偶発と秘密を食む。 厄介なことになった。
聖火神の指輪は運命を引き寄せる力を持つ。旅人との縁を繋ぐだけならまだしも、それは世界や時間をも超えてしまう。そして意図的に引き起こすことも可能だという。
ヨルンも流石に最初は半信半疑だった。指輪が瞬く時興味深い人材に出会うことはままあるが、そんな御伽話のようなことが出来るのだろうか?
とりあえず物は試しでやってみようということになり、アイラに教わった手順のまま追憶の塔の導きの場に手をかざす。
過去に出会った力ある追憶、斬り伏せてきた強敵たちの姿が脳裏に浮かぶ。そして漠然としたイメージの中で鮮烈なものといえば当然指輪の保持者であった大陸の覇者の姿だった。
多分それが悪さをしたのだろう、きっとそうだ。そうに違いない。ちょっと、だいぶ、魔が刺しただけなのだ。
「ほう、この私を呼び出すとはいい度胸をしているな」
見覚えのある姿に背筋が凍る。よりにもよって、これを引き当ててしまったこと自体が恐ろしい。
「……なあアイラ、この指輪本当に大丈夫なのか?」
「お、おめでとうニャ! 召喚は成功ニャ!」
「アイラ???」
よもや英雄タイタスを呼び出してしまうとは思ってもいなかったのだ。
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幸い追憶の存在を認識できるのは聖火神の指輪を持つ存在だけらしい。他の旅人からは“最近加入した正体の知れない大柄の剣士”という風に見えるようで、タイタスの名前自体にも違和感を抱く様子はなかった。
アイラ曰く認識阻害というものだそうで、この世界の法則と指輪の引き起こす奇跡の帳尻合わせと言ったところらしい。
現状タイタスの存在を正しく認識できるのはことの原因であるヨルンと、同じく選ばれし者であるセイル。そしてアイラたちぐらいだ。
そして認識阻害はいわば軽い封印状態のようで、阻害を取り除くことで真価を発揮させることができるという。つまりタイタスの存在を明かすことであの異形の力を解放できる……ということらしい。
強力な戦力を得たと考えるべきだろう、ヨルンとしてもこの覇者の力を計算に組み込むことに躊躇いはない。使えるものは使うだけだ、が。
今のヨルンにはそうできない大きな懸念があった。
「タイタス、“カレンのあえぎ”を知っているか?」
ふとしたある日の酒場でヨルンはタイタスに問いかけた。そしてその意図をすぐさま理解したのだろう、タイタスはにこやかな笑みを浮かべる。
「あぁ、よく覚えている。あれはいい絵だ──“本物”には遠く及ばないが、あの表情は本当によく描けていた……いつの間にか蔵から消えていたのが惜しいほどにな」
一瞬で空気がエンバーグロウのように底冷えした。周囲の喧騒も遠くなり、獰猛な彼の息遣いまでもが鼓膜に届く。
「くく、あの絵の所在は今更気にしないが……ナスターシャムのこれからには興味がある。新たに得た仲間が話も知らせず私を呼び出し、戦力として使役していたと知ったなら、奴はどんな顔をすると思う?」
“秘密を纏い副団長を裏切り続ける気分はどうだ?” この状況がさぞかし愉快なことなのだろう。腹の奥に手を入れまさぐるようにタイタスはヨルンを嘲笑う。
「彼奴は私からしてみても惜しい人材だった。制御できれば旨味はあったが、手を噛む気性の荒さだけは見過ごせない。そんな飢えた狼を、秘密を抱えたままの貴様に御せるかな」
その答え合わせが楽しみだと、言うだけ言ってタイタスは場を去っていった。
周囲の喧騒が耳に戻ってくるのを感じながらも、ヨルンはしばらくの間タイタスが残していった緊迫に囚われていた。手元に残った酒を飲み干しても、その寒さは消える様子がない。
どうしたものかと考えに耽っていると、様子を見にきたのだろうクレスが肩を軽く叩いた。
「まさかお前を迎えに来る側になるとはな。何やらひりついていたようだが、大丈夫か?」
やはり彼は何も気がついていないらしい。先程すれ違った男はタイタスであることも、ヨルンがそれらを真実含めて隠しているということも。
一つの真相が投げ込まれ生まれた、漣の形をした不安が心を揺らす。その波はいつか大津波となって己を飲み込むのか、それよりも先に臭いを嗅ぎつけた狼に喰い殺されるのか。
「大丈夫だ、少しばかり無茶を咎められただけだよ」
そんないつかを考えておきながら、今日もまた息を吸うように嘘を吐く。
「そうか。……先を越されたな、そろそろ一言いった方がいいと思っていたんだが」
「お前ほどではないだろう……」
「俺の無茶とお前のそれを同じにするな。それとも叱られ足りないか?」
「……、」
クレスの顔を見る。困り者の弟子を見るような目だ、師匠がそんな目をよくしていたことをヨルンは思い出す。
「そうかもな」
嘘に混ぜ込んだそれに気が付かれないことを祈って秘密を纏う。秘匿はいつか暴かれ秘密はいつか真実になる、その日は必ずやってくるだろう。
全てを知った狼の牙が己の首に向かうことをどこかで期待している自分がいることが、少しばかり嫌になった。