新雪を纏う。「どうしてこうなった?」
「俺が見たかったからこうなった」
「少しは躊躇ってくれ……!!」
身にあったスーツを着る、という体験は旅人をやっていると中々ないだろう。
クレスは大きくため息を吐きながら着付けられた裾を眺める。ぱっと見あまり目立つものではないが、よくよく観察すると繊細な刺繍が施されている。カルドナ曰く、最近加入したナインエスの装備を参考にしたものだとか。
貴族ほどではないにしろ上等な代物だ、ここまでのものになると着るよりも売った方がいいとさえ思うのだが。
「スーツの仕立てなんて地味な仕事だと思ってたけどやってみると楽しいものね、モデルに負けないよう気合い入れて作っちゃった! いや〜我ながら迫力あるわ〜!」
「目立ちすぎないかが心配になってきたな……」
「いいんじゃない? 今回のお仕事って囮みたいなものでしょ、目立ってなんぼよ」
“それもそうか”とことの原因であるヨルンが頷く。カルドナはいい刺激をもらったと満足した様子で「頑張ってね! ファミリーの若頭さん!」とクレスの背を叩いた。
「お前たち……面白がってるだろう……」
全く難儀なことになったものだ。
/
今回の依頼はバルジェロファミリーからのものだった。曰くファミリーのテリトリー内で人が消えている、詳しく調べたら礼儀のなっていない新参者のマフィアが人攫いをしているという。ここまでならよくあることだが、その先が問題だった。
新参者のマフィアは奴隷及び売春商売を行なっているようで、しかもその顧客には司祭の姿まであるという。かなり悪どい、しかも根が腐った相手がボスの可能性が高いそうだ。
ヴァローレから程遠くない町で裏市が開かれているというが、かつてと違いバルジェロたちは顔を知られているため実態調査するにも潜入が難しい。
そこで白羽の矢が立ったのが朱の黎明団だった。
旅団の名こそ通ってはいるが、個人となると顔が割れているというわけではない。リーダーの名前ですら吟遊詩人ごとに結構ばらつきがある。(主にエデルガルトやファビオの影響だが)
マフィアに変装し裏市を調査、問題のマフィアのボスが誰なのかを特定する。同時進行でバルジェロたちも行動し、彼らの目から外れた方が行動に出る。両方本命で囮というまあ少々性格の悪い今回の作戦なのだが、まず問題として誰がそのマフィア役をやるのかという話になるのだが。
「程よく裏社会に通じてて程よく動けるやつが理想だな、具体的にいうと相棒のところの副団長のような」
「……それはもうクレスでいいんじゃないか?」
「えっ」
「そうだな。クレス、頼めるか?」
「なん、だと……?」
紆余曲折あるどころか一発でクレスに決まった。一応抗議はしたのだ、柄じゃないとか全盛期は過ぎてるとか小汚いおっさんにマフィアは無理だろとかまあ色々言ったのだが。
「雪狼の力を見せてくれ」
団長ヨルンにそう言われてしまっては、流石に引くに引けず。クレスは渋々この役を引き受けることになったのだ。
潜入するべく用意した設定はこうだ。クレスはスノーデビルという狩猟団が身を崩してできた新顔のマフィアの若頭、最近少し余裕ができたので人手を買いに裏市を訪れた……という話に準じて変装することになったのだが、まさか新しくスーツを卸されるとは思ってもおらず。
「なあ、いくら相棒の依頼とはいえここまでする必要はあったか? 一体幾らかけたんだ」
着慣れない服に着られているような感覚のままクレスはヨルンに問いかける。
「カルドナのツケ分だ。以前肩代わりしてな、その礼の分で依頼した。……派手に予算越えしていたから、まあ、その分もちゃんと払ったが」
「どうして越えるまで放っといたんだ……」
「面白くて……」
「……そうか」
悪癖が出たかとクレスはため息をつく、我らが団長は時折そういった面が出るのだ。なんか楽しげだから放っておく、とりあえず面白そうだから突っ込んでみる。
普段の慎重さはどこへやら、危なっかしいたらありゃしない。しかしそんな彼の隣を今日もクレスは歩いている。酔狂なのはどちらなのだろうか、考えるまでもない。
「それにしても、服が変わると印象も変わるな」
“かっこいいぞ”とヨルンが言うそれは多分服についてのものだろうと考えながら、クレスは身に纏った衣装を見下ろす。
黒を基調にしたスーツに雪を思わせるマフラーや小物たち、かっちりしているように見えて存外動きやすく機能面も十分だ。奇抜な女だと思っていたが腕は確からしい。
着ている感想としてはまあ悪くはない。悪くはないが、クレス自身としては着心地が悪かった。デザインが自信に満ち溢れている、というか。この服を着るに足る存在だとはクレスには思えなかった。
これはむしろかつて何も知らなかった頃のナスターシャムのような……、そこまで思考をまわしかけてクレスは首を振った。
「俺じゃないみたいだ。……これに関してはお前もそうではあるんだが」
「そうか?」
話題を逸らすためにクレスはヨルンの服装を見やる。裏市に潜入するためクレスだけでなくヨルンも軽い変装を施していたのだが、冗談抜きに印象が違うものだったのだ。
「白は選ばないしな」
あくまでもスノーデビルの構成員という設定であるためクレスほど上等なものではないが、普段彼が身につける色ではない白を使ったコートはそれだけでヨルンをヨルンでない存在に仕立てている。
クレスの身につけている小物と同じ、同じ雪をモチーフにしたブローチが目を引いた。よもや同じものを身につける日が来ようとは。
マフィアの構成員なのに白とはこれいかに? と思ったが設定を考えたナンナ曰く、北の狩猟団であるバックボーンから転じて構成員は白い衣を身に纏う“雪”で、若頭は黒い衣で雪の中でも見失わない“目”だとか。なんでちょっと凝ってるんだ。
「俺はどう見える?」
「かなりやってるように見える」
「元々やってるからな。……冗談だ、だからあまり変な顔をするな」
少しは否定して欲しかったが、ともあれ目的地に辿り着く。
「……教会の地下に裏市とは、悪趣味だな」
奈落への道のように黒々とした地下への階段にクレスは顔を顰めた。教会の裏口から入り込める特別な部屋、ここまで来るとバルジェロが匂わせていた懸念も現実味を帯びるどころの話ではない。
「全くだ、神官たちが知ったら怒り狂うだろう。……さて確認だ、今回の目的は件の組織のボスを特定すること。荒事はできるだけ避けるが、何かしらの事態が起きた場合はバルジェロたちと合流する」
「そして可能ならば利用客の名簿を入手する。元締めを抑えただけでは終わらない、時が来たら徹底的に叩く」
久方ぶりに雪狼としての血が騒ぐ、この手の高揚感は敵が強大で醜悪なほどに立ち上がるものだ。旅立つ前だったならばこんな想いには二度となるまいと思ったが、今は違った。
「悪い顔をしてるぞ、クレス。いや、この場合はむしろいいのかな」
「そういうお前も珍しくいい顔をしているじゃないか。……まあ、今回ばかりは期待していいぞ。目にものを見せてやる」
信頼できる仲間がいることの強さを、クレスは知っている。
「さぁ、仕事の時間だ」