Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    しお🍙

    @Shio21901987

    @Shio21901987

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 7

    しお🍙

    ☆quiet follow

    pixivで全文公開中です。
    付き合えないと言っているのに大好き大好きとついてくる🎴♀にうんざりした🔥さんが、
    「彼女ができたから」と突き放した途端、🎴♀が目の前に現れなくなり…的な記憶喪失のお話です。
    ハピエンですが🔥さん🎴♀に結構冷たいし、悪意あるモブたちが出ますので苦手な方ご注意ください

    能動的片恋能動的片恋見守る彼女の甘美な憂鬱私のことを好きじゃないのは知ってるし、
    彼女になんて絶対になれないのも知っている。


    それでもあなたが元気になってくれるなら、嫌われたって疎まれたって構わない。なんて。

     
    能動的片恋

    「おはようございます!煉獄先輩!今日も素敵ですね。姿勢もよくって本当惚れ惚れします!あ、昨日の剣道部の試合もめちゃくちゃかっこよかったです!先輩が普段から練習頑張っていらっしゃるのがよくわかりました!毎日あんなに努力できるのって本当すごいことですよね!大好きです!」

    「おはよう竈門少女!もう来るなと言ったと思うのだが、君には伝わらなかっただろうか!
    今日はもう来るなという意味で言ったんじゃないぞ、金輪際、もう来るなという意味で言ったんだが?!」

    「あ、はい伝わってます!でも私が会いたかったので来ました!!」

    「君は人の迷惑を少しは考えなさい!」

    毎日毎日同じやりとりの繰り返し。
    おかげで各学部の学生の間でこのコンビは有名人だ。

    3年生の煉獄杏寿郎と、一年生の竈門炭子。

    毛先に朱色が差した長い金髪、長身かつ鍛えられた逞しい体躯、整った目鼻立ちに二股の凛々しい眉。

    一眼見たら忘れられない、個性的な美丈夫である煉獄は入学当初からよく目立っていた。
    性格も明朗快活で優しく、努力家で正義感が強い。その上代々続く名家の長男とくれば、女子たちに狙われるのも無理はないだろう。

    そんな中でも顕著なのが今年の春に入学してきた竈門炭子である。

    彼女は入学式翌日から、煉獄のことを毎日毎日追いかけては好きです素敵です煉獄先輩!と愛を告げるのだが、対する煉獄は非常につれない。さすがに無視したり声を荒げたりはしないが、全く相手にしていない。

    とはいえ煉獄が彼女に冷たくするのには理由があった。

    昔から非常にモテる煉獄だが、あまり知らない相手からの告白は受けない、と決めていた。
    それは代々続く名家の長男として、金や家柄や人脈目当ての女性が近づいてくる可能性や距離の取り方、気をつけるべき女性の見極め方などを細かく教えられているからでもあるし、
    過去、煉獄の見た目に惹かれて告白してきた女性と交際した結果、「なんか思ったのと違う。」とことごとく振られてきた経験則からでもあった。

    よく知らない相手とは関わらない方が無難だ。

    特に炭子は入学式翌日から告白してきたのだ。
    煉獄の人となりなど知る由もないから、大方、見た目や家柄などに惹かれて告白してきたに違いない。

    ある程度つれない態度を取るのは、ほとんど自衛のためだった。

    にも関わらず、彼女は全くへこむ様子を見せなかった。

    「おはようございます、先輩!昨日おばあちゃんを助けてあげてましたね、やっぱり先輩は優しくて素晴らしいです!」
    「先輩!さっきスポーツウェルネスの授業で先輩がテニスしてるとこ見かけました!試合後に相手の人のこと気遣ってあげてましたね、そういうとこ本当素敵です!大好き!」
    「お疲れ様です先輩!教師論の授業一緒でしたね!真剣に授業聞いてて集中力すごいですね、やっぱり鍛錬されてるからですか?そういう真面目なところも大好きです!」

    突き放されても翌日には元気に煉獄の前に現れ、全力で煉獄を称え、愛を叫ぶのだ。それも日に何度も思い出したように。

    おまけに竈門炭子は普段から人助けを積極的にしている。
    電車で痴漢を捕まえたり、迷子を探したり、学内で彼女に助けられた者も多く、つまるところ顔が広いのだ。
    追いかけられればなおさら目立つ。

    おかげで周りには揶揄われるし、煉獄はすっかり参ってしまっていた。

    「一体あの子はどうしたら俺への興味を失くすんだ…」
    「一回付き合ってみればいいんじゃねぇの?」
    「そんな真似が出来るか!大体家のことを抜きにしても、俺は彼女のような押しが強くて周りを気にしないタイプは苦手なんだ…。」

    3コマ目が空きの煉獄は、友人の宇髄とともにカフェテリアで時間をつぶしていた。
    今の時間、炭子たちは授業中なので煉獄にとっては炭子から解放され心休まる貴重な時間なのだ。

    「お前は心優しい健気なタイプが好きだもんな。」
    「間違っても相手の都合お構いなしでぐいぐい来るタイプじゃないぞ…。」
    「あいつみたいなタイプが好きな奴も結構多いけどなあ…」
    「それならそういう人たちがあの子と付き合えばいい…」

    テーブルに突っ伏してぐったりしている煉獄の頭に、まぁこれやるよと宇髄がパンを置いた。
    宇髄とは中学からの付き合いだ。ともにモテるのでそれぞれ似たような悩みを抱え、お互いの悩みを相談しあったり助け合ったりしてきた友達である。
    煉獄の燃費が悪いのをよく知っていて、何かしら食べ物をいつも持ち歩いている。

    最近はいつもパンをくれるのだが、どこの店かは教えてくれない。

    現金にも甘いパンの香りにいきなり腹が減った煉獄が包みを開くと、中から現れたのは粉糖がまぶしてある揚げパンだった。
    さっそく頬張ると、さつまいものペーストとバニラビーンズの入ったカスタード、ふわふわ食感のほんのり甘い生地が三位一体となり、たちまち彼を癒した。
    あまりにも柔らかな食感からして、パンというよりマラサダのようなドーナツの方が近いかもしれない。
    カスタードも滑らかで、舌に触れるなり芳醇なバニラの香りとともに消えてしまった。
    そして何よりさつまいもペースト。
    どっちみち砂糖を加えるため、こういったパンや菓子に使われるのは甘味が少ないものが多いが、このペーストはさつまいもの味がしっかり濃くて甘い。もしや安納芋を使っているのだろうか。
    芋の風味はしっかりしているのに、滑らかで全くもそもそしない。クリームなのか牛乳なのか知らないが、絶妙なバランスで伸ばしてあるのだろう。
    さつまいもが大好物の煉獄は、このパンの美味さに全てを持っていかれてしまった。

    「わっしょい!!!」
    「うまいか?」
    「うまい!俺はこれをくれた君に最上の感謝の気持ちを抱いている!本当にありがとう!!そろそろ店を教えてくれ!是非とも帰りに買いたい!」
    「そりゃ良かった。それ試作品だってもらったんだよ。だから店には並んでないけど、美味かったなら言っといてやるよ。きっと喜ぶだろうから」

    これしかないのか…と少し気落ちしながらも、美味しいパンで煉獄の疲れが少しだけ和らいだ。
    竈門炭子の件についてはまだ悩むところだが、まぁ顔を出来るだけ合わせないように気をつけよう。

    そう考えた側から授業終了のチャイムが鳴り、「煉獄せんぱーい!」と言う竈門炭子の声が聞こえて煉獄は慌てて彼女から逃げようと立ち上がった。



          ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢


    「あの、ずっと煉獄くんのこと好きでした…その、こんな風に言われたら嫌かもしれないんだけど、よかったらお友達から付き合ってもらえませんか…?」

    4コマ目が終わったら3号館の裏庭に来てほしい、と呼び出しを受けていたので
    煉獄にとってこの告白はまぁ想定内だった。
    同じ学部同じチューターの、大人しくて控えめで清楚な女子だ。三年間同じクラスで過していて何度か皆で飲んだり遊びに行ったりしたことがある。
    正直に言って、優しくて穏やかな女性が好きな煉獄のタイプであった。
    告白の仕方もよかった。煉獄のことを気遣っているのもキュンとしたし、恥ずかしそうに言うところも煉獄のツボを押さえている。
    だからといって、煉獄はすぐに彼女と恋人として付き合うつもりはなかった。

    「…ありがとう!ぜひ付き合おう。
    だが俺は君のことを何も知らない。ついては、君の言うように友達のような関係からお付き合いを始めたい。
    ある程度お互いのことを知ってから恋人のように進んでいきたい。それでも構わないだろうか?」

    煉獄の返事に、彼女は伏せ気味だった顔を上げ、パァッっと明るくなった表情でありがとう!よろしくお願いします!と言ってその場を去っていった。

    煉獄はモテる。非常にモテる。
    学校で告白をされるのはもちろんのこと、街を歩けば声をかけられたり、入った店の店員に連絡先を渡されるのも日常茶飯事だった。

    真面目な性分ではあるが、煉獄は告白をしてくれた相手の勇気に敬意を払い、ある程度知っている相手であれば大抵OKをしてきた。
    それゆえ、途切れることなく彼女がいたのにここ半年彼女がいなかったのは、ひとえに竈門炭子の存在が大きかったからだ。

    先輩先輩と子犬のようにまとわりつき、好きです今日も素敵ですと愛を伝える彼女のせいで、煉獄=竈門炭子というイメージがついてしまったのだ。

    事実、学内でデートに誘われたり告白される頻度は減ったが、竈門炭子と関わらない学校以外の場所では変わらず告白やナンパをされるのだ。
    別にモテたい訳ではないけれど、よく知らない女子と公式カップルのような扱いをされるのはいい気持ちがしなかった。それも彼女に迷惑して、辟易しているのだから尚更。

