命火拝領〈3〉「な、なにがあったんですか……!?」
気持ちを正しもう一度試練を受けようという覚悟の元戻ってきたロンドとリシャールは、エントランスに足を踏み入れた瞬間驚きの声を上げた。
元々内乱の傷跡が残っていたその場所はさらに荒れ、なぜかヨルンがボロボロになった状態で階段に座り項垂れていた。しかも謎なことにもっと上段に陣取り同じく階段に腰を下ろしているタトゥロックもボロボロであり、ふてくされているのかそっぽを向いている。
まるで大喧嘩の後のような光景に目を白黒させていると、「あぁ、戻ってきたか」とバルジェロが声をかけてきた。
「どうしちまったんだよ。まさか魔物か?」
「魔物……か。魔物であればよかったんだがな」
ため息をつくバルジェロに首をかしげていると、「あら、怒った先代聖火守指長なんて魔物どころか怪物ではなくて?」と旅人の一人が皮肉交じりに言う。学者のニーナラーナ曰く、騒ぎを聞きつけて駆け付けたところ既にこんな状況だったらしい。どういうことかと問えばバルジェロは「タトゥロックが悪い。だが喧嘩を買った相棒も悪い」と呆れて詳細を話そうとしない。そんな様子にニーナラーナが苦笑し、「推察なら出来るわよ、聞きたい?」と揶揄うようにロンドとリシャールを見る。
ロンドとリシャールはお互い顔を見合わせ、気になるものは気になるし……と頷いた。
「バルジェロの物言いから察するに、最初に口を出したのは女帝さまね。そろそろ退屈になる頃合いでしょうし、実際そうでしょう?」
「うむ。辺獄となれば多少は気が紛れるかと思ったが、大したことなかったからのう」
「分かるわ、肩透かしだもの。それで団長が女帝さまの煽りを受けて、この様子だと間髪入れずに怒ったんじゃないかしら。よほどのことを言われたようね」
ニーナラーナに話を振られ、ヨルンは目を逸らしため息をつく。
「怒らない方が無理だろ」
「で、手が出た。多分あなたの方が早かったわね、そういう時に限って迷いがないもの」
「……。」
「あら図星みたいね、珍しい」
くすくすと笑うニーナラーナを見てかバルジェロが肩をすくめた。喧嘩したのも事実のようで、しかもどうやら本当に先にヨルンが斬りかかったらしい。
「そして城の中でドタバタはしゃいだお馬鹿さんたちをソンゾーンが両成敗……といったところかしら。どう? 当たってる?」
「おおむね正解だ。中々頭が切れるな、あんた。レヴィーナがいるみたいだ」
「学者だもの、これぐらい読めて当然よ。ね、団長?」
「はぁ……頼むからこっちに振らないでくれ……、ただでさえ頭が痛むというのに……」
「この程度で音を上げるとはオルステラの剣は柔いのう! 首も斬れぬわけだわ」
「あぁ……?」
「こら、さっきソンゾーンに殴られたのを忘れたか」
何から何まで図星なのだろう、居心地が悪そうに彼は目を瞑る。そんな様子にけらけらと笑うタトゥロックにバルジェロが「そもそもあんたが悪いんだからな」と釘を刺した。そんな本当に仲間内で大喧嘩をしたかのような光景にロンドは驚いた、あのタトゥロックがいる中でそういったことが成立するとは思っていなかったのだ。
「な、なんか仲良くなってるみたいに見えるんだが?」
「僕の目にもそう見えます、本当に一体何があったんでしょう……?」
一瞬抜けた時間に一体何があったのか興味を惹かれるばかりだったが、バルジェロが「知らなくていいこともある」と首を振った。”聞かせるような真っ当な話じゃない”ということらしく、彼の気遣いなのだろうことを察しロンドとリシャールは追及をやめる。
「(……あー、そういう)」
しかし察しのよいリシャールだけは、彼らの間に何があったかを理解することができた。決して温かなものではない血反吐を吐くような言い争いを彼らはしたのだろう。人の魂を喰らう妖姫と、人を斬り続けている剣士。そんな二人がする話だ、きっとどころではなく確実に血と傲慢の色をしている。
「(そりゃたしかに聞かせられねーわ)」
