【テーマ:イタズラ】
釘崎の提案に悠仁が乗ったのは、どうせ成功しないと思ったからだ。
だから今になってこんなことになるとは思ってもみなかった。
「いででででで!」
そよ風も暖かい昼下がり。高専に悠仁の痛がる声が響き渡る。
「こんなもんじゃないよ、僕の純情踏みにじった代償は!」
背後から呼ぶ声に振り向いた瞬間、担任からヘッドロックをかけられた悠仁は目を白黒させている。
「えっ何?何が?」
「何がじゃないよ、悠仁を信頼してたのに!」
「訳分からん!」
五条の純情?踏みにじる?どちらも思い当たることがないし、何より頭の痛みが半端ない。突然のことにパニックになった悠仁は、ホールドする腕を何とか緩めようともがくが、さすが最強びくともしない。
「飴!めっちゃ辛かったんだけど!」
締め付けられる頭で「飴」というキーワードを必死に辿り、先日同級生たちと企てたイタズラに思い至る。一週間経っても何の反応も無かったのですっかり忘れていた。
「それ渡したの二週間も前の話じゃない⁉︎」
「そうだけど⁉︎」
「今頃⁉︎ていうかそんなに辛かった⁉︎」
驚いて見上げようとするも、更に締め付ける腕にギチギチと力が籠る。
「伊地知を往復ビンタするくらいに辛かったんだからね!」
「ごめん伊地知さん‼︎」
「そこは僕にごめんでしょうが!」
考える間もなく飛び出た謝罪に、五条の怒りは更にヒートしてしまった。
「いでーーーーー!ギブギブ‼︎まじで頭砕けるから!本当にごめん!てか、あれ食べたの⁉︎どう考えても劇物でしょ⁉︎」
五条に渡した真っ赤な飴を思い出す。
「ブラッドオレンジ味かと思ったんだよ!」
「そんなオシャレな飴ある⁉︎」
思わず見当違いなツッコミをしてしまう。まさか見るからに辛そうなアレをそんなものと勘違いされるとは想定外だ。
「あるかもしれないでしょ!」
「いでで、先生の術式で弾かれるって聞いたから大丈夫だと思ったんだよ!」
任務帰り、迎えの車が来るまで暇つぶしに覗いた駄菓子屋。そこで見つけたのは激辛キャンディだった。それを見て釘崎が五条に渡そうと言い出したのだ。三個入りのそれは、禍々しいほどに赤く間違ってもいちご味などには見えない代物。
流石の五条もこんなバレバレなものを口に入れようとはしないだろうと思ったし、無下限があるから大丈夫だろうと伏黒が言うものだから五条に渡してしまった。ひとつひとつは何も印字されていない透明な袋に入っていて、唐辛子パウダーが飴に練り込まれていた。色からして辛そうに見えたので、食べないだろうと思っていたのだが。
「毒物じゃあるまいし、弾く訳ないでしょ」
「ウソッ⁉︎伏黒が無下限あるから大丈夫だって言ってたよ⁉︎」
だから万が一口にしても大丈夫だろうと思っていたのに、まさか効かなかったとは。それはさぞ辛い思いをしただろう。なにせ滅多なことでは食べ物を残すことがない悠仁が我慢ならずに吐き出したのだ、甘党の五条の舌にはどれほどの衝撃だっただろう。
「恵も適当なこと言って!僕の繊細な舌が使い物にならなくなったらどうするの!悠仁はこんなことしないって信頼してたのに酷いよ。僕の可愛い教え子はどこにいった⁉︎」
「信頼していた」という言葉にズキリと胸が痛む。だが、いま最も痛いのは頭だ。堪らず五条の腕を何度も叩いてギブアップを訴えると、やっと少しだけ緩んで胸を撫で下ろす。すると、これまでにないほどの密着具合いで、五条の匂いにまで気付いてしまい、じわじわと顔に熱が集まってきてしまった。
何せ五条は悠仁の好きな相手なので。
しかし、それを悟られる訳にはいかず、この状況から早く脱出しようと悠仁は慌てて叫んだ。
「本当にごめんて!お詫びに自販機で練乳いちごミルク奢るから!許して!」
「僕の心の傷はそんなに安くないけど、学生だってことに免じて受け取ってあげる」
やっと五条の腕から頭が解放された。だが、今度は気持ちを押し込めた胸の奥底がぎゅうっと締め付けられる。
「さっ、行こうか」
そんな悠仁に気付きもせず、満足げに笑って促す五条が眩しい。
「……うん」
乱れた髪の毛を直すふりをして五条から視線を逸らす。目隠しをしながらでもわかる優しい笑顔にドキドキと心臓がうるさい。
クズだクズだと言われる五条だが、ふとした瞬間に見せる表情や仕草が優しいことを悠仁は知っている。きっと先輩や友人たちだって気付いているはずだ。そんな五条が懐に入れた者に向ける愛情を、自分だけに向けて欲しいと思ってしまったのはいつだっただろう。
(しっかりしろ!)