    さすがの竈門炭子も煉獄に彼女ができれば諦めてくれるだろうか、しかしあのメンタルの強さなら明日以降も彼女が隣にいてもめげずにやってくる可能性もある。

    どうしたものかと小さなため息をついたところで、後ろから「煉獄先輩!」と声が聞こえてきた。
    振り向けばちょうど今しがた考えていた竈門炭子がこちらに走ってくるところだ。
    ポニーテールがぴょんぴょん揺れて、本当に子犬の尻尾のようだった。

    「…竈門少女、もう来るなと再三言っているが、君には俺の言葉が理解できないのだろうか?」
    ため息をつきながら、あからさまに迷惑だと態度に出すが、炭子は全く気にした様子を見せない。
    「すみません、先輩に会えると嬉しくてつい。」
    「俺は君に会えても一つも嬉しくない。」
    炭子はえへへ、と微笑むが、煉獄はもう一度ため息をつく。今日こそはちゃんと迷惑だと伝えなければいけない。
    いつもこんな風にまとわりつかれてはたまったものではないし、友達からとはいえ先程告白をOKした彼女にも悪いだろう。

    「竈門少女、お願いだからもう本当に来ないでくれ、彼女ができたんだ。」

    煉獄の言葉に、炭子が大きな目をさらに見開いて、びっくりしたような顔をする。

    「君にいくら好きだと言われても応えられない。彼女に悪いし、何より俺は君のことを好きにはなれない、絶対に。
    気持ちに応えられないのに好意をぶつけられるのは、はっきり言って気が重いし本当に迷惑だ。
    世の中広いのだから俺なんかより素敵な人はたくさんいるだろう。こんな無駄なことに時間を使わないで、さっさと他に目を向けた方がいいぞ。」

    言ってしまったあとで、ちょっとキツイことを言い過ぎたかもしれない、と思って炭子の方にちらっと視線を向けて見た。
    炭子はびっくりしたような表情をしていたが、煉獄と視線が重なると、ふわりと微笑んだ。

    「彼女さんができたんですね、それはおめでとうございます!わかりました、明日からもう来ません。
    それと…ご迷惑をおかけしてしまってごめんなさい。今までありがとうございました。」

    ぺこりと頭を下げると炭子はくるりと振り向き、向こうへ走っていってしまった。
    こっちへやってきた時と同じように、頭の上でぴょんぴょん揺れるポニーテールはやっぱり子犬の尻尾のようだった。

    彼女が泣き出すかと内心ヒヤヒヤしていた煉獄はホッとしたが、あの何度言っても聞かなかった竈門炭子のことだ。どうせなんだかんだ言っても偶然を装って現れるかもしれない、そう思っていた。

    ところが煉獄の予想は外れ、竈門炭子は次の日から煉獄の前に現れないどころか、学内で彼女を見かけること自体なくなってしまった。




    竈門炭子がいないとこんなに静かで平和なのか。

    騒がしい学食の一角、ニコニコと向かい側で座る彼女を見つめながら、煉獄は平和になった毎日を噛み締める。
    竈門炭子が煉獄の目の前に現れなくなって一か月が過ぎた。

    あんなに押しが強かった割に、炭子の聞き分けがとてもよかったことに驚いたが、周りにつき合ってやれよとかあれこれ言われなくなったのも、応えられない思いを一方的にぶつけられなくなったのも、煉獄にとってとても気分の良いことだった。

    目の前に座る煉獄に告白してきた彼女とも、友達付き合いからということでキスはおろか手を繋ぐことすらもまだの清い交際ではあるが、
    チューターごとの授業では隣に座ったり、一緒にお昼を食べたり、休日にはデートに出かけたりして少しずつ仲を深めている。
    彼女の家も大きな会社を経営していて、煉獄の金目当てではないと思われるところもよかった。控えめなところも好感が持てる。

    ただ、最近ほんの少しだけだが疲れを感じやすくなった。心の安寧とは裏腹に、彼女との新生活に知らないうちに緊張しているのだろうか?

    「お熱いことで羨ましい限りだな。」
    宇髄が向かい合い食事をする煉獄たちに軽口を叩くと、向かいに座っている彼女は真っ赤になって黙ってしまう。
    彼女が次は授業があるから、と先に学食を後にすると空いた向かい側に宇髄が腰掛けてそのまま食事を始める。

    「…君、最近あのパンは持ってきていないのか、絶対に名前を教えてくれないパン屋のパン。」
    「ああ、作ってたやつが怪我しちまってさ、しばらくは食えないんだよなあ、残念ながら。」
    「そうか…それは大変だな。」
    「大変といえばだが、」

    宇髄がランチセットの味噌汁を飲みながら言う。

    「竈門炭子、最近来てねえだろ?」
    「ああ、来てないというか、学校でも見なくなったな。あの押しの強さからしてなんだかんだ俺の前に現れるかとも思ったんだが。」
    「なーんか、事故って入院してたらしいんだよな。」
    「は!?」

    驚きのあまり、煉獄の手の中の箸が折れた。

    「あ、命に別状はねえから、大丈夫。化けて出たりしないから。」
    「そこは心配していないが、命に別状はないんだな。驚いたぞ…。」
    「まぁなあ、それは本当によかったんだけど。ただ、厄介なことにはなってるみたいだぞ。色々と。
    退院はしてるけど来週いっぱいまでは休むらしくて。」
    「君ずいぶん詳しいな。」
    「俺の後輩が竈門の友達で仲良いんだよ。まぁ、こんな話しても別にお前には関係ないっちゃないんだけどさ。彼女もいることだしな。」

    ああ、まぁそうだな、と返事をしながら煉獄は空になった食器を片付けるべく立ち上がった。
    驚きはしたものの、元々忙しい身だった上、
    宇髄の言う通りに特に自分には関係がなかったため、彼女を見かけなくなった理由がわかれば、その日以降竈門炭子のことは思い出すことはなかった。




    それから二週間すぎた頃のこと。

    売店で、煉獄が買い物をしていた時だった。

    美術科の生徒なのだろうか、前に並んでいた女子生徒が会計を済ませて歩き出した時、彼女の両手に抱えた荷物の中から、ぼとりと白いアクリルガッシュが落ちた。

    落とし主は全く気づいていないようで、急いでいるのか早足で売店を出ていく。
    君、と声をかけようとした瞬間。

    煉獄のななめ左後ろから駆け出す人影がいた。

    「待ってくださーい!落としましたよー!」
    そう言ってサッとかがんで絵の具を拾い上げ、飛び出していったその影もまた何かを落としたのを見て、煉獄は驚愕した。

    慌てて会計を済ませて、床に転がった落とし物を拾い、女子生徒を追うその人をさらに追いかける。
    煉獄が追いついた時には、その人は女子生徒を追いかけて階段を駆け降りようとしていたところだった。
    瞬間。
    その人のスニーカーを履いた足がもつれるのが見えた。

    「待ってくださ…きゃああっ!!」

    間一髪。

    階段から滑り落ちそうになっていた彼女の、華奢な体を煉獄が後ろから掴んだ。
    手すりを支えにして階段の上に引き上げる。
    危ないところで間に合った。煉獄は一安心して、「君、大丈夫か?」と声をかけた。

    踊り場に引き上げられた影、もとい、女性の顔を見て煉獄は再び驚いた。

    癖のある長く赤い髪。
    長いまつ毛に縁取られた、髪と揃いの赤い大きな瞳。
    日輪の大ぶりなピアス。

    ここしばらく顔を見ていなかった、思い出しもしなかった後輩がそこにいたからだ。




          ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢



    「すみません…本当にありがとうございます!助かりました。」

    女子生徒に無事落としたアクリルガッシュを返し、振り向いて彼女は微笑んだ。

    久しぶりに会った竈門炭子は、端的に言って煉獄の知る彼女と別人だった。

    今までざっと纏めてポニーテールにしていた癖のある髪は、編み込まれて花のような形のシニヨンに、
    デニムやベイカーパンツにTシャツとスニーカー、といった動きやすい格好ばかりだったのに、今の彼女は足元こそスニーカーだが、ふわりと広がるロング丈のシャツワンピース姿だ。
    少しオーバーサイズ気味なその服から覗く手首や足首の細さや白さに少し戸惑ってしまう。

    おまけに今まではしていなかったメイクまで丁寧に施されている。
    大きな瞳はくるんとカールした長いまつ毛と柔らかな黒のアイラインに縁取られ、唇はほんのり柔らかなピーチピンクに彩られている。
    煉獄の好みは別にしても、はっきり言ってめちゃくちゃ可愛い。美少女といって差し支えない。

    それに何より態度が。

    今まで子犬が足元にまとわりついてくるように先輩先輩と笑顔で追いかけてきたのに、非常によさよそしい感じだし、どことなく警戒されているようにも見える。

    それが悪い訳ではない。
    煉獄に言われたことを覚えていてそんな態度をとっているとも思える。

    ただ、何故かそれだけとは思えない、ものすごい違和感があるのだ。

    「…あの、すみません。私、いま時間がなくて…改めてお礼をするので、名前を教えて頂けますか?」
    「…は?」

    煉獄の訝しげな返事に、炭子の顔がみるみる青ざめていいき、怯えたような表情にかわっていく。

    「あ…ご、ごめんなさい!」
    「お、おい大丈夫か?」

    煉獄が戸惑って声をかけるものの、炭子の怯えた様子は変わらない。明らかに煉獄のことを怖がっている。

    「ちゃんとしたお礼もしないで立ち去るなんて、すみません…あ、私は栄養学科の一年竈門炭子です。もしよかったらお兄さんの名前を教えてもらえませんか?あとで必ずお礼に伺うので!」
    「……君、今なんと…」

    「紋子!こっちだ!」「炭子!!いないと思ったらこっちいたー!」

    いきなり自己紹介を始めた炭子に煉獄が呆気にとられていると、炭子がよく一緒にいる金髪の美少女と、美少女にしか見えない美少年が向こうから駆け寄ってきた。

    確か、金髪の子は宇髄があいつギャーギャーうっさくて派手に面白いんだよ、と言っていた子だ。彼が言っていた竈門炭子と仲良い後輩とは彼女のことだったか、と煉獄は一人で納得した。

