救い、真横にありますそんな、とか細く漏れた言葉が、拙い異国の響きではなくついこの前まで聞き慣れたものであったはずの古の母国語であることに意識外で己の動揺を知る。
説明はされたはず。ある程度の対処法も共に教わった、はず。それでも咄嗟の判断というものは難しい。慣れていなれば尚のこと。
フラりと傾いだ長身をそのままにそっと流れから離脱するこちらをチラリとも見ずに足早に去っていく人の波から外れ、クラージィは天を仰いだ。
(神よ…)
これはもはや癖である。
今でもクラージィから捧げる信仰に翳りがなくとも過去に範疇を外れ、祈る資格を持たぬ己の声等届くはずもない。クラージィのために門が開くことはない。それで心の内で問い掛けてしまうのはもはや独り言やぼやきと変わらないのかもしれないが、今日もとまらない。
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