心の中で揺れる己を叱咤する。この身には宿儺がいる。色恋に現を抜かす余裕はない。それに五条を困らせることだけは絶対にしたくない。だからこの気持ちは誰にも気付かれないよう心の奥底に隠すことにしたのだ。
しかし、悠仁はまだ十五歳の子供だ。上手く立ち回れるはずもなかった。
(でも、少しくらいなら良いかな)
五条との戯れに欲が出てしまった。
友人たちと企てたイタズラで大変な思いをさせてしまったのは本当に申し訳なく思う。
でも、あんな風に手加減なく構ってもらえたのははじめてで嬉しかった。隠し通すと固く誓った恋心が、もっともっとと囁く。そんなのはダメだと思うのに、先ほどの戯れに味をしめ、慰めてほしいと心が騒ぎだす。
(先生、ごめん。少しだけ)
少しでも五条と話すきっかけが作れたら嬉しい。そんな想いから、悠仁のイタズラする日々が始まった。
そう心に決めて数日。チャンスはやってきた。
高専の中には呪術師が任務前の打ち合わせや、ちょっとした時間を過ごせる待機室がある。そこで珍しく五条がソファに横になっていた。目隠しをしているが、規則正しい胸の動きで寝ているのがわかる。
(珍しいな)
悠仁が戸口に立っていても気付いた気配はない。近づいても大丈夫だと判断し、悠仁は五条の枕元へと足音を忍ばせて近づいてみる。顔の前で手を振ってみるが何の反応もなく、やはり起きている気配はない。ならばと人がいないのを確認し、そっとポケットからあるものを取り出すと、アイマスクの上にペタペタと貼り付けた。それでも起きない五条にクククと笑いを噛み殺し、仕上げにスマホで五条の顔を撮影する。
「こら、何してんの」
「!」
びっくりし過ぎて肩が跳ねる。スマホを握った手首を五条の大きな手がしっかり握っていた。
「人の寝込み襲うなんて悠仁のえっちー」
「襲ってはねえよ⁉︎」
「僕の寝顔なんか撮ってどうするの?美しさに今頃気付いちゃった?」
「いや、それはないかな……ププ」
今の姿と言葉のギャップに悠仁は思わず噴き出した。人の顔を見て笑うなんて失礼だなんて五条が言うものだから、もう我慢できなかった。あははははと爆笑する。
「悠仁!」
訳が分からない五条に嗜められてしまった。
「ごめ……でも、だって……」
掴まれていない腕で顔を隠して何とか笑うのを堪えるが肩が震えてしまう。
「悠仁」
「これ…ンフッ」
顔を背けて、スマホを振って画面を見るように五条を促す。
「何これーーーッ!」
五条が叫ぶ。起き上がった五条が見たものは、極太の眉毛に昭和の少女漫画を彷彿とさせるキラキラの瞳がアイマスクに貼り付けられた自分の姿だった。
「テレビで見て、絶対先生でやったら、面白いって、思って……ッ」
そっと腕を解いて横目で五条を見るも、スマホを食い入るように見るキラキラお目々の五条がやっぱりおかしくて、変なところで言葉が途切れる。
「これ、わざわざ持ち歩いてたの?」
「んひっ……うん」
その瞳で見つめないでほしい。自分がやったこととはいえ、あまりに可笑しくて、ひっひっと変な笑い声になってしまう。しまいには涙も出てきた。
「悠仁の分はないの?」
「なんで?」