    煉獄には怯えを見せていた炭子の表情が一気に安堵で緩む。駆け寄ってきた二人は、小さい子供を諭すように炭子に話しかけた。

    「一人になるなって言われてただろうが!」
    「伊之助、善子…ごめん、探してくれてありがとう。」
    「そりゃいいんだけど炭子大丈夫?一人でどっかに行かないようにって言ったじゃん。なんでこっちにいるの?」
    「さっき落とし物してた人がいたから追いかけてたら階段から落ちそうになっちゃって…この人が助けてくれたんだ。」

    伊之助はあ?と煉獄を威嚇するような表情をし、善子はポカンとしている煉獄をみて、あぁ…と何かを察したような顔をした。

    「…すみません、先輩。炭子を助けてくださってありがとうございました…。炭子、大丈夫だよ。この人は怖い人じゃないから。とりあえずいこっか、炭子。カナヲと玄弥も待ってるし。」
    「ま、待ってくれ黄色い少女!竈門少女何かおかしいぞ?!」
    「…あー…話すと長くなるんで、また今度ゆっくり…炭子、大丈夫だから行こ。」

    伊之助と善子は焦る煉獄を横目に、不安そうに彼女を見つめる炭子を連れて行ってしまう。

    …なんだか情報量が多くてパニックになりそうだった
    一体竈門炭子に何があったのだろうか。
    まぁ…何かあったところで、俺には何も関係はないのだが…。

    と思ったところで、煉獄は自分の手の中に残った箱の存在に気づいた。
    あっ!と思ったが、もう彼女たちの後ろ姿は見えなくなってしまっている。3人そろって足が速い。

    今度会った時に渡すか…と、思いながら手の中の箱を改めて確認すると、市販の鎮痛解熱剤だった。




          ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢




    「竈門?あぁ、記憶喪失、って聞いたな。」

    宇髄がぽつりと言った言葉に、やはりそうか、と煉獄は納得した。

    「怪我自体は大したことなかったらしいんだよ。
    ただ、頭を打ち付けてたからか、なかなか意識が戻らなかったらしくてよ。目覚めた時には自分のことは何もわからなかったらしい。
    善子や他の友だちが一緒に居てやって色々教えてるけど、それでもやっぱり不安なんだろうな。
    自分の目の前にいる奴のことが一個もわかんねえのが怖いんだとよ。」

    宇髄がコーヒーを飲みながら言う話を、煉獄は黙って聞いていた。
    そして納得した。だからあんなに怯えた風だったのか、と。


    「服装や髪型も以前とはまるで違っていたな。」
    「それは竈門の妹や善子たちの仕業らしいぞ、竈門は事故前はちょっと後ろ向きっつーか、自分なんかおしゃれしても無駄だからってよく言ってたらしい。
    あいつデニムにTシャツみたいな格好ばっかだったろ?

    可愛いもんは好きだったらしいし、スカートやワンピースが嫌いなわけじゃ無いとは思うんだがな。
    で、これを機に服やら髪やら化粧やら善子たちで教えてやってるんだとよ。竈門も断らないってことは楽しいんだろう。」

    自分なんか、無駄だから、とは彼女らしくない言葉だ、と煉獄は非常に違和感を感じた。
    あれほど疎まれても毎日笑顔でやってくる彼女にしては、随分とネガティブな印象を受ける。

    いつも笑顔で人に優しく、自分に自信があるのかと思っていたが、意外とそうでもないのだろうか。

    「…事故とは、どんな事故だったんだ?」

    煉獄は聞いた話に少し違和感を感じつつ、宇髄に尋ねた。

    「ああ、なんか駅の階段から子供が落ちそうになってたのを庇って一緒に落ちたんだってよ。子供は竈門が抱きしめてたおかげで怪我はなかったらしいんだが、竈門は頭を打ってて、それでしばらく意識不明だったらしい。」

    そうか…と、煉獄は思った。
    そうか、また・・小さい子を庇って…

    「まぁ、竈門の話を聞いたところで別にお前に関係ないだろ。彼女いるんだし、前に自分の彼氏にまとわりついてきた女の話はお前の彼女も気分良くないだろうしな。」
    「…そうだな、たしかに。」

    授業終了のチャイムが鳴り、煉獄の彼女が休憩所に現れる。煉獄の姿を見つけるなり、笑顔になって手を振りこちらに駆けてくる。

    「煉獄くーん!ごめんね、お待たせ。」
    「ああ、行こうか。ではな、宇髄。」

    ひらひらと二人に笑顔で手を振る宇髄は、
    煉獄が彼女にはうまく隠してはいるものの、本調子ではないことに気づいていた。

    「…うまくいかねえもんだなぁ、あいつだって出来ることなら癒やしてやりたかっただろうになあ…。」

    宇髄のつぶやきは人の増えてきた休憩所で、誰にも届かないままざわめきの中に溶けてしまった。



    「…大丈夫?疲れてる?」
    「いや?どうして?」
    「なんか今日元気ないから、煉獄くんらしくないね。」

    そうだろうか、と返しながらも煉獄には思い当たる節があった。 

    最近、夜はあまり眠れないのだ。
    日中は色々忙しく動いているし、帰宅してからは父の道場で鍛練をしているから運動不足ということはないと思うのだけれど、なんだか眠りが浅くて熟睡できない。

    「元気出して、いつもの笑ってる煉獄くんが私好きだよ?」
    「ありがとう。」

    ニコッと微笑み見上げてくる彼女は可愛いくて、煉獄もつられて口角が上がる。
    しかしどうしたものか、睡眠の質をあげる方法でも探してみるか。彼女の手を取りながら、煉獄はぼーっと考えていた。



          ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢

    「はぁ〜……。」

    人気の少ない休憩所。彼女は講義、煉獄と宇髄は空きコマだ。彼女の目がないのをいいことに、煉獄は置かれているテーブルに思い切り突っ伏しため息をついた。

    「顔色が悪いな。」
    「…やはりそうだろうか、なんだか最近疲れが取れにくくて。」
    「土日はゆっくりしたほうがいいんじゃないか?」
    「いや、せっかく彼女が俺と出かけたいと言ってくれるのに悪いじゃないか。」
    「律儀だな。病院は行ったのか?」
    「行ったが、どこかが悪いとかではないらしいんだ。ストレスから来るものではないかと言われたが、ストレスの原因に心当たりがないんだ。
    竈門少女に追いかけ回されていた頃の方がストレスは溜まっていたが、何だったらあの頃の方が体調は良かった。」

    ふぅん…と宇髄は顎に手をやりながら考える素振りを見せた。竈門炭子は、階段から落ち掛けた日以来、煉獄の目の前には現れていない。

    「実はあいつに追いかけられてたの、嬉しかったとか?」
    「そんなわけないだろう!!」
    「でも、お前のこと好きだった女って、みんな見た目や経済力のことばっかり褒めてただろう?竈門はいつもお前の努力家なところとか、優しいところとか、性格というかお前の中身を褒めてたよな。潜在意識ではそれが嬉しかったとかじゃねえの?」

    宇髄の言葉に、…確かに。と煉獄は思った。
    確かに、彼女は煉獄の人間性のことばかり褒めていた。
    毎日頑張っていてすごい、他の人に優しくしていてすごい、と、呆れるぐらいに煉獄のことを讃えていた。

    「だが押しが強いのは迷惑だとあれほど…」
    「それもさ、竈門って『好きです』とは言うけど、『付き合ってくれ』とは一度も言ってなかったんだぜ、気づいてたか?彼女が出来たって聞いたらすぐ引いたし。」

    言われてから初めて気がついた。
    確かに彼女は付き合ってとは一言も言っていなかった。
    付き合ってほしいわけではないなら、何のために自分の元に毎日通ってきていたのか。
    煉獄は理解できないまま、自販機で買ったコーヒーを口に運んだ。

    軽い頭痛に辟易とする。

    頭痛といえば、と鞄に入ったままの炭子が落とした鎮痛解熱剤のことを思い出す。
    あれからもう二週間経つが、まだ彼女に薬を返せていない。
    別にどこでも買えるものだから急いで渡さなくてもいいかもしれないけれど、やっぱりちゃんと渡さないとあまり気分が良くはない。

    ため息をつきながらその薬の箱を持ち上げて振ってみると、随分と軽かった。


    「なんだそれ、頭痛か?」
    「いや…俺のじゃない。」
    「そうか、あんま薬に頼りすぎると良くないぞ。あぁ、そういや。」

    宇髄が何かを思い出したように視線を上に向けた。

    「知ってるか?体調悪いときには誰かに褒めてもらうのがいいらしいぞ。」
    「褒めてもらう?」
    「自己肯定感がなんとか…まぁ忘れたけど、竈門に褒められまくってたのはそれが良かったんじゃね?知らんけど。」

    宇髄はそれだけ言うと、すぐに話題を変えてしまったけれど、それを聞いた煉獄はなんとなく腑に落ちていた。




          ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢


    渡さなくては、と考えていたから何かの力が働いたのだろうか。
    最近見かけないなと思っていた彼女が、今目の前で男子学生に絡まれている。

    何やらどこかに一緒に行こう、と言われているようだが炭子は困ったように人を待ってるから、とかごめんなさい、とずっと断っている。
    正直、自分にまとわりついていた子犬のような彼女が、こんな風に異性に言い寄られているところは今まで想像がつかなかったが、こうして見てみると確かに可愛いらしい容姿をしているとよくわかる。

    どうしようかと悩んではいたが、さすがに腕を引っ張られて連れていかれそうになっていては見て見ぬ振りが出来なかった。
    「竈門少女!待たせてすまない!」
    後ろからそう声をかけると、びくりと二人が振り返った。間近でみると彼女の顔色は青くなっているし、少し手が震えている。

    「…あ、あの。」
    「行こうか!すまない、彼女は俺と先約があるので君とはいけない。引いてくれ!」
    そう言うと炭子が何か言う前に、炭子に絡んでいた男子学生はさっさと行ってしまった。
    炭子は安心したように息をついて、煉獄に向き直った。

