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    雑文をポイっとしにきます🕊

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    近衛リンゼル。ちょっと回生リンゼルも。
    ⚠オリキャラあり。百年前。

    舞踏会で踊るリンゼル 中天を過ぎた陽の光が、大地に柔らかく降り注ぐ。ハイラルでは今日も東風がよく通り、音をたてながら緑豊かな平原を渡っていた。
     風はたわわに実ったまだ青い林檎を揺らし、堅牢な城壁を駆け上がると、人々の営みの喧騒をさらいながら、そのまま城を通り抜ける。そして豊かな森や川を渡り、遠くゲルドまで至るのだ。
     その途中、ハイラル城の奥宮──午後の日差しが差し込む談話室の赤いカーテンを、そっと優しく撫でていった。
    ゆらゆら揺れるカーテンの隙間から室内をのぞくと、数人の楽師が舞曲を奏でている。弦や楽の音が揺蕩う様に流れ、部屋の中央ではそれに合わせて鮮やかな青のドレスが、川面を流れる花のようにくるくるとまわっていた。それを纏った少女は、空の光が地上に留め置かれた様な金糸の髪を持っていた。
     少女の絹が擦れる音に添って、規則的な靴音が響く。その足音の主は、同じく青を基調とした服を隙なく着こなす、禁欲的な佇まいの青年だった。帽子からのぞく彼の髪は、少女と同じく明るい髪色だ。けれど彼女とは反対の、大地の実りがそよぐ情景そのものだった。
     青年と少女が向き合う姿は、他所から来た者が見れば衣装を揃えた一対の夫婦雛か兄妹の様だ。しかし、少し知識があればその服装から王家の姫とその騎士とわかる。
    身分違いで、どこかちぐはぐだった。
     それにくわえ、二人の踊りはまるで幼子達が一生懸命踊るかのように拙い。青年の動きは正確だが、手足の動きはかたくぎこちない。かろうじて舞曲の音を拾い、前だけを見つめながら手足を動かしているだけで、少女の動きには全く添えていなかった。
     少女も踊りが不得手なのか、絡みつく裳裾に足をとられまいと、下ばかり気にして青年の方を見る余裕は無い。整った顔立ちに、まだ咲き誇る前の瑞々しさが溢れた肌は輝くばかりなのに、その表情に笑顔はない。必死にリズムを小さく口ずさみ、音と青年についていく事に精一杯の様子だ。
     それは、人生の春の始まりによくある様な。なんとも初々しく微笑ましい光景だった。いつまでも見つめたくなってしまうが、そんな舞踏が長く続く事はない。くるりくるりと危う気なターンが続き、ついにはタイミングがずれ、勢いよくぶつかってしまった。
    「きゃっ?!」
     少女は小さく悲鳴をあげ、ぐらりと体勢を崩した。青年は彼女と変わらぬ背丈で、武人にしては細身であったが、片腕1つで危うげなく少女の細腰を支えてみせた。
     また、慌てた少女が、青年にすがりついたので、みっともなく二人で床に転ぶという事態は避けられた。
     しかし、大事は起きていた。
    青年の唇に少女の柔らかな髪の感触が、鼻先には普段は遠く香る花がかすめる。それを楽しむ事を、青年はどこか禁忌としていた。主の香りに酔うなど、模範的な武人がすることではない。
     だが一度、味わってしまえば、はらうことや忘れる事は難しい事は想像に難くない。だから、常に距離をとって気をつけていたのに、気づいた時には遅かった。
     それは、一瞬で青年の頭から胸を、そして手足の先まで全身を染めていった。常に沈着冷静。模範的な青年だったが、動揺を抑えきれず、抱き止めたはずの腕を滑らせてしまった。慌てて抱えなおそうとするが、それでも勢いはとまらず、少女の足がしたたかに青年の爪先を踏みつける。
    「ごめんなさい、リンク! 大丈夫ですか?」
     少女が慌てた声をあげると、楽の音が一拍遅れてぴたりとやんだ。
    「問題ありません。姫様」
     心配そうに覗き込む少女に、リンクと呼ばれた青年は、いつもの表情、いつもの台詞でかえす。
    先程の動揺は、もう仮面の下に急いでしまい込み、完璧な騎士を演じている。それが如何に他人に居心地の悪さや違和感を与えるか。本人は、まだ気づいていない。
     しかし、姫様と呼ばれた高貴な少女──ゼルダは、もう彼の隠された心の機微に触れていたので、それをそのまま受け入れ、安堵の吐息を漏らした。