「二人で写真撮ろうよ。僕ばっかり笑われるなんてフェアじゃないじゃん」
まさかの反応にびっくりしてキラキラの瞳で見上げてくる五条を直視する。
「いや、それしかねぇよ?何で写真撮りたいの?」
「えー、イタズラ記念でお揃いで撮りたかったのに。じゃあさ、後で悠仁もこれつけてよ。それで一緒に撮ろ?」
爆笑したことを怒られるかと思ったら、想定外の反応にポカンとしてしまう。笑われてずるいと言うのに写真?と疑問だらけの悠仁を置いてきぼりに、五条は掴んだ腕を引っ張って悠仁を自分の隣に座らせた。すると、すっと顔を寄せられる。ドキッとする悠仁の前に五条のスマホが現れ、パシャリと音がした。
「えっ」
突然のことに絶対に間抜けな顔で写ったに違いない。
「うん、いい顔」
それなのに五条は撮影した写真を見て満足そうだ。見せてきた画面には案の定、驚きで間抜けな顔が写っていた。その隣ではピースをする五条の姿。
「先生、もう一回!その顔はねぇよ」
普段は写真写りなど気にしないが、実はこれが初めてのツーショット写真なのだ。せめてもう少しましな顔で格好つけたい。
「何でよ、可愛いじゃない。それに僕の顔見てそれ言う?」
至近距離で見る五条の顔に再び噴き出してしまい慌てて口元を手で隠す。間近でのインパクトが強すぎる。
「こら、人の顔見て笑わない。それにもう一回って言うけど、そんな笑っちゃう顔の隣でキメ顔するのも変じゃない?」
だから悠仁もやろう?と迫ってくる五条に堪らず腹を抱えて爆笑した。
「だめ、先生、それはっ、ずるい」
距離感へのときめきよりも可笑しさが勝って、悠仁は崩れ落ちるようにソファの上で横倒しになった。そこに覆い被さって追い打ちをかける。
「涙流すほど面白い?」
コクコクと声もなく頷けば、片手でそっとアイマスクを外して五条はそれをまじまじと見つめた。なるほどねと他人事のように呟いて、笑いに打ち震える悠仁を起き上がらせるとその顔にずぼりとアイマスクを被せた。
「!」
「はい、次は悠仁の番ね!」
突然真っ暗に遮られた視界。何事かと一瞬慌てるが、落ち着くと何も見えないのに五条の視線を感じられるのが不思議だ。そんな悠仁を五条はまじまじと見つめ噴き出した。
「ぶっ、悠仁も変な顔〜〜〜」
笑われているのに、五条に見つめられていると思うとじわじわ、と頬に熱が集まってくる。
「変な顔って言うなよ」
誤魔化すように返すが、内心それどころではなかった。何せ五条が普段身につけているアイテムを身につけているのだ。さっきからドコドコと心臓がうるさくて仕方がない。
「ほら、前向いて」
悠仁のドキドキに気付くことなく、また撮影しようとしているらしい。視界が遮られている分、五条が動くたびに衣擦れやソファの座面が沈み込みなどで、五条の挙動がいつもよりよくわかって落ち着かない。察知して落ち着かない。まさかこんな展開になるとは思わず、どうしようとまごついていると、ぐっと肩を抱き寄せられた。えっと思う間に今度はぴとっと温かいものが頬に触れる。
驚いて固まるが、全神経が顔の片側に集中する。どうやら五条の頬がくっついているようで、五条の香りが鼻腔をくすぐりパニックになる。
(うわわわわ……!)
