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    みゃみゃ

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    みゃみゃ

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    アイドルパロの若トマ
    アイドル綾人×神里家で一緒に暮らしてる一般人トーマの若トマ

    綾人に恋してるけど気持ちを隠そうとするトーマの話/アイドル要素薄め/少し切なめですがあまあまハピエンです!

    陽だまりに輝く一等星 遠いステージの上で瞬く淡い青の光に目を細める。
     滑らかに歌を紡いでゆく澄んだ低い声に鼓膜を擽られて。
     眩しい光を浴びながら踊る姿には目を奪われ、観客に向けて柔らかく微笑むその優しい表情には心を掴まれて。
     そうして彼への愛しさが胸の奥から込み上げてくるたび、目尻が熱くなって仕方がなかった。
    「……あやとさん」
     唇から零れ出た声は周りの歓声に掻き消されてしまって、熱した空気に混じって溶けてゆく。
     きっと彼にオレの声など届いていないのだろう。
     寧ろ届かない方が良かったから、オレは落胆することもなく唇をそっと閉ざした。
     彼はステージの上で輝くアイドルで、オレはそこから離れた観客席にいるただの一般人。
     オレにとって彼はあまりにも遠い存在で、そんな彼にオレのことに気付いてもらおうだなんて、ほんの少しも思わなかった。
     ただ彼を応援出来るのなら。好きでいることが許されるのなら、それだけで良かった。
     なのに、どうしてだろう。
     彼の目にオレの姿が映っている事はないはずなのに、オレが彼の名前を呼んだ瞬間、淡藤の瞳がこっちを向いて、優しく微笑みかけてきたような気がしてしまって。
     別にオレだけに向けて笑った訳じゃないとは分かっていた。
     けれど、それでも遠くにいる彼に声が伝わったようで嬉しくて、気付かないうちに口元が緩んでしまっていた。
     じわじわと熱くなる頬をそっと手で抑えて、夢の世界の中心で輝く淡い青色の光を見つめ続ける。
     柔い髪を揺らして嫋やかに服の裾を靡かせている彼はとても綺麗で、格好良くて、楽しそうに笑っているその表情にずっと目が釘付けになっていた。
     少しずつ終わりを迎える曲の合間に、ファンサービスのウィンクをするのを忘れないところも狡くて堪らなくて、最後まで彼から目が離せないまま曲がゆっくりと静かになってゆく。
     黄色い歓声に混じって、ステージの上にいる全員が手を振りながら挨拶をする。
     それを合図に人目を気にせずに彼のことを好きでいられる夢の時間は終わりを告げて、オレはステージから去っていく彼に手を振りながらも微かに息を吐いた。
     唇から溢れた吐息は少し湿っていて、それに気付かない振りをして腕時計に目を遣る。
     オレが着けるには勿体ないくらい凝った装飾のお洒落なそれは贈り主である彼の好みが滲んでいて、腕時計にすら好きな人の面影を感じてしまう自分に苦笑を溢しながらも、時計の針に帰るよう急かされて会場の出口へ足を進める。
     早く家に帰って料理を並べないと。
     幸いなことにここから家までは距離がそう遠くはないから早くに帰れるだろうけど、一秒でも家に帰らなきゃという気持ちが強くて、ライブ後の余韻に浸かる暇もなく足早に帰路へついた。
     何せ家で待たせている人がいるし、それにオレが帰った後にももう一人お腹を空かせて帰ってくる人がいるのだ。
     その人たちに空腹を長く感じさせたくはないし、料理を振る舞うのはオレの仕事なのだからその役目はしっかりこなさないといけない。
     ステージに立つ彼のことを考えながらのんびり帰りたい気持ちもあるけれど、家で待っている人のことを考えたらそうも言ってられなくて、電車を乗り継ぎ人の間を通って急ぎ足で家へと帰った。
    「綾華さん、ただいま!」
     玄関を勢いよく開けて靴を脱ぎ、大慌てでキッチンへ向かう。
     リビングには既に仕事を終えて帰っていた綾華さんの姿があり、髪を緩く靡かせながら振り向いた綾華さんが目尻を垂らして微笑んだ。
    「トーマ、おかえりなさい。いつものことですが、そんなに慌てずにゆっくりお兄様のことを見てきて良かったのですよ?」
    「それだと綾華さんがお腹を空かせることになっちゃうだろ? それに綾人さんのことは十分見てきたから大丈夫だよ」
     優しい声で小さく笑う綾華さんに向けて、眉を僅かに垂らしながら笑い返す。
     綾人さんのことは勿論、綾華さんだってオレにとっては大事な人なのだから、いくら綾華さんに気を遣ってもらってもオレは頑なに首を振っていた。
     そんなオレに綾華さんもまたいつものように「そうですか」と言って微笑むと、仕事のためか側にあった紙の束を手に取った。
     黙々と紙に書かれた文字を読む姿に兄妹揃って大変だなあと感じてしまって、思わず苦笑が溢れる。
     二人とも人前に出る仕事をしているから、何かと苦労も多いし大変なことばかりなのだろう。
     だからこそ神里家の家政を任されているオレとしては二人が家にいる間くらいは心穏やかに過ごしてほしくて、自分のことよりも家事を優先させたかった。
    「すぐにご飯出すから、少し待っててくれるかい」
     冷蔵庫から材料を出しながら綾華さんに向けて声を掛けると、綾華さんは律儀に振り返って「はい」と小さく頷いた。
     夕食を振る舞うのが遅れてしまうことに申し訳無さを感じつつ、早く料理を済ませてしまおうと気持ちを切り替えて台所に立つ。
     家に出る前に作れるものは作っておいたし、そんなに時間をかけずに夕食を出せるだろう。
     だけど仕事帰りで疲れてるであろう綾華さんをいつまでも待たせたくないから、なるべく早く手を動かして夕食の準備を進めた。
