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    hidari

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    hidari

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    哥欲祟の小説をpixivで公開しました。
    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=17065764
    こちらにも本文を載せておきますが、pixivタグ(改ページ等)使用のままコピペしたものなので、多分読みづらいです。

    狐と犬と神と人高島博は哥欲村高島家の次男として生まれた。
    まだ村が山深い未開の地であった頃、そこへ迷い込んだ修験者が高島と名乗り住み着いた事が哥欲村の始まりであるという。
    その地は古来より山野家の住処であった。
    「……話がおかしい?」
    怪訝そうに眉を寄せた私に、ベッドに腰掛けた高島は身体を揺らし、くすくすと笑った。

    1997年8月20日

    山野隆士は佐藤総合病院の医師である。
    彼は義母の失踪をきっかけに様子がおかしくなった娘の治療の手がかりを探るため、同僚の狭間医師の運転で新街改革病棟へと向かっていた。
    新街改革病棟は既に廃院となって久しく、その場所を知る者は少ない。
    「すみません、遠くまで。」
    「いいんだよ。それより、当時の資料がまだ残っていれば良いんだけど。」
    隆士は助手席からチラリと後部座席に座る娘の様子を窺った。
    バックミラー越しに見たリノは、相変わらず俯いたまま一言も話さない。
    リノに表れた症状は、狭間医師がかつて務めていた新街改革病棟での集団感染を想起させるものだった。
    「残念ながら、僕は当時の研究には殆ど携わらなかったんだ。
     その頃はまだ新米で、村から派遣された研究員が…………ほら、見えてきた。」
    隆士がバックミラーから視線を戻すと、鬱蒼とした森の奥に人工的な四角い建物が顔を覗かせていた。
    近付くにつれ、徐々に蔦に覆われた外壁が顕になる。
    その建物は、病棟というよりも小さな診療所の様に見えた。
    狭間が入口付近に車を横付けると、隆士は病棟の鍵を貰い受け、リノを頼み一人病棟へと向かった。
    院内は埃が積もってはいたものの、その外観とは裏腹に閉業当時のままの状態を保っているように見えた。
    だが、玄関から真っ直ぐ伸びた廊下の先にある階段に差し掛かった時、二階の壁に大きな穴が空いているのを見つけた。
    (これだから廃墟は危ない。)
    隆士は二人を車中へ残してきた事に安堵しつつ、階段の手摺に手を掛けた。
    二階へ上り廊下に空いた穴を背を屈めて覗き込むと、意外にもそこには空間が広がっていた。
    元々は療養室だったのだろうか、何床かのベッドが乱雑に置かれている。
    隆士がそれらを視線で辿っていると、一番奥の暗がりのベッドで腰掛けていた男と目が合った。
    「山野?」
    名前を呼ばれて思わず「はい」と返事をしてしまった隆士に、男は少しだけ笑って「高島博」と名乗った。
    年齢は三十代半ば位であろうか。
    真新しい病衣を身に着けベッドに素足を投げ出しているその姿は、いかにもどこかの病院から抜け出してきた患者のように見えた。
    この辺りの大きな病院といえば、自分達の勤務する佐藤総合病院位のものである。
    隆士はこの高島という患者に見覚えは無かったが、向こうは医師であるこちらを見知っていたらしい。
    隆士は彼に事情を聞こうと、暗い穴の奥へと踏み入ったのであった。

    「……知りたい?」
    高島はベッドをギシリと軋ませると、小首を傾げ上目遣いでこちらを見据えた。
    薄暗い病室の中、黒目がちな瞳が僅かな光を反射してキラキラと輝く。
    その少年の様な瞳の違和感に、隆士は背筋がぞわりと粟立つのを感じた。
    もしかしたらこの患者は、何らかの精神疾患を抱えているのかもしれない。
    「その土地には先住民が居たという事ですか?」
    相手を刺激しない様に話を合わせ、一歩ずつ高島へと近付く。
    彼はからから、ケラケラと笑い、時折しゃくり上げるようにヒィと息を吸い込んでは背を丸めた。
    小刻みに震えていた肩が収まり、不意に静寂が訪れた。
    「違うよぉ。」
    下を向いたまま発せられたその声の冷たさに、隆士の浮かせかけていた足がピタリと止まる。
    静止して次の言葉を待つ隆士の耳に、やけにハッキリとした声が届いた。
    「山の化。」
    「え?」
    ヤマノケ。山野家。
    確かにそう言った。
    聞き慣れたはずの言葉の耳慣れない発音に、思わず聞き返してしまう。
    「ヤマノケはね、神様なんだよ。人間と神様が仲良くなって、一緒に村を作ったんだ。」
    高島の話が続く。
    隆士は彼を警戒しながらも、段々とその話の内容に引き込まれていった。
    (新街改革計画の失敗。)
    ふと、ここへ来る前に狭間医師に聞かされた哥欲村の噂が思い出された。
    関連施設が次々と閉鎖され、関係者が怪死を遂げたという計画の真実が、果たしてこの男の口から語られる事は有るのだろうか?
    隆士は彼の足元にチラと目をやり、自嘲した。
    幽霊なんて居るはずも無い。
    隆士が小さく頭を降ると、高島は後ろ手にごそごそと、何やら古めかしいバインダーのような物を取り出した。
    高島は『診察表』と書かれたそれを顔を覆うようにして抱え持つと、ブツブツと何事かを呟きながらペンを走らせ始めた。
    「……診…方で…ね……それは…いつ頃から……」
    隆士が耳をそばだてながらそっと近付けば、バインダーの背面に書かれた子供のような文字が目に入った。
    「中島、博?」
    思わずそれを読み上げた瞬間、バインダーで隠れていた顔が勢い良くこちらを見上げた。
    いつの間にかかなり近くに来ていたようで、至近距離で視線がかち合う。
    高島の見開かれた目に気圧され、思わず一歩後ずさった。
    気まずさに視線を逸らそうとした視界の端で、高島の引き結ばれていた口元がゆっくりと弧を描く様に動いた。
    「真実を教えてやるから、こっちに来いよ。」
    真っ白な歯並びの良い歯列から、やけに赤い舌が覗く。
    何かの感情を押し殺したような、不気味で抑揚の無い声に、頭が揺さぶられるような感覚に陥る。
    声に吸い寄せられるように顔を寄せた隆士の耳元で、今度は囁くような声が聞こえた。
    「私の名前は……。」
    『犬神修三』

