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    たんご

    @akaonitoaoonino

    どあか用
    かわいくて笑えるだけ
    全部合意で甘々です

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    たんご

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    童磨視点一人称 

    ※他意はありませんが玉壺、琴葉、伊之助を好きな人が読むと気を悪くする可能性があるかもです。悪しからずご了承ください。

    booth→https://amakuchisenmon.booth.pm/items/6580989

    10月のイベント(東京・スパーク)でも頒布可
    サンプル部分は全年齢

    喋り鬼           1


     梅というのがそれの名だった。ひどい臭いを放つ黒く焦げた肉の塊。
    「畜生! 梅を元に戻せ! 妹を返せ!」
     ボロを纏った年端もいかない少年が声を限りに泣き叫んでいる。夜ふけといえど花街、見聞きした者もいたはずが、その中で誰ひとり手を差し伸べる者はなかったようだ。俺が見つけたときには兄の声も枯れかけ、おそらくは虫の息だった妹と思しき物体はすでに消し炭と化していた。
     ヒトの手ではもちろん、鬼の俺でも、それどころかあのお方の力をお借りしてもどうにも救いようのない状態だった。
     だが彼らは鬼になった。
    「童磨さん、あんた、なんであの時俺を助けたんですか」
     妓夫太郎がすっかり青年になり上弦にまで上がったあとで、改まって訊かれたことがある。
    「なんでって? だってお前、誰かがどうにかしてくれるのを待ってたんだろ? 俺は居合わせただけだがなあ」
    「……そうですか。何にしてもありがてえと思ってやす。妹も元気になりやした」
     彼は鬼の中では唯一と言っていいくらい、俺に対し面倒な顔をせず、かと言って妙にへりくだることもなく、ごくごく普通に接してくれた。一度恩を感じた相手には暴れ者ほど案外と義理堅い面を見せるのは知っている。そういう意味で彼は頭が切れたし彼なりの信条、矜持を持っていた。だが一点、妹に関してはなかなかに難しいのだ。
    「梅の季節の生まれなのかい?」
     梅、梅といつも口にするものだから、ごく自然に尋ねたことがある。是非とも由来を知りたいというほどのことではなく単にぽろりと口から出た疑問だったが、妓夫太郎の眉間にしわが寄った。俺はよく相手を見ているからすぐに気づいたし、こういう時には棘々しく低い声が返ってくるのも予測できた。
    「……梅毒でさあ」
     常に漲っている不満の色がさらに濃くなる。彼はちっと舌打ちをして、それから吐き棄てるように足元を睨みつけ説明した。拳がぎゅっと握られ震えた。
    「クソみたいな母親が――梅毒だったんだ」
    「ああ! 道理で」
     あれほど納得した名はない。つまり、俺と同じく親からもらった名があったかどうか、それもわからない子どもたちだった。兄は職の、妹は病の名。一方俺は神の子とあればヒトの名を授けるのは都合が悪いとか、そんなこじつけだったのだろう。
     ともかく出会った当初から妓夫太郎の顔には大きな痣があり、歯は不揃いでぼろぼろに欠けていた上にいかにも栄養不足のひょろひょろと頼りない体格だった。姿勢も目つきも悪く、しかもそれは上弦になってからでさえも同じだった。母親の病を聞けばその特徴のすべてに合点が行ったし、おそらく腹の中では相当にまずい状態だったに違いない。
     醜いだろうと彼が己を卑下するとき、声は上ずり、ひきつった妙な笑顔が浮かんだことを覚えている。
    「思い出したよ。あの晩の、世間を全部敵に回したようなお前の口調。俺は人に頼られることが多い立場だから知っているけども、ああいう場面ではね、普通は悲愴な顔をして縋り、助けを求めるものなんだ――演技でもいい。なのに、お前は違っていた」
    「でも――旦那は助けてくれたじゃねえですか」
    「そうだけど。うーん、じゃあ夢中で気づいていなかったかもしれないけど、妓夫太郎はただただ怒っていたよ」
     いつもの苦々しさが消えぽかんと目を瞠る姿は、途端に邪気が払われ幼く見えた。
    「だからかな、俺はそれを面白いと思ったんだ」
    「あんな……あんなの――面白くなんかねえ!」
     昂り震えた怒声が飛ぶ。反射的に抑えられなかっただけなのだろう、追って謝罪の言葉が投げられた。理由はわからないが俺のせいなのは明らかなので、こちらもすまないと謝って話を続ける。
    「悪いね。そう怒るなよ。話を続けよう」
    「へえ、すみません」
     肩を落とす様子に、笑顔で応える。
    「俺が知る助けを求める人間たちとは違った。あれは……憤りというのかな。それに支配されていたようだ。頼み込む姿勢ではなく、ただ梅を元に戻せと迫っていただろう――誰もいないのにさ」
    「あいつは――梅をあんなにした奴は、俺まで殺りにのこのこ戻って来やがった。だから殺した」
     また怒りがこみ上げたようだが、同時に思い出して笑っている。俺はいよいよ面白いぞと感心したが、先刻の反省から今度はそれを口にせずにただ訊いた。
    「じゃあ尚さら、誰に対して梅を戻せと言っていたんだい」
    「知るかよ!」
     また失敗したようだ。俺にとってはただの疑問、質問が相手の逆鱗に触れてしまうことはままある。妓夫太郎に関して言えばこと梅が絡むとどうも上手くいかなかったし、何にせよ俺は彼に限らずだいたい鬼の仲間を不機嫌にさせた。我にかえった妓夫太郎がまたぺこぺこと気の毒なくらいに頭を下げるものだから、そんな時はいいよいいよと毎度のように笑ってやり過ごすのだった。
     母親をクソ呼ばわりする一方で、彼は妹を宝物のように扱い可愛がっていた。
     その妹だが――本当のところ、梅は死んだ。あの時すでに息絶えており間に合わなかったのだ。だが妓夫太郎は血に耐え鬼になる過程で梅をその道へ連れていった。そうして出来上がったのが、妹の姿で遊郭に暮らし兄が中に潜んでいるという一心同体の鬼だった。つまり本体は間違いなく兄だ。
     その頃の俺はもう、ヒトの時代と鬼の時代で容貌が異なる者も多くいることは知っていた。生前の梅の姿を見たことがない俺には何とも判断はつかなかったが、堕姫は整った顔の女で男に人気だった。知りうる限り妓夫太郎はさして女に興味がなく、考えてみれば俺に限らず無惨様を含め誰も生前の梅を知らない。となればやはりあの容姿は妓夫太郎の中で有りし日の妹の姿形をなした結果なのだろう。元に戻せという願いは血を得た彼自身が叶えたことになる。
     無惨様も興味深いとお思いになったのだろうか、梅にのみ堕姫という名を与え、妓夫太郎は引き続きその呼び名でかまわないという扱いだった。