    「…ありがとうございました。この間も助けていただいたのに、何もお礼できていない上にまた助けてもらっちゃって…。」
    「いや、いいんだ!大したことではないから。」
    「あ、そうだ。よかったらこれ…。」
    彼女は肩から提げていたバッグとは別の手提げからごそごそと何かを取り出した。紙袋のようだが、表の袋にはかまどベーカリー、と店舗名のロゴが印刷されている。

    「よかったら、これ食べてください。パンはお好きですか?」
    「あ、ああ好きだが…いいのか?君の分は…。」
    「私はいつでも食べられるのでいいんです。お口に合えばいいんですが…。」
    と言いながら、炭子はすん、と鼻を動かした。
    「…えと、お兄さん…。」
    「あ、すまない、自己紹介をしていなかったな、煉獄だ。」
    「煉獄さん、今もしかして体調が悪かったりしますか?」
    炭子の言葉にぎくり、とした。
    「…そんなに顔色が悪かっただろうか?実は最近あまり眠れなくて、疲れが取れない…んだが…別に病院では悪いところはないと…言われては、いる。」
    言いながら、自分は医者でもないこの子に何を言っているのだろうかと煉獄は少し戸惑った。
    炭子はそんな煉獄の戸惑いには気にした素振りも見せず、話を続けた。

    「…誰かに思い切り、褒めてもらうといいですよ。」

    炭子は言いながらにこり、と微笑む。
    その笑顔に、煉獄は久しぶりに彼女の笑顔をみたな、とちらりと思った。
    と同時に突拍子のない炭子のアドバイスに、少しだけ面食らった。

    「いや、俺は…。」
    「煉獄さんは頑張り屋さんなんですね、きっと。だから自己評価も低いんですね。でも私みたいな見ず知らずの人間を2回も助けてくれるなんて、結構勇気いると思うんです。凄いことです!
    私はすごく助かりましたし、ありがたかったです。本当に。それも当たり前みたいにサラッとできるってことは、煉獄さんすごく優しいんですね。心が綺麗なんだと思います。」

    戸惑う煉獄に、炭子は優しい声音でつらつらと褒め言葉を聞かせて、にっこりと笑った。
    瞬間、煉獄を目眩が猛烈な既視感と共に襲った。

    記憶のないはずの竈門炭子が、あの頃と同じ笑顔で同じように。

    ぐらっと視界が揺れて足元が危うくなるが、煉獄はなんとか気合いで踏みとどまった。

    「…大丈夫ですか?」
    「…すまない、大丈夫だ。」
    「あの、誰か呼びますか?顔色が…「煉獄くん!!」

    炭子が声をかけている途中、後ろから煉獄を呼ぶ声がして、追いかけるようにカツカツとヒールが鳴る音がやってくる。
    振り向くと、煉獄の彼女が立っていた。

    「…あの、すみません。この方具合が悪いみたいで…。」
    「行こう煉獄くん。」

    話しかける炭子をぐいっと押しのけるようにして、彼女は煉獄の腕を取り歩き出した。

    「…大丈夫?煉獄くん、あの子に何もされてない?」
    「…いや、何もない…俺が具合が悪くなったのを気遣ってくれていただけだ。」
    「…そう、ならいいんだけど…。あの子煉獄くんにしつこかったじゃない?なんか服装とかもあざとい感じになっちゃったし、何かよくないこと考えてるんじゃないかと思って。」
    「……あの子と君は知り合いだったのか?」
    「いや、喋ったことないし、知らないけど。」
    「……。」

    煉獄はとても複雑な気持ちになった。
    彼女は、よく知らない炭子に対してとても失礼な態度をとった。常ならばそんな態度はよくないと一言言っただろう程度には感じが悪かった。

    ただ、彼女が竈門炭子に対してこんな態度をとるのは、間違いなく煉獄が原因なのだ。
    いや、あの時は本当に彼女の態度に迷惑していたから仕方ないとも思うのだけれど。

    彼女は無言になった煉獄になにかを察したのか、ぽつりと呟くようにいった。

    「…私の友達、みんな言ってるよ。あの子、煉獄くんが嫌がってるのにずっとついてまわって。どうせ煉獄くんのお金が目当てとか、かっこいい煉獄くんを他の人に見せびらかしたいだけとか。」
    「…!それは!」
    「煉獄くんもお家で言われてるでしょ?育ちが悪い子や貧乏な子はのし上がるためなら手段選ばないよ。知ってた?あの子んち、6人兄弟なんだよ。貧乏に決まってるじゃない。
    顔だって大きいアザあるし、自分が美人じゃないって知ってるから隣にかっこいい人置いてカバーしようとしてるんだよ。」
    「君!!いい加減にしないか!!」

    つい人前だというのに怒鳴ってしまったが、煉獄は後悔していなかった。

    「…君、彼女のことをよく知らないと言ったな?なぜそんなによく知りもしない相手のことを悪し様に言えるんだ?」
    「…何それ、彼女の私よりもあの子を庇うの?」
    「論点をずらさないでくれないか?」
    「だから、私だけじゃないの、みんな言ってるのよ。それにあの子の家が兄弟多くて育ちが悪いのは本当のことじゃない。」

    お互い喋れば喋るだけ嫌な空気が充満していく。
    こんなに広い学内にいるのに、煉獄は酸素が足りないような気がしていた。

    「育ちが悪い、とはどういう意図で使っているんだ?彼女は確かにしつこくはあったが、他者をいつも気遣っていたし優しかったぞ。」
    「だから、あの子の手口に決まってるじゃない。服装だっていきなりあんな風に」
    「彼女の服装はどこがおかしいんだ?露出もしていないしだらしなくもない、清潔感もあるじゃないか。俺には君の服装と何が違うのか全くわからないんだが。」

    はぁ…とため息をつく彼女に、煉獄もため息をつきたくなる。

    「要は彼女が気に入らないだけだろう?なぜ俺のためを思った風にして悪口を言うんだ?」
    「…知らない。私もう、帰る。」

    彼女はカツカツとヒールを鳴らして去っていく。
    煉獄はとてつもなく嫌な気持ちになり、元々あまり良くない体調が悪化したような気がした。



    煉獄の体調は相変わらず悪い。

    元々の体調不良に加え、彼女のことがショックだった。
    とてもいい子だと思っていたのに、知りたくなかった、見たくなかった一面を見てしまって、すごく嫌な気持ちになってしまった。

    「まだ仲直りしてないのか。」
    「もう、別れた。」
    「…まじ?」
    「…あぁ、確かに竈門少女には困っていたが、だからといってあれは言ってはだめだろう。」

    少し早い時間なので学食もそこまで人が多くない。
    宇髄と煉獄は二人向かいあって昼食を摂っていた。

    「…確かに、よく知らないうちから相手を信用しすぎるのは危険だと思う。だが、あの言い方は…。
    彼女の人間性を家庭環境だけで全否定するのはよくない。」
    「…そうだな。あいつはいいやつだと俺も思う。善子たちもいい子だっていつも言ってるし。」

    宇髄が話し始めたタイミングで授業終了のチャイムが鳴り、学生たちが次々と流れ込んできた。
    先ほどまでは静かで、話も聞き取りやすかった学食がやおら賑やかになる。

    「君は彼らとどういうきっかけで仲良くなったんだ?」
    「んあ?別に…。つーか気になるのか?竈門のことが。」
    「いや、そういうわけでは…彼女と関わることはもうないだろうし」
    「えっ!?マジで誘うの?本気かよ?!」

    煉獄が言いかけたタイミングで、後ろの方が賑やかになった。
    見ると、一年生と思しき男子生徒が3人、食事のトレーを持って席に着いている。
    煉獄はちら、とそちらを見てから宇髄に向き直り、話を続けようとしたが聞こえてきた人物の名前につい、言葉を発するのを忘れてしまった。

    「だってさぁ、竈門最近なんか…めっちゃ可愛いくない?」
    「あー、雰囲気めっちゃ変わったよな…格好とかも男みたいだったのに。失恋してイメチェンしたんかな。」
    「だったらやっぱ狙いどきじゃない?今ガードゆるゆるなんだろ?我妻たちがいるけど、あいつら撒いて適当に言えばさ。どっか連れ込めそうじゃない?」
    「今まで先輩先輩ばっかだったのにフラれて寂しそうだし、竈門押しに弱そうだもんな。」

    勝手なことを言ってくれる。
    他人事とはいえ、煉獄は少し苛立ちながら本日のランチを黙々と口に運ぶ。

    宇髄は察したのか、向かい側で顔をしかめた。

    「…イライラすんなよ、ほっとけ。今、お前が言ったんだろ?竈門炭子と関わることはもう無いって。
    よそ様の噂話なんか気にする必要はねえぞ。」
    「ああそうだな。確かに俺が気にする必要はないんだが、あんなに大きい声で話されると嫌でも耳に入ってくるぞ。」

    大体こんなに人の多い場であんな下世話なことをいうものではない。
    本人の耳に入るかもしれない、言われた相手が傷つくかもしれないとは思わないのか。気分がどんどん悪くなる。

    胸糞が悪くなるが、煉獄がわざわざ出ることでもないか、と黙々と食事を続けていたが、

    「あー、でもなぁ、竈門なぁ。額にでかい痣あるもんな、絶対目に入るし一緒に歩くと色々言われそう。」
    「顔自体は可愛いから余計残念だよなあ、痣なけりゃ相当いい感じなのに。」

    どんどん言うことが明け透けになっていく男子生徒たちに、煉獄の眉間のシワが比例して深くなっていく。
    ぶるぶると、今にも箸を置いてしまいそうになり震える手をなんとか抑えていたが、

    「まぁ確かに本命には無理かな。ワンチャンやれればいいわ。竈門結構スタイルいいし。」

    さすがにその言葉はスルー出来なかった。

    煉獄はガシャン!!と音を立てて皿と箸をテーブルに置き、後ろの席に振り返ると噂をしていた男子生徒の襟首を掴み引っ張り上げた。
    とたんに学食にざわめきが広がった。