    俺の名は犬神修三。
    憑きもの筋の家系で、こちらでの肩書は新街改革工場工場長だ。
    俺の家は代々人を殺す事を生業として来たが、こちらの世界の人間にとってそれは禁忌であると聞く。
    人殺しと言えば聞こえは悪いが、俺達にとって呪術のための殺人は言わば屠殺のようなもの。
    少なくとも哥欲村では仕事の範疇として容認されていたし、そちらにしても本の数百年前まではそれが常であったと思う。
    俺にはそんな奴らが、その屍の上で生きているという事を忘れて俺達を見下す事が滑稽でならんのよ。
    外の奴らは呪術を捨てたのではない。過去に置いて来ただけだ。
    ……だが、異なる正義同士のすり合わせは無駄というもの。
    世界平和も結構だが、世界とは一体どこまでの事を指すものなのか、俺には見当が付かんな。
    もし、先の戦争の勝利が哥欲村で幾人かを犠牲にしたために得た結果なのだと言ったら、貴方はそれを冒涜だと思うかね。
    どちらにせよ、今生きている者のために払った代償を否定するのは愚かな事だ。

    俺にはこちらの世界に二つ年下の従兄弟があって、その子がこの血筋故に村に連れ戻されて来たのを、大層哀れに思ったよ。
    あの子が犬神の血さえ引かなんだら、何も知る事無く一生を終える事が出来ただろうに。
    俺はそれまで多くの人間を呪具として来たし、祖父を自らの手で殺めた事さえ俺にとっては只の仕事であったが、義伯父の勝手で俺達の事情に巻き込まれたあの子だけはどうにも不憫でならぬのよ。
    思えば俺も数奇な運命を辿って来たものだ。
    母は俺を産んで命を落とし、父は母と腐りながらに生まれた俺を見て狂死したという。
    祖父はそんな俺を「呪いを抱いて生まれて来た」のだと言い、「女に生まれていれば神にもなれたものを」と常々惜しんでいた。
    俺は幼少の頃より肥えるという事を知らず、棒きれの様な手足で身体を引き摺る様に歩き、夜になれば度々悪夢に魘された。
    寝ている俺の身体を頭だけの女達が這い回り四肢を食む夢だ。
    肌を這う髪の感触や腹に乗る頭の重さが妙に生々しく、目覚めるといつも全身に歯型のような痣が浮いているのだ。
    そんなある日義伯父に連れられて来たあの子は、背虫の俺とは正反対の背の高い健康そうな少年で、名を伏見高次郎と言った。
    あの子は十四で村に来た時から既に、大人に負けない酒豪であった。
    厳格な祖父と打ち解け、年増の女達をあしらい、まるで最初からこの村にいた子供の様に振る舞った。
    あの子は俺の前まで来ると、その大きな口でにっこりと笑い、狐のように目を細めた。
    「家は伏見ですが、俺には犬神の血も混じっているんです。神様同士で喧嘩にならなきゃ良いんですが。」
    俺はその声をどこか遠くに聞きながら、目の前の光景を他人事の様に眺めていた。
    あの時、目の前の白い喉笛に食らいついていた緑色の生首を、俺は一生忘れる事は無いだろう。
    その腐り果てた横顔は、俺の貌とは全く似ていなかったが、確かに俺のものだった。
    この穢れた血を受け継いだばかりに、あの子は呪いを受けたのだ。
    薄れゆく意識の中「一度でも人を喰らえばそれは子孫に祟るのだ」と誰かが囁いた気がした。
    ……その日以降、俺が女の悪夢に苦しめられる事は無い。
    だが俺はそれから、あの子を食い殺す夢ばかりを見ている。

    血塗れの床には喉から上顎にかけてを失った俺の死体が横たわり、俺はその惨状を見下ろしながら院内を徘徊するのだ。
    気がつけば目の前に暗い目をしたあの子がいて、無表情でこちらを見ている。
    夢の中の俺は自分の頭に響く叫び声が煩くて、周囲の音が一切聞こえないのだ。

    それはいつか新街改革病棟で見た記憶だ。
    かつて我らの祖先は、哥欲の儀式で神と呼ぶには程遠い出来損ないの呪物ばかりを作り続けた。
    首だけの女の姿をしたそれは、生まれては一声鳴いて腐り死ぬだけの木偶であった。
    だがそれは人が神の力を使役するために正しく作られた形だったのだ。
    我々は愚かにもその禁を犯し、ついには完全な姿の哥欲神の再現に成功した。
    少女の喉から生まれたそれは、同じく少女の姿をした白髪の鬼神であった。
    彼女は前身である死体と触媒の首とに表情を引きつらせ、数度慟哭するように戦慄くと、絶望の悲鳴を上げた。
    その歌は壁材を粉々に砕き、建物や人、周囲のあらゆる物を歪めた。
    俺の身体が裂けて二つに分かれる中、かき混ぜたような視界の中でたった一人正常な姿を保っていた彼女の背を今でも克明に覚えている。
    神は閉じて行く世界を見下ろしながら尚も歌い続け、俺はそれを拒絶しながら暗く深い穴へと落ちていった。
    あの時、全ては無に帰したはずであった。
    だが俺は、何の因果かその記憶を持って過去へと死に返ったのだ。
    俺の記憶が戻ったのは、あれから約10年前の1934年、奉納の私刑を終えた直後の事であった。
    儀式によって自らの喉を切り裂いた祖父の介錯をした時、彼女の歌が真実と共に俺の頭の中へと流れ込み、俺はたまらず意識を手放したのだ。

    ……全ては俺の狂気による妄想なのだろうか。
    床に転がっていた俺の死体も、あの子の腕に繋がれていた点滴が倒れたのも、全て。
    これが神が俺に下した祟だと言うのなら、俺は何度でも自らの喉を引き裂こう。
    これは俺が行った罪で、あの子に類が及ぶ謂れ等無いのだから。
    『伏見高次郎』

