、…ヒッ…」
小鳥の言葉に、アラスターは追撃しようと振りかざしていた触手の動きを止める。
小鳥はそのことを知ってか知らずが、その隙に何とか止めさせようと顕になったレラージェの顔を見るも、悲鳴をあげて掴んでいた手を離し、後退るように距離を取る。
レラージェはただ真っ直ぐ、怒りに満ちた鋭い眼光で、アラスターを睨みつけていた。
先程まで毛先だけ変化していた髪色が、全てを真っ赤に染めていく。
纏うオーラを、愛しい彼のものへ
「………僕の神を、侮辱したな…?」
『…Huh……お前、それはまさか」
頭を殴られて、妙にスッキリした。
もう出し惜しみはしない。
小鳥の世界のアラスターを殺してはいけないと、頭のどこかで制御をかけていた。出来れば話し合いで、穏便に彼女を元の世界へ返すつもりだった。
怯えていたとしても、彼女の勇気があれば大丈夫だと。同じアラスターなら、分かってもらえるだろうと。
でも、…
ーーー愛する人を侮辱されて、黙っていられる馬鹿が何処にいる?
体内に残るありったけの彼の血を使い、無数のゲートを開く。
ゲートからは鞭のように撓る細身の触手が、うじゃうじゃと顔を出した。
「 許 さ な い 」
アラスターは久々に向けられる強い殺意と、自身の周りにも現れた妖しげなゲートに心底嬉しそうに口角を上げる。
レラージェは目の前の男に目掛けて、殺戮の雨を降らせた。
診療所が壊れる?
そんなこと知ったこっちゃない。
今はただ、あの男に残酷な死を。
先程まで振りかざしていたアラスターの触手は地面を這うように、どこかへ行ってしまった。
・・・
土煙に辺りが包まれる。
肝心の診療所は、跡形もなく崩れ去っていた。
目の前で起こったことが信じられず、ヘナヘナと触りこんでしまっていた小鳥は、ゆっくりと這うようにして彼に近づく。
ーーー自分の世界の、アラスターの元へ。
「…アラ、スター…?…アラスター…っ…し、死んじゃっ…」
『勝手に殺されては困りますね』
「ぴゃッ!い、生きて」
『なんですかその反応。あの程度で私が死ぬとでも?心外ですね…まぁ、私の方に来たことは褒めて差し上げましょう。上出来ですよ My Darling』
土煙が晴れてくれば、パンパンとホコリを払うようにして、アラスターが一歩前に出る。
『ドクターと言ったか?今のはよかったですよ。私のコートに穴を開けるなんて、誰でも出来ることじゃありません!………おや?…あぁ Excellent!頬に傷がッ!よかったですねぇドクター!さぁ、渾身の一撃があっさり終わってしまったことへの感想を!』
無数の穴が空いてしまったコートを脱げば、『すぐ終わりますから、いい子で待てますね?』とコートを小鳥へと渡す。
小鳥はあの攻撃でほぼ無傷なことを、受け取ったコートを見て痛感すれば、ぎゅっとコートを握りしめる。
その様子に口角を上げれば、ポンポンと頭を撫でてから、レラージェへと歩を進める。
「…ッ……ぁっ、ぐ…」
『あぁ 忘れていた。喋れないんでしたね』
「う、嘘…」
小鳥は自分の目を疑った。いつの間にか迫っていた触手が、レラージェの首を締め上げていたのだ。
嫌な音を立て、締め付けていけば、レラージェの体は地面から離れ、カラン…と手にしていた鞭が指から滑り落ちれば、元の聴診器の形へと戻る。
いつの間にか、髪色も元の色へと戻っていた。
ーーーじわじわと、小鳥の目に涙が溜まっていく。
苦しそうに触手に爪を立てるレラージェに近づけば、どうしてやろうかと暫し考える。ここが同じ地獄であるならば、殺しても生き返るだろう。
『いいことを思いつきました!私の下僕にして差し上げましょう!同じアラスターなら、お前も本望でしょう?
