一年に一度の 一年に一度の
五月も目前という時期であるが、やはり朝方は冷え込む。しかし、暖房などつけずとも薄手のパジャマを着て布団に潜っていれば冷え込みもそうつらいものでもない。一般的な感覚ではきっとそれくらいの温度感であろう季節。
「あ。もう起きたの?」
「……おは、ようございます」
起き抜け一発目に見るのが神に愛されて生まれたのだと思わされる美しい容貌の男では目が潰れてしまう、と伊地知は毎度思う。眼鏡もしておらず視界がぼやけているにも関わらず、ご尊顔だけはやけにはっきり見える気がするのだから脳内補正というのは恐ろしい。というかこの眩しさにさえ慣れてしまっている自分も恐ろしい。そんなことを思いつつ、伊地知は布団を引っ張って、剥き出しになっている肩にかけた。全身を心地よく包むのは肌馴染みのいいシーツの感触。ゴゥン、と小さく鳴いたのは暖房の音。きっと加湿器も元気に仕事をしているのだろう。
季節関係なく空調設備をフル活用してすっ裸で眠るのは気持ちいのいいものである。
付き合った当初そんな素っ頓狂なことを言っていたのはごく至近距離でにこやかに微笑んでいる特級術師である。その当時伊地知は引きつった顔を隠しもせず、私にその感覚はありませんと言っていた。
五条との仲が深まるうちに、あれよあれよという間に伊地知もそちら側に足を突っ込んでしまっていた。本当に悔しいのだが、全裸で寝具に包まれるのは確かに心地がいい、というのは認めざるを得なかった。互いの熱に触れて恥も外聞もない行為をしたあとは、気怠さに身を任せて下着も履かずに眠りに落ちる。朝目覚める頃にはどちらともなく脚を擦り合わせているし、腕や胸などどこかしら肌が触れ合っている。空調のおかげではない人肌の温かさに包まれながら、相手の顔を見ておはようと言うのだ。そうすれば、ほら。幸福感が胸いっぱいに満ちている。この国は呪いで溢れているというのに、呪いにもなりうる五条曰く「愛」なるものでこんなにも幸せにもなるのだから、火も刃物も呪いも使いようということなのだなと一人納得する伊地知である。まあ、特級術師も補助監督も多忙を極める日々を送っているのは自他共に認める事実であり、そのように幸せを感じられるのは稀なのだが。
体温でまどろみながら起床できた今日はまさしく、貴重な朝であった。
五条の口付けを額に受け取りながら、伊地知は眼鏡をかけてスマホに手を伸ばす。画面には、昨日確認した通りのスケジュールが表示されていた。
「五条さん、今日の昼から青森の方に出張でしたね。まだ雪が残っているらしいですからお気をつけて」
「は? 予定変更したけど」
「聞いてませんけど⁈」
恋人と素っ裸でベッドで寝転んでいるというのに仕事の話をするなと五条はスマホを無理矢理取り上げてサイドボードへ。
「青森には明日の朝イチ発つから。今日一日僕は東京にいるよ」
それを聞くとふと思い当たる節があり、伊地知の視線が少し泳いだ。五条は見透かしたように伊地知に覆いかぶさってマウントをとる。ギシリとも鳴らないベッドフレームはきっとこのような光景を幾度となく見守ってきたことだろう。
にっこりと笑う五条は、白い髪にキラキラと朝日が透けて少女漫画の美青年のようである。アラサーと言われてもにわかには信じられない肌年齢に、伊地知の目がしょぼつく。
「お前の誕生日だからさ、一緒に過ごそ。おめでとう伊地知」
「ありがとうございます」
祝われるような歳でもないですよと言いたいところだが、僕が祝いたいんだから、とにこやかに言われることは分かり切っているので素直に礼を言うしかなかった。謙遜も遠慮もなしに相手から贈られる気持ちや言葉を受け取れるようになったことに、二人の関係が深いものになって久しいのだなとしみじみ思う。予定の変更は無茶苦茶だなとは思うが、ちゅっちゅと口付けの雨を降らせているこの人が本当に重要な仕事には穴を開けることはしないのはよくよく知っている。青森での要件の重要度を秤にかけつつも、この人がこう言い切ってしまっているのだから、予定通り今日発ってください、というのは無理だろうと結論付けた。
「ってことで昼からは僕がフリーだからどっか行こう。プランは僕に任せといて」
「私は午後も仕事なんですが……もしかして……」
「午後休は無理だったけど三時上がりで話つけてるから」
「良かったです。午後の会議は必ず出ないといけなかったので」
件の会議における伊地知の重要性は同僚や後輩が重々理解している。一日休ませろと五条が圧をかけたのだろうが、そこだけはずらせないと頑張ってくれたのだろうと思うと涙が出そうになる伊地知である。
五条はベッドにつっぷして、愉快そうに提案した。
「誕生日休暇ある企業真似してうちの福利厚生に追加するのどう?」
「このタイミングで提案するの悪手すぎませんか?」
僕の誕生日も問答無用で休みにできるじゃん。そんなことを言う五条だが、師走の忙しい時期に五条が仕事をすっぽかすことなどしないのを、伊地知は知っている。
五条は空色の瞳で伊地知を愛おしい愛おしいと見つめ、痩せた頬に唇を落としてぎゅうっと抱きしめた。
「名残惜しいけどそろそろ支度しな。んで、今日はいっぱい祝ってもらいなね」
「私の誕生日を知ってる方って稀じゃないですか?」
「結構みんな知ってたよ。しかも僕がすっごく宣伝しておいたからすっごくお祝いされると思う」
「ええ……皆さん忙しいのに気の毒ですよ。しかも早上がりもさせてもらうのに……」
呪術高専関係者であれば誰もが一度は伊地知の世話になっているのだ。年に一度の誕生日なのだから、日頃の労いと感謝を込めて伊地知はきちんと祝われるべきだろうというのが五条の持論である。
着替えようと伊地知が身体を起こしたその途端、再び五条の腕が伊地知を捉えて後ろからぎゅうっと抱きしめた。
「今夜も夜はお楽しみするんだから疲れすぎないように」
「れ、連日ですか⁈」
「あったりまえじゃん! 誕生日セックスはしないと!」
「六時間前の日付け変わった時もしてましたよね⁈ お祝いも言ってもらいましたし⁈」
何回してもいいじゃん。せっかく二人で過ごせるんだから。そう言って首に唇を落とされたものだから、驚いて跳ねた伊地知の足はシーツを小さく蹴った。
全裸でくるまる寝具の心地良さと解放感よ。今日の夜もまたシーツの海で溺れることになるのだろう。伊地知はそわりとした期待と共に出勤することとなった。
たくさんのおめでとうが降り注ぐ一日は始まったばかり。
終