類とオレは恋人だ。
いや、正確に言うと恋人“だった”。
あの日を境にオレたちは、恋人ではなくなって…。…いや、今でもオレは恋人だと思っている。オレが、類を忘れない限り。
ある日突然、伝染病に感染した類が吸血鬼になってしまった。何を言っているかさっぱり分からんと思うが、実際オレも、よく分かっていない。分かっているのは、目の前の類が血を求め、苦しんでいること。古い言い伝えから見られる真紅の瞳、そして鋭い歯。類が、吸血鬼になってしまったということだけが、今オレにわかっていることだ。
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協会のドアを、強く叩く音で目が覚めた。時刻はよく覚えていないが、空は暗くまだ真夜中だった。月や星は出ておらず、飲み込まれそうな、真っ暗な夜だった。
突然の訪問に、誰かと思ってドアを開けた。類が、…オレの恋人が、肩を弾ませてドアの前に立っていた。
「珍しいな?こんな時間に…どうした、…ッ!」
ゆらりと体が揺れたと思った瞬間、噛みつかれそうになった。オレは身の危険を感じ、咄嗟に類の腹部を強く蹴り飛ばした。
気を失っている類をズルズルと協会の書庫、地下室へと運び込む。書物で見た通りの姿になっている愛しい恋人を、鎖へと繋ぐ。
「……類」
呼び掛けても返事は無い。意識はもう無いのだろうが、類はオレの元へとやってきた。街から悲鳴は聞こえなかったので、誰も襲うことなくここまでやって来たんだろう。喰らいたい、その本能を押さえつけながら。
「……よく頑張った、…頑張ったな、類」
本当は、ここでオレが、…神父のオレが、祓うべきなのだ。しかし、オレは出来なかった。類が、類の形をした「なにか」になろうとも、オレには、類を手放すことなんて…。
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類が訪ねてきて数日経った。類は、夜になると血を求めて街へと繰り出そうとする。本能のまま人を殺し、その血を貪ろうと。しかし、類を繋ぐ鎖はそれを許さない。
紅茶を淹れていると、ガシャン、ガシャンと類が抗う音が地下室から聞こえてくる。耳を塞ぎたくなるような音だ。塞ぎたくなる気持ちを必死に抑えながら、オレは聖書に目を落とす。
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類は、衰弱しきっていた。
しかし、もし自分が医者に頼んで「血を分けてくれ」なんて言うと、類を、異型を匿っていることが町中にバレてしまう。そうしたら、類は確実に殺されてしまう。
だが、自分の…神父の血液なんて吸血鬼に与えた暁には、きっと類は…死んでしまう。
悶々とした日々が続いた。
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少女がやって来た。父親が作業中に亡くなってしまったので、祈りを捧げて欲しいのだと言う。オレは役目を全うすべく、彼女の家へと向かった。
「ありがとうございます、神父さま」
「いえ、これがオレの役目ですから。…ご冥福をお祈りします」
挨拶を済ませ、家を出ようとした瞬間、遺体が目に入る。血、…血。死んでいる人間の血なら、神はお許しになるだろうか。
……。
よそう。類も、こんな形で生きながらえるなんて、望んでいないはずだ。
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「ゔ、ゔあ、…ああああッ!」
こうして目の前で見ると、すごい迫力だ。大粒の汗が額からこぼれ落ちる。
「…類、お前はどうしたい。オレは、…オレは、お前が人を殺めるなんて、だめだ、と、思う」
「うゔう、ッ……ぐああッ!!!」
「る、い。最後の、望みに……掛けていいか。おまえが、おまえ、ッお前に、もう少しだけ、…生きて欲しい。オレは、お前を…っ!捨てきれない…」
叫ぶように、応えるように。もう何も聞こえなくなっているであろう類に、呼びかける。
「……オレを、この身体を、捧げよう。神よ、……お許しください」
鎖を外し、目を瞑った。途端、鋭い痛みが肩を刺す。
「…ッゔ、ん……類、うまいか。すまないな、ろくに食事も、…ッさせて、やれなくて…」
恋人の頭を撫でたのは、何日ぶりだろう。最後がこんな形になるなんて、思ってもいなかった。
「は、…類、類…愛して、いる。お前を……ッ愛して…」
「つかさ、…くん、…」
「!?」
「あ、…あ、僕、は」
「ッ類!?意識が戻ったのか!?」
顔を上げて確認する。目の前の類には、もう鋭い牙も、赤い瞳もない。普通の、いつもの類だ。
「司くんのにおいがしてね…ほら、前君が口内炎になった時、キスをしたろう?あの時の、……血の、あ、…」
ふらり、と類が傾く。咄嗟に支えるも、類の身体はつめたくなってきていた。
「類…?類、なあ、嘘だろう。戻ったんじゃないのか、ッ……類、類…っ!!」
ごふ、と彼は血を吐いた。
うでの中で、ひとりの男が、自身の恋人が、いきたえていく。幾人もの死した人間に祈りを捧げてきたこの身でも、その重さには耐えられず、オレは床に崩れ落ちた。
「…ああ、類。…オレも、連れて行ってくれ。類………」
真紅の海に沈む、紫と黄。
重なり合ったその手指には、ふたりが一緒に選んだリングが確りと嵌められていた。