2022年交際記念日あたりに映画館デートする夫婦「香太郎さん危ない!」
声と同時に大きな手のひらにすくい上げられすっぽり包まれる。目線を上げると大きな大きな麻子の顔が心配そうに香太郎を見つめている。瞳に小さな小さな自分が映っているのに気付き慌てて周囲を見回すとビルの屋上からミニチュアのような涼村達が手を振っているのが見えた。麻子の頭は屋上より更に上にある。
「麻子さんが巨大化してる?!」
驚く香太郎に動じることもなく、さも当たり前のように麻子は言葉を続ける。
「危うく踏まれちゃう所でした。ここに入ってて下さいね。」
スルッと麻子の開襟シャツの胸元に入れられた。濃厚な麻子のにおいとえも言われぬ弾力と吸いつくような感触に包まれる。熱めの湯船に入っているような体温。
「天国だ…とろける…」
恍惚としていると正面から黒と白の大きな毛のかたまりがずっしりとのしかかってきた。
「うわー!なんだこの毛玉ー!!!」
「あ、起こしちゃった?」
目を開けると麻子の二の腕があった。いつもと少し違うにおいがする。
「重たそうだからこの子達をどかそうと思って。」
胸の上では八重島家の飼い猫まろ助が香箱を組み、左肩には1歳になる娘の紬が覆いかぶさるようにして突っ伏して寝息を立てている。どうりで重くて熱いわけだ。
「うん、どけて。」
香太郎は週末を利用して麻子の実家に泊まりに来ている事を思い出した。
食卓で紬にパンをちぎってやりながら映画みたいな夢見ちゃったんですよねと香太郎が何気なく話を繰り出した。寝る前にスマホに流れてきた映画の予告映像の影響だろうか。最後のは完全に願望だし欲求不満なのかな俺…と思う間にも娘は受け取ったパンをポイと投げている。すでに朝食を終え食卓でコーヒーを飲んでいた麻子の母ゆり子が転がってきたパンを拾って紬にはーいと手渡し軽やかな口調で言った。
「あら映画。いいじゃない。たまには二人でデートしてきたら?」
紬ちゃんはばぁば達と遊んでようねーと笑顔を向けると紬もつられてニコニコしている。この週末、時間ができたからと孫の顔を見せに来てくれたのは嬉しかったが、少しやつれて見える娘夫婦が気がかりでここはチャンスとばかりに気分転換を提案してみる。麻子が復職し紬を保育園に預けて数ヶ月、そろそろ疲れも出てくる頃だ。
「そんな…悪いよ、お母さん。」
自分達の朝食を盛り付けた皿を持って麻子も食卓に着いた。親孝行に来たのにとか休日も子供を預ける事への罪悪感などが表情から見てとれる。生真面目な娘を安心させてやりたくてゆり子はソファで新聞を読みながら聞き耳を立てている夫に援護を頼んだ。
「紬ちゃんは夜に車で送ってあげるから。ねえ、お父さんもドライブが楽しみなのよね。」
「おう、大丈夫だから行ってきなさい。」
香太郎を見るとここは甘えようとうなずいている。麻子の表情が少し和らいだ。
「ありがとう。お父さん、お母さん。」
電車の中で相談している内に今からあれこれ探すよりはと勝手知ったる渋谷に戻ることにした。駅から地下道直結で映画館まで行けるので空模様が変わりやすいこの季節には都合がいい。香太郎の夢のお告げに従い封切られたばかりの話題作で巨大ヒーローが主役のエンタメ映画が候補に上がる。
「麻子さんは興味ない?」
「子供の頃、桂太と一緒に見てたけど…」
「これ、師匠も出てるよ。」
キャストの中に麻子が熱心に見ていたテレビドラマの主演俳優の名前があり、劇中で披露される料理の工夫を毎回感心しながらメモを取って彼を師匠と呼びリスペクトしていた事が決定打となった。
予告編が始まり場内の明かりが一段落ちると香太郎が麻子の側に身体を傾けて麻子の手を握り自分の頬に押し当てたりし始めた。
「香太郎さん、外ですよ。」
軽くたしなめられる。そのまま手の甲に口付けながら麻子の顔を覗くと困ったような表情をしていても嫌がっている様子はない。香太郎は嬉しくなってニヤリとしてしまう。
「映画に集中できないよね」
香太郎さんも浮かれてるんだな。ふいにドキドキさせられてちょっと悔しい反面、麻子も映画の内容などどうでもよくなっている。