    えー、何からお話致しましょうか。
    俺が哥欲祟について知っている事で特別な事なんて何もありませんし、身の上話でもしましょうかね。
    俺の家は名前の通り神道の家系で、元々は公家でした。
    平安時代の家格は半家、幕末に哥欲村監査の任を受け、祖父の代に華族制度を受けて子爵家となりました。
    父は貴族院議員で等級は高等官二等、叔父は外交官で俺は軍人です。
    母は哥欲村出身でしたが妹を産んで他界し、その妹は幼い頃に叔父の家に養女に出されました。
    母の実家は村で御三家と呼ばれているうちの犬神家で、父は母との結婚に際して村人となりました。
    哥欲村には村外の人間との結婚を禁じる厳しい掟がありましたから、父はかなりの無茶をしたようです。
    父がもし羽嶋家の使いで無かったら、もし母が病弱でなく村外の医療を必要としていなかったら、祖父は決して許しはしなかったでしょうね。
    爵位の何のと並べ立てましたが、要は伏見家は代々羽嶋の犬で、哥欲村に関する任務を負っていたって事です。
    伏見家は勅令により度々村を出入りしていましたが、その任は決して表沙汰になる事は有りませんでした。
    何故なら、羽嶋家が哥欲村との繋がりが世間に知れる事を嫌ったからです。
    乱世ならいざ知らず、呪術師の集落を囲っているだなんて外聞が悪いですからね。
    哥欲村と羽嶋家との関わりの記述は、古くは平安時代まで遡ります。
    当時哥欲村は官職に有り、朝廷の命を受けて様々な呪詛を行って来ました。
    ですが、羽嶋家が揺るぎない地位を確立した近代において、哥欲村は最早無用の長物だったのです。

    これは祖父の代の話ですが、羽嶋家が天災に乗じて村を潰そうとした事が有ったそうです。
    その年村を未曾有の旱魃が襲い、当時唯一の水源であった井戸水が腐った事で多くの死者を出しました。
    そこで生き残った若者達が決起して哥欲の儀式を行い、村は辛くも難を逃れたそうです。
    哥欲神の名は古くから語り継がれて来ましたが、実際に儀式を行ったのはこれが最初の事であったと聞きます。
    その術はあまりに強力であったために禁忌とされていたのです。
    現代で言う核兵器の様な物、と言えば伝わり易いでしょうか。
    だからこそ羽嶋家は哥欲村を独占するために外界から遠ざけ、敵対勢力を牽制してきたわけですね。
    ところで、最初の哥欲の儀式が行われた時、羽嶋家と懇意にしていたとある宗派の高僧が怪死を遂げたそうです。
    今となっては真偽は分かりませんが、当時の村人達は井戸水に呪術の痕跡を認めていたといいます。
    それから五十年以上が経った今でも、当時儀式に関わった村人達の多くは羽嶋家に対して懐疑的でした。
    現に、俺がその時のネタを持ち出して村の独立を煽ってやったら、犬神の爺さんなんかコロっと食いついて来ましたからね。
    ……俺がどうしてそんな事をしたのか不思議ですか?
    実は、この時既に伏見家は羽嶋を裏切っていたのです。

    父に野心が芽生えたのは、羽嶋家に第三児が誕生した1920年の事でした。
    待望の長男であった信三様は、金色の髪を持ってお生まれになりました。
    陛下は敵国を思わせるその不吉な外見を忌みとし、哥欲村への生贄とするよう父に命じたのです。
    羽嶋家はこれまでにも一族繁栄のために庶流の者を度々村へ捧げて来ましたが、直系のそれも皇嗣殿下を差し出そうなんて前代未聞の事でした。
    父は信三様を外交官の叔父へと託し、そのままイギリスへ発つ船を見送りました。
    木を隠すなら森の中、ではありませんが、信三様を隠すには叔父が居を構えるロンドンが最適だったのです。
    それからの父は、来たるべき信三様擁立の日に向けて奔走しました。
    勿論表向きは忠勤奉仕ですから、俺にとっては村での仕事が一つ増えた位のものでしたが。
    元々俺は、父が村の深部を探らせる為に作った子供でしたし、俺を陸幼(陸軍幼年学校)に入れたのだって軍を統帥する羽嶋家への忖度が有っての事でした。
    帝国議会の力の及ばない軍に息子を放り込む事で、父は自らの二心の無さを示したわけですね。
    その努力も、俺が親父を裏切ったせいで全部台無しになってしまったんですが。
    父とは最後まで敵同士でしたが、その周到さには今でも感謝していますよ。

    俺が士官学校へ上がると同時に、多忙の父は俺に村での仕事を全て引き継ぎ村を出ました。
    羽嶋家が融通を利かせてくれたお陰で、俺の村での長期滞在が可能となったからです。
    俺は陸幼を卒業したその足で信三様をお迎えに上がり、それから彼に仕えました。
    信三様は村外では新指重蔵を名乗られ、俺達は密かに日本国内での行動を開始しました。
    皮肉な事に、父から学んだ帝国議会での派閥や、士官学校で培った人脈が大いに役に立ちました。
    俺が村に来てから信三様をお迎えするまでに三年、哥欲村が本格的に動き出すまでには更に七年の歳月を要しました。
    十年なんて、哥欲村が隠匿されていた千年に比べたら大した事はありませんね。
    「私が皇位を継承し大権を握ったとしても、村の立場は変わらない。
     私は身分や機関に拠らず貴方達を救わねばならないし、貴方達は如何なる支配をも受けず自らの力を以て奮い立たねばならない。」
    1934年、信三様の号令により『新街改革計画』が幕を開けました。
    満を持して犬神家が血讐の火蓋を切り、呪術による前哨戦を仕掛けたのです。
    それにより羽嶋陛下は即日命を落とし、その日を境に羽嶋一族の怪死が相次ぎました。
    継承権を巡って枢密院が混乱を極める中、父が信三様を正当な継承者として擁立すべく村を訪れました。
    実に数年ぶりの再会でした。
    俺は信三様と入れ替わるようにして村を出た父の迂闊さが可笑しくて、ずっとニヤついていたと思います。
    そうでなくても信三様が父の言いなりになる事は無かったでしょうけれど。
    何故って、あの方の目的は最初から天皇制の廃止だったんですから。