かつてこんなに顔が密着したことがあっただろうか。
「撮るよー」
そんな悠仁を置いてきぼりに、カシャっと軽いシャッター音がやけに大きく聞こえる。また表情を取り繕えなかった。好きな人とくっついていて、咄嗟に取り繕った表情が出来る人なんていないだろう。さっき以上に酷い表情をしている自信がある。
「うん、よく撮れてる」
そんな訳ないだろ!と慌ててアイマスクを取た。画面に写し出されていたのは耳まで真っ赤に染まった自分の顔。好きが丸見えだ。
「ちょ、先生!これ削除!」
「何で?りんごみたいで可愛いじゃん」
こんな感情丸出しの表情のどこに可愛げがあるというのだろうかと呆然とする。
「写真、みんなにも送っといたからね」
「え?何で!」
「だって面白いじゃん。ほら、もうみんなが反応してくれてるよ?」
さっきの通知音はそれだったのかと慌ててメッセージアプリを確認する。そこには目隠しにシールが貼り付けられた五条とぽかんとしている悠仁の写真が、よりにもよって呪術高専生全員のグループに送られていて、同級生や先輩たちから反応が集まり始めていた。
「何してんの⁉削除してよ!」
「いいじゃん。僕の面白写真なんてレアだよ?何してもGLGだなんてさすが僕」
「俺がイタズラしたってバレるじゃん!」
「本当のことだしいいでしょ?」
そんなやりとりをしていると、申し訳なさそうに戸口から伊地知が現れた。悠仁からアイマスクを奪った五条は、丁寧にシールを剥がすと伊地知のメガネにペタリと貼り付けた。
「は⁉︎」
「うーん、可愛くはないな」
パシャリと伊地知を撮影するも散々な言いようで。
「五条さん!何ですかこれ!」
「さ、行くよ伊地知」
「え、ちょっと、これ!」
「じゃあ僕任務行ってくるね、悠仁」
「えっ、あ、うん。気をつけて」
いってきまーすと五条は伊地知の襟首をむんずとつかむと、引きずるようにして任務へと出かけていった。
見送った後スマホを見れば『男前じゃない』『アホなことやってんな』『似合ってるぞ』などのメッセージに思わず苦笑いが漏れる。それにしても初めて二人で撮った写真を他の人に送信されてしまったのは残念だ。できれば大事にそっと隠し持っていたかったのだが。
するとまた通知音が鳴った。
五条からの個人連絡のようで、慌てて開けば素顔をさらした五条と、真っ赤に染まった悠仁の写真が送られてきていた。
『これは二人だけの秘密ね』
そんなメッセージが添えられていて、堪らず悠仁はソファに倒れ込む。
「ずりぃだろ、こんなん」
秘密ってなんだ、秘密って!ときめきでいてもたってもいられずソファの上でジタバタしてしまう。
「……見せる訳ないだろ」
あまり見せない五条の素顔。シールよりもずっとキラキラした蒼をじっと見つめる。画面上ですら吸い込まれそうな透きとおった淡い蒼に、すっと通った鼻梁に艶やかな薄い唇。顔で好きになった訳ではないが綺麗だと思うし、整った容姿を鼻にかけることなく、気軽に乗ってくれる五条の在り方が好きだった。
普段見せない素顔をためらいなく見せられて、心を許してもらえるのかとちょっと期待してしまう。そういう狡いところも、しっかりとときめいてしまうのだから重症だ。
改めて送られてきた写真を見る。まさか自分が可愛いと言われて喜ぶなんて思っても見なかった。好きな人に褒められた、そのことが堪らなく嬉しい。
写真の五条をそっと撫でると、先ほどの温もりが指先から伝わってくるようで。
(絶対消えないように保存しとこ)
思いがけずできた宝物に、そっとスマホを胸に抱いたのだった。
また別の日。
燦々と日差しが降り注ぐ校舎の廊下。一人歩いていた悠仁は、曲がった先に五条が話し込んでいるのに出くわした。こちらに背を向けた学長と何か大事な話をしているのかもしれないと思わず物陰に隠れる。いつものようにアイマスクをした五条が、こちらに気付いている素振りもない。ならばとダメ元で渾身の変顔をしてみたところ。
「ブハッ!」
まさかのクリティカルヒット。
「何がそんなにおかしいんだ悟」
突然噴き出した五条に学長の声が一段と低くなる。ヤバいと思ったが後の祭り。
「違いますって!悠仁が……」
「虎杖?」
振り返ろうとする学長に見つかるのはまずいと、今来た廊下を全速力で走り抜ける。後方で学生のせいにするとは何事だという学長の声が聞こえてきてた。
(先生ごめん!)