    彼の本意は言葉のままで、互いに怪我もなく、何より気分を害していない事がわかると、ようやく自分たちがまだ抱き合ったままだと気がついた。
    「これで今日は何度目でしょう。本当にごめんなさい」
     ゼルダは恥ずかしげに体を離し、正しい距離を取ろうと、裳裾の乱れを気にする素振りで、わざとらしく下をむく。その頬はまるで王宮の庭園に今まさに咲き誇る多弁の花に似ていて、彼女の想いをよく表していた。
     蕾をほころばせたのは、誰なのか。知らぬのは、当人のみのようだ。リンクは彼女の様子をうかがい、まず怪我がなさそうな事に安堵し頷いていた。女性の機微に疎い事が伺える。
     しかし、そんな朴念仁もゼルダの視線が互いに重ねられたままの手にうつると、ようやく慌てふためいた。主であるゼルダが離れる前に、自分から下げるわけにもいかない。白の皮手袋にも温もりが伝わるほど長い間触れ合っていた。恐れ多い気持ちと同時に、興奮すら覚える喜びが交じる。
    名残惜しさを誰にも気づかれない様に、恭しく臣下の礼に替えて頭を下げた。
    「どうかお気になさらず」
    「気にします! 気にさせてください」
     女性の舞踏用の靴は、底がそれほど固く作られてはいない。反対に騎士の靴は頑丈に作られている。ゼルダの軽い体で何度踏んだとしても、それほどのダメージにはならない。
     しかし、それでも気にしてしまうもの。心寄せた相手ならなおさらだ。申し訳無さと、それ以上の情けなさが、どうしても拭えない。ゼルダは形の整った眉を下げた。
     そんな主の表情を見て、堪らないのはリンクの方だ。剣を握れば不敗の騎士も、女性を慰める方法を知りはしない。密かに心寄せる主にならなおさらだ。それに先程、自分が不埒な想いを抱いてしまった罪悪感もある。上手い台詞など浮かぶはずもなく、ただ模範的な言葉を紡ぐしかなかった。
    「姫様は何も。私が悪いのです。この様な事には無骨者故に不慣れですし、姫様とそれほど背が変わりません。私では役不足以前に踊りにくいのでは──」
    「んんっ!」
     リンクの言葉を、女性の咳払いが遮った。談話室に威圧的な靴音が響く。
     扇を口元に、楚々と歩きながら高貴な夫人が二人に近づいてくる。齢は頭に白いものが混じりはじめた頃だが、肌は艷やかではりがあり、化粧も淡い色がよく似合う。流行りの色を年相応にさりげなく取り入れた細身のドレスもまた、彼女を年齢よりも若々しく見せていた。
    「姫様。淑女がそのように大きな声を出すものではありませんし、臣下に容易く謝る物でもありません。逆に臣下もいらぬ気を使うものです」
     その物言いには、遠慮がなかった。それは、彼女がゼルダの父王に近い血筋であり、舞踏の指南役にと直命により選ばれたからだ。
     夫人は、ゼルダをまっすぐに見つめた。
    夏草を思わせる濃い緑に、ゼルダは息をつまらせる。何も言えないのは、瞳の色に父を重ねるせいだった。
    「さぁ、もう少々背筋をのばしなさいませ! 修行も国家存亡の大事と、私も理解しておりますが、姫様がそこにおられるだけで、国の威信や誉れとなる威厳や所作も大事。必ずや姫様をお守りする力となりましょう」
     夫人の手袋に包まれた指先がゼルダの顎をくいっとやや上にむかせ、反対の手は彼女の腰を持ち上げ逸らせる。
     そんな扱いを受けたことのないゼルダは、ただただ驚くばかりだったが、父王から夫人の実績──貴族の中の貴族と誉れ高い令息を三人、名家に嫁がせた令嬢を二人育て上げた──を聞かされていたので、ゼルダも小さく「はい」と答えるしかない。
     王家の一の姫として、ゼルダが成人を向かえる日がすぐそこに迫っていた。ラネールへの参拝も内々に決まっていたが、その前に国内への披露目の宴も公表されていた。
     修行も大事だが、こちらも猶予がない。『全てにおいて秀でるものがない』などと、口さがなく言われては、王家の威信に関わってくる。焦りと悔しさに、ゼルダは手をきつく握りしめた。
    「姫様の舞踏ですが、恐れながらステップが外れています。ほんのわずか遅いのです」
     ゼルダの気持ちを知ってか知らずか、夫人は手にした扇を使い、自身の手のひらで拍子をとると、先程ゼルダが何度も失敗したステップを年を感じさせない足さばきで自ら手本を見せた。