    父と決裂した事で、信三様は元より俺の存在も表舞台から抹消されました。
    ……そのお陰で、あの女が日本に戻って来てしまったんですが。

    羽嶋家は起こった事を世間に公表出来るわけも無く、新聞各社に対しても過去の情報を流して時間を稼ぐばかりでした。
    丁度その頃、羽嶋家の手を離れた多くの村人が戸籍を取得し、それに伴い姓の返還が行われました。
    姓というのは、かつて哥欲村が官職にあった頃に朝廷から与えられた苗字の事です。
    例えば、代々墓守を務める啓示さんの姓は「古畑」ですが、官職を辞した事で元々の一族の氏である「田中」に名乗りを戻したという形ですね。
    戸籍を得た村人達は『新街改革計画』により日本への進出を果たしました。
    計画の各建設物は哥欲村の力を世界に示すために作られたもので、中でも新街改革ホテルはその足掛かりとして一層豪奢に建築されました。
    当時は新卒の初任給が数百円の時代でしたからとても一般人が泊まれる値段ではありませんでしたが、我々の目的は要人の招致でしたから、その方が却って都合が良かったんです。
    ホテルの支配人に就任された百合さんは、その高い語学力を生かして国外から富裕層を誘致しました。
    村人達は潜伏期間中に信三様の教えで全員英語を習得していましたが、百合さんは特に熱心で、多国語の勉強に励んでおられました。
    やがてホテルはサロンとして利用されるようになり、国内外の要人の架け橋を担うまでに成長しました。
    俺の仕事は、そこに集まった要人たちと村との個別契約を結ぶ事でした。
    契約の内容は様々でしたが、要は呪術の売買で、名目上は新街改革計画への先行投資でした。
    村人達は元々一国を相手に取引をしてきた連中です。
    彼らは依頼主の要望を叶える対価として、莫大な資金と本の少しの材料を要求しました。
    一人分もあれば口封じとしては十分でしょう。
    俺達は彼等から得た金を全て地下の研究に注ぎ込み、工場を発展させる事により、呪術の量産を可能としていったのです。

    ですが、ホテル開業から三年目のある日、計画に翳りが差しました。
    「不運の事故」と新聞にも取り沙汰された、ホテル五階の崩落事故が起こったのです。
    当時そこでは渚家による哥欲の儀式が行われており、儀式を行っていた先代当主は息子の太郎を庇って亡くなりました。
    正直、経営悪化や客離れなんかよりも、渚の呪術が途絶えた事の方が痛かったです。
    渚太郎は俺より七つばかり年上の生真面目な男でしたが、呪術に関しては良い所が有りませんでした。
    その歳になっても父親に家業を任せていた辺り、察しがつきます。
    太郎は事故の原因を「呪詛返しによる祟の暴走」であるとし、生贄の遺体の回収を進言しました。
    ですが、五階の中央通路は瓦礫に埋もれ、捜索は困難を極めました。
    壁に穴を空けても、すり潰された肉塊や誰の物とも分からない骨片が見つかるばかりで、生贄の発見には至りませんでした。
    俺達は生贄をフロアごと封印し、ホテルを閉業する事にしました。
    しかし、祟の暴走は止まる所を知らず、村人や関係者達の怪死が相次ぎました。
    かく言う俺も、事故後に大分体調を崩しましてね。
    これが祟のせいだなんて思っちゃいませんでしたが、あまりにも出来すぎた話だと思いましたよ。
    そんな日々が数年続き、村人が徐々に数を減らして行く中、太郎が先代当主の仇である生贄の生存を突き止めました。
    信じられない事に、生贄はあの崩落事故から逃れ、春代と共に隠れ暮らしていた事が分かったのです。

    ……あの女、信三様に懸想したばかりか、あの時生贄を連れてホテルから逃げ出してやがったんですよ。
    それを俺達は死んだものと思い込み、数年間も放置してしまったのです。
    生贄の居場所はすぐに突き止められ、春代達は工事監督である次郎さんの部隊に拘束されました。
    俺さえ直接出向いていれば、挽き肉にしてドブに流してやったものを。
    あの時の事は今思い出しても頭が痛くなりますが、あいつの母親は犬神の娘でしたから、使い道が有った事が唯一の救いでしたね。
    その頃は羽嶋家が法整備から息を吹き返しつつあった時期でしたから。
    ……それと一緒に『呪い?改革の裏側』なんて報道もありましたっけね。
    新街改革計画当初から、突然閉鎖的になった羽嶋家と、同時期に現れた哥欲村とを結びつけて考える記者の方は何人かありました。
    俺達は適当な餌を与えて彼らを帰しましたが、深入りが過ぎた何人かは工場送りとなりました。
    羽嶋家の方に行く記者はさすがに少なかったと思いますけど、あっちはあっちで治外法権でから、うちと似た様な事してたんじゃないです?
    羽嶋家に帰化していた村人も何人かは有りましたしね。
    それを一緒くたにして『呪い』と騒ぎ立てられるのは、些か心外でしたね。

    さて、随分と長話をしてしまいました。
    もしこの続きが聞きたかったら、今度貴方が工場にいらした時にでも。
    何、そう遠くはありません。この施設の地下ですよ。
    本部は別にありますが、『新街改革工場』って言えば、計画関連施設の地下の総称の事ですから。
    この先を隠すのに今更大した意味なんか有りりませんが、これは俺の矜持の問題なんでね。
    ……でも、病棟責任者の博さんは知っているんですけどね。
    博さんの事、殺しておけば良かったと思わなくも無いですけど、別に恨んじゃいませんよ。
    言いたい事は山程有りますけど、もしまた会えたら直接殺してやりますよ。
    それじゃ、お疲れさまでした。
    『羽山鳥信三』-1927

    ―私をその名で呼ぶ人が無くなって久しい。

    1920年、羽嶋信三は天皇家の長男として生まれた。
    だが、産婆がその子を取り上げた時、周囲の者は悲鳴を漏らしたという。
    羽嶋陛下は金色の髪を持って生まれた我が子を哥欲村への生贄として差し出すよう配下に命じた。
    その任を受けた伏見子爵は信三を外交官の野崎氏に託し、密かにイギリスに保護した。
    そうして信三はロンドン郊外にある野崎氏の屋敷で幼少期を過ごす事となった。
    屋敷には、彼と義父である野崎氏の他に、日本人の養育係と家庭教師、それに幾人かのメイドと、義姉の春代があった。
    五歳年上である春代は、当時の彼にはとても大人びて見えた。
    それは春代にとっても同じであったようで、彼女は彼を実の弟のように慈しんだ。
    彼が義父に出生の秘密を告げられたのは、彼が四歳になった時であった。
    野崎氏は春代にも諭すように彼の身分を明かした。
    彼女は説明を受けている最中、奇妙に青ざめた面持ちで彼の事を見つめていた。
    きっと彼女を見返す彼の顔も、同じ様に青ざめていただろうと思う。
    それからの彼は彼女と机を並べる事も無くなり、必要な知識を身に付け、時には野崎氏に師事した。
    彼女は彼の様子をいつも遠巻きに眺めていたが、決して彼と目を合わせようとはしなくなった。
    その瞳には次第に怨念のような光が宿り、口さがないメイド達はそれを恋だと噂し合った。
    春代もまた、野崎氏の本当の子供では無かったからである。
    彼には彼女の気持ちが到底理解出来なかったが、その恨みがましいような視線の理由に合点がいったような気がした。
    「春代さん、私が目的を成し遂げたなら、必ず貴女を迎えに行きます。」
    彼がそう告げると、彼女は両手で顔を覆って泣いた。
    彼は、彼女から恨まれていようと愛されていようと、どちらでも構わなかった。

