火を飼う。 エンバーグロウはもともと冷える土地であるが、大聖堂地下となればなおさらのことだ。人質状態となってからというもの、ヨルンを悩ませたのは体に慣れないこの寒さだった。
地下牢に繋がれるわけでもなく、ただこの地下聖堂内で野放しにされている。剣を取り上げられることもなく、囚人たちとの交流も研究者たちとの世間話も特に制限はされていない、ただそこにいろというだけの軟禁状態はいったいどれほど続いているのだろうか。指示がない限り外に出ることが許されず、出ることが出来たとしても決まって夜間であることから既に体内時計は狂い日程感覚もなくなりつつあった。
「ここは冷えるな。来い、ヨルン。酒でも飲みに行こう」
「……嫌だと言っても連れて行くんだろう」
「あぁ、よく分かったな。引きずられたくなければさっさと来い」
「はぁ……、分かった」
外はさらに冷えるからと押し付けられた防寒着を羽織り、タイタスに連れられて外へと出る。やはり夜だ、さきほど起きたつもりだったのだがどうにも体の方が昼夜逆転を起こしているらしい。
ぼんやりと月を見上げようと顔を上げると、タイミング悪くタイタスに頭を掴まれる。髪を掴まれ引き寄せられると、暖かな赤いマフラーが首にかかった。
「は?」
「風邪を引かれては困る」
ことの強引さと台詞の噛み合わなさにヨルンは思わず額を抑えため息をついた。
手つきから伝わるタイタスからヨルンへの扱いは人のそれではなく、それと同じようにヨルンもまたタイタスを人だとは思えない。それが時折不器用に人間のような仕草をするのが、ヨルンにとっては不気味なことであった。
不服の表情を見たのだろう、だがタイタスは何故かニヤついてみせる。
「私からの褒章だと思え」
「何の話だ」
「司祭の子を助けただろう?」
「……、あれか」
エンバーグロウの大聖堂は聖火教会に対抗するシンボルであると同時、非合法な薬物研究の場を覆う隠れ蓑でもある。
聖火教会にも後ろ暗いものは多く、時として大聖堂に転がり込んででも助けを乞うものがやってくる。先日地下に担ぎ込まれてきた少女もそうであった。
目も当てられないような重体だったが、その怪我もあまりまともな理由ではなかったのだろう。何をしてでも死なせたくないという司祭だったが、あまりの重体っぷりに研究者たちは困り果てていた。怪我からくる痛みによって暴れまともに治療もできない状態だったのだ。
しかしその司祭はタイタスと繋がりのあるパトロンだった。尚更死なせられないが、ことの難しさにどうしたらいいんだと頭を抱えほとんど関係のないヨルンにまで相談が回ってきたのだ。
死にかけているのが少女と聞き、ヨルンは致し方なく混乱状態だった研究者たちから話を聞いて周り情報をまとめある提案した。
“粉”から作った試作品であり、人を鎮静させることだけしかできない廃棄待ちだった出来損ないの緋晶薬を鎮静剤として投与したらどうか? と。
結果は成功、少女は一命を取り留めた。……ヨルンとしては複雑な結果ではあった。様々な意味合いでまともな薬師は研究所にいるわけがなく、アイデア自体は研究者から出たものだがそれを実行するなんて人体実験みたいなものだ。
緋晶薬はアッパーとしての効能が求められている以上、ダウナードラッグになってしまった失敗作のことを覚えている人間もほとんどいない。廃棄寸前だったものをギリギリ引き留めたのはヨルンだ、だがそんなことをしても何の得もないことにヨルンの理性は気がついていた。
「廃棄待ちだったあの出来損ないに、あんな使い道があるとはな」
やらせてみるものだとタイタスが笑う。
少女を助けることはできた。それと同時に親である司祭もさらにタイタスという権力に傾倒し、失敗作の緋晶薬にも使い道があるということを教えてしまった。
麻酔として使えると聞いたタイタスがどういった行動に出るのか、わざわざ説明することもないだろう。
少女を助けるという善意のために積み重なった結果は、たったそれだけのことと無視できないほどに大きいだろう。
「(俺はどこを目指している……?)」
聖火神の指輪の所有者であるというだけで捕らえられ、本懐を果たすことも指輪の導きに従うこともできずにこんな場所で手を引かれるままどこへもいけない己の両足が憎い。
今にも背から斬りかかれるはずだというのに、そうできない己の両の手が憎い。多くの枷をかけられ、それを引きちぎることで起きる多くの死が恐ろしい己の恐怖が憎い。
それは踏まれた雪のように二度と色を取り戻すことはなく、黒々と薄汚れて靴底を汚していく自己嫌悪だった。
「あぁ、にしてもお前には赤がよく似合う。緋色……そして罪の色だ」
「皮肉か?」
「本心だとも。罪にずぶぬれになりながら戦うお前は美しい、……だからこそ欲しい」
タイタスの大きな手がヨルンの冷えた頬に触れる。
「時が来たらまた授けてやろう」
「願い下げだ。そんな物……」
見下ろされるタイタスの目は、興味深い化け物を見るような色をしている。濁った血の色だ、酒と薬によってまともに生きていない人間の血の色だ。
そして彼が授けるというものは、それと同じ色をしているのだろう。赤く、罪のように重く、そして血のような温かさを持っているのだろう。
「……、触れたくもない…………」
この首にかけられた赤いマフラーの温かさに一瞬でも期待をかけた己のように、気が触れてしまう気がして。