アニキ、チャンピオンになるってよ。 ネズがジムチャレンジでユウリとバトルした後、姿を現したマリィにジムリーダーを譲ると言ったとき。
マリィが「チャンピオンになるからジムリーダーにはなれない」と答えたのを聞いて、ネズは自分の身勝手さを恥じた。けれどそれ以上に、感動したのだ。
マリィが堂々と胸を張って、自分の意志を示したこと。チャンピオンになるというたいそれた夢を、臆することなく、潔く言ってみせたこと。それらは幼かった妹が立派に成長した証であり、ネズは兄として大変嬉しく、誇らしい気持ちになった。だから、マリィのきっぱりとした言葉に落ち込むこともなく、「そうだったか」と素直に受け入れる画ことができたのだった。
「チャンピオンカップでアニキと当たっても、手加減しないからね。容赦なく倒すよ」
スパイクジムでのバトルの後、マリィは悪戯っぽく笑って言った。
「アニキにはもう少し、ジムリーダーを頑張ってもらうことになるね」
「大変だね」
「うん。でも、妹がチャンピオンでアニキがジムリーダーって、無敵の兄妹だと思う。……そんな兄妹がいれば、スパイクタウンももっと賑やかになるよ」
マリィの笑みにも声にも、確かな頼もしさがあった。瑞々しい力強さを纏うマリィを見て、ネズの胸は熱くなった。
「これからは、アニキだけに背負わせんよ。マリィも頑張るけん」
「それは——嬉しいね」
ネズは涙を堪えて笑ってみせた。けれど生まれてからずっとネズを見ているマリィには、ネズがいまにも泣きそうになっていることぐらいお見通しだっただろう。
そうして、チャンピオンカップのセミファイナル。
マリィは、ユウリに負けた。チャンピオンになる夢は、断たれた。
「また来年ジムチャレンジを受ければいいですよ」
ネズはそう言ってマリィを慰めた。ジムチャレンジには参加回数の制限はない。その都度推薦状をもらえれば、何度でも参加できる。二年、三年と連続で参加することも可能だ。ただ、ジムチャレンジは楽しいだけでなく険しい旅でもあるので、何度も参加する人は稀だった。
だがマリィは強い。気丈だし、トレーナーとしての実力も高い。再びジムチャレンジに参加しても、挫けることなくチャンピオンカップまで進めるだろう。
「ううん、もうジムチャレンジには参加しない。あたし、スパイクジムの新しいジムリーダーになるけんね」
ところがマリィは首を横に振った。
マリィの予想外の宣言にネズは目を丸くした。
「言っておくけど、チャンピオンになれないから仕方なく、てわけじゃなかよ。いやいやジムリーダーやろうっていうんじゃない。ジムリーダーやるのが嫌だなんて思わんよ。むしろ、そんな大切な仕事をさせてもらえるなんて、誇らしいって思う」
マリィの表情には悲壮感はなかった。凛々しい面持ちだ。瞳には澄んだ輝きが宿っている。
「チャンピオンになりたいのは、自分の願いでもあるけど、町のためでもあったんよ。あたしだって、スパイクタウンのためになりたか」
「でも……」
「ジムリーダーだって、チャンピオンの地位を狙えるもんね。……だからさ、アニキ。ファイナルトーナメントでは、全力で試合しなよ」
マリィはネズをまっすぐに見て言った。
「アニキ、これまで、ファイナルトーナメントじゃ全力が出せてなかったでしょ? チャンピオンになったら、スパイクタウンを守れなくなるから」
マリィの言葉にネズはぎくりとする。彼女の指摘は当たっていた。チャンピオンになれば、ひとところには止まれず、ガラル中あちこちを仕事で回ることになる。スパイクタウンから離れれば、町の様子に気を配れなくなる。悪い変化があっても気付くのが遅れて、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。ネズの代わりとなるジムリーダーがいればよかったのかもしれないが、生憎と適切な人材はいなかった。だから、ネズはチャンピオンになるわけにはいかなかった。スパイクタウンに尽力するためにも。
チャンピオンの故郷だからと言って町が栄えることはないのだ。実際、ダンデの出身地であるハロンタウンは牧歌的な田舎町のままだ。ダンデの影響を受けず、ちっとも変っていない。
スパイクタウンも同じことだ――既に寂れているぶん、ネズがいなくなれば、むしろ悪化するだろう。
でも、いまは。
ネズがチャンピオンになったとしても。
「大丈夫、マリィがおる。アニキがチャンピオンになっても、スパイクのジムリーダーとしてあたしが町を守るけん。だから、安心してチャンピオンになっちゃいなよ」
そう、マリィがいる。信頼できるジムリーダーが町を守ってくれる。
だから、ネズがチャンピオンになっても、問題ない。
「アニキがチャンピオンで妹がジムリーダーでも、無敵だよね」
「……マリィ」
「それに、アニキからチャンピオンの座を奪うのも、燃える」
マリィは悪戯っぽく笑った。
ネズはたまらなくなって、マリィを抱きしめた。
腕の中に収まった妹の体は、小さく華奢ながらも、確かな力強さを持っていた。
それで、ネズの腹は決まった。
「マリィ。アニキは、チャンピオンになりますよ」
「うん。アニキならチャンピオンになれる。信じてる」
ネズに答えるマリィの声は頼もしかった。
ネズは目を閉じる。ゆっくりと息を吸い、吐く。
瞼の裏には、輝かしい栄光が見えた。