あぁっ、こちらの私が所有物を盗られて、悔しがる顔を見られるなんて最高の愉しみができました!五体満足では味気ないな…腕の1本や2本折っておくか?』
「ッ…ア゛ッ、……ぁ…ッ…!」
ギリギリと首を絞められ、新たに逆方向へと曲げられていく自身の腕に耐えかね、全身に無けなしの力を込める。
もっと彼の血を飲んでおけばよかったと、後悔しても もう遅い。
『はぁ…強情だな。元を辿れば、それは
《 俺 の 力 だ が ? 》
ーーーッ!』
レラージェの首を絞める触手が一刀両断されたかと思えば、凄まじい速さの触手がアラスターを襲う。
突然の出来事に飛び退けば、何が起こったのか分かっていない小鳥の隣に降り立つ。
《遅くなりました ジル。ロージーがなかなか帰してくれなくてね》
「ッ!、ゲホッ、はあっ、…はっ…ぅっ、……ァ、ル……?」
颯爽と現れたこの世界のアラスターは、レラージェが地面に落ちる前に抱き抱えてやる。
急に酸素を吸い、咳き込むレラージェの背を摩ってやれば、アラスターの手のひらにヌルりと生暖かいモノがまとわりついた。
ーーー手のひらを見れば、見慣れた彼の血液。
《…………この様子だと、相当な無茶をしましたねェ……状況は?》
ゆっくりと地面に下ろせば、口元の血を拭ってやりながら、状況を確認する。
「別世界の貴方と、彼に脅かされている少女です。理由は分からないけど、ゲートが開いて………帰すつもり、でした……でも、…貴方を侮辱されたものだから、頭に血が上って…」
アラスターは、レラージェの話から大体の状況を察する。恐らくあの自分によく似たオトコは、自分の所有物に自分以外の者が関わることが、心底気に食わないのだろう。
皮肉にも、自分自身のことはよく分かっている。今、まさに彼はその心境の最中であった。
「…僕が…力を使いこなせ、なくて…貴方を軽視させて……ごめんなさい、アル…」
《HAHAッ 君は相変わらずですねェ!力の使い方は、これからたくさん手取り足取り教えて差し上げます。それと、無様にも私に負けた件については、あとでたっぷり可愛がってあげましょうね My Honey.
ーーー…一先ず、》
彼の結った長い髪に口付けてから、深手を負った彼を庇うように前に立ち、自分と瓜二つの存在に目を向ける。
ーーーカツンと杖を付いた。
《お前は、俺のKittyを可愛がってくれた礼でもいかがかな?》
『面倒事に巻き込んでくれた礼なら、彼の首ひとつで構わないが?』
お互いにメキメキと角を伸ばし、悪夢を思わせる禍々しいオーラを纏えば、レラージェ側のアラスターが飛びかかる。
杖同士がぶつかり合えば、先程まで積み上げられていた瓦礫が一気に吹っ飛ぶ。
「ぴッ、(し、死んだ…)………え、?」
あまりの衝撃に小鳥が目を見開くも、そこまで大した衝撃もなく、代わりに妖しげに光るアラスターのシールドが、自身を包み込んでいた。
・・・
金属の擦れ合う音が辺りに響き渡る。
《生憎、俺の所有物を放棄するつもりは、微塵もありませんよ》
『ハハッ!ドクター、お前も所有物らしいですよ!残念でしたね!』
《お前のような低俗のソレと一緒にしないでいただけますか?虫唾が走る》
レラージェ側のアラスターが勢いよく触手で殴れば、同じように殴り返される。二人の周りには、瓦礫の残骸だけが積み上がる。
『それはこちらの台詞だが?あまりにも低俗で下品で節操なしの悪趣味な契約に反吐が出る!!しかし、彼の能力は実に興味深い!私が欲するのも無理はありません!!!………あぁ、名前は確か…“ ジ ル ”と言ったか?』
《 覚悟はいいか Fuckin'Bambi 》
レラージェの能力に目をつけられた上、自分だけの彼の呼び名を同じ顔の男が発すれば、アラスターの怒りが爆発する。
