匂いの話 パーティのリーダーでもあるリゼルが、次に「行きたい」と告げた街にある拠点の一つを、無断で陣取っているバカの掃除をイレヴンが命じた数名の部下の帰りを聞いたのは、丁度その部下がイレヴンが今過ごしている拠点に戻ってきた時だった。
自分用の部屋で得物の手入れをしていたが、気分転換に部屋を出て、たまたまそこで出会った『精鋭』と呼ばれている複数の癖のある他の部下達と気まぐれに出迎えた。
予定より三日程遅れて戻ってきたが、パッと見たところ、大きなけがをしている様子はない。
まぁ、この程度で死ぬのなら、それまでだった事、と興味なさそに肩を竦めて、音もなく静かに戻ってきた男らを見やる。
「あれ? 頭が出迎えるなんて珍しい」
「たまにはな。喜べよ」
「それより美味ぇ酒が良いッス」
「アホか」
そんな軽口を言い合う部下の後ろを静かに歩くのは、分厚い前髪に目元を覆い隠した男。
運が良いのか悪いのか、近頃ほとんど休みなくイレヴンの「お遣い」と「おねだり」という名の「命令」に振り回されて、そろそろ疲労がピークを迎えつつあった。足取り重くどんよりとした空気を背負う男に気付いたイレヴンは、にんまりと目を細める。
「お前もご苦労さん」
からかい混じりに腰を折るように斜め下から顔を覗き込むと、男はしばしじっとイレヴンを見下ろしていたが、不意にポンと肩に大きな両手が置かれて、ふとイレヴンの目の前が暗く翳った。
「…………え?」
訳も解らず、両肩を押さえられて身動きも取れず、目の前の男を軽く目を見開いて見上げるイレヴンにゆっくりと腰を折るように覆い被さると、男は不意にイレヴンの首筋に顔を埋めた。
「え?」
「ゎぁ……っ」
「……ぶふッ!!」
「…………」
びくり、と一つ大きく躯を震わせて、今度こそ大きく目を見開いて硬直したイレヴンにまるで気付かぬように、男はイレヴンの首筋に鼻を押し付けて、深々と息を吸い込んだのだ。
「え、お、前……っ!」
肩に置いていた手をイレヴンの腰に回し、ぐりぐりとイレヴンの首筋に鼻先を押し付けたまま、深々と息を吸い込んでゆっくりと吐き出すと、男はどこかうっとりと口を開いた。
「……ああ、やっぱり頭の匂いは良いッスね。……すげぇホッとする」
「~~~~ッッ!!」
常はどこまでも平静、平坦な響きを帯びる声が、今日はどこかうっとりとした響きでレヴンの首筋を直接震わせる。びくん、とイレヴンの脇に垂らされていた腕が大きく跳ね上がって、それまで顔色を失って硬直していたイレヴンの頬に、今度は心配になる程一気に血が上ったのを、精鋭達は面白そうに見ていた。
「ぎゃは……!」
とびきり笑いの沸点が低いぱっつん男が耐え切れずに盛大に噴き出す。
まるで愛撫を見ているかのような熱烈な抱擁に硬直していたイレヴンの両手が、小刻みに震えながらゆっくりと持ち上がり、しっかりと腰を抱き締める男の肩に置かれると、そのまま力一杯突っ張られた。
「頭?」
突っ張られるまま、やや渋々とイレヴンの腕の長さだけ躯を離した男の腕の中から身を捩ってイレヴンが飛びのく。イレヴンが真っ赤に染まった頬を隠す余裕もないままようやっと絞り出した声は、可哀相な程引っくり返っていた。
「な、何……っ、てめぇ、何を考えてンだ!?」
「何……、と言われても、頭の匂いが一番好きなんスよ。帰ってきたなァ、みたいな」
一応普段は冷静で「常識人ぶってる」はずの男がこんな姿を晒すとは、さすがにイレヴンも解った。
――――疲れてンだわ、これ……。
散々男を振り回した覚えも自覚もある。ちょびっとだけ、本当にちょびっとだけ反省をしたイレヴンはハーッと深いため息をつくと、がしがしと髪をかき回し、
「おら、寝るぞ」
そのまま男の腕を掴んで自分の部屋へと引っ張っていった。
その後ろ姿を、呆れつつ、一人は最早笑い過ぎて痙攣を起こしつつ見送る。良かった。これ以上見せられたら笑い死ぬところだった。
……それはそれで刺激的かもしれないけれど。
結局それから三日程、イレヴンは男と共に部屋にこもったきり出てくる事はなく、出来た時には逆にイレヴンの方がげっそりしていたのだけれど。
聡い彼らは何も見なかった、とそっと目を逸らしたのだ。