     棚から食器を三つずつ出して、作ったばかりの温かい料理を盛り付ける。
     きっと彼もそう遅くならないうちに帰ってくるだろうから、綾華さんとオレの分と一緒に用意してもいいだろう。
     そうして他にもお椀をそれぞれ三つずつ用意して、後片付けするよりも先に盛り付け終わった料理を綾華さんの前へ持っていった。
    「待たせてごめん。はい、どうぞ」
     軽い音を立てて食器を置くと、綾華さんは目を眩く輝かせながら「ありがとうございます」と朗らかに笑った。
    「それではお先にいただきますね」
    「うん。オレは後片付けしてからそっちに行くよ」
     綾人さんとオレの分も並べてから台所に戻ると、綾華さんは丁寧に手を揃えて「いただきます」と言ってから箸を持った。
     箸を食器が撫でる軽い音が聞こえる。それを耳にしながらも水を流して炊飯器や鍋を洗おうとすると、不意に綾華さんが「そういえば、」と声を出した。
    「うん? どうかしたかい」
     綾華さんは食べている料理をしっかり味わいたいからと、あまり食事中に声を出すことがない人だ。
     だからこうして綾華さんが声を出したことに驚きを感じつつ、水を止めて洗い物を中断してから首を傾げてみせると、綾華さんがゆったりとその顔に柔い笑みを浮かべた。
    「今日のお兄様はどうでしたか? ぜひ、ライブの感想をお聞きしたいです」
     にっこりと笑う綾華さんを見て、オレは笑った表情のまま身体の動きを止めた。若干頬が引き攣りかけた気がしなくもなかった。
     そういえば、そうだ。
     いつもは食事中に話すことがない綾華さんだけど、オレがライブを見てきた日はこうして食事をしている最中でも感想を聞きたがるんだった。
     思わず額に手を遣りながら、綾華さん相手に話すことへの羞恥心に眉を下げる。
     ライブの感想を話したくない訳ではないけど、何せオレが応援している人、というか……好きな人が綾華さんの兄というのもあって、正直綾華さんに話すことはとてつもなく恥ずかしかった。
     ただ、まあ、綾華さんにはオレが彼を好きなことはとうの昔に知られてしまっているし、知られた上で応援してもらっているから今更恥ずかしがることはないんだけど。
     それでも羞恥心が未だに沸き起こってしまって、小さく息を吐いて気を紛らわせながらも綾華さんの方へ向き直した。
    「あ〜っと、その……綾人さんはかっこよくて……新曲の披露があったんだけど、歌も踊りもとても綺麗ですごく良かったよ」
     言ってから、恥ずかしさに唇を弱く噛む。
     眩い世界で服を靡かせて踊り、澄んだ低い声で滑らかに歌いながらもしっかりと観客に笑い掛けてみせるあの姿は、何度思い返してもとても綺麗で、焦がれてしまって。
    「ふふっ。トーマ、ほっぺが緩んでいますよ?」
    「えっ! そうかい? あははっ、恥ずかしいなあ……」
     綾華さんに指摘されて思わず頬に触れると、綾華さんは肩を微かに震わせながら小さく笑ってくるものだから、オレは恥ずかしさやらなんやらで眉を垂らして項垂れた。
     頬に触れた手が熱いような気がしたのも余計にオレの羞恥を煽ってきて、ますます顔が火照っていく。
     綾人さんのことを考えて自分でも気付かないうちに顔が緩んでいたなんて。しかもそれを綾華さんに見られたことが恥ずかしくて視線を逸していると、楽しそうに笑っていた綾華さんがそうっと口を開いた。
    「本当にトーマはお兄様のことがお好きなんですね。次のライブも、また行かれるのでしょう?」
     その言葉に、目を開いて息を呑む。
     綾人さんのことが好きだから彼のことを見に行きたいし、純粋に彼を応援したいからライブには行きたい。
     だから次のライブもチケットが当たれば行こうとは思っているけれど、次に行くライブを機にオレはきっと。
     きっと、彼のことを。
    「……うん、行くよ」
     頭に浮かんだ思いを今の間は考えないように首を振り、笑みを浮かべて返事をする。
     口から溢れた声はどこか湿っぽかったけれど、綾華さんにはそのことに気付かれずに済んでそっと胸を撫で下ろした。
     周りに目を配って人のことをよく見ているからか、綾華さんは聡いところがあるお方だ。
     だからオレの気持ちに気付かれてしまいそうだったけれど、綾華さんとは少し離れた位置で話していたお陰か綾華さんは何かに気付いた様子もなく、楽しそうに笑っているだけだった。
     その笑顔を眺めながらオレも釣られて口角を緩く上げると、離れたところから扉が開く軋んだ音が耳に届いた。
    「あら、おかえりになられたみたいですね。ふふっ、トーマ、お出迎えに行ってあげてください」
    「綾華さんってば……分かったよ」
     水で濡れた手をタオルで拭きながら、朗らかに笑う綾華さんの温かな眼差しを受けて玄関の方へと足を進める。
     オレの気持ちを知っていて、応援までしてくれている綾華さんの言葉は、オレと綾人さんを二人きりにさせたがるようなものが多い。
     そのことに嬉しいような、ちょっと気恥ずかしいような気持ちを感じてしまって、胸が擽られるような感覚を覚えながらもオレの足はしっかりと綾人さんを出迎えに行っていた。
     玄関に通じる廊下に足を一歩踏み出せば、鼻に馴染んだ柔らかくも澄んだ香りに心臓が甘く高鳴る。
    「……綾人さん」
     ステージの上と観客席という遠い位置ではなく、すぐ近くにいる彼の名前を、今度は彼に届くように呼ぶ。
     そうしたら彼は淡い青の髪を緩く揺らしながらもこちらを向いて、眼鏡越しに淡藤の瞳に優しい熱を滲ませた。
    「ただいま、トーマ」
    「おかえりなさい、綾人さん」
     アイドルとしてではなく、肩の力を抜き「神里綾人」として自然体で過ごす彼の姿に、胸の奥に仕舞った柔い気持ちを擽られて頬が緩む。
     澄んだ淡藤の瞳も、伸びた淡い髪も。
     柔く目尻を垂らした穏やかな表情も、オレを呼ぶ優しい低い声も、どれもこれもが愛しくて、堪らなく大好きで。
