マツバウンラン 雨上がり、色濃くなったアスファルトの上を光祐と二人、歩く。家から離れれば、景色も見覚えのないものになっていく。けれども、斜め前を歩く光祐は、一切迷いのない足取り。学校見学に行ったとは言っていたけれど、その一度ですっかり覚えたのだろうか。
ふと、光祐が振り返る。ずいぶん鋭くなった猫目。その瞳孔が光を浴びて縮む。どうしたのと問えば、いや、と言いつつある一点を見つめる。その先を辿ると、自分の靴に至る。
靴紐が解けていた。一言断ってしゃがみ込み、紐を結ぶ。もう一度謝らなくちゃ、と顔を上げた先、薄紫の花々が目に入った。向こうでも見かけた野花。小さな花を、垂直にいくつもつけたその植物が、道の横に広がる空き地にぽんぽんと生えていた。
「懐かしい……」
「何が?」
指差すと、ああ、と光祐は納得したように足を踏み入れる。ぬかるんだ土に、大きな足跡がつく。あの頃から、随分大きくなっていた。
「確かにな」
彼にも見た覚えがあるらしい。いつ見たんだろう、と光祐の顔を見上げる。てっきり花を見ていると思っていたが、目が合った。
「どうしたの?」
「……別に」
不思議に思ったが、頷いて立ち上がる。もう一度だけ、ささやかな花畑を振り返る。その風景に、僕は既視感を覚えて脳に問いかける。
「早くしないと日が暮れるぞ」
思い出せないまま意識を引き戻された。慌てて、変わらず先を行く光祐に続いた。
僕の意識は周りの町並みに移った。これから通う高校への道、今から覚えておかなくてはならない。一際大きな家、コンビニ、町工場……目印になりそうな建物を反すうする。
そうしていると、いきなり肩を掴まれた。その腕の先で、光祐は呆れたように眉を上げていた。
「永久、とわってば、聞こえてないな?」
「ごめん……景色見てて」
「必死にならなくたって、通ってりゃそのうち覚えるよ」
「それにどれくらいかかるか……」
僕は、どうにも地図を読むのが苦手だった。新しい場所を訪れるたび、必死だった。言葉が分からないからなおさら。見て覚えるしかなかった。
そう返すと、光祐は僕の肩を叩く。
「大丈夫だって、一緒に通えば良いじゃんか」
僕が答える間もなく、光祐は背を向け、歩く速度を上げてどんどん前に行ってしまう。置いていかれたらと焦った僕は、小走りで追いかける。
結果、走らなくても追いつくことが出来た。段々と速度を落とす。その広い背中にまた既視感を抱いた。ただ、今度はハッキリとしていた。
『いっしょにかえればだいじょーぶ!』
光祐はあの時もそう言って、何を思ったのか急に走り出したのだ。同じ言葉に同じ反応。今日、戻ってきて初めて会ったわけでもないのに、光祐なんだなあ、といまさらに実感する。
身長が伸びて背中が広くなっても、目付きや口調が鋭くなっても、根っこは同じなんだ。
そう思うと肩から力が抜ける。そこでやっと、全身に力が入っていたのだと意識が向いた。少し上がった息を、深呼吸して落ち着かせる。
変わっていないものを見つけた僕は、ようやく息をつけたような気がした。