その傲慢の色を、リシャール自身も己が身に宿しているのだから尚笑えないのだ。
◇
「多少は愉快なことになると眺めておったがつまらぬなぁ。嘆かわしいのう、かのエリカとやらも死ぬに死にきれなかったそうだがこうでは納得じゃ」
「あぁ?」
そいつはまさしくコングの音。一度頭を冷やそうと外に出ようとしたところでタトゥロックが言い放った言葉は、あまりにも容赦なく相棒の……ヨルンの後頭部をぶん殴ったのだろう。静寂に満ちたエントランスが一気に冷え込み殺気がにじみ出る。今にも爆発寸前な火に油を注ぐがごとくタトゥロックが嗤う、「結局殺したくなかったから自死を選んだのだろう? 何を宣うか、そなたが勝てばよかろうに」と。
傷に塩を塗るどころか石をねじ込むような言葉にヨルンがタトゥロックを睨む。その横顔をバルジェロは見た、感情が抜けきった戦鬼の顔だった。
「忘れているようだから教えてやろう。──……殺しには殺ししかできぬ」
それ以外の生き方などできないと槍を突き付けるように語りながら、女帝タトゥロックはコツコツと階段を下り……そのうちヨルンと同じ段にまで降りてきた。じっとりとした殺意がお互いを刺す。吐息まで凍りそうな感情の氷点下、一気に冷え込んだその空間に彼女だけが平然な顔をして立っていた。
「力こそが価値じゃ、全てを決めるのは力のみよ。そのことから逃れ、あまつさえ捨てるなど。っは、その程度の男に負けたとはな」
まるで男をたぶらかすような仕草でタトゥロックがヨルンの肩に指を添わせ、それでも確かに聞こえるように囁いた。
「その指輪、いらぬのならば妾に献上せよ……己が価値もわからぬものの指に収めるものではないわ」
「っ……!!」
弾かれたようにヨルンがタトゥロックを振り払う、お互い距離を置いたとなったらそれはもう臨戦態勢だ。バルジェロは判断に迷った、止めるべきだろうがどちらを止めても結果は同じなように見えた。そうしてふとバルジェロは現世を任せたファミリーの姿を思い出した。いつも言い争いやじゃれあいをしてばかりのピエロとロッソ、しかしある程度お互いが言いたいことを言い尽くすと結局二人で同じ道を歩くのだ。
今の目の前の二人も、不思議とそう見えた。
「(事の規模が洒落にならないのは指輪のせいか?)」
命懸けな内容であることには違いない。タトゥロックは聖火神の指輪を諦めていない上、それをよこせと要求しているのだ。だが本気に見えなかった、というよりかはまるでそれを理由にして茶化しているようにさえ見えたのだ。
そもそも本気だったならばタトゥロックは辺獄に入る前に行動しているだろう。うん、全く本気じゃない。
「勝手なことをごちゃごちゃと……っ、そもそも捨てたつもりはない……!!」
「ほう? あの坊や曰く勝負を捨てたと聞いたが?」
「っ違う!! あれは、……っ」
「違う、違うか。やはり“あの小僧を殺せる”と踏んだから躊躇ったのじゃろう? わかるぞ、気に入った人間を前置きなく殺すのは勿体無いからのう……!」
いやでもだいぶダメかもしれない。
タトゥロックの常軌を逸した発言にヨルンが剣を抜き即座に斬りかかった、鋼が噛み合う音と共にタトゥロックの鉄扇がそれをあっさりと受け止める。
「黙れ……!! 人喰らいの貴様と同じにするな……!」
「ははっ、人斬り風情が。選んで殺しているのは妾もうぬも同じこと、傲慢を飲み干さずして何が支配者か!」
「そんなものになったつもりもなるつもりもない!」
「それが愚かだと言っておるのだ、腑抜けが!!」
咆哮のような気配と共に繰り出された蹴りがヨルンを吹っ飛ばす。バルジェロは階段の手すりに打ち付けられた相棒を助けに入ろうとしたが、両者の強烈な噛み合うほどの戦圧に動けなかった。
こつりこつりとタトゥロックの足音がエントランスに響く。一音一音が重く、鋭い。一方ヨルンは当たり所が悪かったのか、元より体調を崩したままここまできたのが祟ったか、大きく咳き込み体勢を戻せずにいた。