     綾人さんを見つめて温かくなってゆく胸に目をそっと細めながら、「ああ、好きだなあ」と小さな吐息を溢して、淡い想いを空気に溶かし込んだ。





     神里とは別の姓を持つオレが神里家に住まうようになったのは、何年も、十数年も前のことになる。
     幼い頃に親を亡くしたオレのことを助けてくれたのが神里家の人たちで、ここの人たちは皆オレのことを暖かく迎えて、優しく接してくれた。
     オレを引き取ってくれた神里家のご両親もそうだし、綾人さんも綾華さんも見ず知らずのオレとよく話をしてくれて、年が離れていないのもあって二人とはすっかり気心の知れた仲になっていた。
     一応拾われた立場ではあるし、神里家にはいくら尽くしても返しきれないほどの恩があるから二人のことはさん付けで呼んではいるものの、オレが彼らによそよそしく接するということはなかった。
     綾人さんも綾華さんもオレのことを家族のように思ってくれて、他人行儀に接してほしくないのだと二人に言われてからは、使用人としてではなく家族の一員として二人に接するようになった。
     そういった経緯もあって、年下で妹のように思っている綾華さんには敬語を使わずに話をしているけれど、綾人さんはオレよりも何個か年上な分、どうしても敬語が抜けなかった。
     そのことを何度も綾人さんに「可愛いね」なんて言葉で揶揄われて笑われたりしているけれど、綾人さんに対して敬語を使うことに身体が慣れてしまったのかいつになっても敬語は抜けず、結局揶揄われることは諦めてオレは綾人さんには敬語を使い続けていた。
     まあ、なにはともあれ綾人さんや綾華さんと一緒に仲良く過ごしながらも、オレはしっかりと自分に任された家政の仕事をこなして神里家に恩返しをしながらも過ごしていた。
     ちなみに、綾人さんも綾華さんが兄妹揃って芸能活動をしているという話は昔から何度も聞いていた。
     実際にテレビで活動している姿を見たこともあったけれど、オレはあくまでも二人のことは「神里綾人」と「神里綾華」というただの人間として、仲が良い友人として接していた。
     それだというのに。
     これからも変わらない関係でいようと思っていたのに、気が付いたらオレは綾人さんのことをアイドルとして応援するようにもなっていた。
     今でこそ綾人さんのことはステージで輝くアイドルとしても、眩い世界から下りた神里綾人という一般人としても応援しているけれど、前までのオレは綾人さんのライブに行くつもりも、アイドルとして応援するつもりもなかった。
     彼をアイドルとして応援しようと考えると、何となく漠然と怖くなってしまったのだ。
     少しでも綾人さんのことをアイドルとして見てしまったら、彼のことをどこにでもいる普通の人間として見れなくなってしまうのでは、と。
     彼を純粋に慕ってきた気持ちが揺れて、一緒に暮らしている綾人さんとアイドルをしている綾人さんを混同してしまうことが嫌で。
     だから綾人さんのライブに行くことなんてするつもりも考えることもしなかったのに、綾華さんはそんなオレの手を引いて、宝石のようにキラキラと輝く夢の世界に連れて行ってくれたのだ。
     あの日のことは今でもよく覚えている。何せ初めてアイドルをしている綾人さんのことを見た日なのだから。
     黄色い歓声と眩いスポットライトが、ライブに来たんだと実感させてきて。
     そしてステージに立つ彼を見て、息が止まってしまいそうになった。
     夜空に星が瞬くように、暗い世界の中心で色付いた光を浴びる彼は輝いていて、どこからどう見てもアイドルそのものであった。
     澄んだ低い声で歌いながらもステージの上で軽やかに髪を揺らして微笑み、頬を伝う汗すらもスポットライトに照らされて眩しくて、とても、とても綺麗で。
     煌めく衣装を靡かせてステージの上で踊る綾人さんから目を離さないまま、オレは息を呑んで青く輝く星を目で追いかけていた。
     そうしてステージの上の眩い世界を見つめてどれくらい経ったのだろう。
     瞬きをするのも惜しいほどに綾人さんのことを見つめ続けて、ずっと見ていたくて、観客席に向けて微笑む綾人さんの笑みが、ああ、どうしようもなく愛しくて。
     結局のところ、蓋を開けて見ればオレの不安や杞憂は全て無意味で不必要なものだった。
     だってオレは普段生活を一緒にしている綾人さんのことも、観客に向けて歌を届ける綾人さんのことも、どんな綾人さんのことも好きだったのだから。
     きっと綾華さんは聡いから、オレのそうした気持ちを分かって綾人さんのライブに連れて行ってくれたのかもしれない。
     まあこうしたことがあって、初めて見に行ったライブを機にオレはアイドルの綾人さんを応援することに躊躇が無くなり、今ではライブがある度に会場に足を運んで綾人さんのことを応援するようにまでなった。
     ちなみにこのことは結構早い段階で綾華さん経由で本人に知られてしまった。
     オレがライブに行くようになったことを聞いて、綾人さんは最初こそ驚いていたけれどすぐに優しく笑いながら「私のことをちゃんと応援するんだよ?」だなんて言ってくれた。
     勿論オレはその言葉にしっかりと頷いてあれからずっと綾人さんのことを応援し続けているし、綾人さんのライブに連れて行ってくれた綾華さんにはずっと感謝している。
     綾華さんはオレが綾人さんを好きなことに気付いていて、綾人さんを応援したい気持ちも、恋い慕う気持ちも知った上で、オレを綾人さんのライブに連れてオレの背中を押してくれたのだ。
     正直、この想いは誰にも言わないつもりだった。
     胸の奥に隠して、封をして仕舞い込んで。一生胸の外側に吐露するつもりなどなかったのに、なのに人の感情に機敏な綾華さんはオレの想いに気付いてしまった。
     その上綾華さんはオレのことを応援するだなんて笑顔で宣言してきたものだから、もはや嬉しさよりも驚きの方が勝って思いきり叫んでしまったこともあった。
