爺と現しの神隠し　始まりは廻船問屋の翁だった。若い頃は運河での公益で一旗揚げたやり手の商人であったが、百竜夜行以降はモンスターの往来も激しく船の数は減り、それでもかつての儲けで賄えてはいたが、近頃では積み荷の単価を上げなんとか凌いでいた。
　かつての栄華を懐かしんで、しかも相手が災害級のモンスター襲撃とくれば苛立ちをぶつける先もなく、その鬱憤は次第に己に逆らわない、弱いものへと向かう。実際その頃の翁の妻女には生傷が耐えなかったと聞く。

　ある日翁はふと思いつき、つい先日ハンター見習いになったばかりの余所者の拾い子を呼び付けた。ちょうど師である男が別件で離れ、子供に自主訓練を申し付けたのを見計らって。

　翡葉の砦の外周に生える薬草を集めて来るように。

　特段、珍しくもない野草だ。子供に集めさせたとて商売になる程の量も無い、せいぜい妻の打ち身に貼る程度のそれ。外聞のためお医者にかからせても居ないが、日に日に増えていく気色の悪い痣を見るのに嫌気が差していた。
　通りがかりにいきなり声をかけられた拾い子は、何を言われたのか分からないようできょとんとしている。余所者とはなんと愚鈍なのかと翁は丁稚を叱るときのように声を張り上げた。

　お前の師もやってきたことだ、出来ないとは言わせん！里に生かされている分際で、少しでも役に立とうとは思わんのか！

　夕暮れまでにこの笊いっぱい摘んでこい、と投げつけられた笊を抱えて、拾い子は瞬く間に駆けて行った。翁はフンと鼻息強く、まったく、里長の奴が甘やかすからハンター見習い風情が調子に乗る。このように、躾は幼い頃こそ肝心なのだ。

　ハンター見習いの拾い子が、砦の外壁から転落しお医者に担ぎ込まれたと知らせが届いたのがその日の夕暮れ時。
　廻船問屋の翁が行方を眩ませたと皆がざわめき始めるのは、その三日後の事である。



　二人目は商家のご隠居。一人目の廻船問屋とは商売柄仲が良かったという男は、彼の失踪を聞きすぐに捜索を依頼した。
　誰に？彼らに忠実な犬に。
　犬は今でこそハンターの教官職として里の要職ぶっているが、元々は老人たちの使い走りである。天涯孤独も同然の子供を育ててやった恩を、ここで返さずしてどうするか。だが犬の鼻をしても廻船問屋の翁は見つからず、ただ時間が過ぎてゆくばかり。犬に命じて丸一日も立つ頃にはご隠居の苛立ちは頂点に達していた。

　見つからんのならば足を増やせ。お前、最近弟子を取ったというではないか。その弟子も使え。折ったのは腕の骨だろう、足は動くはずだ。

　その後、廻船問屋の翁が見つかったとの一報が入った。大社跡のイズチの巣で、柔らかい箇所は既に食われ尽くしていたが、幸い残っていた端切れと硬い装飾品が判別の決め手となった。
　同時に商家のご隠居も見つかった。こちらはまだ原型を残していたため判別は容易であった。仲の良い友人同士であった為、探しに出たが返り討ちにあったのだろうと推測された。



　三人目は集落のまとめ役の男だった。この短期間に里のものが二人もモンスターに食われた。しかもハンターでも里守でもない、無力な老人だ。場所が場所だけに神隠にあったのだと噂がたった。商家のご隠居に至っては、友人を探しに大社跡へ老人一人で赴いたと。
　そんな馬鹿な。
　その実、日頃二人がいかに老害か知る者は口減らしにあったのだ、罰が当たったのだと嘯く。噂渦巻くそんな中、夜半に、まとめ役の男はとある青年の元を訪れていた。

　廻船問屋の翁も、商家のご隠居も、自分の足であんなところまで行くはずがない。用があるなら使いを立てるはず。そして立てるとしたらお前だろう。お前がやったのか、育ててもらった恩を忘れて、どうして、どうして。

　過酷な環境で育ったにしては人当たりもよく、利口な青年の筈だった。命をよく聞き、よくこなし、ハンターライセンスは愚か教官の資格まで取って居場所を手に入れた青年を、よもや余所者と蔑むものはいないだろう。そろそろ適当な里娘を娶らせて、正式に里のものとして受け入れてやっても良いかと、そう話していた矢先の事だったのに。