「うぬは言ったな、アラウネはオルステラに価値を積んだのだと。ならば妾は己に価値を積んできたようなもの。妾こそが力、妾こそが法。妾の髪の毛一本で領土丸ごと一つ支配できよう。誰もが妾を恐れ、妾を畏怖し、妾を信じる……」
それが支配者であり、人の上に立つ存在なのだとタトゥロックは語る。まるでこの世の法を説くがごとく、この世の法則を教えるがごとく。
「パーディスも同じであった。あやつは己が全てであった、己の欲求のために全てを操った。妾の敷く法に逆らってな……」
女帝タトゥロックがオルステラに攻め入ったのはパーディスが死したこと、そしてその影響力が薄れたからだという話を思い出した。強欲な王パーディスは確かに悪王だった、だがその強欲と傲慢な強さ故に今までタトゥロックを西方に押し留めていた。
強い我欲は領域を作る。それが国であったり、縄張りであったりする。それは人以前に生物として当然の話だった。人は欲で生きている、その欲は確かに世界を焼くが世界を作るものでもある。
「あの日誰もが妾の死を望んでいた、妾自身もだ。生き残ることなど惨めでしかない、死んだ方がマシであった。敗者には死を……それがあの中つ海の法であったろう」
誰もが同じ願いを持ったならば、その願いこそが答えだと。タトゥロックは続けた、「だが妾でさえも逆らえなかった法に歯向かった愚か者がいたな」と。
「妾の首を無価値だと言い放った貴様は、あの日誰よりも傲慢であったぞ?」
それは、かのタトゥロックが紡いだ言葉とは思えないほどに穏やかなものだった。
誘うようにタトゥロックが鉄扇を構えた、それに応えるようにヨルンが剣を構えなおした。二人とも表情が変わった、何かしら理解できるものがあったのだろう。しかしそれをバルジェロが推し量ることはできなかった。彼らはあまりにも人の命に触れすぎた、それが故に命に対する価値観も常人とは違っているのだろう。
二人とも、まるでこの世界の原初の法則を知っているかのような寂しさがあった。
──剣閃が初めてタトゥロックの鉄扇を弾く。ヨルンの剣が、タトゥロックの首をとらえた。だが彼女の首には傷一つつかず、辛うじて切り落ちたのは数本の髪の毛程度だった。
「出来るではないか」
「……一度、やったことだからな」
「かかっ、いってくれるわ」
双方満足したのだろう、憎まれ口を叩きながらも武器を収める。最後にタトゥロックはヨルンに問いかけた、「そなたの首の価値はいかほどであろうな?」と。
彼は答えなかった、だが決してそれは無ではないのだろうことは表情から察することが出来た。
全く物騒な連中だ。ことを語らうにも殺気で殴り合うなど、常人であれば今頃意識と正気が飛んでいるところだろう。地元のマフィアたちが可愛く思えてくる。
見守るだけでやっとだったバルジェロはようやっと緊張から解放され、今回の遠征がどれほど無茶を求められていたかを身をもって思い知った。指輪の保有者というのはどいつもこいつもろくでもないと思っていたが、逆だ。指輪の保有者はその時点でまともでいられなくなるのだ。
女帝タトゥロックが西方全てを制したように、旅人ヨルンが大陸の覇者となる旅団を作り上げたように。
「……はぁ……肝が冷えたぞ、相棒」
「すまん」
しかしあそこまでではないにせよ、バルジェロにも相棒の気持ちはわかる気がした。ファミリーが強くなり大きくなっていくにつれ膨らんでいく力、自分の言葉一つで人を殺せる尋常ならざる力。それを所有すること自体がそもそも恐ろしく、所有したことで周囲の世界も様変わりしていく。己の立ち回りが変わり、どう在ればいいのかが分からなくなる。
機会があれば逃げ出してしまいたいほどに、それは悍ましい。
彼が戦いを放棄してしまった理由も分かった、きっと都合がよかったのだ。聖火神の指輪から逃れる唯一の絶好の機会、ロンドに剣を向けるぐらいだったら、次なる希望でもある彼を殺してしまうぐらいだったら自分が降りた方がいい……きっとその程度の話だったのだろう。