     まさか綾華さんに応援してもらえるだなんて少しも考えていなくて、必死に「そこまでしなくてもいい」とは言ったものの、綾華さんは笑顔で両手に拳を作りながら「私にお任せください!」と言って聞いてはくれなかった。
     そうして綾人さんへの恋心にバレた日から、綾華さんは少しでもオレが綾人さんと距離を縮められるようにと、さりげなく席を外してオレと綾人さんを二人きりにしてくれるようになった。
     それ以外にも妹の綾華さんだからこそ知っている兄としての綾人さんの話を教えてくれたり、綾人さんのどこが好きなのかといった恋の話を聞いてもらったりと、とにかく綾華さんには色んなことで助けてもらっていた。
     ずっとオレを見守って応援してくれた綾華さんは、声を弾ませながら「お兄様とトーマは結ばれると信じていますから」と言ってくれたこともあった。
     綾人さんによく似た優しい表情を浮かべて、純粋な好意でオレを応援してくれる綾華さんの言葉はとても眩しくて、温かくて、今までどれだけその温もりに救われてきたのだろう。
     ……だけど。
     これだけ応援してくれている綾華さんを裏切るようで辛いけれど、オレは綾人さんに好きだと伝えるつもりはなかった。
     いくら一緒に住んでいて付き合いが長いからと言っても、綾人さんは遠い存在でオレでは不釣り合いだから。
     それに、綾人さんにこの想いを伝えて、打ち明けて、親しい友人という関係にヒビを入れたくなどなかった。
     少しでも綾人さんに嫌悪を向けられたら、今までよりも距離を取られてしまったらと想像するだけで胸が苦しく締め付けられて、痛くて堪らなくて。
     気持ちを伝えることで友人という関係が揺らいでしまうようなら、オレはずっと想いを隠し通したまま、綾人さんと綾華さんの友人でいる道を歩みたかった。
     それだけ二人のことは大事で、傍にいられるだけで幸せだったから。
     オレはどれだけ綾人さんを好きだと感じても、綾華さんに背中を押されても、その二文字を口から溢すことはしなかった。
     好きだと言いかけたこと自体は何度もあった。
     綾人さんが優しく目尻を垂らしてオレの名前を呼ぶたびに、胸の奥から愛しさが込み上げてどうしようもなく好きだと感じてしまって。
     溢れる想いに押されて「好きです」と口を開こうとして、それからゆっくりと唇を閉ざしては言いたかった言葉を幾度となく飲み込んできた。
     そうして微塵も想いを滲ませないように笑ってみせて、淡い恋心を後ろ手に隠し、友人として彼の傍にいようと自分の心に誓ったのだ。
     綾人さんに想いを告げることもせず、この恋は墓まで持って行くと決めていた。
     だから綾華さんの思いにはどうしても応えられないことが申し訳なくて、オレは優しい彼女に向けて、心の中で小さく謝った。





     ライブの準備があるからと先に家を出た綾人さんを見送り、オレも忘れ物がないよう荷物の準備を念入りに行っていると綾華さんがオレの横にひょこっと顔を出してきた。
    「トーマ、忘れ物はしてませんか?」
    「あははっ、大丈夫だよ」
     僅かに心配の色を滲ませた声で話してきた綾華さんに頷いてみせて、笑みを浮かべる。
     もう何度も綾人さんのライブには行っているから、準備だって手慣れたものになってしまった。
     念の為綾華さんに言われて準備をした手荷物を一瞥し、必要なものが全部入っているのを確認してから「忘れ物はないよ」とまた綾華さんに笑ってみせた。
     オレの返事に綾華さんは満足気に微笑むと、嫋やかに一つに結った髪を揺らし、頬を緩めて楽しそうな笑い声を出した。
    「今日もお兄様のことを応援してあげてくださいね」
     柔らかく笑いながらそう話す綾華さんに、息を一つ呑み込む。
     今日のライブのことを考えると胸が切なく締め付けられてしまって、その苦しさに唇から微かに吐息が溢れ落ちる。
     温い空気に頬を撫でられながら、微笑みを浮かべる綾華さんを見つめる。
     ゆっくりと息を吸い込んで、綾華さんに本当のことを話そうか逡巡して。
    「……うん、綾人さんを一番に応援するよ」
     返事をしながらも頷いてみせて、小さな笑いをそっと漏らす。
     きっと綾華さんには話した方が良いということは分かっていた。
     ちゃんと本当のことを言おうと、そう思って口を開いたのに、どうしてか唇が震えてしまって話したかった言葉は空気に溶けてしまった。
     胸の内にある思いを話したら綾華さんを困らせてしまうかもしれないと思うと、心に迷いが生まれて本当のことを話す勇気が出なかった。
     それに綾華さんに話すことでオレの決意が鈍って揺らいでしまうことが不安で、決心を弱らせるほどに未練がましく彼を想ってしまう自分に苦笑してしまいそうになる。
     何度も想いを摘み取ろうとして、いつも後少しのところで摘もうとする手が震えて、結局摘み取れずに彼のことを想ってしまっていた。
     それくらい呆れてしまうほどに彼が好きで、好きだからこそ、オレは決心を鈍らせるようなことをしたくなかった。
     自分勝手なことだと理解していた。
     綾華さんに怒られるのも、悲しませてしまうのも全部分かっていて、オレは笑顔を取り繕って綾華さんに笑い返した。
     話したかったことは喉の奥へと追いやって、唾と一緒に呑み込み、胸の奥へと仕舞い込んでしまって。
     結局オレは背中を押してくれる綾華さんに何も言わないまま荷物の準備を終えた。
     __綾人さんのライブに行くのを、今日でおしまいにするのだと言わずに。
     じわじわと沸き起こる罪悪感で胸が苦しくなりながらも、オレは笑顔で見送ってくれた綾華さんに手を振って家を離れ、ライブがある会場まで向かった。
     ライブの会場は行き慣れた場所で、受付の時間に遅れることもなく会場に着いた。
     少しだけ騒がしくなる心臓を抑え込んで、チケットを片手に会場に入ってライブが始まるのを待つ。