     舞踏用の靴が、まるで氷の上を滑るかのように滑らかに動く。その動きに、ゼルダは目を見張り、リンクは何かを学び取ろうと瞬きせずに見入る。
    「おわかりですか?」
     促されて、ゼルダは緊張にかわいた喉をコクリと鳴らすと、拍子を口ずさみながら踊りだした。辿々しくも先程より滑らかな足さばきに、可憐に裳裾が翻る。
     その様子に、リンクは見惚れて息を呑んだ。
    夫人はすぐにそれに気づくと、ちらりと横目で制する。リンクは気まず気に視線をさげ、夫人を武人とは違った意味で油断ならない人だと思った。
    「こうでしょうか?」
    「そうです! そうです! よろしゅうございます」
     ゼルダが達成感の滲む声音で問うと、夫人は賛辞をおくりながらも優雅な所作で屈んでは、ゼルダの足にふれ、彼女の爪先の角度を直した。
     ゼルダの自信なさ気な下がり気味の眉尻が、さらに下がる。それを目敏くみとめて、夫人はまた小さく咳払いをする。ゼルダは、慌ててはっと表情を引き締めた。
    「では、もう一度。また騎士殿と踊っていただきましょう。舞踏は所作や動きも大切ですが、それは練習を繰り返せば必ず身につきます。ご安心ください」
    「そう言っていただけると、少し気持ちが楽になります」
     母の言葉に似ている。ゼルダはすぐにそう思った。それを知らない夫人が暗に姫巫女としてのゼルダを責めたわけではない。ただ励ましただけとわかっていても、声音にわずかに悲しみが滲む。
     それに気づいたリンクは、まだ命じられてもいないのに、たまらず一歩ゼルダに歩み寄った。しかし、彼ができることはそれだけだ。
     彼の身分では主と貴族夫人の間に入ることも、そのきつく握られた手をとり、慰める事もできない。悔しさが身内で暴れ出しそうになるが、それを諌めたのは自身の主への忠誠心だった。
     そして、もう一つ。こちらにちらりと視線を投げかける夫人の存在だ。試されているのか。それともあらぬ疑いでも抱かれているのか。リンクは、訝しんだ。
    「お世辞でもなんでもありません。本当の事です。ただ恐れながら、上達の助けになればと一つ助言をするとしたら、姫様の舞踏に足りない物が一つ」
    「何でしょう」
    「ご自身を殿方に委ねるというのも、舞踏において女性には大切な事です」
    「委ねる?」
    「はい。音にのって、正確にステップを重ねるのも大切ですが、それでは兵隊の歩哨と変わりません。舞踏は女性が殿方に委ね、所作は柔らかく、けれどもしなやかに。重なり合う喜びの中に、くつろがれるご様子こそ美しくうつるのです」
     どこか思い出に浸っているのか。夫人はうっとりとした口調で語りながら、リンクの方を振り返ると、扇をひらめかせ、リンクの眼前でぴたりととめる。
    「そして殿方も、そんな女性のたおやかさを華のごとく咲かせんがため、受け止めて心寄せなくては。足や体が模範的に動けば上手とする方もいますが、大切なのは相手を気遣う事です」
     夫人の言葉にゼルダがリンクを見つめ、リンクもその視線を逸らさなかった。見合わせた顔には、同じく困惑と期待が混じる。それを見やって、夫人は満足そうに笑みを浮かべた。
    もちろん口元は扇で隠し、誰にも悟らせはしない。
    「息が合ってきたようで、結構ですわ。では、まず会話など楽しみながら踊ってみましょう。お互い、くつろいで」
     夫人に促され、ゼルダがリンクに近づくと、彼は礼をとり、差し出された彼女の手を恭しくとった。
    ゼルダはそれを息を詰めて見つめる。
     談話室の中央に二人で立ち、ゼルダが彼の腕に手を添えると、リンクが彼女の背に手をのばした。
     手袋越しにもゼルダの髪の滑らかな艷やかさが伝わってくると、緊張にその下で汗が滲んでくる。指先は細かく震え、リンクは奥歯を噛み締め何とかこらえた。
     不安に揺れる新緑の瞳に、悟られまいと平静を装う空色の瞳が交わる。相手をうかがう気持ちと気持ちに、自然と呼吸が揃う。すると、夫人の合図で楽団がゆるりと曲を奏で始めた。
     それに合わせて、二人も踊り始める。
    はじめは曲にのる事を第一に。次に相手の様子を慎重にうかがいながら。うつむきがちのぎこちないステップとステップが、それぞれようやく音に追いつく頃、初めて視線が合う。互いの瞳の奥に、何が隠されているのか。砂浜に一粒の輝石を探す様に見つめ合う。