    「君たちは言われた側の気持ちを考えたことはないのか!!それも自分の努力ではどうにもできない容姿のことなど!こんなに人の多い場所で女性の顔を品評できるなど、ずいぶんと自分に自信があるようだな!!」

    襟首を掴まれた男子生徒はひぃっ!すみません!と情けない声を出し、向かい側にいた男子生徒たちも顔面蒼白になっている。だが煉獄の怒りは収まらない。

    「君たちが謝る相手は俺ではないだろう、だが本人には余計なことを言うなよ。いたずらに人を傷つけるような発言をするな。恥を知れ!」

    そう言って男子生徒の襟首を放すと、学食は水を打ったようにシン、と静かになった。

    おい、と声をかける宇髄を置き去りに、煉獄が皿の乗ったトレイを下げ、学食のドアを開けたところで、誰かにぶつかりそうになった。

    「っと、すまない…」

    煉獄の胸の少し下あたりに見えた、柔らかそうな赤い髪。竈門炭子が、そこに立っていた。横に我妻善子も一緒にいる。伊之助の怒りに満ちた顔、善子の気まずそうなその表情から、先ほどの会話が本人達に聞こえてしまったのだと煉獄は悟った。

    「っすまない竈門少女!聞かせるつもりは…」
    「なんで煉獄さんがあやまるんですか?庇ってくださってありがとうございます。私は全然気にしてませんから。」

    にこっと笑う炭子は、本当に気にしていないようだ。
    もしかしたら、子供の頃から色々言われてきたのだろうか。

    煉獄は彼女の心中を思い、ぎゅっと心臓を掴まれたような気持ちになった。

    無意識のうちに、煉獄の右手が炭子の額の痣に伸びた。

    「…煉獄さん?」
    「…君は美しいよ、この痣があろうとなかろうと。君の心が美しいのはもう知っているから、俺はこの痣も含めて君は綺麗な人だと思う。」

    無意識に口からぽとりと溢れてしまったその言葉に、一拍置いて煉獄はハッと我に帰った。

    炭子は大きな目を見開きこちらを見つめている。

    「…っ!すまない、俺はこんな…」

    言いかけていた言葉を遮るように、額に触れていた手を後ろからがしっと掴まれ、思い切り振り払われた。

    驚いて振り返って見ると、煉獄と同じぐらいの年だろうか、右頬に傷跡のある、けれども端正な顔立ちの宍色の髪の男性が怒りの表情を浮かべ立っていた。

    その背後には濃紺の髪を肩下あたりまで伸ばした、可愛らしい女性が立っている。

    「君は…」
    「炭子に、触るな!!」

    いきなり怒りをぶつけてくる彼に戸惑い、ふと視線を炭子に向けると、彼女の肩はふるふると小刻みに震えている。小さな顔は唇まで真っ青になっていた。

    「…竈門少女!どうした、具合が悪いのか?!」
    「っ…い、大丈夫ですから…。」
    「炭子、喋んなくていいから!保健室いくよ!」

    炭子は力無く微笑んだが、どう見ても大丈夫ではない。呼吸も荒いし、冷や汗まで流れていて善子が慌ててハンカチを差し出す。
    ふらっと炭子が膝から崩れかけたので、煉獄が慌ててその肩を支えようとしたところ宍色の髪の男性にまたも手を振り払われた。

    「炭子に触るなと言っている。これは昔から時々こうした発作を起こすんだ。炭子、掴まれるか?薬はあるな?」
    「っ…い、さびと…」
    「辛いな、大丈夫だ。もう眠っていいから行くぞ。真菰、すまないが炭子の鞄を頼む。」

    彼はさっさと炭子を横抱きにして、真菰と呼ばれた可愛らしい女性が炭子の手から鞄をさらりと奪う。
    その後ろから善子と伊之助が小走りに着いていくのを、煉獄は何も言えずに見送った。

    炭子の表情、ひどく辛そうに見えたが大丈夫なのだろうか。

    時々こうなると言っていたが、少なくとも煉獄に纏わりついていた間、そんな風に見えたことは一度もなかった。

    振り払われた手を見つめ、ため息をつく。
    確かに彼に言われた通りだ。

    もう来るな、迷惑だと言ったのは煉獄の方なのだ。
    今更そんな風に気にされても困るだろう、例え煉獄のことを何一つ覚えていないとしても。 

    もう一つため息をついてから教室へと向かう。

    忘れられてしまったのは自分だけではないという。
    自分自身のことや家族、友達のことは少しずつ思い出しているそうだから、いずれ煉獄のことも思い出すかもしれない。

    思い出したら、彼女は俺の前からまた消えるのだろうか。

    そんなふうに思ってしまう頭を振って、煉獄は教室のドアを開けた。


    竈門炭子に話しかけられなくなって1週間が経った。
    学内で見かけることはあっても、いつもそばにあの宍色の髪の青年か、外ハネの髪の美少女、そして我妻善子か嘴平伊之助、そして2年生の不死川玄弥と栗花落カナヲがいた。

    遠くから見かける彼女は友達に囲まれていると言うのにどこか儚げで、煉獄はいつも胸が締め付けられるような気持ちになった。


    その日、予定していた講義が教授の体調不良で中止になった煉獄は、一人休憩所に向かっていた。
    次の講義までの90分、レポートでも片付けようかと扉を開くと、そこにいたのは炭子に触るなと怒っていた宍色の髪の青年と、炭子のカバンを持っていた外ハネの髪の少女だった。
    思わず二人の座る席に足が向かう。

    「…君たちは」
    「…何か用か?炭子なら今日は昼からだし、何かあるなら伝えてやるから用件を言ってくれ。」
    「…もう、錆兎。」

    喧嘩腰の青年を、少女がたしなめるように言う。

    「私たちに、何か聞きたいことがあるの?炭子のこと?」
    「…あぁ、正直なところ、なぜ君たちが竈門少女に関わるなと言うのか心当たりがない。
    いや、まぁわかるんだ。自分が振っておいてどの面を下げているのかと思うんだが…。それだけではないんだろう?どうにもスッキリしなくて…。」

    煉獄の言葉に、錆兎と呼ばれた青年がチラリと煉獄に視線をよこす。
    少女の方はやれやれ、とでも言いたげに、そこに座ったら?と煉獄に席を勧めた。

    「私は4年の鱗滝真菰、こっちは同じ4年の鱗滝錆兎。
    炭子とは小学校の時に登校班が同じで、そこからよく遊ぶようになったの。」

    煉獄が席に着くと、真菰と名乗った少女は自己紹介をした。錆兎の方はまだ何も言わずに煉獄をじっと見つめている。

    「かなり長くなると思うけど…なんで錆兎が怒ってるのか、あなたと炭子の話、聞く?」
    真菰の言葉に、煉獄は黙って頷いた。

    じゃあ、まずはあなたと炭子の出会いから話すね、と、真菰は語り始めた。



         ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢




    竈門炭子が煉獄杏寿郎と出会ったのは、炭子が幼稚園の年少の時だったという。


    杏寿郎が年長で、学年こそ違えど当時親同士が同じPTAの係で一緒になり仲良くなったため、二人は幼稚園帰りに近くの公園で母親同士も一緒によく遊んだ。

    ある日、炭子が額に火傷を負ってしまったことがあった。

    炭子の実家はベーカリーを営んでおり、日中は母もパンを焼く手伝いをしていたため、子供たちは幼稚園から帰ると自宅ではなく、目が届くように店舗の奥に作られたバックルームで待っていたと言う。

    その日、昼寝から目覚めた炭子の弟の竹雄がバックルームを抜け出し、厨房にいた母の足元に静かに近寄り、抱きついたのだ。

    母は竹雄がまだ寝ていると思っていたので、突然のことに非常に驚き、オーブンから出そうとしていた熱い天板を落としてしまった。
    その時二人の近くにいた炭子が、とっさに弟を庇ったのだという。

    幸い竹雄に怪我はなかったが、炭子の額の火傷跡は残ることになるだろう、とお医者様に言われた。

    炭子自身は弟を庇って怪我したことに後悔はなかったし、怪我をしたのが自分で、竹雄の顔に傷が残らなくてよかった、とまで思っていたそうなのだが、
    母はとても悲しみ落ち込んで、炭子は母にごめんね、と何回も謝られた。

    それに、子供というのは正直な分、とても残酷なものだ。

    ガーゼが外れた額の火傷跡はとても目立つ場所にあり、女の子なのにかわいそうにと気の毒がる親達の様子を見たのか、同じクラスの男の子に言われたのだ。

    「すみこちゃんは結婚できないんだね、女の子は顔にけがしたら結婚できないんだって。かわいそう。」

    その子も悪気があったわけではないのだろうけど、幼ない炭子の心に、ストレートなその物言いは深く突き刺さった。
    すると、側にいた男の子、煉獄が言ってくれたのだ。

    「炭子は弟を守ろうとしてケガしたんだ、優しい証拠だろ?炭子はいい子なんだから結婚できる、なんなら俺と結婚すればいい。」

    そう言ってにっこり笑ってくれた煉獄の言葉が、どれだけ炭子の心を軽くしたことか。

    うん、と炭子が笑って頷けたのは、その痣を気にせずにいられたのは、全て煉獄のおかげだった。

    そのすぐ後に煉獄は卒園し、煉獄の母も炭子の母も同じタイミングで妊娠して、それぞれ忙しくなったこともあり、学区が違う炭子はそれから小学校を卒業するまで煉獄に会うことは無くなってしまった。

