逃げる 陽炎 扇風機 その日、本丸に激震が走った。本丸全体を管理する空調設備が不調を起こしたのだ。この夏の盛りの日に。
夏の暑さは時に深刻な被害をもたらす。汗をかけば脱水症状を引き起こすし、熱によって頭がぼんやりする。石畳の向こうに幻覚を見だすものもいると聞く。
そんな中で空調が効かなくなったと聞いて絶望しないものはいないだろう。放っておけば死にも至る緊急事態なのだ。状況を理解できるものならばすぐさまに行動に移そうとする。ちなみに主からの指示は各々で対処してほしいとのこと。
そして次郎太刀は息を吐く。この暑さの中普段となんら変わらず、しっかりと着物を着込んでは涼しい顔をしている上、空調設備の不具合に関する話を聞いても今ひとつピンと来ていなそうな兄に頭を抱えざるをえなかった。
空調が聞かなくなった彼ら部屋にある頼みの綱は、接続不良で弱々しい風しか起こさなくなった扇風機しかない。どうせ空調設備があれば快適な室温が保たれるとたかを括って修理せずにいたのがあだになったのだ。このままでは直に熱中症に陥ってしまう。
「つまり、駆け落ちするしかないってことだろう?」
「とりあえず貴方が暑さにやられかけていることは分かりました」
太郎太刀はほんの少しだけ眉を困らせて、頼りなく首を振っていた扇風機を次郎太刀に向けて固定する。併せて横から扇子であおぐことで少しばかり冷たい風を次郎太刀に届けることに成功した。
「うぅん、とりあえず空調が直るか気温が下がって来るまでどっか別の所に行こうっていうの、そんなにおかしい?」
「少なくともそれを駆け落ちと表現はしないと思います」
難しい顔で考え込みながら次郎太刀も手持ちの扇子を取り出してお返しのように太郎太刀をあおぐ。込める力は軽いものの、壊れかけの扇風機よりは大きくお互いの前髪を揺らしているだろう。
「そもそも、逃避するにしても何処に行くんですか?」
「聞いた話だと海とか川に遊びに行った奴が多いかなぁ。あと、主に許可もらって別の時代の別の季節に遠征させてもらったりとか──」
「……なるほど?」
「めんどくさそうな顔しないの」
基本出不精である太郎太刀には、今挙げた“何処かここより涼しい場所に行く”という類の解決方法はどうにも億劫だったらしい。いっそこのまま暑さに耐えるという選択肢をとりかねそうな様子に次郎太刀は再び息を吐かざるを得なかった。
「あとは、冷たい飲み物や食べ物でしのぐとかかねぇ」
「なるほど……!」
「明らかに反応違わない?」
そうして本丸では突発的なかき氷大会が開催され、それなりに好評を博した。ちなみに空調設備は夕暮れ時には復旧し、事なきを得た。