ミスター・チョコレート「今年のバレンタインもとびきり素敵なチョコレートを贈るから、楽しみにしててくれよな、ダーリン♡」
そう言って、キバナはおれの頬にキスを寄越した。おれはにやりと笑い、「こっちだっておまえが腰抜けになるようなチョコを用意するから、覚悟しておけよ、ハニー」と返す。
「ふふ、怖い怖い。オレさまってばどれだけ情熱的なチョコもらっちまうんだろうなあ」
言葉とは裏腹に、キバナはにやにや笑っている。ちっとも怖がっているふうではない。
おれたちが恋人になってからというもの、バレンタインが近づくといつも似たようなやり取りをしている。互いに相手のことを真摯に思いながらチョコレートを選び、熱烈な愛の言葉と共に贈り合うという習慣も、気が付けばすでに三度目だ。できればこの先の人生でも、キバナとふたり、ずっとこうしてバレンタインという浮かれたイベントを楽しみたい――そう願っているのはおれだけではなく、キバナも同じ気持ちに違いない。そう思うことは、決してうぬぼれではないはずだ。キバナと愛し合った三年の日々は、おれにそれだけの自信を与えてくれた。
「ネズは毎年すげえチョコくれるからなあ。オレさまも見劣りしないチョコ探さないと。毎年苦労するぜ」
苦労すると言いながら、キバナはずいぶんと楽し気な口調だった。表情だって明るい。本心では、おれに贈るチョコを選ぶことを楽しんでいるのだ。大切なひとへプレゼントをすることを自分の喜びとする、それがキバナという男で、おれはキバナのそういうところをたいへん尊んでいる。
ソファに座るおれの隣に、キバナが腰を下ろす。ふんふんと鼻歌を歌いながら、マグカップに注がれたココアを飲む、その横顔をたまらなく愛おしいと思う。鼻歌がちょっぴりへたくそなのも、可愛げがあっていい。
「……なんか、キバナ自身がチョコレートみたいですよね」
ふと心に浮かんだ思いを、そのまま口にする。
キバナはきょとんとして、「オレさまが? どこらへんが?」と首を傾げた。
「ああ、肌の色がチョコレートっぽいってこと?」
「それもあるけど、おまえ、おれに甘いでしょう」
「あー、うん、ネズに甘い自覚はある」
「甘いよ、すごく甘い。しかも、熱い。おまけにときどき、どろっとしてる。湯煎にかけられたチョコレートみたいです」
「ど、どろどろ? え、マジで? オレさま、そんなふうになってる?」
キバナが焦った顔になるので、おれは苦笑して、「悪い意味じゃねえですよ」と言ってやった。ついでにキバナの頭をぽんぽんと撫でてやる。
「おまえのどろっとした甘さは、なかなか心地いいです」
キバナに甘やかされていると、時折、キバナから熱くどろりとした愛を注がれている感覚になる。粘度を持つその愛は、おれの体にも心にも絡みつき、容易には拭えない。けれどもそれは決して不快な感覚ではなく、むしろたっぷりと愛されていると思えて、うっとりとしてしまうのだった。
「だから、いまのは褒め言葉。不安にならなくていいですよ」
「そ、そう? ならいいんだけど……」
安心したらしいキバナは頬を緩めた。
おれはキバナの頭を撫でていた手で、今度はキバナの頬に触れる。滑らかな肌は、どんな高級なチョコレートよりも美味しそうに見える。おれがときどきキバナの頬にかぷりと噛みつきたくなるということを、キバナは知らない。いつか不意打ちで噛みついて驚かせてやろうと企てている。
「ほんと、チョコレートみたいで、可愛いね、おまえは」
おれは目を細めてキバナを見る。きっといまのおれの瞳こそ、湯煎にかけられたチョコレートのようにどろりとしているだろう。
「――なんなら、今年のバレンタインは、チョコの代わりにおまえを寄越してくれても嬉しいですけどね」
口角を吊り上げて、にやり、悪い男の笑みをかたちづくる。キバナを酷くときめかせてやるつもりで、わざと色気を放ちながら笑ってやった。
キバナは、おれの悪い表情に弱い。盛大にときめいて、あわあわとするに違いない。
そう思っていたのに、おれの予想に反して、キバナは目をぱちくりとさせるだけだった。
え、と驚いたおれが目を丸くしたその瞬間、キバナは、
「オレさま、もうとっくにネズのものなんだし、これまでに何度も食われてるんだから、いまさらプレゼントしても意味がないんじゃ……?」
と、不思議そうな顔をして言った。
おれの心臓が跳ねる。顔が熱くなる。
キバナはおれのものである。他の誰でもなくキバナ自身が当然のこととしてそう思っている。その事実は、おれをどうしようもなくときめかせた。悪い男は、純朴さに弱いのだ。
「あ、でも」
キバナはにやりと笑って、ずいとおれに顔を近づける。
「いつもと違う食べ方をしたいって言うなら、喜んでオレさまをプレゼントするぜ、ダーリン?」
たったいま見せつけた純朴さはどこへやら、セクシーな目つきと笑みでもって、キバナはおれに囁いた。おかげでおれはますますときめいた。
――ちくしょう、おれがときめかせてやるつもりだったのに!
ときめきと共に怒りを感じて、おれは勢いよくキバナを押し倒した。
「それならお言葉に甘えて、いまから好き勝手に食わせてもらいましょうかね!」
ある種の意趣返し、半ば照れ隠し。おれはキバナのセーターをめくりあげて、あらわになった腹を触った。チョコレート色の腹筋は、おれの欲望を刺激する。
「どうぞどうぞ、美味しく食ってくれ」
おれの暴挙を止めることもなく、キバナは楽しそうにけらけら笑うばかりだ。可愛いくせに憎たらしいその表情を見て、この極上のチョコレートを思う存分食い散らかしてやろうと、そう決めるおれだった。