それでも悠仁の足は止まらなかった。
「悠仁〜、あの後大変だったんだよ!学長に学生に罪を擦り付けるなって滅茶苦茶怒られたんだけど」
全速力で逃げ出した後、先輩たちに捕まり稽古をしていたところにのっそりと五条が現れた。
「ごめん。まさか先生があんなに笑うとは思わなくて」
五条の元へと駈け寄る。
「笑うでしょ!突然あんな人面を力の限り潰しましたみたいな顔見せられたら」
「いや、気付いてないかとも思ったし」
「気付いてたよ。まさかあそこであんなことするとは思ってなかったから油断したの」
「先生に油断させられるなんて、俺実は最強なのでは……?」
「コラ、調子に乗らない。僕の可愛い教え子はどこにいっちゃった?」
「今は可愛くない?」
アイドルのように顎に両手の拳をくっつけて、キュルンとした目で五条を見上げる。自分がこんなポーズとったって可愛くないのは百も承知だが、きっと五条なら笑ってくれるだろう。するとコツン、と痛くないチョップが頭に落ちてきた。
「そんなかわい子ぶったって許しませーん」
「えー!先生の可愛い生徒だよ?」
「自分で言っちゃってるので更にマイナス十点!よってこれから僕と一緒に来てもらいます」
「え!」
「何嬉しそうにしてるの。残念でした。資料の整理手伝ってもらうよ」
「先生と一緒に?」
「僕はこれから任務でーす。詳細は伊地知から聞きな」
そう言って五条は歩き出す。
一緒にいられるかと思ってぬか喜びしてしまったけれど、それでも資料室までは五条と二人きり。悠仁は滅多にないチャンスに胸が高鳴る。
「悠仁?」
後についてこないのを不思議に思ってか五条が振り返る。
「はい!虎杖悠仁、資料の整理頑張ります!」
大きく手を挙げて宣言すると、立ち止まった五条の側に駆け寄った。
腕が触れそうな距離感がどれだけ特別で、五条に許されているのか。呪術界の様々な人と任務を重ねるごとに痛感した。だからこそ滅多にないチャンスを大事にしたい。
「いいお返事だね、じゃあ頑張ってもらいますか」
ふと笑って五条が軽くポンポンと頭を叩く。
あれもこれも話したいこと、訊きたいことはたくさんある。なのにいざ五条を前にすると、どれから話そうかと頭と口が追いつかない。あの、その、とつっかえながら話し始めれば、五条は楽しそうに悠仁の話を聞いてくれた。
(先生のこういうところ、好きだな)
とりとめのない話でもきちんと返事をしてくれる。五条の好きなところのひとつだ。そんな優しさに触れられたことに、じんわりと胸が暖かくなる悠仁だった。
こうやってイタズラする度に好きな所を再確認して、もっと好きになっていく。そろそろまずいかもしれないと悠仁は少し不安になってきた。この想いを押し込んでおけるだろうか。
そんな時、伏黒と釘崎に任務が下され悠仁だけ教室で授業を受けることになった。悔しくないといえば嘘になるけれど、経験の差は如何ともしがたいし、仕方ないことだと納得している。
ふと悠仁の目に飛び込んできたのは、教卓に置きっぱなしにされている見慣れた上着。広げてみると大きくてやはり五条のもののようだ。思わず羽織ってみようかと思ったが、さすがに恥ずかしくて断念する。トイレから戻ったら置かれていたので、今日は五条の授業のようだ。それだけでもラッキーなのに一対一だなんて心が浮き足だってしまう。
(今日も遅いな)
定刻は過ぎているのにまだ来ない。手持ち無沙汰なのも相まって、むずむずとイタズラ心が頭をもたげる。先日伏黒たちと行った駄菓子屋で買ったスライムを机の中から取り出すと、五条の上着のポケットに中身を移す。
(どんな反応するかな。気付かなかったりして?)