     ライブが始まる前は楽しみで胸が高鳴って、心が忙しなく落ち着かなくなってしまうというのに、今日だけは少しだけ、ほんのちょっとだけライブが始まってほしくないなあと思ってしまった。
     今日のライブが終わってしまったら、もう綾人さんのことを応援して、堂々と彼のことを好きだと言えることもなくなってしまうから。
     綾人さんのことを応援しに来た思いは間違いなく本物なのに、ライブが始まって欲しくないとも思ってしまうのがあまりにもちぐはぐで、矛盾した気持ちに湿った息を吐く。
     そうして胸が忙しくなく鳴って落ち着かない感情を何度も反芻しているうちに、暗い会場の中心でライトを浴びながらも六人の男性がステージに立った。
     それぞれ違った衣装を身に纏うその人たちの中から、嫋やかに揺れる淡い青の髪を見つけて息を静かに呑み込む。
     彼がステージの上を優雅に歩くたびに黒い服の裾が風に靡いてゆく。
     観客席に向けて柔らかく微笑む綾人さんは、スポットライトに照らされているせいか輝いて見えて、とても眩しかった。
     ファンに見せる優しい笑み。
     マイクを通して会場に響く澄んだ低い声。
     曲に合わせて綺麗に踊る姿。
     どれもこれも眩しくて、胸が高鳴るというのに、どうしてだかオレはアイドルの彼と普段の彼を見比べてしまって。
     そして見比べてみて違いを見つけるたびに、やっぱりオレはアイドルをしている彼じゃなく、普段の彼が、綾人さんが好きなのだと感じてしまっていた。
     普段は眼鏡をかけていて、その姿が眼鏡をかけていないアイドルの姿よりも少し大人びてかっこよく見えるところだとか。
     優しく観客に笑うその表情が実は時々意地悪な表情になって、人を揶揄ったり悪戯をして口角を緩く上げながらも楽しそうに笑うところだとか。
     大きな会場にいる大勢の観客ではなく、オレだけをその淡藤の瞳に映しながら優しい声で「トーマ」と言って柔く微笑むところが、ああ、本当にどうしようもなく好きで仕方がなかった。
     手を伸ばしても届かない星のような遠い存在ではなく、手を伸ばせば触れられるほどに近くにいる綾人さんの、その温もりが愛しくて。
     普段の彼を一層好きだと感じるたびに彼への想いが止まらず、必死に胸の奥に仕舞っていた想いが隠せなくなりそうだったから。
     だからこれ以上彼のことを好きだと感じないように、ライブには来ないと決心したのだ。
     彼と今まで通り友人でいるためにはこの想いは隠し通さなきゃいけない。
     今日を最後に綾人さんのライブには行かずに、好きだという言葉は一生伝えることもせず、胸に抱いた恋い慕う気持ちを隠して。
     そうして綾人さんの友人として傍にいようと決めたけど、だけど今だけは自分の想いに素直になりたかった。
     切なく高鳴る胸に弱く息を吐きながら、弾んだ歌声と黄色い歓声が響く中心で輝く光を見つめる。
     誰も彼もが夢中になっているステージの上で、柔く微笑みながら観客席に向けて手を伸ばす彼の姿に、唇が微かに震えた。
    「……すきです、」
     ゆっくりと唇を開いて、ずっと彼に向けて伝えたかった想いを口から溢す。
     ステージの上にいる彼には届かないのだと知っていても、彼を想う気持ちを言葉に出せるだけでも幸せで、心が軽くなるような胸が空く思いに頬がじわりと熱くなる。
     ライブの間だけは好きだと言っても歓声に紛れて誰にも気付かれないし、咎められることもなく堂々と彼を好きでいられるから、オレにとってライブはまさしく夢のような時間だった。
     ほんの少しの間だけ、誰の目も気にせずに彼を好きでいられる幸せな時間。
     それはまるで儚くも優しい魔法のようなもので、オレは魔法が解けてしまう前に、もう一度だけ唇を動かした。
    「好きです、綾人さん」
     熱く湿った吐息が空気に溶けて、歓声に掻き消されてゆく。
     遠いステージの上で笑みを浮かべながらも歌う彼は、視界が滲んでしまうほど眩しかった。





     それからオレは、出来るだけ綾人さんと会わないように彼のことを避け続けた。
     前まではいつも綾人さんのことを見送ったり出迎えたりしていたけれど、それもせずに綾人さんとはなるべく二人きりにならないようにした。
     ただ会話に関しては綾華さんを交えて話したりはしているけど、それでも二人きりになることが減った分、前よりもあまり話さなくなったような気がする。
     それが悲しくない訳ではないし、オレも本心では綾人さんと一緒にいたいし話したいと思ってはいた。
     だけどそうやって綾人さんの傍に長く居たら胸に抱えている想いが溢れてしまいそうで、これ以上綾人さんを好きになるのが怖かった。
     だからこの想いが隠せるほどに落ち着くまでは、綾人さんのことは避けるつもりでいた。
     このことはちゃんと綾華さんに話した。
     今までオレを応援してくれていた綾華さんは、オレがこれ以上綾人さんを好きになりたくないのだと話した時、とても悲しそうな顔を浮かべた。
     その表情がとても痛々しく辛そうで、綾華さんにそんな表情をさせてしまったことが何よりも辛かった。
    「……どうか、思い直してはくれませんか?」
     ゆっくりと息を吸い込んで、綾華さんが微かに震えた声を溢す。
     淡い色の瞳が縋るようにこちらを見つめるのに、その期待に応えられないことが悲しくて、唇を弱く噛みながら首を緩く振った。
    「ごめん、綾華さん。……オレじゃ綾人さんに釣り合わないし、友達として傍にいたいから」
     何度も自分の心に言い聞かせてきた言葉を口にして、僅かに湿った吐息を溢す。
     オレでは釣り合わない。
     このまま友人でありたい。
     そうやって言い訳のように自分の気持ちを抑え込むたびに胸が苦しくなるのを、いつものように気付かない振りをして首を小さく横に揺らす。
    「……ごめん、」
     痛みを伴った悲しさを、吐息混じりに唇から溢す。
     本当は綾華さんがさっき言った言葉に頷いて、この考えを思い直したかった。