しかし、実力はほぼ互角。どちらも譲ることなく攻撃を繰り広げ、打ち消し合い、一向に勝負がつかないでいた。
・・・
ただその場で見ていることしか出来ない小鳥は、突如頭上に落ちてきた影に顔を上げる。
「ドクターさん…ッ!」
「Shh…静かに」
「!……う、動いて大丈夫なんですか…?」
先程まで遠くにいたレラージェが、瞬間移動してきたことに思わず声を上げるも、彼が自身の口元に人差し指を当て、声量を抑えるようなジェスチャーをすれば、慌てて口を抑えながら小さな声で言葉を発する。
レラージェは小鳥の傍に膝をつき、眉を下げ、安心させるように微笑む。
その額には、じんわりと汗が滲んでいた。
「ッ、私のせいで…っ…ごめんなさい…」
「君のせいじゃないよ。これは私の力不足が招いた結果だから…それに、すぐに治る」
「え…?」
よく見ると、彼は右手を水を掬う時のような形で構えており、そこには少量の赤黒い液体が見えた。
一体なんだろう…と小鳥が首を傾げていると、レラージェは目を閉じ、その液体をゆっくり口に運び、最後の一滴まで余すことなく口に含んだ。
「ん、っ……んっ、…はぁ、…」
口端についた液体もぺろりと舌で舐め取れば、彼の体がぽわっと赤い光に包まれる。
ぽたぽたと垂れていた血が止まり、少しだけ顔色が良くなった彼の顔を見て、その不思議な光景に小鳥はぽかんと口を開ける。
「…いっ、一体何を飲んだんですか…?」
「…………ふふ、ナイショ 」
小鳥の視線に気づけば、先程の様に口元に人差し指を当て、目細めながらいたずらっぽく微笑む。
ちなみに、今飲んだ血はついさっき状況を説明している時に、彼が自ら手のひらを裂いて与えてくれたものだ。
背中を触った際に血塗れになった手であれば、相手も気づかないだろうと、彼の咄嗟の判断にはいつも惚れ惚れしてしまう。
一方、小鳥は内緒なら仕方ないと納得すれば、戦いを続ける二人のアラスターへと向き直る。
レラージェは、不安そうにコートを握りしめながら、真っ直ぐと彼らを見ている小鳥の横顔をアラスターのシールド越しに見つめる。
「…ぴぃ…っ…」
「………」
あちらのアラスターとの戦闘を通じて、分かったことがいくつかある。
まず、ゲートから現れてから今まで、彼が絶対に彼女へ攻撃しなかったこと。
次に、自分との戦闘の最中、彼女への被害が最小限に収まるようにしていたこと。
そして、アラスター同士の戦闘では、常にシールドで守っていること。
「………やっぱり、貴方もアラスターなんですね」
「へ…?」
「何でもないよ。…さてと、そろそろ行こうか Lady 」
「えっ、い、行くって何処に…」
レラージェは血塗れの白衣の襟を正し、ネクタイを締め直す。そして、何故かスッキリした顔で納得したように立ち上がった彼に、小鳥は戸惑う。
困惑した表情でこちらを見上げる小鳥に、レラージェは優しく微笑みかける。
「 僕らのアラスターの元へ 」
・・・
ーーービッ
レラージェ側のアラスターの頬に一筋の血が伝うと、お互いに動きを止める。
『ハハッどうです?折角ですから、お揃いにして差しあげましたよ。最も、私の頬の傷はお前のお気に入りが付けたものですがッ!』
《……HAHAッ 嬉しそうにしているところ申し訳ないが、こんなもの傷の内にも入りません!》
『強がるのも大概に……Huh?』
ケタケタと笑う小鳥側のアラスターを後目に、レラージェ側のアラスターは血塗れの手で頬を拭う。
傷に触れた血は光を放ち、収縮していく最中、みるみるうちにその傷を消していく。
頬に感じた痛みなど全く感じなくなれば、満面の笑みで相手を見やる。
その光景には、流石に傷をつけたアラスターも目を見開いた。
『………ドクターか』
《えぇ、ご名答。彼、便利でしょう?あげませんよ》
『一層欲しくなったと言えば?』