    それでも炭子は毎日頑張った。煉獄が褒めてくれた自分であろう、顔に痣があることなど気にするようなことではないのだから。

    煉獄に似合うような自分でいられるよう、勉強も運動も店の手伝いも頑張ったし、少しでも可愛いと言ってほしくて、肌や髪や服装も気にしていた。

    登校班で仲良くなった錆兎や真菰、同級生の善子や伊之助、カナヲたちにも煉獄のことを話していて、彼に会うまで一生懸命頑張る!と言っていた。

    そして、入学した中学校で煉獄を見かけ、懐かしさから炭子が話しかけようと近づいた時だった。

    目に入ったのは、彼の横で手を繋いで歩く女子生徒の姿だった。

    女子生徒は、長くて真っ直ぐな髪も、すらりと伸びた手足も、整った顔立ちも、何もかも炭子とは違っていて、美しく成長した煉獄ととてもお似合いだった。

    とりわけ肌が綺麗で、当然その美しい顔には痣やケガなど一つもなかった。

    そこで炭子は現実を知ってしまったのだ。

    あの時の言葉には、深い意味はなかったのだと。
    あの言葉を本気にしてしまうなんて、小さい子供の慰めの言葉を心の拠り所にされてしまうなんて、煉獄はちっとも想像していなかったのだ、と。

    そのことに思い至った瞬間に、頭が割れるような痛みが炭子を襲った。

    初めて体験する激しい痛みに目の前が暗くなり、善子と伊之助が呼びかける声だけを遠くに聞きながら気を失った。

    炭子が次に気づいた時にいたのは保健室のベッドの上だった。

    「…私、馬鹿だなぁ。」

    天井を見つめながら、炭子は頬に雫が伝うのを感じた。こするとよくないと知っていたので、流れるままにしていた涙は枕が全て受け止めてくれた。

    以来、炭子は煉獄と鉢合わせないよう気をつけて過ごした。元々二人の通う中学校は、区でも一番のマンモス校だったから何もしなくとも学年の違う炭子が煉獄に認識される可能性はほとんどなかった。

    それでも念には念を入れて極力目立つことがないように。

    問題を起こさなければ彼の目にとまることもない。

    煉獄の彼女はそれから何度か変わり、あのとき見かけた女生徒ではなくなったが、誰の顔にも痣や傷跡などなくて、綺麗な肌をしていた。

    勉強や運動や店の手伝いは続けていたが、どうせ彼女たちのようにはなれないのだから、とおしゃれをしたり化粧をするのは辞めてしまった。

    清潔感には気を使うものの、動きやすいようにと着る物はパンツばかり、髪は一つに結んでお気に入りだった可愛らしいスカートやワンピース、ヘアアクセサリーなどは妹へ全て譲ってしまった。

    母が服を買いに行かないかと誘っても、自分はいいから禰󠄀豆子や花子に買ってあげてと言うばかりだった。

    煉獄が中学を卒業した後で、それぞれ別の高校に進学した二人が会うことはなかった。
    たまに、煉獄の母である瑠火が店に訪れた時にたまに彼の話を聞くぐらいのことだったが、顔を見ることがなくなっても彼への想いは残り火のように、消えることなく胸の内で小さく燃え続けていた。


    月日が流れ、炭子がオープンキャンパスで今通っている大学を訪れたときだった。
    善子と伊之助と並んで歩いていた時に、たまたま学内にいた煉獄とすれ違った。

    向こうは炭子に全く気づいていなかった。
    久しく見ないうちに、身長も伸びて精悍な顔つきになった。子供の頃に一緒に遊んだ彼はもう大人の男性になっていた。今でも中学生に間違われる自分とは大違いだ。

    彼の横に並んで歩く、とても綺麗な女性を見て、ああ、やっぱり彼の横にはあんな感じの人が似合うなぁ、と虚しい気持ちで炭子が思った時に。

    ふわり、と。

    とてつもない疲弊と寂しさ、自分を認めてほしい、自信がない。

    炭子のよく利く鼻に届いたのは、そんな匂いだった。
    それもかなり追い詰められている、切羽詰まった匂い。
    思わず振り向いて見た彼の表情は溌剌そのもので、全くそんな風には見えなかったけれど。


    (…本当はそんな風に思ってるの?)

    自信がないのだろうか、認めてほしいのだろうか。

    誰かに手放しで褒めてほしいのだろうか。

    誰も彼を褒めてくれないのだろうか、
    あんなに頑張っている人、あんなに優しい、強い人を。

    (…だったら…私が。)

    春から絶対彼と同じ大学へ通う。それで毎日私が彼のことを褒め尽くそう。
    別に私を選んでもらえなくたっていい、この世界に一人でも、あなたの味方がいるってことを伝えられたら。

    そう決意した。

    そして無事入試を終えて煉獄と再会した1日目から、好きです!と伝え始めた。

    当然、煉獄は困惑したけれど、やめてくれと言いながらも、あの時に感じたひどい疲弊や認めてほしいと寂しがる匂いは日ごと日毎に薄れていき、ほんの少しずつ褒められて嬉しい、自信がついた、という匂いが香るようになっていった。

    その代わり、炭子に対して鬱陶しいと感じる香りも感じるようになった。
    しまいには顔にも言葉にも「迷惑だ」とはっきり出される始末。 
    試しに三日ほど顔を合わせずにいてみたところ、次に会った時にはまた疲弊し切った匂いをさせていた。
     
    そうなるともう、炭子は煉獄を放っておけなかった。
    煉獄の前では笑って誤魔化して、見えないところで泣きそうになりながら授業に出た。

    炭子は疲れたりストレスが溜まると、頭痛が起きる体質で、煉獄の元に行き嫌な顔をされるたびに起こる頭痛に苦しみ、鎮痛解熱剤を持ち歩くようになった。

    周りには内心傷ついていることは言わずに黙っていたが聴覚や勘の鋭い善子や伊之助、付き合いの長い錆兎や真菰たちは炭子が無理していることに当然気づいていた。

    何度も煉獄のことはもうやめろ、と止められた。

    それでも炭子は煉獄が自分のことをちゃんと肯定できるように、会う度に煉獄のことを褒め称えるのをやめなかった。

    外見や家柄などではなく、本人が頑張っているところや人間性を中心に、あなたは素晴らしい人だ大好きだと伝え続けてきた。

    そうして煉獄に疎まれることを怖がる自分を奮い立たせながら過ごしていくうち、煉獄に彼女が出来たと聞かされた。

    炭子は、今までしてきたことはもう不要なのだと悟り、煉獄の前から姿を消した。

    鉢合わせたりしないよう、匂いで注意深く煉獄のことを避け続けた。 

    そうしているうちに炭子はみるみる元気がなくなっていき、あの事故が起きたのだという。

    「本来、お前に関しては内気なあいつが、疎まれるのをわかっていてお前の自己肯定感を高めるために身を削るところをずっと見てきたんだ。

    もちろん、お前が悪いわけではないのは知っているし、炭子のことを忘れていたことも仕方ないと思っている。子供が自分の言ったことや少し一緒にいた程度の相手を覚えている方が稀だし、炭子もお前は何も悪くない、むしろ迷惑をかけて申し訳ないと言っていたしな。だが、」

    錆兎は鋭い視線を煉獄に寄越した。

    「あいつに迷惑だ、もう来るなと言っておきながら、お前を忘れた途端にちょっかいを出すのはやめてやれ。あいつはようやく楽になれたんだ。あいつのためを思うならもう放っておいてやってくれ。お前に会わなければ苦しむことも悲しむこともないだろうからな。」

    そう言って、錆兎は立ち去っていく。

    煉獄は、錆兎の言葉にああ、と思った。

    ああ、全くのその通りだ。

    彼の言う通り、煉獄のことは思い出さなくても全く支障のない存在、なのだ。

    恋人でも友達でもない、ただの先輩後輩だ。
    連絡先だって知らない。

    それに。
    俺は今まであの子のことを思い出しもしなかった。

    彼女が自分のためにしてくれていたことも知らずに、迷惑だとかもう来るなとか、ひどい言葉をかけ続けてしまった。

    彼女が来なくなって不調が現れて初めて、彼女がどれだけ自分を助けてくれていたのかを思い知った。

    「…忘れられても当然だな。」

    当然、だと思いはするものの、炭子が自分の前に二度と現れないと思うととてつもない喪失感が煉獄を襲った。

    もしも自分が竈門炭子のことをちゃんと覚えていたら、彼女を作っていなかったら、再会した時に彼女に気づけていたら。なんて。

    忘れた罰だ。彼女を忘れて、彼女に忘れられた。

    もう、あの子犬のように先輩先輩と纏わりついてくるあの子には会えないのだ。



    俺は馬鹿だなぁ、と自嘲する。

    そんなことばかり考えてしまって、その場から一歩も動けずにいる間に、すっかり冬の日は暮れてしまっていた。

    「竈門さんとはかまどベーカリーの炭子さんのことですか?」

    食事時に、なんとなしに母に竈門炭子のことを覚えているかを尋ねると、あっさり答えが返ってきた。
    よくよく聞けば、煉獄が毎日食べていたトーストやバゲットはかまどベーカリーで購入していたものだという。

    「彼女のことを覚えていらっしゃったのですか。」
    「ええ、私は炭子さんに会った時はもう大人でしたから。葵枝さんと今度会いましょうと言ってはいたんですけれど、何しろかまどベーカリーは人気店ですし、お子さんが多いですからね…いつも忙しそうでしたから、最近はお店に寄るぐらいしか。」

    かすかに寄った眉間の皺。
    葵枝さんというのは竈門炭子の母のことだそうで、彼女が煉獄の母である瑠火と仲良くなったのが全ての発端だった。

    母曰く、竈門葵枝も娘と同じ、優しい気性でおおらかで、とても穏やかな女性なのだという。

    「葵枝さんはもちろん心配もしていますが、記憶を無くしてから炭子さんがおしゃれをするのが嬉しいそうです。どことなく楽しそうというか。炭子さんは、それまではとにかく自分より他人優先でいたそうですから。」
    「…そうだったんですか…。」

    確かに、竈門炭子が子供を庇って記憶喪失になった話を聞いた時、既視感というかどこかでそんな話を聞いたことがある、と思った。

    だが竈門炭子と仲が良かったこと自体ははっきりと覚えていない煉獄は、自分の知らない炭子の話を聞くたびに、彼女の自信のなさに戸惑いを感じてしまう。

    煉獄が学校で出会った、明るく優しい彼女は、もしかしたら胸の内では色々なことを諦めてしまっていたのだろうか。

    「気になるのなら今度行ってみてはどうですか?夕方なら炭子さんも店頭に立っているそうですよ。」
    「…え、いや、気になるというか…。」

    そこまででは、と言う煉獄に、瑠火はおかしそうに、
    「気にならないという人の顔ではありませんよ。鏡でも見ていらっしゃい。」と言って立ち上がり部屋を出て行った。