     思い直して、綾人さんへの想いを募らせて大事に抱えて。
     そしていつかは綾人さんにこの想いを伝えて、結ばれたいと、心のどこかでは思ってしまっていた。
     綾人さんに恋をした時から、この恋が叶わないことは分かっていた。
     綾人さんにとってオレは友人であり、彼がオレと同じ気持ちを抱いてくれているだなんて、そんなことはないと夢を見ることはしていなかった。
     だけど。
     だれど、だめだった。
     どうしてもあの声に呼ばれたら、胸の奥に仕舞っていた淡い想いが甘くときめいてしまって。
     綾人さんに柔らかい声で名前を呼ばれると胸がじわじわと温かくなって、彼に優しく触れられて愛されたいと、そう願ってしまっていた。
     過ぎた願いを抱くつもりなんて本当はなかった。分不相応な願いを持ってはいけないと思っていたのだから。
     ただ綾人さんの傍に居られるだけで、彼の笑顔をすぐ近くで見つめて、彼に名前を呼んでもらえるだけで幸せだったから、これ以上の幸せは願っては駄目だと感じていた。
     願っちゃ、だめなはずだった。
     なのにこの恋心は欲深くも綾人さんの愛を求めてしまって、報われるはずも、叶うはずもないのに、彼に愛されたいと願う自分はとても浅ましく、惨めでならなかった。
    「……トーマの気持ちは分かりました」
     自己嫌悪に苛まれそうになっていた頭に、凛と張った声が届く。
     先程まで悲しそうな表情を浮かべていた綾華さんは「ですが、」と言いながらも唇をきゅっと噛んで眉を上げ、強い意思が込められた瞳でオレを見つめた。
    「トーマがそう思っていたとしても、私はお兄様とトーマが結ばれると信じていますから」
     なのでどうかお兄様を想う気持ちは捨てずに、大事にしてください、と。
     そう話す穏やかでいて気高く澄んだ声に、目尻の辺りがゆっくりと熱くなってゆく。
     そうだ。いつだってそうだった。
     綾華さんはオレの想いをオレ以上に大切にして、優しく寄り添ってくれて。
     何度も叶わないと思ってきたこの恋を応援してくれた綾華さんには、数えきれないほど救われてきた。
     それは今だってそうで、オレと綾人さんが結ばれると笑顔で信じてくれる綾華さんは、ステージの上で輝く綾人さんに負けないくらい眩しくて、オレは緩んだ涙腺を誤魔化すように目を細めて笑った。
    「うん。……ありがとう、綾華さん」
     頷いて返事をしてみせれば、綾華さんは安心したように胸を撫で下ろしながら柔らかく微笑んだ。
     その優しい笑みを見つめていると、どうして今までこのことを早く打ち明けられなかったのだろうと思ってしまった。
     最後にしようと決めたライブのあの日。
     綾人さんをこれ以上好きにならないようにしようと決めた日。
     言おうと思えばいつだって言えたはずなのに、結局今まで本当のことを話せなかったオレに、それでも綾華さんは優しく寄り添ってくれた。
     その温かな優しさに擽ったい気持ちを覚えながら、今日は綾華さんの好きな料理を作ろうと決めて、熱い吐息と一緒に小さな笑みを溢した。





     それから綾華さんと話をした後も想いが収まる様子は見えなくて、オレは何日も綾人さんを避ける生活を続けていた。
     綾人さんも口にはしないだけで時折訝しむような目でオレを見てくるから、きっとオレが綾人さんから距離を取っていることには気付かれているんだろう。
     ただ、だからといって避けるのを止めようとは思えなかった。
     綾人さんを想う気持ちが落ち着くまではなるべく二人きりにならないようにしていないと、何かの拍子で口から想いが溢れてしまいそうだった。
     だから出迎えることも見送りもせずに、綾人さんと会う時は必死に自分の気持ちを押さえつけて、何でもない風を装っていた。
     そうやって綾人さんを避けながら過ごして、綾人さんもオレに何か言うこともなかったから、油断していたのかもしれない。
     綾人さんや綾華さんと夕食を楽しんだ後、お風呂にも入り終えてそれぞれ自分の部屋で寛ぐ時間になった頃。
     いつもだったらそのまま二人に会うこともなく、戸締まりの確認をして寝てしまうのが常だけれど、今日はいつもと違って誰かが部屋をノックしてきた。
     誰が来たのかは扉を隔てているから分かりようはなかったけれど、綾華さんが何か話したくて訪ねて来たのかもしれないと思っていたところに扉の向こうから声が聞こえた。
    「トーマ、起きてるかい」
     聞こえてきた低い声音に、心臓が大きく跳ねて肩が震える。
     その穏やかな低い声は、オレを優しく呼ぶ声は、間違いなくオレが今避けている綾人さんのものだった。
     まさか綾人さんが訪ねてくるとは思ってもいなくて、耳のすぐ近くで大きな脈の音を聞きながらも息を呑んで扉へ向かう。
     流石に部屋にやってきた綾人さんを無視することはとてもではないけど出来なかった。
     扉の前に立って息を吸い、ドアノブに手を掛けてゆっくりと慎重に捻ると、間を隔てていた壁は呆気なく無くなってしまった。
    「……ぁ、っ」
     開かれた扉の前で静かに立っていた綾人さんを見て、息を飲み込む。
     綾人さんは眼鏡越しに淡藤の瞳でこちらを見つめると、目尻を緩く垂らしながら柔らかく微笑んできて、その笑う仕草を見ただけで胸が甘く高鳴った。
     こんなにも近くで綾人さんを見たのなんて久しぶりで、綾人さんに会えた喜びで嬉しく感じて頬が熱くなる。
     けれどもそれと同時に今まで彼を避けていたせいか、無意識に綾人さんから離れなくてはと気が急いて思わず後退りをすると、離れようとしたオレの腕をすかさず綾人さんが掴んできた。
     すらりと伸びる靭やかな指が、まるで離さないと言うように強い力で腕を捕らえる。
     強い力とはいえ痛みを感じるほどではなかったけれど、それでも腕を掴まれたことで身動きが出来なかった。
