幸せな悩みひとりでの帰路はやけに長く感じた。もはや見慣れたワンルームマンションを前に、おれは無意識にため息をついていた。
「はぁ……」
白い息が辺りに溶けていく。見上げた空は雲が覆っていて、わずかな隙間から星が見えた。
このまま部屋に入ると、この幸せで充実した一日が終わってしまう気がして、寒さをこらえてでもここにいたくなってしまう。
今日は、モナミと二人で遅くまで過ごせた。テスト前だから学校で暗くなるまで勉強した後、ファミレスで食事。それから、あいつを家に送り届けた。なんとも普通の高校生らしい。
過去、真面目に勉強しておいたおかげで、とっさに訊かれた時も完璧に答えられた。その上、「ありがと! またお願いするね」とあんな笑顔で言ってもらえたんだから、勉強も思わぬ所で役に立つものだ。
そのまま、ぼんやりと今日のことを思い返す。モナミはファミレスで、「一口ちょうだい!」とおれが頼んだものをねだった。「ほら、取っていいぞ」と皿を差し出すと、小鳥のように口を開けて食べさせてもらうのを待っていた。
だから、仕方なく、本当に仕方なく食べさせてやった。「おいしい!」と目を輝かせるあいつの表情に強く心を惹かれ、その後食べたものの味が分からなくなってしまったが。
ーーまた無意識に口角が上がってた! なんて情けない……。
誰かに見られてたら最悪だ。幸い、周りをキョロキョロするも、人の気配はない。安堵混じりの白い息が、また空気に溶けていった。
最近、あいつのことを考えると、おれはどうやらニヤけているらしい。というのも、あいつに関するどんな話だって、結局は「そういう所も悪くないよな」と前向きに捉えてしまうからで。
「恋は人をおかしくする」とは言うが、ここまでとは。おれだって、おれのことをおかしいと思う。
あいつの近くにいるだけで、幸せを感じてしまう。けど、幸せには上限がない。だから、もっと近づきたくなる。もっと一緒にいたくなる。
その結果、こうして指先を冷たくしてまで、未練がましく曇り空を見つめているわけだ。さすがに、ずっと突っ立ってるわけにもいかないし、そろそろ部屋に入るか。
己の恋煩い加減に気味が悪くなったのもあり、考え事を無理矢理ストップさせて、マンションの階段を登った。
相変わらず何もない部屋だ。暇つぶしになるものを用意した方が良かったかもしれない。ここにいると、つい物思いに耽ってしまう。
……考えることは、あいつのことばかりだ。おれだって、そんな四六時中考えたいわけじゃないのに。
あいつのことを思うたびに、欲深い自分を思い知って苦い気分になる。おれがあいつのことを考えてるこの瞬間、何をしているのか知りたい。今すぐ会いたい。まだ話したいことがある。話すだけではなく、手を繋ぎたい。いや、手を繋ぐだけではなく……。
ぴしゃりと自分の頬を叩き、思考の蓋を強制的に閉じた。これ以上はまずい。あいつに顔向けできなくなる。
気を逸らすため、連絡でも来ていないかと携帯を開く。しかし、目的の人物からのメッセージはない。
理不尽なことこの上ないが、「連絡しろよ!」と言いたくなる。ついさっきまで会ってたのにな。
ーーおれから連絡するか? どうせなら電話がしたい。あいつがよくする、適当で思い付きの、とりとめのない話が聞きたい。
けどそれを、最大の敵である自分自身のプライドが邪魔をする。脳内物質が見せるまやかしにうつつを抜かしおって! まったく、嘆かわしい! と携帯を床に置かせようとするのだ。
確かに、それも一理ある。おれはなぜ、モナミに身も心も振り回されてしまっているんだろう、としばしば考える。
だが、理屈ではどうしても説明がつかない。どんなに靡かないぞと決意しようが、あいつがおれに笑いかけるだけですべて台無しになってしまう。
だから、抵抗するだけ無駄だ。このよく分からない感情が収まるまで、おれは振り回されるしかないんだ。
床に座り直し、携帯を前にじっと思案する。
今、急に電話しても不自然でない理由を必死に考えているおれは、さぞ緩んだ顔をしているに違いない。