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    em7978

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    リコリスと初恋 アラベスクジムの控え室では二人の青年が同時に溜め息を吐いていた。一人はガラルのトップジムリーダーとしてそのハンサムな顔立ち共に名高いキバナだ。今年で十六になる彼は確かな実力でその地位を勝ち取った。チャンピオンダンデのライバルである。
     隣に並ぶのは彼より一つ下のジムを守るスパイクジムのリーダー、ネズだ。彼はミュージシャンでもあり、本人の自己評価の低さとは反対に両方の分野でファンを獲得している。
     肌の色もバトルのスタイルも全てが対照的な二人だが、今日ばかりは意気投合していた。バレンタインデー。リボンやハート、甘いお菓子の香りが町中から漂ってくる日だ。例年通りならキバナはファンとの交流会で忙しい一日であったろうし、ネズはライブでファンサービスに勤しんでいただろう。当然ファンからのプレゼントは山積みで、その仕分けはいつもキバナも含めてスタッフ総出だった。開けて良いもの、駄目なものを分類して、メッセージカードには全てキバナ自身が目を通す。裏方なんて地味なものだ。ネズはキバナよりいくつか年上の先輩で、隣町に住んではいるけれど、気難しい性格をしているせいもあってそうした会話をしたことはあまりなかった。けれど、どこもきっと同じようなものだとキバナは思っていた。大変だけどファンからの応援は嬉しいし頑張れる。山積みの菓子達がキバナの口に入ることは無いし、ファンと選手という関係以上の好意に応えることは出来ないけれど、この仕事を選んだからには毎年この日を精一杯のファンへの笑顔で迎えるのだと思っていた。ネズもきっと似たようなものだろう。
     だが今年は違った。誰だかよく分からない人物の生誕何百周年とかでアラベスクへ召喚され、ハートや小花なんかの可愛いモチーフと、甘ったるいお菓子と、フェアリーで飾り立てられたジムで記念バトルをすることになった。アラベスクジムのリーダー、ポプラとだ。相手は超が付くほどの大ベテランでフェアリー使い、ドラゴン使いのキバナにとっては氷使いのメロンに次いで苦手な相手だ。人間性だけならメロンよりも厄介である。
     そしてそこに召喚されたもう一人の生け贄がネズだった。彼はフェアリーを苦手とする悪タイプの使い手。要は公開処刑である。「なんて悪趣味な」確かネズはこの企画書をローズタワーでローズ氏から受け取った際にそう言った。確かに悪趣味だ。ガラルのトーナメントを賑わすイケメンジムリーダートップ2を華々しく散らせる、もとい、嬲り殺しにしようというのだから悪趣味と言う他ない。
    「何も負けろとは言っていませんよ。勝てば良いんです」
     その言い方にカチンときたのはネズも同じだったようだ。ああいいですよ、やってやりますよ。勝ちゃいいんでしょ。ねえキバナ。急にそう振り返られて、キバナはとっさに「ああ、そうだ」と答えてしまった。売り言葉に買い言葉。こうなることをローズはちゃんと分かっていたのだ。
     結果は言うまでも無く、二人は控え室でガックリと項垂れていた。コートの上で受けたピンクの洗礼の余波がまだ残っている。二人して派手に散ったというのに、観客席からは賞賛の嵐だった。「膝から崩れ落ちるネズさん素敵ー!」「負けて悔しがるキバナ様最高よ!」なんて声が遠慮無く飛んでくるものだから、まるで毒攻撃でも食らったかのようにじわじわとHPを削られながらコートを後にした。控え室に戻ってから暫く立つというのに、二人ともユニフォームすら着替えず、時折水を飲む以外の動作を出来ずにいる。
    「そう言えば、スパイク以外で過ごすバレンタインなんて久しぶりです」
     先に口を開いたのはネズの方だ。ペットボトルのキャップを捻り、一口二口と飲んでまたキャップを閉める。キバナはその間、彼の白い喉仏が上下するのを何となく眺めていた。