　まとめ役の男は、青年の人となりと、努力で築き上げたその実力を買っていたのだ。後ろ盾はあったのだろうが、狩人としての腕は申し分ないのだから。

　それまでだんまりを決めていた男が、つと顔を上げた。

　俺が、里に受け容れられたとして、俺がしていた仕事は、どうなりますか

　仕事と言っても、雑用だ。害獣退治や薬草詰み、買出し、伝書、そんなものだろう。ならば次は、お前の弟子に。


　里の囲いから一歩出た世界を、まとめ役の男は知ることになる。人の手の及ばない、モンスター達の世界を。





　次の日、流石に里長の監査が入った。いつものタタラ場前、見舞いの帰り道の事である。あの日砦の外壁で見つかった愛弟子は、転落からの外傷、打撲、骨折と酷い有様だったので、お医者預かりとなっていたのだ。
　我が愛弟子が如何に我慢強く治療を受けているか、苦い薬を頑張って飲んでいるか、傷が痛むだろうに自分の食生活を心配する健気な様、云々。身振り手振りを交えて青年が語り終えると、それまでうんうんと聞き流していた里長は居住まいを正した。

　北の集落のまとめ役の男が失踪前、お前を探していたと聞いた。何か知らないか。

　男は一言、さあ、知りませんねと答えた。

　それでおしまい。





　里長の屋敷では夜な夜な集会が開かれた。里長、ご意見役、ギルドマネージャー、各集落の首長。
　発言力のあるものが順に「隠された」この状況、この場の誰もが下手人を知っていたが何ができるものでもない。アレは今や里いちばんのツワモノ、勝てるものなど居やしない。里守など言わずもがな、現役を退き衰えたかつてのハンター達では、もはや束になってもアレにかないやしないのだから。それでもアレを野放しには出来ぬと駆け込み訴える。それは、次は己の番だと自覚を持っているという意味に他ならない事には気付かずに。
　自爆覚悟で井戸に毒を投げる……アレの住処は村外れ、とっくに井戸など塞がれている。だいたい、ハンターであり薬物を常飲するアレに生半な毒など効くものか。寝込みを襲う、闇討ち、弟子を人質に……此の度の騒動の始まりを知らないのか。返り討ちに合うのが関の山、何よりアレはいっそう用心深くなった。もはや隙を探る事すら難しい。
　ハンターズギルドに害を訴える案も出たが、文が届き訴えが受理されるまでどれほどの時が掛かるのか。ギルドマネージャーの権限でハンターまたは教官職の剥奪はできるがそれが何になる。竜の逆鱗に触れることにならないか。云々。
　最終的には、百竜夜行が間近に迫る今、即戦力を失うことは出来ないとどれも却下された。誰しもそれが建前だということは知っていたが、確かにその通り、喫緊の脅威に対して矢面に立てる人間を失うのは恐ろしい。さりとて、今更ハンターズギルドからの応援など望めるはずもない。来るかもわからない災厄に貸し出せるハンターは居ないと何度も断られているのだ。
　それでも続く、躾のなっていない野犬を野放しにするのかとの声には里長が一喝した。自業自得とは思わないのか、俺も、お前達もいつかアレに噛み殺されても文句は言えぬ。それだけのことをしてきただろうと。

　それに狼に口輪を咬ませる方法は、とっくに分かっていたので。




　こうして、里のヒエラルキーはひっくり返った。最底辺に居たはずの拾い子が里の英雄として持ち上げられ、箸にも棒にも置かぬ扱いとなった。拾い子は最初こそ周囲の変化に戸惑ったものだが、師から「そうかい良かったね、何かしてもらったら、ありがとうって元気よくお礼を言おうね！」と言われ続けて、生来素直な子供は疑うことを忘れた。優しくて親切な里の皆、私もきっと役に立たなくちゃと弟子がいっそう奮起したことだけが、この師の唯一の誤算であった。




　ひとり、噛み付いたあとは早かった。ふたり、さんにんと数を重ねるうちに躊躇いは消え、よにん、ごにんめなど覚えてもいない。ただただ弟子として与えられた小さな子供を守りたかった。他には何ひとつ望まないから、これだけは奪われてなるものかと必死だっただけだ。無垢な手のひらから一心に注がれる温かなもので心の虚ろを充たしたかった。人型の虚ろの中に温かいものだけを詰め込んで、いつか犬もひとに成れるものかと夢想した。

　いずれひとに成ったあと、温かなものでいっぱいになった虚ろに最後に垂らされた一滴が、押し潰されそうなほど苦い後悔であるとも知らないで。