「……元より最後まで旅が出来るとは思っていなかったんだが、だめだな。諦めきれないらしい」
最後の最後まで、旅の終わりまで自分が立っていたいという欲。それを受け入れるには己を許さなければならなかった。今まで薄汚いことや悪いことをして、法から逸脱しながらも生きることにしがみついてきた己自身の人生と罪を。そのひと時のためがために。
きっとそれは言葉以上に難しいものだ。
「気持ちはわかる。いつかその辺で適当な奴に刺されて死ぬと俺も思ってるが、多分そうなっても死ねないな」
「ティツィアーノに斬られた時のようにか」
「そうだな、本当に死ねなかった。……結局、人間はそういうものなのだと思う」
ただそれでも死ねなかった。だからヨルンは戻ってきた直後動けなかったのだ、それは正しい選択ではないと世界から叩きつけられたのだから。逃れられないのならば仕方がない、腹を括るしかない。彼はそれが出来てしまう人種だった。
強くなることが出来てしまう、バルジェロと同じ強くなるしかできない人間だった。
「あんたにも恐ろしいものがあるんだな」
「そうらしい。……なあ、相棒。己に価値を積むのは重たいな」
ロンドに謝らないと、と彼が呟いたところで階上から「話はついたか?」というソンゾーンの声が響いた。見上げてみれば穏やかではあるものの怒りがにじみ溢れている。どうやら先ほどの諍いでまき散らされた殺気が、この城の眠りを妨げてしまったそうで。
その後起きたことは語るまでもない。外ならまだしも城内で引き起こしたのだ、向こうからシンボルエネミーが突っ込んできたところで何も文句は言えないだろう。
──ロンドとリシャールが合流したとて、バルジェロは先ほどまでの会話を二人に共有しようとは思わなかった。彼らの言う傲慢さは表を歩くには暴力的であり、オルステラの根幹をなす絶対的な世界の法のことだ。わざわざ触れるようなものでもない。
「(後ろ暗い人間にしかない感覚だろう)」
腹の底の底のことなど、触れないに越したことはない。かつて友が底に触れたことで飲み込まれたように、それを正気のまま御するには常人を捨てるほどの覚悟がいる。きっとそれに触れることは通常好ましくなく、そうなってしまった底の住人だけが知るべきものなのだ。
「ロンド、さっきは声を荒げて悪かった。お前の状況も知っていたというのに」
「いいえ、僕の方こそ謝らなければなりません。本当にごめんなさい、僕はあなたに多くの理想を押し付けていた……」
「……俺もお前に多くを押し付けようとしていた。すまなかった」
もう一度試練を受けるべく玉座へと向かうその道中、二人はようやっと足並みを揃えることが出来たようだった。対照的な二人の姿は、ある意味似た者同士なのだろうなとバルジェロは肩をすくめる。
人を守る聖火騎士、人を斬る盗餓人狩り。しかし目指す場所は同じだ、そこに己の姿を許すか許さないかの違いがあるぐらいの。相性がいいとは言えないが、同じ一点を目指すぐらいならばできる。この遠征の仲間たちと同じく皆等しく違い、道の違う隣人だった。
「再試練のことだが、先に謝っておく。かなり無茶を通す、何が起きても目を瞑ってくれ」
「えっ」
「……聞こえたからつっこむが、何をするつもりだ?」
明らかに不穏な物言いをした相棒を小突く。こういう時、相棒は少々ぎょっとするような方法を取ることをバルジェロは知っていたからだ。
「”炎を消す魔法”にあてがあるといったら、どう思う?」
彼はニーナラーナに視線を向けそんなことを言い放った。それは聖火教会の影響下で生きるオルステラの人間にとって禁忌に等しい考えであり、神学に関心を持たないバルジェロでさえ「相棒……そういうところだと思うぞ……」と困惑に顔を引きつらせるほどのものであった。
「……え? え、どういう意味ですか?」
「知らんほうがいいこともあるってことだぜ。まぁ頑張りな、応援してるからさ」
「ええ? あの、ちょっと!?」
幸いなことといえば、察しの悪いロンドが期待通り何も気が付かなかったということぐらいだった。