    「ごめんなさい。貴方をこんな事に付き合わせてしまって……」
     ゼルダは、主である自分がまず話さねばと言葉を探した。踊りの合間に話すのは、思ったより難しい。それほど息は乱れないものの、触れようと思えば触れ合える距離に、馬を並べて会話するより気安くないのだと、ゼルダは初めて気がついた。自分の吐息すら気になって、何を話しているかさえわからなくなる。
    「姫様の大事とうかがっております。どうか気になさらないでください」
    「……ありがとう、リンク」
     いつも感情がわかりにくいのに、間近で聞こえた声音はいつもよりどこか優しく、無表情な顔は励ますかの様に不器用に微笑んだ。まさかと思いながら、ゼルダは吸い込まれる様に彼を見つめる。
     その瞬間、踏んだステップが今までとは違ってゆとりを持って決まった感触がして、ゼルダはぱっと表情を輝かせた。
    「今のは上手にできました! そうですよね?」
    「はい! お見事です、姫様」
     我が事のように喜ぶリンクの姿を見て、先程は見間違いではなかったのだと、ゼルダは恥ずかしげに瞳を伏せる。
    「嬉しい……。ずっと修行を第一にしてきたので、このような事は疎かになってしまって。それに……異性の方と踊るなんて初めてで。……貴方は故郷でどなたかと踊ったりするのですか?」
    「ありません」
    「え、そんな……」
    「本当です。恐れ多くも、幼い頃から出仕を許されてきましたので、あまりそのような事とは無縁で」
    「そうですか……。私達、また同じでしたね」
     ゼルダがはにかんで笑った。恥じらいに揺れる新緑の瞳を、空色のそれが包み込む様に重なり合う。
     不思議な感覚だった。
    言葉にするよりも相手の気持ちが、まるで手に取るような。共感だけではない。喜びに、労り。何より胸を高鳴らせる物が。他人とは分かちえない、感動がそこにあった。寛いだようで、どこかこそばゆいもどかしさが支配する。
     舞踏は終盤。二人の体が離れ、手をつないだままゼルダが回る。ドレスが彼女の細腰を中心に広がり、つないだぎりぎりまで離れてから、リンクが引き寄せるようにしてまた向かい合うと、ふわりふわりと雲の上を渡るような軽やかさで優美なステップを踏んだ。
    「やりました、リンク!」
    「お見事です! 姫様なら大丈夫です。ほら、見てください」
     ゼルダがリンクの示す方を見やると、満足気に微笑む夫人がいた。
    「よかった……。もし貴方さえ良ければ、当日までこうして付き合ってくれますか?」
    「もちろんです。……その……喜んで」
     リンクは複雑な表情でかえす。
    『当日』とは舞踏会の事だ。ハイラル王家では、成人を祝う公の場で、姫が踊る最初の相手は、その配となる男性がつとめるのが慣例とされていた。
     その相手は、まだ公式にも内々にも発表されていない。王のみぞ知り、まだ警備を任せられる近衛騎士団にも通達はない。
    巷では『無才の姫』では決まるものも決まらないのでは。または厄災復活も噂される有事の際だからこそではないかともされている。
     大切な主を悪く言われるのは、何事も許し難い。しかし、このまま誰にもと──そう願ってもしかたのない事を、わずかなりとでも過る自分を嫌悪し、また惨めで仕方なかった。
    「リンク?」
     こんな時にだけ、いつもは表に出てこない感情が顔をのぞかせてしまうもの。リンクがわずかに表情を曇らせたのを、ゼルダがみとめる。
    「何でもありません。その日は、きっと忘れられない特別な物となりましょう」
     上手にごまかせたはずだ、と。リンクは思った。
    「そうだといいですね」
     上手に隠さなくては。と、ゼルダは祈った。
    重ねあった手を想いを込めて握る事は容易いのに、二人は決してそれをしない。自分たちが女神に、国に、民に。この世界全てに報い、果たす義務があることを理解していたし、それら全てがこちらを常に見ている事もまた、痛いほど知っていた。
     曲が終わり、余韻が溶ける様に消えてゆく。終わりに、互いに触れる手が切なく離れる。その瞬間、切なさが痺れに似た余韻を指先に残した。
    名残惜しさに、無防備に視線が絡みあう。
    「貴方が、相手で良かった。夫人の言う意味が、わかりましたから……」
