それはきっとあなたとおなじ 1111
リンクとゼルダが外に出ると、もう空は群青色が濃くなっていた。茜色の稜線が空と横たわる大地の境目で、遠くをのぞめばゲルドの神獣。足元には長閑な農村。見上げれば薄雲棚引く夜空には、もう無数の星々が瞬き始めている。
手を繋いで、暗い夜道を歩く。遠くにポツリ、ポツリと青い炎が灯るが足元は薄暗い。確かめる様にリンクが先に。その後をゼルダが続く。
常に背後の海から冷たい風が吹いていたが、急に強い風が吹き抜けた。一瞬、虫の音が止み、青草も一斉に騒ぎだす。さらに長く伸ばした金の髪を絡めてさらおうとするので、ゼルダは髪を抑え胸元のケープを掻き抱いた。首をすくめて寒さに耐えていたが、風はふいに止んだ。背後から肩を手に抱き寄せて、リンクが彼女を守っていた。
「ありがとう」
「何てことないよ。さ、行こう」
そうしてまた歩き出す。沈黙が二人の間にあった。互いに口を開こうとするが、すぐにつむぐ。言葉にしたいのに、できないもどかしさから、つないだ手の指と指が、求めあって探り合う。
もうわかってるし、わかりあっている。そんな錯覚に陥る。ソワソワ、クヨクヨしていた事すら馬鹿らしい事のように。だけど、今日一日思い悩んだ事は、無駄にしたくない。だからリンクが先に言葉を口にした。
「何?」
「リンクこそ」
「……ゼルダ、朝の事、ずっと気にしてたの?」
「聞いていましたね」
「聞こえたんです」
「しょうのない人ですね」
ゼルダがリンクの手をぎゅっと強く握る。
「あの、……今朝のことですが、私、可愛くない態度をとってしまって。ごめんなさい。胸をはって貴方の隣に立ちたいのに、何だか急にとても自分が情けなく思えてしまって……。このままではいけないとわかってはいるのです。けど、どうしたら村の皆さんに認めてもらって、もっと自然に打ち解けられるのかわからないのです。貴方と一緒にいるために」
今度はリンクがゼルダの手をきつく握る。
「間違わないでほしいんだ。一緒にいられるならどこだっていいし、おれはゼルダでなきゃ独りだった。ずーっと。
思い出した記憶が、なんて恐れ多い事をしたなと……思わない事はないけど、だからこそきっと他の誰かではダメなんだ。ここが埋まらないんだ。たぶん」
リンクが胸を指す。それを見て、ゼルダも喜びに自身の胸をおさえる。
「私も……」
「嘘」
ただ一言。リンクは現実を口にする。冷たくもなく、突き放すわけでも、彼女の気持ちを疑い、否定する訳でもない。ただ定めとも言える真実だった。彼女の手がゆっくりと下がっていく。
「……そうですね。この血を繋いでいく。その為に誰かと添ったでしょう」
それを受け入れきった顔で、ゼルダは答える。
「ですが、同じです。絶対にここが埋まらないでしょう。私も」
一度、下がりかけた手が再び胸をおさえた。
「あなたといると、とても心があたたかくなります。何かがこの身に収まらず溢れてしまいそう。あなたに教わりました……」
つないだ手を引き寄せ、リンクがゼルダをきつく抱きしめた。一瞬垣間見えたリンクの表情が今にも泣きそうな顔をしていた。ゼルダは彼のぬくもりに包まれながら、今日この事も、一生涯忘れる事はないだろうと思った。自分の魂が女神の御元に還るその時まで、いつでも鮮明に思い出せると。
「おれも同じ!だからいいんだ。誰が、何をどう言おうと、思おうとかまわない。かまうもんか!だって、おれとゼルダは、もうわかってる!ゼルダはおれで。おれにはゼルダしかいない」
ゼルダは、その言葉の全てがまるで魂に刻まれる様だと思った。彼の背にしっかりとしがみつき、何度も頷く。その瞳からは、いくつも涙がこぼれていた。
「早く帰ろう」
リンクの抱きしめる力がふとゆるんで、顔を背けては何度も鼻を鳴らし、恥ずかしそうに肩口で顔を擦った。
「朝のシチューに新しくパンを焼いたんだ。石鹸のお金で卵をたくさん買えたから、塩竈で肉を焼いて、あと残りの卵はミルクたっぷりのオムレツにした。あとプリン!少し置くと美味しくなるから、下の泉で冷やしてる。我慢できるなら明日食べよう。部屋も暖かくしといた。だから……今夜も早く休もうっ」
「はい」
「ったぁ!」
ニカッと嬉しそうに笑うリンクに、ゼルダは愛しげに笑う。リンクはまだ残る彼女の涙の跡を指で拭うと、ひょいっと腕に抱き上げた。ふわりと軽い。宙を舞うように軽く、でもちゃんと重い。生きていて、ここに在る実感ごと抱きしめる。