    港から車へ乗せられ、山深い悪路を進む。
    ガタガタと揺れる車内には、運転手と私の他には将校服の青年が一人あるだけであった。
    伏見高次郎と名乗った青年は座席にもたれる様にして姿勢悪く腰掛け、軍帽を目深に被って私と向かい合っていた。
    時折口元をニヤニヤと歪めてはそれを誤魔化すように軍帽の庇を押さえる。
    彼の目線の先には私の足しか無いだろうに、彼にはそれが面白いらしい。
    やがて悪路も尽き、人里離れた山中で私達は降ろされた。
    「遠いの?」
    遠ざかる車の音を聞きながら、私は彼に尋ねた。
    よく見れば木々の間に踏み固められた地面があり、そこが道として機能している事が分かった。
    村への道程を目で辿っていると、背中から高次郎の忍び笑いが聞こえた。
    「坊っちゃんが男の子で本当に良かった。」
    ザリ、と軍靴が地面を削る音がして、私の影に重なるように大きな人影が地面に落ちる。
    背後を振り仰げば、軍帽の下から三日月のように細められた双眸がこちらを見下ろしていた。
    背の高い男だ、と思った。6尺近くは有るだろうか。
    「ここで叫んでも誰にも聞こえやしませんし、何が起きても見咎める者はいませんよ。」
    高次郎の大きな手が頭上に翳され、探るような視線が注がれる。
    その手が首に掛かろうとした所で、私は片手を上げて彼を制した。
    「待て、高次郎。私は女が好きだ。」
    そう告げた瞬間、高次郎の動きがピタリと止まった。
    逆光の中で見開かれた目が数度瞬くと、彼は仰け反るようにして大声で笑い出した。
    枝葉に遮られた頭上を黒い烏の群れが慌ただしく飛び立つ。
    「坊っちゃん、違うんです、アハハハ。俺だって女が好きだ。」
    高次郎は笑い過ぎて苦しいのか、息も絶え絶えにそう答えると、腹を抱えてまた笑った。
    そうしてようやく息を整えると、「年下に限りますがね。」と付け加えた。

    試されたのだろうと思った。
    この男は仕えるべき主を欲してるのだ。
    地に足がついていない故の刹那的な行動は、彼の不安を容易に想像させた。
    私の脳裏を、遠い異国に住む女の姿が掠める。
    私は春代に彼女の望む言葉を吐いた。
    ならばこの男にも、主人として振る舞ってやるべきだろう。
    「置いて行くぞ、高次郎。」
    「アハハ、坊っちゃん道知らないでしょー。」
    「そうだな。」
    構わずに歩き続けると、すぐに追いついた高次郎が横並びになり歩調を合わせた。
    先導する気は無いらしい。
    「格好悪いんですが、俺、坊っちゃんの他にもう一人脅しを掛けた奴がいるんですよ。」
    「そいつも坊っちゃんと同じ位に切れるガキでね。
     まあそいつの場合、別の意味でも切れてるんですけど。」
    「学術書一つで村中を走り回って喜ぶような奴でね、無邪気というか邪悪というか。」
    「坊っちゃん髪とか目の色とか珍しいんで、くれぐれも抉られない様にして下さいね。」
    よく喋る男だ。
    途中聞こえた物騒な言葉に、僅かに高次郎の顔へと視線を上げる。
    だが高次郎は楽しげに前を向いているだけだった。
    「高島家当主の博さんって方です。確か坊っちゃんと同じ7歳ですよ。」
    足元の小枝を踏み折った音が、やけにはっきりと耳に響いた。


    俺には小さい頃に生き別れた妹がありましてね。
    あいつの事は別れ際にわんわん泣いていた事位しか思い出せませんが、それ以来、同じ年格好の少女を見るとつい目で追ってしまっていけません。
    春代は長い黒髪が自慢の、黒いドレスの似合う色の白い少女でした。
    俺が父に連れられ初めて哥欲村を訪れた時、村の入口近くの古井戸で髪の長い和服の少女を見かけた気がしました。
    俺が気になって井戸を覗き込むと、井戸の底に居た少女と目が合いました。
    陶器の様な白い肌をした、大きな目をした美しい少女でした。
    彼女からふと花の香りがしたような気がして、俺は更に頭を垂れました。
    すると、それまで彼女の顔の影に隠れていた、少女のぱっくりと割れた喉元が見えました。
    ―あんまり綺麗だから、誰かに取られてしまったんでしょうか。
    何故だかそんな風に思いました。
    俺が彼女に手を伸ばそうとした瞬間、父に襟首を掴まれて後ろに引き倒されました。
    どうやら俺は、井戸に落ちかかっていた様でした。
    俺は着物の土埃を払いながら、父に「ここに少女がいなかった?」と聞きました。
    変声期を迎えた自分の声が、その日に限って酷く耳障りでした。
    翌朝、そっと覗き込んだ井戸の中には、深い暗闇と陽の光を疎らに白く反射する岩肌が有るのみでした。
    『羽山鳥信三』-1934

    ―――これより、奉納の私刑を行います。
    奉納の首を■■■■■、■■■■■■貢納致します。
    それでは納堂致します。
    (以下、呻き声や水音、金属音。)