そうして何事もなかったかのように悠仁は五条が来るのを待った。
「お待たせー!」
何も知らない五条がきっかり七分遅れて登場。珍しく体のラインがはっきりとわかるTシャツ姿ににドキンと大きく心臓が跳ねる。着痩せするタイプなのか、がっしりとした腕に、引き締まっているが、鍛えられているとひと目で分かる上半身に目が離せなかった。
「今日は悠仁だけだね」
そんな視線に気付きもせず、置いてあった上着を羽織った五条は自然な流れで片手をポケットに入れた。ピクッと肩が揺れ、はっと息を呑んだのがわかった。
「……ぷっ」
見たこともない五条の反応に、堪らず噴き出した。
「ゆーうーじー?」
たった二歩で教壇から机の前まで降りてきた。
「ごめんなさいっ」
「笑いながらじゃ謝罪の意味ないよ?」
「だって……先生の肩ぴゃって跳ねるんだもん」
「そりゃこんな感触じゃなるでしょ。まったく、本当に困った子だね」
全然困ってなさそうな声で、悠仁の鼻を摘んだ。へへへと笑うと五条はそのまま鼻を左右にグニグニして、パッと手を離す。
「で、これは何なのかな?」
「スライムだよ」
「スライム?」
鸚鵡返しに首を傾げる五条に今度は悠仁が驚いた。
「先生知らん?デロデロの蛍光色のやつでさ、駄菓子屋とかで売ってんの」
「駄菓子屋ってことは食べ物?」
「んーん、おもちゃだよ」
「へぇ、世の中にはいろんなものがあるんだねぇ」
ポケットに突っ込んだ手をモゾモゾと動かして感触を確かめているようだ。
「ちなみにさ、さっきから取り出そうとしてるんだけどデロデロがポケットに広がってて取れない」
「うそ!ごめん‼︎」
慌てて五条のポケットに悠仁も手を入れると、確かにポケットの中にぺっとりとくっついてしまっているようだ。実害を与えてしまったと青くなる悠仁とは反対に、指先の感触が面白いのか五条はフニフニとスライムを摘んで楽しんでいる。
「これ、どうやって遊ぶの?」
「え?あ、えっと触ってて楽しい、みたいな?ちびっ子は絶対一回は欲しがるやつだよ」
「子供の憧れの品ってことか。それを悠仁はいまだに持ってる訳だ」
まだまだお子ちゃまだねぇと笑う五条に、ウッと声を詰まらせる。
「ち、違うし!懐かしくて買っちゃっただけだし!でもマジごめん。こんな風になるとは思わなくて。洗わなきゃいかんよね」
「大丈夫だよ。替えなんていくらでもあるし、片方ポケットが使えないくらいなんてことない。悠仁のイタズラなんて可愛いもんよ」
申し訳ないことをしたと心の底から反省するものの、自分勝手なもので、他にもイタズラを仕掛けてくる気安い人がいるような口振りに、モヤモヤとしたものが胸に広がっていく。悠仁以外にもこんな風に笑って許す相手がいるのだろうか。教師なんだから生徒にイタズラされることだってあるだろう。そう思うのに面白くないという想いがむくむくと湧いてくる。
(俺だけの先生じゃないんだし、こんな風に思うのはダメだ)
膨らんできた独占欲を自戒の念でぎゅうっと抑え込む。だが、その抑えも徐々に効きにくくなってきているのに気付いていた。
(これ以上はもうやめよう)
ますます好きになってしまったと、やっとここで自覚した。これ以上続ければ恋しい想いが募るだけ。
「自分で仕掛けておいてしょんぼりしないの。大丈夫だって言ってるでしょ」
「……うん」
五条は悠仁がしょげていると誤解したらしく、優しく頭を撫でてくれた。この手を独占したい。でも他の人にも同じことをしているかもしれないと思うと、絞られるように胸が痛くて苦しくなる。
「僕は悠仁のことなら受け止められるから気にしなくて大丈夫。何たって最強だからね」
そう言って悠仁の顔を覗き込む五条は先生の顔をしていた。
それでも仏の顔も三度までだったみたいだ。
スライムの一件から数日、これ以上自分の首を絞めるわけにはいかないと悠仁はイタズラを封印した。淋しくないと言えばうそになるが、これ以上は危険と本能が告げる。教師と生徒という関係が切れる訳ではないのだ、以前のように振る舞えばいいと言い聞かせる。
そんなある日、午前中の任務を終わらせ校舎に向かっていた悠仁は呼び止められた。何だろうと振り返ろうとした瞬間、文字通り吸い寄せられて五条の腕の中にスッポリと収まってしまった。
「何ごと⁉︎」
突然のことに目を白黒させていると頭上から五条の楽しそうな声。
「僕の術式だよ」
「術式⁉何で?ていうか全然離れなくない⁉︎」
離れようと身動ぎするも磁石でくっついたようにぴったりと背中がくっついて五条から離れられない。
「使えるものは使って楽しむのがイタズラの醍醐味だよ」
悠仁の首にしっかりと両腕をまわし「そう?」と耳元で囁かれる。吐息が耳にかかり、息が止まった。
(この距離はヤバい!)