     ゼルダが微笑む。
    その花笑みに、何も返す事が叶わず、リンクはただ深々と礼をとることしかできない。
    「恐れ多いことです」
     指先に唇をよせながら、切なさの混じる喜びの声は、風にさらわれて遠くへ運ばれていった。


     *** 
     

     その日、城下町は大変な賑わいだった。
     普段なら夕暮れ時になると、大路からも人影は消えるが、今日は違っていた。そこかしこに明かりが灯り、多くの露店が開かれていた。
     その場で味わえる簡単な焼き物にシチュー。遠くハテール地方の米を使ったおにぎりやカレーに、ゲルド地方の珍しい果物を使った飲み物や各地の酒。はたまたゲルドやゾーラの古物や宝飾品まで。それらを求める客に、その場の空気を楽しむ者達であふれていた。
     年配の者は姫君の健やかな成長を喜び、若いものは機に乗じて祝祭の夜を謳歌していた。厄災に際し、娯楽が減っていた市井の者達には、久々に湧き上がる様な享楽の空気があった。
     それとは反対に、忙しなく過ごす者たちもいる。貴族身分や他部族の代表達だ。早朝からひっきりなしに城へと馬車が向かい、昼を過ぎる頃には、街の中央に位置する噴水を超えハイラル平原まで続く車列をなしていた。
     その後も途切れる事はなく、普段なら日暮れの閉門せまる時刻になっても城へ続く坂道のあたりには多頭立ての馬車がまだ十数台並んでいて、その横を他部族の者たちが徒や空、川の流れより楽に登城するのを、御者は苛立ち気に見下ろしていた。
     城門をくぐってすぐの所で降りると、馬車は転回して城を出ていく。城の従者は門の上より入城する馬車に刻まれた家紋を確認しては、列の順番を記録する。それを入口で待ち構えた出迎え専属の従者に伝えると、全ての諸侯の顔を暗記した彼らが、もう一度面を確認のうえ城内へと客人を通すのだ。
     城へ踏み入れると、すぐ階段があり、それをのぼるとすぐひらけた場所に出る。応接室である。初めて登城した者はその上の展望室からの眺めに感嘆の息をもらし、もう何度目かの年嵩の者達はそのまま大広間へと歩をすすめる。
     大広間に入ると、最奥の勇者と姫巫女の像が目に入る。その下に階段状になった広間が一つ、二つ。階級や役職ごとに場所が決められており、最上段は王族や貴族の中でも位の高い者達に限られていた。階段脇には案内役の者と警備の近衛兵が張り付き、不審な者が入らないよう目を光らせている。
     一番下の広い舞踏スペースには楽団と多くの料理が並べられ、砕けた空気の若者達はそこに集まり、あちらこちらに出会いや繋がりを求め、すでに宴もたけなわの騒がしさだ。
     招待客がそろう頃、閉門の鐘が鳴り響いた。広間は、饗しにと飾られた季節の花々に特注の香、酒や料理の芳しさ、人々の葉巻に化粧のにおいが混じり、人いきれで白く煙っているようだ。
    そんな中でも人々は挨拶や情報交換にと、大広間は大変な賑わいで、主役の登場がいつかなど誰も気にしているそぶりもなかった。
     しかし、最上段脇の帳の影から、近衛騎士と従者が数十名ほど現れると、徐々に静寂の波が広がっていく。先程の喧騒はどこへやら。その場がしんと静まり返った。
    「陛下並びに殿下が御成になられます」
     従者が小さく告げると、ハイラル王が姿をあらわした。威厳に満ちた姿に、人々は頭を垂れて礼をとる。その様子を端から端まで見渡してから、王は満足気に頷いた。
    「面をあげよ。空は早くに茜色に、麦や稲が大地を金色に染め、まもなく林檎が赤く熟れはじめるだろう。このハイラルの大地の豊かさは女神の御恩。その慈悲に感謝を捧げる季節となった。民も、それを導く皆も忙しい日々であろうと思う。そんな中、今宵、ゼルダの成年の祝の場によくぞ集まってくれた。感謝する。皆に改めて紹介したい。我が娘、ゼルダである」
     王の言葉に、横のゼルダがゆっくりと歩み出た。王家の青に染められた特別な絹を身に纏い、いつも背中に流したままの髪は、色とりどりの宝石で造られた花の髪飾りでまとめられていた。
     その頭には宝冠が、耳や首元、手首には大粒の揃いの宝石が光る。それらは、晩餐の席に相応しい襟ぐりのあいた衣装に、良く映えていた。
     一斉に拍手喝采が湧きおこり、ゼルダは微笑んで応えた。多くの民が彼女を見ていた。心からの祝意をおくってくれている者もいるだろう。しかし、腹の中では蔑む者も確かにいるはずだ。『不出来な姫君』と。