    「やはり映らなかったか。」
    この音声は犬神家に伝わる儀式を密かに撮影させたものである。
    「修三の奴がトチっちまったんですかね。」
    高次郎は回収した機材を弄り別段不具合が無い事を確認すると、再び8mmフィルムの再生を始めた。
    白い土壁に黒一色を投映しながら映写機は再生を繰り返す。
    『…これより、奉納の私刑を………。』
    「あ、ちょっと待って下さい。音量上げていいです?」
    高次郎は私の返事も待たず、フィルムを巻き戻すと呻き声の部分を何度か再生した。
    「……聞こえませんか。細くて小さいけど、ほら。」
    「……。」
    映写機のパタパタという機械音と、録画の音声。
    私には何度聞いても高次郎の言う異音は聞き取れなかった。
    「何が聞こえる。」
    「女の声、ですかね。」
    「……お前には、確か犬神の血が流れているんだったな。」
    高次郎は乾いた笑いを漏らすと、手桶を持って立ち上がった。
    儀式の最中に倒れ未だ臥せっている修三の看病をするためである。
    私達は犬神家が代替わりしてから、犬神本家へ研究の拠点を移していた。
    ふと本棚の横を見れば、床に散らかった本の隙間を縫うようにして、薄布に包まった博が死んだように眠っていた。
    映写機の淡い光に照らされる幼い横顔を見て、こんな子供が、と思う。
    博はここに来てからというもの、食事も取らずに膨大な蔵書を読み続けた。
    事興味が有る分野に関しては特異な集中力を発揮する彼だが、全ての書物を片付けてさすがに疲れが出たらしい。
    私は博が選り分けてくれた本の中の一冊を手に取ると、もう一度読み返す事にした。


    高島博は私の友人にして、高島家の当主である。
    彼は十年前に相次いで家族を亡くし、4歳で家督を継いだという。
    当時入村したばかりであった高次郎が聞いた話では、彼の家族は全員が家の中で不審死を遂げたらしく、病気を疑った村人達が高島家を厳重に封鎖したらしい。
    幼い博は隣家の川島家が後見人として引き受けたが、その川島家でさえ「旧高島家」の件については一様に口が重かった。
    『博さん、あんたがお父さん達を殺したの?』
    『違うよ、あれは敗血症を起こしたんだ。』
    博は高次郎の問いかけに、平然とこう答えたという。
    博が高次郎に伸ばした手の爪は赤黒く汚れ、袖口からは青苺の香りがしたという。
    青苺とは、哥欲の儀式等で使われる神聖な花である。
    顕微鏡も無いこんな辺鄙な村にあって、博は如何にしてその神聖性の正体を暴こうとしていたのだろうか。
    高次郎はそんな博を面白がり、微生物学や疫学の学術書を持ち込んでは彼に与えた。
    私が入村してからは密かに実験道具も運ばせ、私が身を寄せる伏見家で共に哥欲神の研究に励んだ。
    彼は高島家に伝わる古文書を私に説き、私は海外から取り寄せた学術書の読み方を彼に教えた。
    哥欲村の始祖であるとされる彼の家には、現在の形になる前の哥欲神に関する記述が多く残されていた。
    かつてこの村では神と人とが共に暮らしていたという神話めいた伝承である。
    現代科学とは相容れない呪術の話も、かつての家でアグリッパやパラケルススの錬金術書に触れる機会が有った私にとっては馴染み深い物だった。
    「スピロヘータ(螺旋)じゃない、有鞭毛だ。」
    博が光学顕微鏡のレンズを調整しながら、試料処理を施した青苺を覗く。
    グラム陰性、嫌気性、共生窒素固定菌。
    哥欲村特有の細菌について幾つかの特徴は掴めたが、やはり既存の細菌では無いらしい。
    私は博の所見に合せて学術書の頁を捲り、該当する項目を潰していった。
    気が付けば明かり取りの窓からは西日が差し込み、すっかり使い物にならなくなった顕微鏡から顔を上げた博がこちらを見つめていた。
    夕焼けで赤く染まった彼の顔は、半分が影となり墨を流したように暗い。
    「この細菌が遺伝子突然変異を引き起こす?」
    『違うよ、あれは敗血症を起こしたんだ。』
    博の言葉が、高次郎から聞いていた彼の台詞と重なる。
    どんな変異かと尋ねれば、博は照れ臭そうに小さく笑った。
    「例えば、アポトーシスによる細菌誘導は多くの人にとって毒性でも、特定の潜在遺伝子を持つ人間にとっては進化を促す触媒となり得るんじゃないかと思うんだ。
     私はこの古細菌の病原性にはいくつかの段階が有ると思っていて、それが哥欲神の生成に大きく関わっていると思うんだ。
     例えば、一段回目では細菌が生体内の硫化水素の爆発的な増加を促して、硫化ヘモグロビンが増殖する事で血液が緑色になって死に至るんだけど、その次はね……。」
    博の声が徐々に弾む。
    成程、旧高島家が封鎖された訳である。
    「それでね、その遺伝子平衡が保たれている要因の一つに村の掟が関係していて………。」


    ギシギシと廊下の軋む足音に、はっと現実に引き戻される。
    微かな水音を伴ったそれは、襖の横を通り過ぎ奥の寝室へと消えて行った。
    高次郎が井戸の水汲みから戻ったらしい。
    映写機は相変わらず規則的な機械音と共に土壁を淡く照らしていた。
    やがてその音も止み、書斎に静寂が訪れる。
    ふいに存在感を増した蝋燭の明かりに、あの日完全に日が落ちてからも喋り続けていた博の言葉が思い出された。
    「我々は呪術と共にあり、進化は病と共に訪れる、か。」
    手元の本に目を落とす。
    薬草の知識、農耕の知恵、病の症例……この村では科学を呪術と呼び扱って来た。
    そしてその知識の多くは、山神から授けられた物であると言う。
    (「貢納」という言葉が神との契約を意味するならば、犬神の呪術は哥欲神から恩貸された力という事になる。)
    『奉納の私刑』とは、神の哥を挿げ替える事で全て意思を呪いに変える犬神の秘術だ。
    哥を奪われた神の怒りは術者の望む矛先へと向かい、祟を下した神は再び眠りに就くという。
    (現代に呼び戻された山神、か。)
    村人の血を引く博にも、高次郎が聞いたのと同じ「声」が聞こえるのだろうか?
    もう大分夜も遅い。
    やがて空が白み始める。
    伏見子爵が父の崩御の報と共に村を訪れる日もそう遠くは無いだろう。
    彼らを欺くための潜伏を終え、新街改革計画に打って出る時が来たのだ。