五条は背後から抱きついて鼻歌でも歌いそうなほど楽しげにしている。何とか離れようと歩き始めると、五条も一緒に歩き始めた。余裕な五条とは真逆に、煩いほど鼓動激しくなる悠仁は悔しさに口を開いた。
「先生、いい加減離れて」
「ヤでーす。たまには僕にもイタズラさせてよ」
「これイタズラなの?」
「うん、いつものお返し」
「仕返しってことかぁ」
口で破棄にしないと言っていたがやはり五条は腹に据えかねていたのかもしれない。仕返しされる程に嫌だったのかとちょっとショックだ。これでは仕返しというよりは悠仁にとってスペシャルボーナスのようなものだが、気持ちを隠し通すと決めた身には確かに仕返しの効果がある。まさか気持ちがバレたのかとサッと悠仁の顔が青くなる。
「悠仁からのイタズラは可愛いものじゃない。僕にそんなことする生徒なんて今までいなかったから嬉しかったんだよね。だから僕もイタズラしてみたって訳」
悠仁の変化に気付かず、五条が楽し気に告げる。どうやら気持ちがバレたわけではないようでホッとする。
「まぁ、最強にイタズラ仕掛けようとは思わんよな」
「でしょ?」
ここで初めて悠仁は気付いた。最強としてではなく、一個人の五条に対してイタズラをしていたことに。
(最強だから好きになった訳じゃないもんな)
改めて最強相手になんて稚拙なイタズラをしていたのかと思うと恥ずかしくなる。
「でもさ、いい加減離してくんない?動きにくくて困るんだけど」
五条の脚に引っかかりそうで歩き辛い。それに何より抱きつかれているのだ。心臓がドコドコとうるさいくらいに早鐘を打って、背中越しに伝わってしまうのではないかと気が気じゃない。何故か無下限の中に入れられてしまったらしく、背中と五条の胸がぴったりとくっついて、じんわりと体温が伝わってくるからだ。
「うそでしょ。最強がくっついてたら敵なしだよ?その辺の呪霊なら逃げてくよ?」
「逃しちゃダメじゃん」
そんな話をしながらも悠仁は必死に早歩きをして五条を振り切ろうとする。これ以上は心臓がもちそうにない。
(ヤバイヤバイヤバイ)
包まれるように抱きしめられていると好きが溢れ出てきてしまう。熱が顔に集中しているのが分かるので、きっと真っ赤だろう。そんな分かり易い反応を見られては五条に気付かれてしまうとヒヤヒヤする。
しかし、無情なことに五条の一歩は大きくてまったく効果がない。歩きながら悠仁の頭は顎乗せるのに丁度いいね、なんて言い出すし、しっかり首をホールドされているのでどうにもならない。何とかこの状況を打破しなければと気ばかり焦る。
「おー、虎杖。でっけー特級呪物くっつけてんな」
「真希先輩!パンダ先輩!」
そんな悠仁と五条を真希とパンダが揶揄い顔で声を掛けてきたので、思わず立ち止まる。
「失礼しちゃうな〜。僕がいればすべてのものから守れるんだから呪物な訳ないでしょ」
「そもそもくっ付いてられるのが呪霊並みにウザいだろ」
真希が苦虫を噛んだような表情で二人を見つめる。
「酷い!そんなことないよね悠仁!」
「えっ」
突然話題を振られ、離れることしか考えていなかった悠仁は言葉に詰まる。
「ほらな」
「嘘でしょ悠仁。可愛いイタズラだよね?」
「えっ?」
可愛いとか自分でいっちゃう?とそんなところにもきゅんとしてしまう。こんな風に悠仁の心の忍耐力を試すので、イタズラとしては最悪だ。
「まあ悟がそんな風に構うのは悠仁くらいだもんな。悠仁は優しいから付き合ってやってるんだろ」
パンダがそう言えば、五条は頭上に乗せた顎をぐりぐりと押し付けてきた。
「先生、流石にそれは痛い!」
痛みに耐えきれず悠仁は仰反るように五条を見上げると、目が合った。
ちゅっ
すると額に温かく柔らかいものが触れた。
「え……?」
事態を把握できずにいると、驚きに見開かれた蒼い瞳が悠仁を見下ろしていた。
五条は今、何をした?