     そう思うと、ゼルダは人々の視線が空恐ろしく、足が震えそうなのをなんとかこらえていた。
    「至らぬ所もある娘ではあるが、聡明で美しい。ここまで無事に育ってくれた事を、亡き妃も喜んでいる事であろう。力の目覚めは、間もなくと聞いている。皆、案ずることはない」
     先程より疎らに拍手がおくられた。それを背後に控えて警護にあたるリンクはギリッと音をたてて、奥歯を噛み締めていた。
     側に仕えながら役に立たない自分が腹ただしい。背中の剣は彼を『国の護りここに有り』と皆に知らしめる事はできても、姫巫女のゼルダまでは庇護してくれない。
    それに彼もまた未だ何も成さぬ、一介の騎士にすぎないのだ。
     忸怩たる思いを抱えながら、リンクはただまっすぐ前を見つめる。その細身で重圧に耐える姿に、自身を奮い立たせ、周囲に目を凝らす。今はただ自分の職務を全うする。それだけができる事で、それすら疎かにしては自身の存在意義が無いと思った。
     リンクは、気づかずに険しい表情を浮かべた。それをわずかに振り返った王が認めると、咎める様に目を細める。
    「リンク、そこにおろうな」
    「っ?! はっ!」
     小声で問われ、リンクは慌てて跪いた。まさか想いが口に出ていたろうか。ありもしないと思いながら、背中に冷たい汗が流れる。
    「わきまえよ。彼らは敵ではない。これより先、己の味方にするのだ。わかるか?」
    「御父様?」
     娘の問いかけには応えず、王は見透かす瞳でリンクを一瞥して、また広間へ向き直る。
    大きく息を吸い込むと、恰幅の良い体がさらに大きくなり、そこから声高らかに宣言した。
    「今宵の娘の相手だが、我らの女神は全てに等しく慈悲深くあられるが、その祝福をその手に授かった者に命ずる事とする。我が近衛騎士にして退魔の剣を携えし英傑、リンク!」
     ざわりと人々の間に動揺が広がり、驚きに息を飲む音が大広間に響いた。人々はこぞってリンクの姿を探し、今この瞬間の彼の表情を一目見なくてはと、あちらこちらへと忙しなく視線を巡らした。唯一、あの指南役の夫人だけは、扇で楚々と口元を隠してほくそ笑む。
     また、王もたくわえた髭に隠れてしたり顔であった。振り向くと、呆然と立ち尽くすゼルダとリンクを見て、一転これは愉快と声をあげて笑う。
     幼い頃より出仕を許し、退魔の騎士としてずっと側に置いて成長を見守ってきた。次第に笑顔が消え、その常に模範的な様子を気にかけていたが、遂に人間味のある様子を目にし、愉快というよりはむしろ喜ばしい様子だ。
    「お主もそのような顔をするのだな」
     晴天の霹靂に、未だ王の言葉にも答える事ができずにいるリンクを、王付きの侍従が「さぁ、リンク様」と、こうなる事を見越してか、すぐさま彼を立たせると背中を押しやった。
     帳の影から広間へと出ると、リンクは大広間を照らす灯りに目を細めた。一斉に人々の視線が集まる。世界がリンクを見つめていた。
     これがゼルダの見ていた景色かと、リンクは幾千にも刺さる視線に立ち尽くす。
    「リンク、さぁまいれ」
     リンクは、王が待つ王座の前へ歩をすすめる。一歩、一歩。足が床にへばりついたかの様に重く感じていた。有事には秒もかからない距離が遠い。なんとか御前に立ち、礼をとる。
    「ゼルダも、さぁ」
     王はゼルダも促すと、二人を向かい合わせる。
    「頼んだぞ」
    「っ……」
    「儂の命だ。臆する事はない。練習した通りにすればよい」
     躊躇うリンクに王は目を細めて告げる。それは企みが成功して喜ぶ幼子の表情に似ていた。
    「御父様、これは……」
    「ゼルダ。皆もそなたと『退魔の騎士』が踊るのを待っておるぞ」
     ゼルダは、はっとして父王を振り返る。背後にあるのは伝説の剣を携えた勇者と乙女の像。この黄昏た空気に、自分たちが希望を演じろと案に示しているのだと気がついた。
    「わかりました」
     瞬時に姫巫女の仮面をかぶるゼルダの聡明さを、王は誇らしく思い、そして同時に哀れに思った。この時代でなければと、王妃が早逝してから何度思った事か。だがその役目は、代わってやれる物ではない。
    王はゼルダを抱き寄せると、耳元で囁いた。
