愛の言葉のひとつでも、 落ちてくる巨大な隕石に、この星に住まう存在が出来ることはもう何も無く。
それぞれが怯えながら、受け入れながら、騒ぎながら、最期の時を待つ。
そんな中、喧騒から少し離れて見つめ合う二つの存在があった。
数奇な運命を辿り、犬の体となった男と、その恋人である女。
男――ノエルは結局、最期まで犬の体のままだ。すぐ近くには仮死状態となった本来の肉体があるけれど、それを再度移植する方法がこの島には無い。
女――フェリアはずっと『見た目なんて関係ない』とは言っていたけれど、人の体でなければ、こんな時に彼女を抱きしめてやることも出来なかった。
「フェリア、付いてきてほしい」
彼はそう言うと、静かに立ち上がり、森へと向かう。
「えっ、ちょっ……どこ行くんだよ!?」
慌てて立ち上がった彼女を連れて、森の中を歩く。
そうしてしばらく歩けば、急に視界が開けて、目の前には朽ちかけた建物が一つ。
「ここは……?」
「教会だ」
「へぇ……凄いな、こんな建物があったなんて」
驚いている彼女を横目に、彼はそっと教会の扉を押した。蝶番の軋む音が教会に響き渡る。
外見と変わらず中もボロボロで、だけれどそんな事は気にならなかった。正面にある壁画にどうしても目を奪われるからだ。
白い鯨。かつて大地を守った存在。
その前へ、彼は歩を進めた。
「フェリア」
名前を呼ばれた彼女が彼のすぐ隣まで進む。ちらりと彼の方を見れば、ずっと彼女を見つめているのが分かる。その眼差しが何だか恥ずかしくて、思わず目を背けた。
彼女の目の前にいる彼は犬の姿なのに、穏やかに微笑んでいるのが分かる。分かってしまう。その微笑みは彼女が何度も過去に見たものだ。そして今でも夢に見るものでもあった。
「んで? こんなところに連れてきてどーすんだよ?」
照れを隠すように会話を切り出す。
「私は……最後の時まで、君を愛する事を誓おう」
「なっ……!? 突然何言い出すんだよ!」
思ってもみなかった言葉に、顔が熱くなるのを感じる。けれど、ノエルは気に留めていないようだ。
「いや、どうせなら最期に結婚式の真似事でも……と思ってな」
「それを先に言えよ!! ビックリするだろ!!」
「ハハ、悪かった」
「絶対悪いって思ってないだろ……」
そんなフェリアの呆れた声に、また彼がクスリと笑う。
そうして一呼吸おいて。
「まぁ、その……そういう事なら、別にノってやらなくもねーけど?」
「そうか、なら良かった」
彼女の返事は曖昧なものだったが、それが否定の意味では無いと彼は知っている。
「つってもあたし、そういうの詳しくないんだけど……マナーとかさ」
「私達しかいないんだ、マナーなんて気にしなくていい。先程も言った通り、あくまでこれは真似事だ。意味が通じればそれで問題ないさ」
「……そっか、分かった」
そんな彼の言葉を聞いて、彼女もようやく微笑んだ。
「えーっと……病める時も健やかなる時も……だっけ?」
少しの間、首をひねりながら誓いの言葉に悩んでいたが。
「あーもう! 面倒くさい!!」
彼女は首を振りながらそう叫ぶと、改めて彼へと向き合って。
「あたしは! あんたの事が好きだ! 最期とか何だとか、そういう面倒なのはどうでもよくて! ずっとあんたのそばにいたいって思ってる!」
彼女の声が教会の中に響く。彼女らしい、飾る事のないストレートなその愛の言葉の、何と心地よい事か。
「……ありがとう」
彼の静かな声に、我に返った彼女がまた頬を染めるけれど、そんな姿もまた愛おしい。
「もう思い残す事は何も無い、と言えば嘘にはなるが……けれどこれで素晴らしい最期が迎えられそうだ」
「何かめちゃくちゃ恥ずかしくなってきたな……無かった事にしたくなってきた……」
「ハハハ、それは無理だな」
「分かってるけど……それこそ隕石が無かった事になったりしない限りは有効だって」
「フェリア……それはフラグというものでは……?」
「へ?」
驚いたような顔を浮かべるフェリアの様子に、ノエルはまた微笑んだ。
「さて、そろそろ皆のところへ戻らねば」
最期の瞬間がどうなるかなんて分からない。けれど、愛おしく思う相手と愛の言葉を交わして、それ以上望むものなど無い。彼は心の底からそう思った。
見事にフラグが成立し、晴れて隕石が粉々になった結果「アレはノーカンだからな!」と彼女が騒ぎ出すのは少し後の話である。
― 完 ―