    10分ほどしてから、瑠火は手にアルバムを持って戻ってきた。幼稚園の卒園アルバムだ。

    「学年が違いますからそう数は多くないとは思いますが、何枚かは炭子さんが写っていると思いますよ。
    探してみてごらんなさい。」


    アルバムをめくる音が静かな部屋にぺら、ぺら、と落ちる。
    クレヨンで塗ったみたいな、明るい配色の建物に、水色のスモックを身につけ笑っている子供たち。

    「…彼女だ…。」

    額にガーゼをつけた、赤みがかった黒髪の、目の大きな女の子。スモックの左胸にはヒヨコの形のピンクの名札、ひらがなで(かまどすみこ)と書いてある。

    そして、その横で彼女と手を繋ぎ、大きな口を開けて笑う、そのまま縮小してスモックを着せたかのように今と容姿の変わらない自分が立っている。

    今アルバムを見て、ようやく大昔の記憶が朧げに輪郭を浮かび上がらせる。
    といっても、自分が彼女に言ったという言葉は一つも思い出せないままだ。

    自分で思い出すこともできないような言葉が、彼女の軸を作り上げていた。

    煉獄の胸の内に、自分でもなんと説明していいのかがわからない気持ちが広がる。
    この気持ちは、一体、なんと名前をつけたらいいのだろうか。

    写真の中で、どことなく不安そうな炭子の顔を撫でてみる。
    そんなことをしても、今の彼女には何も届きはしないと言うのに。


          ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢

    雨降りの日は、窓の大きいカフェテリアはどよんと暗い雰囲気になってしまう。
    講義中、宇髄と煉獄は二人きりでコーヒーを飲んでいた。

    「…君がよく持ってきていたパン、竈門少女の持っていたパン屋のものと同じパンだな?」
    「…ああ。よく気づいたな。」
    「竈門少女がくれたパンと生地の味が似ていた。それに、かまどベーカリーは母が行きつけていたんだ。
    菓子パンや惣菜パンは出たことがなかったから気づかなかったんだが…。
    前にくれた、試作品だと言うさつまいもの揚げパン、作った人が怪我をしたと言っていたな。あれを作っていたのは…」
    「あぁ、竈門炭子だよ。」
    「…なぜ俺に渡していたんだ?」
    「…なんつーの?健気な奴って協力してやりたくなんね?聞いたんだろ?鱗滝に竈門炭子がチョロチョロしてた理由。」
    「…あぁ。」
    「子供の頃、お前がさつまいも好きなの聞いてから覚えてたらしいぞ。
    食べてもらえるわけないのに、さつまいも使ったパンをつい作っちゃうんです、馬鹿らしいですよね、って笑ってたもんでさ。どうしても渡してやりたくなった。悪かったな。」

    いいや…と煉獄は呟いてから、コーヒーを啜り窓の外に目を向けた。
    植えられた木々が寒そうに濡れている。

    「お前に振られ続けても毎日毎日くるから、メンタル強えなぁ、と思ってたんだよ。
    そしたら、たまたま空きコマの時に休憩所で真っ青になって蹲ってる竈門と、そばについてる善子を見かけて声かけたんだ。ストレス性の頭痛持ちだってそん時に聞いて…
    それでも煉獄が心配だったんだってよ。
    そういうの聞いたらほっとけねーじゃん?俺の大切な友達を守ろうとしてくれてるやつなんかさ。」

    にや、と笑い宇髄は続ける。その顔を見て、煉獄は何も言えなくなった。

    「しかも、別に煉獄に付き合ってもらえなくてもいいって言うし、彼女できたらサッサと引きやがるし。
    それでもやっぱりお前の体調が悪くなってるの見たら、おせっかい焼きたくなっちまった。煉獄にその気がないのわかってるし、彼女いるのに迷惑だろうとは思ったんだが、悪かった。」
    「…いいや…ありがとう宇髄。」

    自分の知らないところで、色々な人が自分を守ろうとしてくれていたと知り、煉獄は胸がいっぱいになった。

    その中でも最たる感謝をすべき炭子は、もう煉獄と関わることはないのだろうけれども。

    「…竈門少女に悪いことをしてしまった。」
    「…お前のその顔は、どういう意味なんだ?」
    「…宇髄?」

    さっきまで笑っていた宇髄の紅梅色の瞳が、真剣な色に変わっている。

    「…お前がそんな顔をしてるのは、竈門への罪悪感からなのか?竈門にもう関わらずに、平気でいられるのか?」
    「……。」
    「…もう、お前の周りにチョロチョロついてきてた、竈門の笑った顔が見られなくなっても平気なんだな?」

    宇髄の言葉に胸がつまる。

    もう彼女の笑顔を見られないなんて、
    たまに見かけても声もかけず、このまま卒業して会うこともなくなるなんて

    「…嫌だ。」

    一言そう呟いた声は、自分で驚くほどに頼りなく、小さな子供のようだった。

    宇髄は煉獄の呟きを聞くと、にこっ、と笑い、

    「…っし!じゃあ帰りかまどベーカリー寄ってこうぜ!」と言った。



          ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢

    かまどベーカリーは、煉獄たちの通う学校から三駅離れた、閑静な場所にあるという。

    煉獄の住む街ともほど近いが、住宅街なのでほとんど来たことはなかった。

    緑豊かな街を意識しているらしく、そこかしこに惜しみなく、花を咲かせた木々が植わっている。
    公園も多く、なんだかとても穏やかな空気が街全体に漂っている。

    「この辺りは階段が多いんだな。」
    「結構急勾配だかんな、気をつけろよ。」

    きゃーきゃーと子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。
    平日の夕方、学校帰りだろうか。
    なんだかノスタルジーを感じてしまうな、と煉獄は歩きながら思った。

    「かまどベーカリーはここの一個下の区角だ。今の時間、運が良けりゃ竈門炭子が店番してると思うんだが。」
    「長い階段だな!」
    「足元気をつけろよ。」

    話している後ろから、子供たちの笑い声が聞こえてくる。なんとなく振り向こうとして、煉獄は目を見開いた。

    「危ない!!!」

    目の前に飛び込んできた、黒いランドセルを背負った背中。駆け出して勢いがついたのだろうか、
    小学生の男の子が階段の上から飛び込んでくる。

    「っ、だめ!!!」

    たっ、と地面を蹴るスニーカーの音が鳴り、煉獄が振り向いた。

    子供に続けて視界に飛び込んできたのは、まるで踊るように跳ねた花札のようなピアスに、赤みがかった長い黒髪。

    間違いなく、竈門炭子の姿だった。

    炭子は宙に投げ出された子供の腕をつかみ、力一杯腕を後ろへ振って子供の体を踊り場へと引き戻す。
    勢いのついた子供の体は、煉獄がうけとめた。

    「っ炭子!!!」

    伸ばした手は虚しく空を切り、炭子の体は階段の下へと勢いよく転がり落ち、
    煉獄の瞳には、一連の動きがスローモーションのように映っていた。

    「…お姉ちゃん!!」

    子供の叫び声が、夕暮れの住宅街に響き渡る。

    考えが頭の中でまとまる前に、体が勝手に駆け出していた。
    階段の下まで一息に駆け降りた煉獄が横たわる炭子を抱き上げると、こめかみからじわ、と血が滲む。


    嘘だ、いかないでくれ。
    今君に会いに行くところだったのに。

    俺には、まだ伝えたいことが。


    嫌だ、嫌だ!

    続いて追いかけてくる宇髄が声をかけるまで、煉獄は呆然としたまま、炭子の体を抱きしめていた。



    消毒液の匂いがする。
    すん、と鼻を動かして寝返りを打ち、炭子は目を開いた。

    「……。い、た…。」

    頭の奥で脈打つような頭痛に顔を顰める。
    首を動かすとあちかちに軋む様に痛む。
    炭子が身動ぎしながら目を開くと、広くて白い天井と、周りを囲う様に取り付けられたカーテンが視界に入る。
    どうやら病室のようだった。

    重たい体を引きずるように起き上がると、左手がくんっ、と引っ張られるような感じがした。

    「っ!起きたか!大丈夫か?!」

    大きな声に驚き目線をやると、煉獄が前のめりになって炭子の顔を覗き込んでいた。眠れなかったのだろうか、大きな目の下にクマができているし、少し顔色が悪い。

    「…煉獄、先ぱ…。」
    「!思い出したか!?」

    炭子の自分の呼び方が戻っていることに、煉獄はとてつもなく嬉しくなった。
    手を繋いだままの炭子は、非常に困惑した顔でこちらを見つめている。

    「痛いところはないか?何があったか覚えているか?」
    「…はい、あの、私弟を迎えに行ってて、そしたら駆け出した子たちがいて、前見てなかったから慌てて…あの弟は?あ、それにあの子は…?」
    「君の弟君はあの後すぐに家族と合流した、大丈夫だ。
    それと君が助けた子だな、あの子は無事だ!怪我もない。君が庇ったおかげだが…今日が何日かわかるか?」
    「え、と…12日ですか?」
    「それは君が落ちた日だな、今日は14日で、今は午前10時半だ。」
    「えっ…」
    「二日間、君は眠っていたんだ。ご家族も心配しているが、お店があるからな、交代で来られるそうだ。すぐに連絡をしよう。」

    労わるような優しい瞳で自分をみつめる煉獄に、炭子はまた戸惑った。

    なぜ煉獄がここにいるのかがわからない。
    夢を見ているのだろうか?

