星の金貨 その日傑はイライラしていた。義務教育を終え、最低限の出席日数を得るために通っている高校から帰宅した日は大抵イライラしていたが、もちろんご主人様やご当主様の前でそんな態度をとる愚か者ではない、この日はいつもの比ではなかった。原因は一つ。ハロウィンが近いからである。
五条家に関わる者として、五条家の息のかかったそれなりの身分の人間のみが通う高校に通わせてもらっているが、どこにでも猿というものは一定数いるらしい。世がハロウィンに浮き立つ中、久しぶりに登校すれば、傑を待ち受けていたのは大量のお菓子であった。基本的にエスカレーターの私立高だが、外部からの編入がないわけではなく、学年が上がる度に傑を新しく知った人間がこうして無謀にも近付いてくるのだった。正確にははっきりと近付けないからお菓子だ手紙だと回りくどいことをしてくる。しかし傑も自分のどんな行動が巡り巡って五条家の傷となるか分からないため、ありがとう、と人好きのする笑顔で応えるしかなかった。それがまた噂を呼び人を惹きつけ、と悪循環である。早く卒業したい。これが傑の口癖であった。
送迎の車から降り、裏口から私室へと真っ直ぐに向かう。紙袋を乱雑に放りメイド服に着替える。ゴミでしかない手紙に菓子などすぐに燃やしてしまいたくなるが、万が一毒でも入っていようものなら、送り主は真っ先に掃除の対象となる。その為傑は送り主の顔と名前を全て記憶しているし、押し付けられたものの指紋と毒物の検出をした上でようやく焼却炉に放り込めるのだ。ちなみに爆発物や盗聴器の類は校内に持ち込めないよう、校門や昇降口に秘密裏にセンサーが設置されている。もちろん傑に関しては検査対象外だ。
いつもは着替えたら真っ先に主人である悟様の元へ向かい、恐れ多いことに同僚たちが用意したお茶とスイーツを一緒にいただくのだが、今日は悟様に手作りスイーツを所望されていた。だから悟様の元へ向かう前に厨房へ寄る。もちろんその旨を悟様へ伝えてもらうよう同僚に頼むことも忘れない。
朝から寝かせておいたスコーン生地を型抜きしオーブンに入れる。本来悟様の護衛が主な役目であるので厨房に立つことを申し訳なく思っていた傑だったが、今ではもうすっかり見慣れた光景となっていた。スコーンの付け合せはどうしようかと厨房内を歩いて思案していると、大量に置かれた黄色の林檎が目に入った。
(たしか星の金貨だったか……)
甘みが強い品種だから、これでジャムを作ろうと傑は林檎を数個拝借することにした。
しかしジャムを煮詰めようと思うと若干時間が足りない。傑は考えた。イライラしている中で考えた。考え出した答えは、小鍋だけ準備することだった。包丁もミキサーも出さず小鍋だけを用意した。そして何の罪もない美味しそうに色付いた林檎を小鍋の上で一思いに握り潰した。掌に残ったのは芯と僅かな皮だけ。傑は次々に林檎を潰していった。段々とイライラが解消され楽しさが勝っていく。その時だった。
「すぐるー?」
厨房に現れた小さな愛らしい姿に驚いた傑は、ついうっかり握っていた林檎を今日一番の力で潰した。ヒッと悟様が息を吸う様子に傑は固まる。ポタポタと果汁の滴る音だけが厨房に響く。
(まずいまずいまずい怖がらせてしまったどうして気配に気付かなかったどうしようどうすれば。と、とにかくお詫び申し上げなければ)
「さっ、悟様……これはその……驚かせてしまい申し訳……」
しかし謝罪の声は遮られる。
「すっっっげーーー!!!」
「……はい?」
「もう一回!傑もう一回それやって!」
「それ、と申しますと?」
「林檎!手で潰すやつ!」
「悟様、生憎この林檎が最後でして。そもそもこれはジャム作りの時間短縮のために私が行儀悪く……」
「時間なんていいよ!俺、傑のお菓子のためならどれだけでも待てるし!それよりも林檎潰す傑のこともっと見たい!だめ?」
だめ?と仔犬の顔でご主人様に言われてしまえば、ただでさえ醜態を晒した傑に拒否権など存在するはずもなかった。
「悟様がそう仰るのでしたら……」
傑のイエスの返事に悟様はニコニコぱたぱたと林檎の元へとかけていった。そして悟様が両手一杯に抱えて運んだ林檎を傑はまた一つずつ潰していく。始めはどうにも居た堪れない気持ちの傑だったが、悟様があまりにも純粋に喜ばれるから次第にどうでもよくなっていった。
「いつか俺にもできるかなぁ?」
「出来ますよ、悟様でしたら」
「うん!俺、頑張って強くなるから!そしたら俺が作ったジャムでおやつにしよう!」
「はい。楽しみにしております」