    「オレも。ジムリーダーになってからはファンのための日みたいなものだったから」
    「へえ、案外真面目だね」
    「ネズだって同じようなもんだろ」
    「いいえ。たまにミニライブをやることもありますけど……夜は必ず家に帰って家族と過ごします」
    「そうなの?」
    「ええ。ケーキを焼いて、プレゼントを交換して。クリスマスの方が忙しいからこっちが本番みたいなもんですね」
    「そうなんだ……」
     普段はロックな衣装を身に纏い、メイクを決めて格好良くヒールを鳴らす彼が、部屋着に着替えてケーキを焼いている様を想像した。確か彼には年の離れた妹がいたはずだ。彼女のために部屋を飾り、甘いお菓子をテーブルいっぱいに並べて、リボンで巻いた包み紙を渡す。中にはフワフワのポシェットか手袋なんかが入っていたりして、小さな彼のプリンセスは綻んだように微笑むのだろう。彼がそんなバレンタインを毎年過ごしている裏で、自分はファン達から笑顔でプレゼントを受け取り、裏に回った後はメッセージカードを抜き取る作業に従事する。プレゼントの中を見ることはほぼ無い。スタッフが上手く処分してくれているので、市販品のものだけは誰かの胃袋に入っているのが救いだ。公平性のために気紛れに一つを摘まんで食べることも無い。誰も見ていなくても気持ちの問題だ。そうして過ごしてきた日々が、なぜだか急に寂しいことのように思われた。
    「オレ、こっちへ出てきてから、バレンタインを好きな人と過ごしたことねえな……」
     つい口にしてしまってから、同情を引くような子どもっぽい言い方だったことに気付き、キバナは慌てて「今のナシ!」と首を振った。ネズはキツネにつままれたような顔でキバナを見てくるので、居たたまれないことこの上ない。
    「違うんだって、今のは――」
    「毎年お仕事をきっちり頑張ってるきみにはコレをあげましょう」
     ネズがバッグから何かを漁り目の前へ突き出してきたので、キバナは反射的にそれを受け取った。ビニールに包まれた真っ黒な丸いお菓子が三つ。バレンタインを甘く彩るチョコレートではまず見かけない、毒々しい黒色だ。
    「これって……」
    「食べたことありません? 丸いのをね、こうやって紐みたいにちょっとずつ引っ張ってちびちびやるんです。これがまたマズイのなんのって」
    「いやマズイって自分で言ってんじゃねえかよ」
     ネズに渡されたのは悪名高いリコリス味のグミだ。小さい頃、祖母に美味しいからと渡されて吐いたことがある。それ以来何となく倦厭してしまって一度も口にしていないが、はたして……と、キバナは一つの封を開け、端をちぎってそろりと口にしてみた。塩辛いのに甘く、鼻から抜ける独特なハーブの香りに顔が歪む。それを見てネズがぎゃははと下品に笑った。いつもクールな彼のそんな顔を見るのは初めてで、キバナは何とかそれを咀嚼して飲み込んだ。すると後味にすうっと爽やかな甘みが残り、ハーブの香りと相俟って何だか美味かったような気さえしてくる。もう一かけ、とちぎったグミを口へ放り込んだ。不思議と、今度は最初ほどマズイとは思わなかった。
    「ね、意外といけるでしょ」
     ネズがイタズラっぽく笑う。先輩で、刺々しく、近寄りがたい空気を全身に纏っていた普段の彼がウソのように、今日の彼はちょっと年上の気安いお兄さんのようであった。まだ先ほど受けたピンクの影響が残っているからなのかも知れない。だってそうではないとおかしいのだ。ネズが笑うと辺りが急に花やいで見えるのも、胸がキュウと痛むのも、なんだか頬が熱いような気がするのも全部、ピンクのオーラのせいだからだとキバナは自分に言い聞かせた。きっとそうに違いない。
     リコリスのグミをもう一口囓ってみる。コイツばかりはピンクみたいに甘ったるくなくて、やけに現実的で塩っぱい、けれども爽やかな甘みでキバナの無駄な努力をせせら笑うのだった。
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