    ◇◇
    「お前が殺したのは本家のジジイだろうが。」
    額を打つ軽い衝撃音と共に、頭を冷やしていた布が頬へずり落ちる。
    冷えた額にじんわりと熱が戻り、頬に温くなった布の感触が伝わる。
    蝋燭の火が明滅するようにぼやけた視界の中で、見えずともその声の主があの子である事が分かった。
    あの子はいつも犬神の家の事を本家と呼ぶのだ。
    安心と共に再び眠りに落ちようとした俺の意識を、凛とした少女のような声が引き戻した。
    「修三、話せるか。」
    羽山鳥信三様である。
    慌てて居住まいを正そうと天井を向いた視界に影が落ち、幼さを残す掌が額に添えられた。
    その掌の冷たさはまるで瘴気を払うかの様に、たちまち俺の頭にかかっていた霧を晴らした。
    (そうか、俺は儀式をやり遂げたのだ。)
    祖父を殺して見た夢がいつかの幻覚と重なり、おかしな寝言を言ったのに違いなかった。
    (……随分昔の夢を見ていた気がする。)
    唐突に、どこかでガシャンと重たい物が倒れる様な音がした。
    続いて何度か壁を蹴飛ばすような音が響く。
    頭上であの子の舌打ちが聞こえ、げんなりした様子で寝室を出て行った。
    俺は横目でその背を見送りながら、高島博が書斎に居る事に思い至った。
    高島は一人になるといつも癇癪を起こし、物を壊して遊ぶのだ。
    遠くにあの子の罵声を聞きながら、「今度は次郎も連れてこようか。」と信三様が独り言のように呟いた。
    田中次郎は高島がやけに懐いている古畑家の鉱夫である。
    特に彼が井戸の点検や採掘から戻った後は、土埃に塗れた服に顔を埋めるように纏わりついて離れないのだ。

    俺は朦朧とする頭をどうにか動かし、やっとの事で喉から声を絞り出した。
    「……哥欲神の、真実を。」
    信三様の手が引き、青い瞳が静かにこちらを見下ろした。
    その深い青は神を封じる原石の色そのものに見えた。
    俺は自分の正気も気にせず記憶のままに、儀式の最中にこの身に起こった事を語った。
    全てを告げ終わり信三様が頷いたのを確認すると、俺は再び深い眠りへと落ちて行った。
    『この地獄の様な世界に終止符を。』
    どこか悲しげな少女の声を聞いた気がした。
    ◇◇
    『羽山鳥信三』-1938

    私達の元へ再び伏見子爵からの使者が送られて来たのは、新街改革ホテルの完成も間近に迫った頃の事であった。
    私と高次郎に面会を求めたのは、意外にも懐かしい顔であった。
    「父は信三様が羽嶋家へお戻りになられる事を心から望んでおります。
     またその時には、兄の処遇についても改めると申しております。」
    「春代さん、以前子爵にも申し上げましたが、私は羽嶋信三ではありません。
     この高次郎とて、最早伏見とは何の関わりも無い者です。」
    野崎春代、幼少期を共に過ごした彼女は昔と変わらぬ燃えるような瞳で私を正面から見つめ、美しく微笑んだ。
    「いいえ、貴方は確かに信三様です。私、ちゃんと覚えておりますもの。」
    後ろに控えていた高次郎が一歩進み出て「処分しましょうか」と耳打ちする。
    彼にしてみれば、先に手が出なかっただけ紳士的な対応だったのだろう。
    私は高次郎を制し、彼女に答えた。
    「私だって、貴女を忘れた事は一度もありませんでしたよ。」

    「……本当に信じられません。
     いくら利用価値が有るからって、あんなババア俺なら死んでも御免です。」
    彼女との面会を終えた私に高次郎が軽蔑の視線を送る。
    こいつは人の不貞を詰るような殊勝な男であっただろうか。
    「お前より年下じゃないか。」
    「でも信三様より5歳も年上じゃないですか!」
    高次郎はそれからもあらん限りの文句を私にぶつけたが、やがて不満の種も尽きたのか、げんなりとした様子で聞いてきた。
    「……親父は生かしておくんですか。」
    「子爵は春代の逃げ道を潰すために必要な駒だ。」
    一瞬酷く微妙な表情をした彼に「お前は自らの意思で私を選んだ。」と言うと、高次郎は苦虫を噛み潰したような顔を此方に向けるのだった。

    やがて新街改革ホテルが完成し、私は山野家に婿入りした事で山野重蔵を名乗った。
    百合とは幼少の頃からの許嫁であり、私達は村に居た時から既に夫婦関係に有った。
    婚姻が遅れたのは、私達が日本で定められた年齢に達していなかったからである。
    それからすぐに双子の女児が生まれたが、間もなく長女が急変し、医師はその死亡を私達に告げた。
    百合は次女を抱きながら悲しそうに目を伏せ、長女の亡骸をそっと撫でて涙を流した。
    「代々、山野家の長女は神様の元へ呼ばれると言います。
     私の姉もそうであったと聞かされていました。
     この子だけでも助かってくれてた事に感謝しますわ。」

    長女の出生が偽られていた事を、この時の百合はまだ知らない。

    「春代さん、聞いてくださいな。
     私、先日女の子を出産致しましたの。
     村にいた頃より連れ添った夫ともようやく入籍する事が出来ました。」
    「……そうなの。よかったわね!オメデトウ!」
    「ありがとう。
     幸せな家庭をき―――」

    ◇◇◇
    曖昧、実に曖昧だよ、人と神との境目は。
    遺伝子の配列が少し違っただけで人は欠陥品となる。
    犬神修三は染色体構造異常による性分化疾患により、本来持つはずのない遺伝子を持って生まれた。
    それは副官機能不全という形で表れ、彼の成長を阻害し続けた。
    哥欲一族の女のみに受け継がれるその遺伝子を何と呼ぼうか?
    その遺伝子はある条件下において先祖返りを引き起こすものである。
    彼の祖父は、呪われて生まれた孫の身体を、哥欲神の墓標とされる神聖な古井戸の水で清めた。
    その井戸水には、青苺の根圏に生息するものと同じ古細菌が分布していたのである。
    その影響下に有りながら汚染を免れていた犬神修三という個体は、私が最も必要とする被験者であった。
    彼の生体は大いに役に立ったよ。
    その細胞は、女児の喉から生まれては件のように一声鳴いて息絶えるばかりであった哥欲神の延命を恒久的に可能としたのだ。
    もう少し、もう少しで私の目的は達成される。
    これを哥欲の遺伝子を持たない者に伝搬させる事が出来れば……。
    私は研究を繰り返し、自らを実験台とした。
    人の身を捨て呪いとなった私は、病棟で信三様の姿を奪い彼に成り代わったのだ。