     何秒と待っても綾人さんの手は離れず、いつまでも離れない指先の感覚に困惑と僅かな羞恥を感じながらも恐る恐る顔を上げて、目が丸くなる。
     視界に映る綾人さんは悲痛が滲んだ表情を浮かべながら、唇をきゅっと噛んで眉を顰めていた。
     その表情は怒っていると言うよりも、何かに耐えるような、苦しんでいるような顔に見えてしまって、胸が忙しなくざわついて掠れた息が口から溢れる。
     普段見ることのない辛そうな表情が心配で「綾人さん?」と声を掛けると、綾人さんはオレの腕を掴む力を緩やかに弱めて、それから辛そうな表情のままそっと微かな吐息を溢した。
    「……私から逃げないで、トーマ」
     切なげに掠れた声が空気に溶けてゆく。
     綾人さんは弱々しく撫でるようにオレの肌に触れて、淡藤の瞳を揺らしながら「逃げないでくれ」と請うようにその言葉を口にした。
    「逃げません、逃げませんから……そんな顔をなさらないでください」
     後ろにずらしていた足を前に戻し、髪が乱れるのも構わずに首を何度も振って答える。
     綾華さんの時もそうだったけれど、オレは二人には悲しい顔よりも嬉しそうに笑う顔を浮かべていて欲しくて、辛そうに顔を顰める綾人さんに優しく声を掛けると綾人さんは唇を僅かに震わせて吐息を零した。
    「本当に? ……最近、ずっと私を避けていただろう」
     悲しそうな声で言われた言葉に、息が止まりそうになる。
     肩が強張って喉の奥が詰まる感覚に、手をぎゅっと強く握って浅く息を吐く。
     やっぱり気付かれていた。
     そりゃあ、あれだけ普段傍に駆け寄っていたというのにいきなり距離を取ったのだから、気付かれても仕方のないことだろう。
     だけど直接綾人さんの口から言われると罪悪感や申し訳無さが込み上げてきて、綾人さんの声に怒気などが一切なく、悲しみを帯びていることも余計にオレの胸を苦しくさせた。
    「……すみません。いきなり避けられるなんて、気分が良くなかったですよね」
     言ってから、もう一度「すみません」と謝って視線をそっと下ろす。
     心の整理が出来ずに避けるという手段を取ったばかりに、綾人さんを悲しませてしまったことが心に暗い影を落として肩が重くなる。
     温い空気の中で感じる沈黙はとても長く感じられて、息苦しさを紛らわせるように小さく息を吸い込むと綾人さんが「それもあるけど、」と言って静かに吐息を溢した。
    「好きな人に避けられるのは結構堪えるんだよ」
    「……え?」
     心臓が一際大きく跳ねて、目が丸くなる。
     綾人さんの口から出た言葉は想像もしていなかったもので、驚きから罪悪感や息苦しさが吹き飛んでしまった。
     まさか綾人さんが、「好きな人」と言ってくるなんて思ってもいなくて。
     心臓がやけに大きな音を立てて脈打つのが止まず、耳の辺りが熱くなってゆく。
     何かの冗談か聞き間違いなんじゃないかと、そう思いたくてゆっくりと顔を上げて綾人さんを見てみれば、彼は淡藤の瞳に真剣な眼差しを浮かべて眉を柔く垂らしていた。
     その表情が少しも冗談を言っているものではないことくらい、一目見ればすぐに分かってしまった。
     それくらい彼のことを、長い間傍で見てきたのだから。
    「……ずっと、君が好きだったんだ」
     柔い唇から澄んだ声が溢れて、甘く高鳴る胸にその声音が染み込んでゆく。
     綾人さんはオレを見つめて柔らかく口角を緩めると、腕を伸ばしてオレの頬にそっと触れてきた。
     その指先が肌を撫でる擽ったさと、胸に広がる熱が相まって瞳がじわりと潤んでゆく。
    「だから私のことが嫌いでないなら、どうか避けないでくれるかい」
     淡い色の髪を揺らしながら目を細めた綾人さんが、オレを見つめてふわりと柔らかく微笑む。
     頬に触れる指先はとても優しく、酷く愛おしそうに肌を撫でてくるのが、堪らなく心を擽ってきて。
     胸の奥から沸き起こった温かな喜びに唇からは熱い吐息が漏れて、視界がじわりと僅かに滲みそうになるのを息を呑んで誤魔化した。
    「……ほんとう、ですか」
     弱く掠れた息が口から溢れ出る。
     か細く震えたそれが空気に溶けるより前に息を吸い込んで、熱に潤んだ瞳で綾人さんを見つめた。
    「好きって、本当ですか」
     口から溢れた声は涙に濡れていて、頬に触れる優しい温度に唇を弱く噛む。
     綾人さんはオレの頬を撫でて目尻を柔く垂らすと、その優しい笑みに合う穏やかな声を出して小さく笑った。
    「本当だよ。もうずっと、何年も前から君のことが好きなんだ」
     頬に触れる指が優しく肌を撫でて、頬がひどく熱くなる。
     柔い熱を帯びた瞳に見つめられていると胸がどうしようもなく高鳴ってしまって、淡藤色を見つめ返しながら掠れた弱い息が唇の隙間から溢れた。
    「トーマは私のことが嫌いかい?」
     優しい声で尋ねながら頬をそっと撫でられて、胸がこそばゆい感覚に甘く震える。
     そんなはずない。
     綾人さんを嫌いになんてなれる訳がなかった。
     何度も想いを摘もうとしても出来なかったくらい、深く愛してしまっていたから。
     だから叶わない想いだと思いながらも大事に抱えて、ずっと、ずっと綾人さんに恋をしていた。
     優しく名前を呼んでくる声も、温かな笑みも、いっそずるく感じてしまうくらいに堪らなく愛しくて仕方がなくて。
     首を緩く振って髪を揺らしながら、小さく息を吸って、隠してきた想いを溢した。
    「……すきです、」
     そっと腕を持ち上げて、頬に触れる綾人さんの温かな指先に手を重ねる。
     叶わないと思っていた。
     愛されたいと願ってしまっても、叶うことはないと諦めていたのに。
     それなのに今こうして綾人さんに好きだと言われて、諦めきれなかった想いがどうしようもなく嬉しくときめいてしまって、湿った笑い声が溢れて溶けた。
    「オレも、ずっと綾人さんが好きでした」