    「そなたの祝の宴だ。今宵は、ただ楽しむといい」 
     真意を問うてくるゼルダの視線に、王はだた微笑むだけ。
    「リンク。ゼルダを下へ」
    「はっ」
     命じられると自然と体が動くのは騎士の性なのか。リンクはそれまでと一転、いつもの表情に戻ると、ゼルダに手を差し出した。それは、近衛騎士で培われた、洗練された所作。
     ゼルダは驚きと戸惑いにその手を見つめた。自分からではなく、請われて踊るのは初めてだった。胸の鼓動が痛いほど早鐘をうつ。
     二人の手が重なる。だが、互いの顔を見ることが怖くてできない。あの一緒に踊った日々。共有した喜びの、どこからどこまでが真実なのか。ゼルダもリンクも相手を信頼しながら、確かめることができない。二人にとって、あの時間はそれだけ代えがたい思い出になっていた。
     一言も交わさずに、大広間の一番の上から階段を一つ、二つと降りる。横顔に視線が痛いほど突き刺さり、様々な言葉を耳にした。多くは成年を寿ぐ言葉だったが、姫の相手が騎士身分とはこれ如何にと、王の采配を疑問視する者や、中には姫が英傑に懸想しての事かと疑惑を口にする者もいた。
     微笑みを絶やすまいとゼルダだったが、口元がわずかに強ばる。もし自分が力に目覚めていれば、父王もリンクの名誉も傷つく事はなかったろうか、と。考えても仕方のない事ばかり頭を過った。
     二人が一番下の広間にたどり着くと、楽師達はそれぞれの楽器をかまえた。
    「さあ、はじめよう。今宵は、皆も存分に楽しんでまいれ」
     王の言葉に踊りを誘う前座の曲が始まり、多くの若い男女が、リンクとゼルダの周りに集まってきた。二人の隣で踊ってその様子をつぶさに見たいと、ちょっとした揉み合いになる。
     ゼルダも、リンクも圧されてしまい、周囲を見渡してつい苦笑をもらす。そこでようやく視線が合った。互いに言葉を探すのに、上手く口にできず、重ねたままの手から気まずさばかりが伝わってくる。
     ゼルダがリンクの腕にそっと手をやると、リンクははっとして同じく彼女の背に触れた。重ねた時間が、自然と二人の呼吸を一つにしたその時、舞曲が流れはじめる。
     二人が踊り出すと、他の者達も合わせて動き出す。楽師達は二人の動きに、二人も音色に耳をすませば、練習の時以上に曲と舞踏が一つになっていく。
     訝しんで、リンクが楽団の方を見やる。その顔ぶれは、何度も見知ったものだった。
    「練習の際の楽師達です……」 
     リンクの言葉にゼルダもそちらを見やり、驚きの表情を浮かべる。
    「今更こんな事を言っても、仕方のない事とはわかっています。ですが、言わせてください。私は知らなかったのです。……本当に。どうか信じて」
     ゼルダがすがるようにリンクのケープを握りしめた。
    「リンク……」
     応えず、ただこちらを見つめる空色の瞳は、どこか空を見るようで、ゼルダはそれにすがる様に呼びかける。
    「姫様、これは……都合のいい夢でしょうか?」
    「え……いいえ。っ、いいえ! では、リンクも知らされてはいなかったのですか?」
     目の前に望んだ希望を見出して、それを逃すまいとゼルダは言葉を続けると、リンクは瞳だけで是と告げた。
    「はい。先程から舌を噛んだり、頬を噛んでみたのですが、一向に目が覚めないので、まさかよもや……」
    「ええっ?! 大丈夫ですか?」
    「……血の味が少々」
    「もうっ! 貴方ときたら」
    「これが現実だとしたら……姫様。その……陛下の意向とはいえ、相手が私などで恥ずかしい思いをさせてしまったのでは……」
    「そんなこと、あるはずがありません!」
    「っ?! ……信じます」
     その万感こもったリンクの言葉に、ゼルダの瞳が潤む。新緑はシャンデリアの光に煌めき、その中に空色が混じる。それは、ハイラルの自然そのものであった。
    「毎日、ダンスの相手が誰なのか……夜をむかえるたびに眠れぬ思いでしたが、貴方の言うとおりになりました」
     緊張に掠れる声でゼルダが告げるが、誰もがこちらに注目している状況で、リンクがそれに応える事は難しい。
    「お父様の考えは未だはっきりとしませんが、私は今夜の事を絶対に忘れません」
     伝えたい事があった。それはリンクにとって、ただ一つの真実。ただの男と女であれば容易い事も、リンクにとっては難しい。ただ、許されるのであれば、その想いにわずかでも応えたいと願った。