    「博、私はこの醜い世界をやり直そうと言うのだよ。哥欲神には、時を遡る性質が有る。」
    友人のかつての言葉が思い出される。
    私は彼との約束を果たす為、彼の御影を大きな箱の中に隠した。
    いずれ再開するその時まで、その肉体が朽ちてしまわない様に祈りを込めて。
    彼が目覚めてしまわない様に眼底を抉った。
    その青い目は、心臓病の影響で既に視力を失っており、私が彼と同じ景色を眺める事は叶わなかった。
    彼の両足を切断した。
    例え神が過去への穴を穿っても、そこから抜け出せないように。
    新街神社に祀られている箱の中には、羽山鳥信三様の御影等有りはしなかったのだ。
    あの箱の中に有ったのは、封印された神の記憶と、信三様に成り代わった皇族の末裔が身に着けていた仮面だけである。
    私の名前は中島博、かつて日本の中央を島とした者。

    信三様は神として生まれたが、彼は最後まで人であった。
    私は人として生まれたが、私に流れる神々の血は、私が人である事を許さなかった。

    私は人である彼の意志を継ぐために呪いとなり、再び祟りを起こす機会を、ずっとずっと待っていたのだ。
    ◇◇◇

    中島博のカルテ(一部抜粋)

     羽山鳥信三 ワサントシンゾウサマ
    異型狭心症による眼底出血
    /新街改革病棟で伏見高次郎を庇って顔を奪われる
    娘の死体と共に新街改革ホテル地下に封印される

     伏見高次郎 フシミコウジロウ
    高次脳機能障害
    遺伝性クロイツフェルト・ヤコブ病の疑い有り
    /狂犬病のような症状が続いた後、廃人となる。

     犬神修三 イヌガミシュウゾウ
    染色体構造異常・性分化疾患による副官機能不全
    多包虫症による意識障害(幼少期に古井戸から感染したものか)
    遺伝性クロイツフェルト・ヤコブ病の疑い有り
    /一族の呪いを一身に受ける
    やがて呪いに取り込まれ、従兄弟である伏見高次郎を食らった 

     弥生奈々子 ヤヨイナナコ
    /二度目の儀式で青苺から抽出した幻覚剤を過剰投与される
    儀式に際し育ての母である野崎春代の首が奉納された


    「高次郎がこの写真を村に持ち込んだ時から全ては始まったんだ。」
    中島は持っていたバインダーを伏せると、胸ポケットから一枚の家族写真を取り出した。
    それはかなり古い物であったが、ごく普通の家族写真の様に見えた。
    父、母、それに娘が二人だろうか。
    「君の世代だと知らないのも無理は無い。本の七十年前までは、日本中が彼らの事を現人神と崇めたものだ。でも、そんなものは結局……。」
    中島はそう言ったきり、口元に笑みを形作って押し黙った。
    隆士には、この男を保護しよう等という考えはとうに失せていた。
    この男はただの妄想癖のある患者では無い。
    何か催眠術の様な物を使って人を惑わす異形に違いないのだ。
    でなければ、話を聞いただけであれ程リアルな追体験をする事等有るものか。
    (……娘の元へ戻らねば。
     そして、後の事は全て警察に任せよう。)
    隆士はそう決心すると元来た方向へ踵を返し、目の前の壁と左右を見回した。
    「この催眠術を解いてくれ。」
    そう言って振り返った隆士の目の前には、古ぼけた鏡が静かにこちらを見返しているだけであった。

    「山野先生、遅いので心配しましたよ。」
    私が病棟を出ると、車の前に立っていた白衣の老人が煙草の火を踏み消して駆け寄って来た。
    その顔には経年の皺が刻まれていたが、私はその顔立ちに覚えが有った。
    「……狭間いさく、先生?」
    狭間は怪訝そうに眉を寄せて立ち止まると、心配そうに私の顔を覗き込んで来た。
    (そうだ、この顔は狭間いさく、いさく先生だ。)
    私は笑いそうになるのを堪えながら、神妙な面持ちを作った。
    「問題ありません。ただ、ここの看護師に話を聞いていただけですよ。」
    「山野先生、ここは廃墟ですよ。」
    「中島博。」
    聞き覚えはありませんか。
    そう問いかけると、狭間の顔からは見る間に血の気が引いていった。
    良かった、覚えていてくれて。
    「彼は先生に頼まれていたカルテをようやく書き終えたそうですよ。」
    「中島博のカルテ、そうか、あれは……あの患者は、まだ……。」
    狭間が私の横を通り過ぎ、フラフラと病棟へ入っていく。
    彼は良い。
    近親交配は潜性遺伝の可能性が高まるが、そんなもの山野の女には関係無いのだ。
    ヤマノケは必ず二人の女を残す。
    車の方に目をやると、ドアの奥からこちらの様子を窺っている長い髪の少女と目が合った。
    あれは長女だろうか。それとも次女か。
    その怯えた表情に胸をときめかせながら、私は後部座席の暗い色をした車窓を叩いた。

    葦の茂った泉から、今日も少女の歌が聞こえる。

    ■後書き
    『哥欲祟』は、何も知らない主人公のウタノが祖母の代の因果に報いる話です。
    もしくは、シズネがその出生の秘密から、呪われた運命に巻き込まれて行く話です。
    きっとそれは、彼女達の生まれる前から続いて来た事だったと思います。

    (ここから先は捏造の解釈ではありますが)
    羽嶋陛下がその身分を持たなければ、息子を殺めようとはしなかったでしょう。
    伏見子爵がその任を負っていなければ、子供を利用しようとはしなかったでしょう。
    彼等もまた被害者だ、等と言うつもりは有りません。
    悪は最後まで悪で良いのです。
    生まれた時から、生まれる前から悪である事が決まっていた。
    それが彼等の宿命です。
    彼等がもし、最期に人として死ぬ事を選んだならば、大切な者を守る事も有ったでしょう。
    彼等が最期まで人には過ぎたる荷を負おうとしたならば、人である自分を殺してでも責任を果たそうとした事でしょう。
    どんな結末にせよ、そこに至るまでの努力や時間は、宿命に囚われない彼等自身の物です。

    当小説は、伏見・犬神・羽山鳥・中島の四人を主人公に据え、其々に同じ話を話しもらってからパート分けをするという謎の手法で構成しました。
    当初は他にも数人にパートが割り振られ、内容も世界が巻き戻り静音神に至るまでの大変賑やかなものでしたが、私の実力ではとてもそれらを纏める事が出来ませんでした。
    カットした多くのシーンは、いつかまた哥欲祟の二次創作ででも。
    その時もまたお付き合い頂けましたら幸いです。

    ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
    大変お疲れさまでした。
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