《それは彼が 「 ア ル 」 …そろそろ来る頃だと思っていましたよ。話は終わったか?》
瞬間移動してきたレラージェは、話に割り込むように自身のアラスターの元へふわりと降り立つ。
当の本人は特に驚く様子もなく、隣に降り立ったレラージェの顔を見ながら話しかける。
一方、小鳥側のアラスターは痛めつけた頃よりも幾分か回復しているレラージェを見れば、怪訝そうな表情を浮かべる。
『…何をした』
《おや〜?同じ頭をお持ちなら、大体の察しはつくはずですよ。信じられないか?この俺が、そんな契約をしているということに》
『信じるも何も、釣り合わないにも程がある。私ともあろうものが、目先の利益に目が眩んだか?』
「…何の話?」
答えの見えないアラスター同士の会話に、レラージェは恐らく自分も関係あるであろうと察すれば、隣にいるアラスターに顔を寄せる。
《ただの嫉妬ですよ。 ジル、血を》
「はい、アラスター」
レラージェはサッと手袋を取ると、露出した手を差し出す。アラスターは差し出された手を取ると、彼の人差し指に噛り付き、じくじくと溢れ出る彼の血液を摂取する。
血を多く流しすぎたレラージェは、急な吸血行為に少しふらつくと、空いている手を彼の肩に置いた。
「っ…ぅ、あッ……アル、あんまり…吸わないで、…」
《はっ…辛抱なさい》
当の本人はそんなことなどお構い無しにじっくりと味わうと、増幅した力の差を見せつけるようにメキメキと角を伸ばす。
ガラリと変わった雰囲気に、二人に対峙するアラスターは笑みを引き攣らせた。
ーーーあまりにも、分が悪すぎる。
《さぁ、続きと行こうか My Brother》
『ーーーっ!』
巨大化した触手が振り上げれたその瞬間、物凄い速さで駆けつける一羽の小鳥。
「アラスター!!!」
『…何しに来たんです』
割り込むように降り立った小鳥は、レラージェ側に背を向け、自分がよく知るアラスターへと向き合った。
レラージェは、一人置いてきた彼女の後ろ姿を見守る。
ーーー彼女のその目に、もう迷いはない。
・・・
「でも、アラスターのシールドが………私…っ…怖くて、出られません…」
「…大丈夫。君は、君が思っているよりもずっと強い心を持っているはずだよ。それに…その檻は君を閉じこめるものじゃない」
「…えっ…?」
シールドから出られないと嘆く彼女に、レラージェは諭すように言葉を紡ぐ。
ーーー僕は、知っている。
君がどんなに怖くても、ずっと目を開けていたことも、彼から目を離さなかったことも。
怖くて、恐ろしくて、今にも逃げ出したいはずなのに、ずっと心は死んでいなかった君のことを。
「心配しないで Lady。君には立派な翼があるんだ。あとは、君の気持ち次第だよ」
「……私の、気持ち…」
今まで真っ直ぐ前を見ていた視線を足首へと移すと、あの人から貰ったアンクレットがチリンと鳴る。
ーーー今日は何故だか、寂しい音に聴こえた。
・・・
小鳥は必死だった。かの厚顔無恥なラジオデーモンを前にして、自分に何が出来るのかと。出来たところで、どうにかなるものなのかと。
ーーーそれでも、私は…
小鳥は震える手をぎゅっと握りしめる。
「さっきは迎えに来てくれたのに、貴方の手を取れなくてごめんなさい」
『………』
「帰りましょう アラスター…!私は、っ…貴方と一緒に、貴方の地獄に帰りたい…!」
『ーーーーExcellent!貴女がそこまで言うのなら良いでしょう!!一緒に帰って差し上げますよ My Darling』
「ぴぃッ」
小鳥の精一杯絞り出した言葉に感銘を受ければ、彼女の腰をガシッと掴むと瞬く間に横抱きにする。
急に調子を取り戻したアラスターに、さっきまでちょっと重たい雰囲気ではなかったか?と困惑するも、されるがままの小鳥に成す術などなかった。
『という訳だ。彼女が帰りたいと言うのでね。家に帰らせてもらおう!