     触れた手を撫でながら、滲んだ視界で微笑む綾人さんを見つめる。
     そうして笑い返そうとして、一つ瞬きをしたら目の端から熱が溢れて肌を伝い、温くも甘い雫がオレの笑みを拙くさせた。
     綾人さんはオレの不器用な笑みに小さく笑ってみせて、柔く垂らした目尻に愛おしそうな熱を滲ませた。
    「トーマ」
     名前を呼ばれて、そっと綾人さんの目と見つめ合う。
     彼の声はとても優しいけれど、その声はいつもよりも柔らかく、とても温かくて。
     頬が熱く染まるのを感じながらも、オレの方へと顔を寄せる綾人さんを見つめて、震える睫毛を優しく下ろす。
     低く澄んだ声が愛してるよと囁いて、柔らかくも甘い感触が唇に伝わった。





     音を立てずにゆっくりと箸を机に置いて、絹のような髪を揺らした綾華さんが小さく笑う。
    「ふふっ。お兄様から聞いたのですが、お兄様とトーマはお付き合いすることになったんですよね?」
     花が綻ぶように華やかに頬を染めて笑う綾華さんは本当にとても嬉しそうだった。
     その喜びを表すように綾華さんの声は明るく弾んでいて、綾華さんの様子を見ていると何だか気恥ずかしくなり胸が擽ったくなった。
    「うん。綾人さんと話をして、それで……好きだって言ってもらえてね」
     頷き返して綾華さんに話をしながら、綾人さんに好きだと言われた時のことを思い出して頬が勝手に熱くなる。
     綾人さんに気持ちを打ち明けた後、綾華さんの言う通り綾人さんと付き合うことになったのだ。
     まさか綾人さんと付き合えるとは思っていなかったし、まだ付き合ったばかりなのもあって恋人になれた実感は未だにあまりなかった。
     けれど綾人さんとの距離が今までよりも近くなっているのは確かで、綾人さんに恋人として接してもらうたび、「綾人さんと付き合っているんだ」と胸が多幸感でいっぱいになっていた。
     それと綾人さんを避けていた理由についても、綾人さんと想いが通じた後すぐに打ち明けた。
     綾人さんのことを好きになって想いが溢れてしまいそうだったから、避けていたのだと。
     素直に今まで綾人さんを避けていた理由を話して謝ると、綾人さんは困ったような笑みを浮かべて「嫌われていたからじゃなくて良かったよ」と小さく笑った。
     そうして綾人さんは柔く目を細めながら「私をこれ以上好きになりたくなくて避けていたなんて、トーマは可愛いね」だなんて言ってきて、恥ずかしさやら何やらで真っ赤になってしまった顔を見られて綾人さんには楽しそうに笑われてしまった。
     本当なら避けていたことを怒ってもいいのに、綾人さんはそうやってオレを揶揄うようなことを言うだけで特に咎めてくることも怒ってくることもなかった。
     ただ綾人さんは今まで避けていた分、これからも一緒に居てほしいと言って微笑んできて、その甘い優しさに本当にずるいなあと愛しく感じてしまった。
     まあ、そんなこんなで色々なことがあったけれど、長い片想いを経てオレは綾人さんと付き合うことになった。
     それを知った綾華さんはとても幸せそうな顔をして、心から嬉しそうに笑うものだから、胸が擽られるような気持ちと一緒にほんの少し申し訳なく感じた。
    「……今まで色々とごめん、綾華さん」
     長い間オレの恋を応援してくれた綾華さんに、感謝の気持ちと罪悪感を感じながらも吐息を溢す。
     本当に今まで、綾華さんには色んな方面で助けてもらってきた。
     ずっと綾華さんには背中を押して励ましてもらって、応援してもらって、綾華さんには頭が上がらないことばかりだった。
     それなのにこの前は悲しませてしまったし、綾華さんにはこれまで沢山の苦労を掛けてしまったと考えると申し訳なくなって謝れば、綾華さんは目を丸くさせた後にふわりと柔く微笑んだ。
    「そう謝らないでください。私はお兄様とトーマを近くで応援することが出来ることが嬉しかったですし、こうして今お二人が結ばれて、とても幸せなんですから」
     綾華さんはそう言って小さな軽い笑みを溢すと、柔く色付いた頬を緩めて笑った。
     その笑みはまるで春の陽光のように温かく、眩くて、綾華さんに釣られて頬を緩めながら目を細めて優しい笑みを見つめた。
    「……ありがとう、綾華さん」
     いつだって見守ってくれていた綾華さんが自分のことのように喜んでくれていることが嬉しくて、胸が優しい温度で温かくなってゆく。
     そうして笑みを一つ溢して綾華さんと笑い合っていると、ふと少し離れた玄関から扉の開く軽い音が聞こえた。
     オレと綾華さんがいる家に帰ってくる人は一人しかいなくて、熱が広がった胸が高鳴るのと一緒に肩が微かに震える。
     彼が帰ってきた音を綾華さんも耳にして、多分オレの様子が変わったことにも気付かれてしまったのだろう。
     綾華さんは静かに笑みを浮かべた後に「出迎えてあげてください」と言ってきて、その言葉になんだか気恥ずかしさを感じながらも、小さく頷き返して玄関に向かう。
     胸が高鳴る音が耳のすぐ傍で聞こえる。
     頬もいつの間にか火照ったように熱くなっていて、唇を弱く噛みながらも頬の熱さを誤魔化しながら歩く。
     そうして廊下を進んで玄関に向かえば見慣れた姿がいて、彼はオレの立てた足音に顔を上げると、オレの方を見てそっと柔らかく微笑んだ。
    「ただいま、トーマ」
     目尻を垂らして優しく細められた目には愛しさのような温かい熱が滲んでいて、鼓膜に伝わる穏やかな低い声も、心を擽って堪らなかった。
    「おかえりなさい、綾人さん」
     小さな笑みを温い空気に溶かし込んで返事をする。
     そうすれば彼は嬉しそうに口元を緩めるのが、もう、どうしようもないほどに愛しくて。
     優しい熱に頬を撫でられながら、「ああ、好きだなあ」と吐息を溢し緩んだ顔で笑ってしまった。

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