本編が始まると一旦手はほどいて一つの肘掛けを共有する。ほんのりと触れあう位置に落ち着いた。たまに相手がこちらを見ているなと感じるがあえて知らないふりをして自分もちらりと相手を伺う。自宅の居間で一緒にテレビを見ている時とは少し違う探り合いが楽しい。エンタメ作品なので多少気が散っても筋を追うのに支障はない。人気俳優の熱演が終盤に差し掛かる頃、とあるシーンで二人同時に目を見開いて放心した。どちらからともなく手を握り合い、顔を見合わせる。暗くてお互いにはっきりとは見えないが麻子は左手にタオルハンカチをぎゅっと握りしめて恥ずかしいような戸惑っているような表情をし、香太郎はいつになく真剣な表情をしており、握った手と手を通して鼓動が速くなっているのが伝わってきた。見終わったらこの話をしよう。どう切り出そうかなどと考えているうちにエンドロールが流れだしていた。
映画の後、どうせなら子連れで入りにくい店がいいと七輪を使う地元の焼肉屋で食事をした。麻子が早々に酔っぱらってしまったが外はまだ明るく、気楽に歩いて帰れる距離なので足取りは軽い。
「ひっく。おいしかったねー。」
「大丈夫?一杯しか飲んでないのに。」
麻子がよろけて香太郎に抱きつく。
「外だよ。麻子さん。」
「ひっく。しゃっくり、止まら、ない。香太郎さん、と一緒だ、から安心…ひっく。」
安心しきったふにゃふにゃの笑顔を向けられ、一応たしなめて平常を装っているが心の中では舞い上がっていた。うちの奥さんかわいすぎだろ。
「ほら、ちゃんとつかまって。」
肩に腕を回し麻子の手を自分の腰につかまらせる。腕の間から香太郎をひょこっと見上げて麻子がトドメを刺す。
「うちの旦那さんかっこいいね。」
人目も忘れてうっかり抱きしめてしまった。
「はい、お水。」
「ん…ありがとう。」
麻子は自宅の居間で手渡されたコップを両手で包み、こくりと一口飲んだ。
「紬が帰ってくるまでちょっと寝とくか?」
「んー……。」
とんと香太郎の肩口にもたれかかってきた麻子の柔らかい髪を指にからめながら気になっていた案件を切り出す。
「今日の映画のあのシーン覚えてる?」
「うちの事かと思っちゃった。」
「だよね。」
「あんな風に何も支えがない所で立ったまま嗅げるもんかな。」
「やってみる?」
ゆるりと麻子が立ち上がる。香太郎も映画のシーンを真似て背後に立ち、頭から腰のあたりまでくんくんと嗅いでみる。
「どう?」
「焼き肉くさい。」
そうだよね。あははと一緒に笑い出す。匂いを嗅ぎながら麻子の腰を引き寄せる。
「映画館でちょっと甘いにおいしてたよ。」
「だって…あんなの見たら嗅がれてる時を思い出しちゃうでしょ。」
シャツワンピースの上からショーツのラインをさぐり指でなぞる。肌の敏感な部分を通るので麻子の身体が少し緊張する。
「やっぱこれだけ嗅いだら触りたくなるよなぁ。何もしないエイリアンて変態。」
太腿の前側を手のひらで撫で上げる。
「あの二人は恋愛関係じゃないから触ったらセクハラになっちゃう。」
うなじの匂いを嗅ぐとピクンと麻子の肩が揺れる。
「うちは夫婦でよかった。」
「もう、さっきから触り方がやらしい。」
肩に顎を乗せ耳元で囁く。
「だってその気だもん。」
香太郎が硬くなった股間を押し付けてくる。
「ふ…耳…ずるい。」
耳を軽く喰む。
「卒乳したからおっぱいいっぱい触ってもいい?」
手は下腹部からみぞおちのあたりをさまよっている。
「いいよ…」
下から乳房の際をなぞり両手でたっぷりとした丸みをを包んですくい上げる。麻子から甘い吐息が漏れる。
「麻子さんの我慢しない声好き。」
「ん…ベッド行こ?」
紬が祖父母に送られて帰ってきた。調理用のしゃもじを振り振りご機嫌だ。夕方から放さないらしい。
「ちょっとは楽しめた?二人とも朝より顔色がいいみたい。」
「うん、ちょっとお酒飲んじゃったからかな。」
「これテイクアウトのおつまみセットです。キムチとか燻製とか。」
「もう、気を使わなくてもいいのに。でもありがとう。紬ちゃんもお風呂に入ってご飯も食べたから後は寝るだけよ。」
「ありがとう。本当に助かる。私たちも焼き肉屋でベタベタになっちゃったからササッと入っちゃった。」
なにかと母に言い訳めいた事を言ってしまう。麻子は帰宅時、母にメッセージアプリで到着を知らせた事をすっかり忘れていた。香太郎と二人してベッドでうたた寝している所に麻子の携帯が鳴り出し、さっき家を出たからあと30分くらいで着くという母からの連絡に慌ててシャワーを浴び着替えて今に至っている。お茶でもという誘いを断って両親が帰り、改めて娘の顔を見るときゃっきゃと声をあげて無邪気に笑ってくれる。抱きしめると小さな子供独特のにおいや柔らかい髪ともちもちした感触、すっぽりと腕に馴染む重みに何にも代え難い愛しさを感じる。
「たった半日なのにすごく久しぶりな気がする。」
「朝より可愛くなった気がしない?」
「おかえり、紬。」
二人に日常が戻ってきた。
end