「この方が早く着くよ」
「それはそうかもしれませんがっ。恥ずかしいです! 一人で歩けますから」
「おれは貴女を甘やかしたいんだ。おれが百年寝ていた分、倍返しで」
「もうっ!」
説得は無理と、すっぽり彼の腕におさまったゼルダは顔を赤らめた。
「ねぇ、ゼルダ」
「はい」
「ゼルダは、ゼルダらしく輝いていて。昔の何事にも真面目でまっすぐなゼルダ。一人でハイラルを守り続けた。びっくりするくらい強くなった今のゼルダ。なのに、ご近所付き合いに悩んだりするゼルダも。そのまま愛してる」
ゼルダは息をのんだ。ただ自分だけみつめ、他に何もうつさない瞳があった。うっとり甘いというよりは、他所見を許されぬ何かぴんと張り詰めた空気感。世界を救うという大業を為せるだけの彼の強さ、そのただ唯一と言っていい程の真摯な想いをまっすぐに受ける。
「ありがとう。私も……」
「ちゃんと言って」
拗ねた口調で、鼻に鼻でノックをする。気持ちが少しだけゆるんで、ゼルダは彼の首に腕をまわすと鼻先にちょんと口づけた。
「リンク。あなたを愛してます」
リンクが、はにかんで笑う。
「ありがと。じゃあ、こっちみて」
「いつも見ていますよ」
瞳が絡み合い、ふっと二人心まで抱きしめ合った気持ちになる。額を擦り寄せ、瞳を閉じた。
「おれ、幸せ……」
リンクが万感の想いを口にした。
「何かに夢中になってるゼルダの横顔が綺麗で、綺麗で。あの頃からずっと憧れてた」
「そんな事、初めて知りました」
「でも誓って、おれの方を見てほしいって、願った事なんてなかった。使命や皆。ハイラルの全ての物に瞳を輝かせるゼルダを守りたかった。
けど……今は違うんだ。違わないけど……それでも二人の時だけでいいから。お願い。おれだけをみてて」
「リンク……」
気持ちを伝えるのに言葉では足りなくて、ゼルダはそっと彼の頬に手を伸ばす。冷たくなった肌を包み込んで、彼の瞳の奥底までものぞき込む。
そこに同じく自分の真実を少しでも置いてこれたらと願って。
その視界の端にふわりと白い物が舞った。日中の陽気に出てきた虫たちだった。気を取られゼルダの視線がそちらに向くと、リンクは唇を尖らせる。
「ほら……」
「まぁ」
わざとらしくむくれた声で言うと、ゼルダは「ごめんなさい」と、眉尻を下げる。
それを仕方ないと、リンクは片方口角をあげた。
「そんなゼルダが好きなんだからしょうがない!」
リンクは力強く抱きしめながら、家の二階の寝台を想う。早くあそこに連れて行きたいと思った。あそこでは何物にも邪魔はさせないし、余所見もさせないと。
「帰ろう」
そう言って、リンクは足を早めた。ハテノビーチへの分かれ道を下り、牧場を過ぎる。ロダンテはわざとらしく居眠りをして、二人に気づかないふりをしてくれた。
村の通りには人影はなく、洗濯場の水音を聞きながら通り過ぎる。そこで、リンクは昼の事を思い出した。
「あ、そうだ。ねぇ、ゼルダ。聞きたいことがあってさ」
「はい。何ですか?」
誰かに見られやしないかと、身を小さく固くしていたゼルダが顔をあげる。
「ゼルダってさ、子供ってすぐほしい?」
一瞬、何を言われたのか理解できず瞬きをしてから、ゼルダの顔がゆっくりと染まっていった。口から声にならない声をあげる。
彼女の反応に驚いたリンクが、しーっ静かにと彼女に促すと、ゼルダは口を覆って、でも他の誰も知らない表情で狼狽えた。
「えっ?!何?!どうしたの?」
そんな様子を、かわいいとリンクはつい顔がニヤけてしまう。それを見て、ゼルダは悔しいと何かが混ざった複雑な気持ちで彼をキッと見上げる。
「だって!なんでそんな事、急に!!!」
「急じゃないよ!さっき『血を繋ぐ』って言ってたじゃないか」
「言いました!けれどそんな物言い、率直すぎます!」
「えー……わかんない。わかんないけど、ゼルダがかわいいのはわかる」
「っ???!!!リンクっ!!!」
家の前の古びた橋を渡る。幾度もこの家路を辿った。ギッギッと鳴る足音は一人の物で、何者かさえ分からずにふと足を向けた日から、今日までの間。傷つき疲れ果てた日も。抱えきれぬ切なさや虚しさの日も。成し遂げ、誇らしく帰った日も。そして、これからの未来を思って、この上なく幸せな家路を二人渡った日もあった。
でも今夜は特別な夜だと、リンクは感じていた。風が青草を巻き上げる。夜風は一段と冷たいが、外構の花々の香りをまとって、どこまでも甘く優しく二人に寄り添っていた。