今にも零れ落ちそうな蒼い瞳を見つめていると、脳が急に動き出す。これはもしやキスされたのではないだろうか、と。
バチン!
頭で考えるより先に手が出た。悠仁は両手で五条の顔を勢いよく挟む。きっと白い肌は悠仁の手のひらの形に真っ赤に染まっているだろう。
「先生」
何故か驚きに固まっている五条を真剣な表情でまっすぐ見据える。五条と接点を持ちたかったとはいえ、これはまったく望んでいないものだ。
「こういうことは好きな人とするものだろ。イタズラの範疇超えてる」
言い聞かせるようにゆっくりと。好きだからこそ特別な人とするようなことを戯れにして欲しくなかったし、悠仁にとってとびっきり特別なことが五条にとってはイタズラの範疇なのが腹立たしくて、悲しかった。
「……ごめん」
半ば呆然としながら五条の口から零れた謝罪に胸が締め付けられる。謝るくらいならするなよと思う。五条のキスの感触も、いとも容易く五条はキス出来てしまうことも知りたくなかった。
「ん、わかればよろしい」
ぱっと手を離してニカっと悠仁は笑顔を作った。五条との感覚の差にどんなに胸が締め付けられようと、それを表に出してはいけない。水に流さなければと必死に笑う。
「じゃあ、この腕も離してね。もう俺もイタズラしないからさ」
五条の手首を掴むと、悠仁にされるがまま簡単に首に絡まる腕がほどかれた。
俯きたくなるのを必死に我慢する。だってこれは五条のイタズラだ。いつもの五条のように仕方ないなと笑っていなければ。そう思うのに胸はジクジクと痛み、喉がヒリヒリと痛む。早くここから離れなければ何かを口走ってしまいそうだ。
欲を出した結果、大きなしっぺ返しされただけ。自業自得。そう思っていればじくじくとした胸の痛みも少しは和らぐだろう。
「俺これから授業あるからさ。先生は任務?頑張ってな」
五条に有無を言わせず言い切ると、じゃあねと何事もないように手をあげて悠仁は足早にその場を後にした。
一方、五条と言えば。
見上げられ、射抜かれるようなまっすぐな視線に釘付けで身じろぎひとつ出来ず。気付いたらまろい額に唇を押し付けていた。そんな自分の不可解な行動に衝撃を受けていた。
イタズラの仕返しなどではなく、無意識下の行動だった。さすがの五条でも戯れに大事な生徒にキスなんてしない。ただ、見上げる悠仁が可愛くて、そう思ったら口づけていたのだ。
「あれ?」
ドキドキと胸が高鳴っている。こんなことは初めてで、どうしてこうなっているのかが分からない。でも嫌な気分ではなくて。窘める悠仁も可愛かったなぁなんて思っている自分に気付く。
初めて抱く環状に、知識としては知っていて、自分には無縁だと思っていた言葉が頭を過る。
「ウソでしょ」
俄かには信じられず、いまだドキドキと動く心臓を押さえるように五条は胸に手を当てたのだった。
終