あぁ、心配しなくてもいい!彼女に余計なことを吹き込んだことは水に流してやるから、さっさとゲートを開いてもらおうか?ドクター』
「Hmm……やっぱり僕、あのアラスターは苦手です」
《俺が堪えているうちは我慢なさい》
自身のアラスターの後ろに控えていたレラージェは、傍若無人な彼の振る舞いに不服そうに眉を顰め、こそこそと顔を近づけて囁く。
同じ顔の赤の他人に嫌気がさしているアラスターも、同じように眉を顰めながら、レラージェの頭を撫でる。
『私の気が変わらないうちに早くしろ ldiot couple 』
「……私のゲートが必要なのに、随分な物言いですね?」
『Huh?』
「ど、ドクターさん…」
一触即発の雰囲気に、腕の中に収まっていた小鳥がおずおずと口を開く。
「ありがとうございました…色々とご迷惑をかけて、ごめんなさい」
「謝らないで Lady。君は何も悪くないよ。悪いのはゲートを開いてしまった私と、君を脅かした彼だから」
『ドクター。手土産に君の首を持って帰ってもいいんですよ?』
《その時はそちらの小鳥を焼き鳥にして食べてしまいますがね。勿論レアで》
「ぴっ!?」
対峙するアラスターの言葉に小さく鳴き、自身の胸元にぎゅっと顔を埋める小鳥を見れば、怒りもどこかに飛んでいく。
その様子を見れば、可哀想なことをしてしまったと、レラージェは慌てて小鳥の手を取り、ゲートを開く。
どうやら正確に開いたようで、ゲートの向こうからあちらのホテルの面々が、不安そうにこちらを見ているのが伺えた。
小鳥を抱えたアラスターはこちらに背を向け、ゲートへと足を踏み入れる。
彼の背中からひょっこり顔を出した小鳥は、名残惜しそうに声を上げる。
「っ、ドクターさん!またいつか会えますか?」
「君が願うなら、次はお茶でもいかがかな?」
「…っ!はいっ、よろこんで!」
最初に出会った頃からは想像もしなかった嬉しそうに笑う彼女を見れば、レラージェも嬉しそうに微笑むのだった。
「さようなら Little Bird 。お元気で」
・・・
二人が完全にくぐり抜けたのを実感し、ゲートを閉じれば、急に力が抜け、限界の来た身体がグラりと傾く。
そうなることを予想していたのか、倒れる先に先回りしていたアラスターは、荒く呼吸を繰り返すレラージェを受け止める。
「っ………ハァッ…、ハァ…っ……お叱りは、明日でもいい…?」
「さっきは威嚇のためとはいえ、無駄に多く吸ってしまいましたからねェ。今回は君の働きに免じて、特別に無しにして差しあげましょう。あいつとは違い、俺は優しいからね」
「!…ふふ、…ん、アル…今日は一緒に寝てください。朝までずっと…一緒に居て?」
「仰せのままに My Dear」
額に口付けられれば、レラージェは目を瞑る。
今はただ、どうかあの臆病な小鳥が、少しでも平穏に暮らせますようにと願うばかりである。
跡形もなくなった診療所と瓦礫の撤去を使い魔に任せれば、とぷんと闇に身を委ね、二人はホテルの自室へと消えていった。
fin.