『月が満ちるまで』冒頭サンプル(?)満たされない――。
私はずっと、『何かが足りない』という空しさに支配されて生きてきた。
それはとにかく切実な感情で、何かにつけ私を苛立たせる。
足りない『何か』を求めて、がむしゃらに努力した。
勉強も、運動も、家事も――
でも、どれもこれもポッカリと心に空いた穴は埋められない。埋めてくれない。
焦燥感に駆り立てられ、走って、走って――けれど、足りない『何か』が何なのかさえわからないまま、私は十三回目の夏を迎えた。
「それじゃあ、お母さんはそろそろ仕事に行くから」
「はぁい、いってらっしゃい!」
空が白むのは季節がら早いが、山間にあるこの村に朝日が射し込むまでには、もう少し時間がいる。
そんな、朝と言うよりはまだ早朝という方がふさわしい、この時間。
朝早くから夜遅くまで、車で山道を二時間行った街にある職場へ働きに出る母を、玄関先でこうして見送るのが私の日課のひとつだ。
朝靄を含んだ瑞々しい空気。水に濡れた緑の香り――。
それらを深く深く吸い込むと、じんわりと体に染み込み、全身を巡って内側から浄化してくれるような気がした。
「遅刻しないように学校に行くのよ。
今日は天気いいみたいだから、お洗濯もお願いね。あと、ガスを使った後はちゃんと元栓を――」
「わかってるってば!」
母の言葉を途中でさえぎって、大げさに頬を膨らませてみせてから、破顔する。
「もう中学生なんだから、いつまでも子ども扱いしないでチョーダイ!」
「ふふ、そうね、ごめんなさい月夜。
あなたはとてもしっかりしているもの、大丈夫よね」
そう言ってから、私の肩越しに家の中を見やり、
「――太陽も、少しでいいから見習ってほしいわ。双子なのになんでこんなに違うのかしら」
大きくため息をつく。
「お母さんったら、もう、またそんなこと言って。
あの子にはあの子のいいところがあるんだから、あんまりそんなこと言わないであげてよ」
「……あなたは本当にいい子ね。お母さん鼻が高いわ」
母の温かい手が、弟をかばう私の頭を優しくなでた。
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい! 気をつけてね!」
母は車に乗り込むと一度運転席から手を振り、ゆっくり発進した。
家の前の道まで出て、遠ざかっていく母の車を手を振りながら見送り――車が村道から国道に入って見えなくなったことを確認して、対大人用の“いいこ”の笑顔を脱ぎ捨てる。
『あなたは、本当にいい子ね』
『太陽も少し見習ってほしいわ』
太陽。月夜の双子の弟。
姉とは違い、何をしても冴えない出来の悪い弟。
それが、大人たち――
いや、太陽本人さえも含めた全ての人の評価だ。
『あの子にはあの子のいいところがあるんだから』
――なんて、そんなことは微塵たりとも思ってない。
太陽にいいところなんて、ない。
母の前で、大人たちの前で、私はいつも太陽をかばう。
私が太陽をかばうふりをすることで私の評価はあがり、太陽の評価は反比例する。
月が輝けば輝くほどに、太陽は色褪せていく。
そう、私は太陽を貶めることを楽しんでいる。
双子なのに。いや、双子だからこそ。
――だからこそ、許さない。