    「…すまない、驚かせたな。俺と…宇髄はたまたま、君が落ちるところに居合わせたんだ。君に話したいことがあって。」
    「…え…?」

    炭子の困惑に気づいたのか、煉獄の眉根が切なげに寄る。握られていた左手に、ぎゅうっと力が込められる。

    「あ、の…話って、なんでしょうか…。私、また何かしてしまったでしょうか…。」

    炭子の瞳が不安げに揺れるのを見て、煉獄は胸がぎゅっと痛くなった。
    自分はいつも、炭子を不安にさせてばかりだ。
    すっと、息を吸って呼吸を整え、炭子の肩をガバッと抱き寄せた。

    「君は!世界一可愛い!」

    煉獄は炭子の瞳を見つめながら言った。

    「君は心優しくて、健気で、一生懸命で…記憶を無くしていても人のために全力疾走して…素晴らしい人だ。
    だから自分なんてとか、そんなふうに思わないでくれ。」

    炭子の瞳が戸惑うようにふるふると揺れる。
    煉獄は炭子を抱きしめる腕に力をさらに込めて言う。

    「君のことを覚えていなくてごめん、君が俺の為に精一杯褒めていてくれたのも気づかなくて、ひどい言葉をかけて悪かった…。君が俺のことを忘れてしまったのも当然だと思う。俺は君のことを傷つけてばかりだ。」


    炭子はいきなりの事態に戸惑いを隠せずにいる。
    それでも構わず煉獄は気持ちを口に出し続けた。


    「俺は、君のことが好きだ。」

    炭子の左手を煉獄が取り、自分の頬にすり、と擦り付ける。

    「ごめん、今更なのはわかっているんだが、君が記憶喪失になった後で、君が俺のために尽くしてくれていたと知って…。
    君が目の前で階段から落ちたとき、とても怖くなった。
    君にもう、会えないかも知れないと思って…すごく恐ろしくなった。もう離れるのが嫌なんだ。君とずっと一緒にいたい。」

    炭子の大きな瞳に、みるみるうちに涙の膜が張り、ふるふると首を横に振る。

    「…で、でも私、兄弟多くて、先輩のお家みたいに裕福じゃないし、住んでる世界の常識とか、き、金銭感覚とかも違うと思います…。」
    「愚問だな、俺は君のような堅実な人が好きだ。それに君の美点の一つは家族愛の強いところだと思っている。」
    「…こんなに、大きな、っ、痣あるし…。」
    「…炭子。」

    突然ファーストネームを呼び捨てにされ、びくりと炭子の肩が震えた。

    「前にも言ったよな?君は心が美しい人だから、痣があろうとなかろうと、俺は君を美しいと思う。」

    煉獄の大きな手が、不安げに瞳を揺らし、泣きそうになっている炭子の頬を柔らかく包む。

    煉獄は炭子の返事も待たず、半開きになっていた唇に自分のそれを重ねた。
    炭子はとても驚いたけれど、彷徨っていた手が煉獄の背中に回ったことで、意図はきちんと伝わったはずだ。




    「君のことが大好きなんだ、俺と結婚してくれないか?」


    鎮痛解熱剤の箱は、ベッドサイドの棚に置いてあったけれど、きっともう必要はないだろう。

    頭痛の原因だった、煉獄の冷たい態度は、もう二度と炭子を苦しめたりしないはずだ。

    見守る彼女の甘美な憂鬱


    「なぁ、あの2年のグループの先輩たち可愛いよなぁ。お前誰がタイプ?」

    昼休みの学食はやっぱりザワザワと賑やかで、あちこちのテーブルから喋る声が聞こえてくる。
    我妻善子のとてつもなく聞こえの良い耳には、そこかしこで誰かの話す内容が飛び込んでくる。

    「俺は我妻先輩かなぁ、俺ああいう感じの色素薄い系タイプなんだよねー。めっちゃ可愛い。でもあのサイドポニーの先輩も美人だよなぁ、蝶々の髪飾りの。」
    「あ、栗花落先輩か。あの人ミスコン出てくれってめちゃくちゃ頼まれてるのにずっと断ってるんだろ?もったいねーなぁ。」

    テーブルを3つ挟んだ右後側の席。善子たちを先輩と呼ぶと言うことは一年生だろうか。
    こちらをチラチラ伺いながら話をしている、今時の若者らしい彼ら。

    (ほほぉ、この私を推すとはなかなか見どころのある…んふふふー、結構嬉しい!!
    でも、そうそうカナヲちゃんは正統派だよなぁ、本当もったいないけど彼女がミスコン出たら他の参加者が辞退して一人勝ちになるだろうから、イベントとしては全然面白くならないぞ。)

    一人にまにましながら日替わりレディースランチのおろしポン酢唐揚げを頬張る善子に、
    「どうしたんだ?善子具合でも悪いのか?なんかちょっと気味が悪いし怖いぞ?」と炭子が辛辣な声をかける。


    「でもガチ勢多いのはあの人だろ?竈門先輩。」
    「あー、あの人もすっげぇ可愛いなぁ、でもなんであの人のファンはガチなんだ?他の人らもみんな同じぐらい可愛いのに。」
    「竈門先輩はやばい人たらしなんだってさ。
    誰にでも笑顔で優しくて、それで本気で恋するやつが多いらしいよ。」
    「げぇ、罪作りだなぁ。でもあの人はもうあれだろ?婚約者いるんだろ?」

    (そうそう、炭子は本当に罪つくりなんだよ、モテる自覚がないもんだからどんどん人に親切にしてどんどんガチ勢増やしちゃって、思い出したように指輪で絶望の底へと突き落とすのを繰り返すんだよなー。
    カナヲちゃんみたく近寄りがたい高嶺の花のミステリアス美人じゃないけど、近くにいて色々親切にしてくれる漫画のヒロインみたいなんだもんなぁ。そりゃ、ガチになっちゃうよなぁ。)

    うんうん、と善子は頷きながら日替わりレディースセットについていたカスタードプリンを味わう。
    カラメルがほろ苦くて香ばしい、硬めの食感で昔懐かしいプリンだ。おいしい。絶対炭子が好きなやつ。

    「…でもさ、先輩の婚約者もうすぐ卒業するんだろ?彼氏が社会人になったら生活リズムとかずれてさ…あわよくば破局とかないかな?」

    さっきまで黙っていた、3人の男子学生のうちの一人が口を開き、善子はおや、とそちらに目を向けた。
    今口を開いたと思しき男子を見ると、話す声とは別にじりじりと焼け付くような嫉妬の音が聞こえてくる。

    (あ、やべこれガチ勢だ。
    そういえばこの間炭子が珍しく授業開始時間ギリギリで教室に入ってきた時、なんでか聞いたら「財布を落とした一年の男の子を手伝って、匂いで財布を探してたんだ。お腹空かせてた匂いもしたからパンをあげたよ。」って警察犬みたいなこと言ってたな。その時の子なのか?また炭子はやらかしたのか!!?)

    「…大体先輩の婚約者って、イケメンの金持ちのハイスペだろ?めちゃくちゃモテてるってよく聞くし、なんか遊んでそうじゃん。竈門先輩みたいな真面目で優しい感じの人とは合わない気がする。」
    「あぁ、まぁわかる。目立つよな、いっつも女子に囲まれてるし。」
    「だよな!?あんな人が彼氏だと竈門先輩も安心できないと思うんだよ!やっぱり、先輩には先輩だけを見てくれるような、地味でも真面目で一途な人が合うと思うんだよ!!」

    だんだんとヒートアップしてくる男子生徒に、善子はあらあら、と冷や汗をかく。
    (あんたたち、ここ学食ってこと忘れてない?!そんでもってあんたたちが噂してる竈門先輩の婚約者、同じ学校ってこと忘れてない!?
    やだよォー!あの人の耳に今話してたことが入ったりしたらアタイ、想像するだけでもう…)

    「待たせてしまったな炭子!!」

    (ホラァ!!来ちゃったじゃんめちゃくちゃ怖い音させて!!牽制に来ちゃったじゃん!!
    あああ先輩絶対あの男子学生に気付いてるよ敵意剥き出しの音させてるよオォ!!)

    「先輩!あれ?今日講義ありました?」
    「いや、無いが君の顔が見たくなった!今日は予定も無かったから学校に顔を出そうと思って。」

    そう言いながら、煉獄は炭子の長い髪をひと束手に取り、口づけながら微笑んだ。
    炭子は一気に顔を赤くして、手にしていた箸が震え出す。

    「今日も作ってきたのか、君は本当に料理が上手いなぁ。む、それはさつまいもか?!」
    「全然そんなことないですけど、さつまいもですよ。
    グラッセにしたら美味しいかなと思って試しに。食べてみますか?」
    「頂こう!」

    煉獄はそう言うと炭子に顔を寄せ、あ、と口を開けた。
    炭子も慣れたもので、さつまいものグラッセを箸で摘み、煉獄の口にそっと持っていく。

    「!うまい!」
    「えへへ、よかったです。」

    (あーーーーー!!砂吐きそう!!!)
    ちら、と善子は先程の男子の方を見てみた。
    あ、ダメージ食らってら。
    続けて視線を動かし、炭子に他のおかずをねだっている煉獄を凝視した。

    「先輩って大人気ないですよね意外と。」
    「善子?」
    「…む?なんのことかな?」

    煉獄はきょとん、とした顔をしているが、善子にはちゃんと音でわかっている。

    (炭子を絶対に渡さないって音すごいしてる。)

    炭子は当然わかってなくて、煉獄が自分に甘えてくるのをされるがままで受け入れている。


    善子は心優しい親友の薬指をちら、と見つめる。
    可愛らしい、華奢なデザインのピンクゴールドの指輪、控えめに光る小さな石。


    (ま、私は二人が幸せならいいんだけどね。)

     善子はふ、と笑うように吐息をもらし、がた、とおもむろに立ち上がった。


    「炭子、プリンおごったげる!!」


    一途な親友にようやく訪れた幸せな春に、ささやかすぎるお祝いを。


    (本格的なのはまぁ、結婚するときに改めて。ね。)


    善子はきょとんとしている炭子と、彼女にべったりな煉獄に視線をやって、くふふ、と笑った。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ❤❤❤❤😭👏👏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works