     重なっただけの手だったが、リンクの親指が密やかにゼルダの指をなぞる。
    ゼルダが息を呑んで指を見つめ、それからゆっくりと彼の瞳をのぞき込む。
    「リンク……」
     その時。突然、曲調が変わった。旋律は同じなのに、ゆったりした物から民の踊る舞曲の様に早くなる。そこかしこから歓声があがり、曲に合わせて勢いよく回りだす。
    「え?! これは、どうすれば? リン──」
     踊った事のない曲調に慌てふためくゼルダ。リンクはその手をきつく握り、手を腰にして抱きしめると、周囲と同じく回り始める。
    「きゃっ!」
     小さく声を漏らしたが、それも初めのうちだけだった。ゼルダはぎゅっと目をつむり、リンクの肩を抱きしめる。
     不思議と足がもつれる事もなく、互いのステップが綺麗に決まっていく。嬉しくて、楽しくて、次第に笑みが溢れる。
    「こんなの初めてです!」
    「私もです。きっと……何度も、何度も夢に見るでしょう。必ず」
    「私も……きっと」
     頬が触れてしまう程の距離で、精一杯の言葉を口にした。今は、それだけで良かった。
     互いの肩越しに見る世界がまわっていた。広間の白い石に国旗、揺れる灯りに周囲の人々。それらがただの鮮やかな色の背景に変わる。色のつむじ風の中心に、二人だけのような。互いの息遣いと温もりが全てだった。


     ***


     青年は、夢をみていた。どうやら焚き火を見つめて暇をつぶしていたら、眠ってしまったようだ。
     ハイラル平原は今日も東風がよく通っている。空は白み始めたが、明けの明星がまだ輝きを残している頃だ。朝露がよけいに冷たく感じられる。 かじかんだ手足をもみほぐしながら火にあたり、赤く透けたその手の甲を見つめると、古傷だらけで、肌は乾燥でカサついていた。まだ癒えぬ生傷もある。リンクはそれをどこか誇らしく思いながら、この手をあの人はどう思われるだろうか、と考えた。
    「ゼルダ……」
     夢の名残が、こびりつく。自分の事ながら自分の物ではない記憶なのに、鮮明な思い出。繰り返し見るからなのか。それはわからない。けど、はっきりと覚えている──手に残る感触を。新緑の輝きを。あの野の花々を集めた華やかな香りを。
     胸いっぱいに草露に濡れた空気を吸い込む。花の香りはなかったが、自身の中の残香が息を吹き返して鼻先をくすぐり、彼女のいない寂しさを思い起こさせる。
     リンクは遥か先の古城を見やる。あの華奢でたおやかな手を、今も一人握りしめているのだろうか、とゼルダを案じる。
     リンクは、自分の手のひらを見つめた。日に焼けて、豆と傷の増えた手は、自分でも醜いと思った。
     ふと、そこにゼルダの手を重ねる所を想像してみる。重なる手のひら。柔らかなぬくもりを思い出す。
     あまりに滑らかで、今のこの手で触れれば壊してしまいそうだ。幻想の手が不意にきつく握られた。固く、固く、耐える様にきつく。
     顔をしかめて、リンクはその手を労る様に撫で、包み込む。想像の手を一本、一本優しくほどいて、その間に自身の指を滑り込ませていく。やわやわと握り、その甲を撫でる。すると想像の指が応える様に、リンクの手首を撫でてきた。
     驚きに、リンクはぱっと立ち上がった。理由の分からぬ後ろめたさに、キョロキョロとあたりを見渡す。誰もいないとわかると、一つ安堵のため息をついた。
    「っし! 行くか!」
     頬を叩いて気合を入れると、焚き火に水をかけ、白い煙をあげてくすぶる薪に地面の砂を蹴り入れた。
     荷物をまとめると、近くにとめておいた馬に塩と水をやり、リンゴとニンジンを与える。機嫌が良くなった所で、鞍を挟んで左右に荷物を綴りつける。
    「あともう少しなんだ。今日も、よろしく頼むよ」
     語りかけながら鼻筋を撫でると、馬は満足気に嘶いた。リンクはひらりと跨ると、首筋を優しく叩いてから愛馬の腹を蹴った。
     手綱をひき、城を横目に西へと進み始める。
    風が強く背中を押すように、吹いていく。
    それは、早く、早くと急かすようでもあった。
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