              2


     鬼になった途端にヒトの社会を離れる者も居ると知ったのはいつだったろう。
     考えてみると俺は生まれたときからあの当時なら不吉と忌避されておかしくないほど悪目立ちする容姿で、その程度は現代でもハッと無遠慮な視線をぶつけられ、勝手に写真を撮られたりすることも日常だと言えば伝わるだろうか。それほどに髪も肌も造り物めいて白く透き通り、せめて髪だけでも黒くあれば目立たなかったものをあのお方の血を頂いて以降は頭頂部が常に鮮血で血濡れたように真っ赤であるのが隠せなかった。それさえも良い方面に捉える者たちの下で暮らしていた点が上手く働いたと思う。特に俺は血を頂いて数日の間はひどく具合が優れずに寝込んでしまったから、むしろ寺院の世話人たちが居なければそこで命が尽きていた気がする。出血を止めようにも治すべき傷が見当たらず、そもそも実際に出血していることはないから医者に匙を投げられたのだと、最後の思い出話に世話人のひとりが笑って教えてくれたのを覚えている。皆一様にあれ以来俺の神通力が増した、ありがたいと喜んでくれた。特に身近に置いていた彼らが年老い、あるいは病で思うように動けなくなると、俺の世話が出来なくなるのが無念だと言い残して旅立っていったものだ。
     そうやって幼少期を知る信者がほとんど死に絶えてしまった頃、やっと城に招かれ眼に数字を刻んでもらった俺は、他の鬼たちに紹介され声を上げて喜んでしまった。絵物語で見たような大小様々の異形の鬼、いかにもな角を生やす者も居た。俺はそこで初めて、人間社会に馴染まずに生きる仲間の存在を意識した。中にはヒトに擬態して生活する者もあっただろうが、多くの鬼が普段はヒトと関わりを避け、食料として見ているようだった。彼らもヒトであった時代があるだろうに、俺にはそれが不思議で興味深くてならなかった。だが何せ俺たち鬼はそうそう顔を合わせて楽しく喋るような生態ではなかった。いや俺はまったく構わなかったし実際に晩年まで妓夫太郎や玉壺とは訪問し合っていたものだが、あのお方が皆に召集をかける機会は徐々に誰かの死亡や我々が小言を食らうべき何かがあった時だけに限られていった。
     遊郭であの兄妹を拾ったのは俺が上弦の末席、陸に上がった後だ。鬼とはいえ何せ子どもだからしばらくの間は寺院で世話を焼こうとした。望むならずっと置いてやって構わなかったが、無惨様にはそんな山の奥に鬼が三体いても仕方がないだろうと一蹴され、それを伝えるまでもなく彼ら自身が苦しい想いをしたはずの夜の街に帰ると主張して早々に出て行った。特に梅は幸せそうな女どもを片っ端から喰ってやると息巻いていたし、妓夫太郎は妹の言うことには何でも賛成で、危なくなったら兄ちゃんに任せろが口癖だった。確かに鬼が紛れて生きるのに向く暮らしを知っていたふたりだったと思う。
     つまり俺自身は一処に住み続けヒトとしての立場を捨てずに同じ生活を営んでいたし、妓夫太郎と梅もその選択をした。
     頂点におられるあのお方はと言えば性別、年齢、身につけるものまで様々な格好をされていたが、いつでも完璧にヒトであった。そして念願叶って上弦に名を連ねてみてもやはり、いわゆる化け物の姿の鬼がおりそれも小柄だった。ここまで上り詰めれば身体能力よりも術が大いに関係あると頭ではわかっていたが、その姿は俺の興味を引いた。とにかく序列を厳しく言われていたから陸では歯牙にもかけられなかったが、徐々に壺に住む鬼が俺をかまってくれたのは運が良かった。
     彼は玉壺といい、無口な鬼の中では際立って愛想が良かった。そこには俺が下位であることをあからさまに揶揄する不遜も混じってはいたが、そんなもの気にしたことはない。彼の話は独特で、何かと自分を褒め称えよと挟んでくるのでなかなか進まないのだが、俺はいくらでも飽かずに聞けたし苛立つという感覚がないから良い相手であったと思う。おだててやれば機嫌を良くして色々と喋った。初見の壺に住まう印象も間違ってはいないが、どちらかと言うと自身で縫製した衣服を身につけるのと同義で壺を焼き纏っている、というのが俺の気に入る人物評だ。大きさは何と言おうか自在で、足を持たない代わりに手が無数に生えていた。ああ、何より口が二つ、それも本来目があるべき場所についていて、というのも我々は目に数字が入っているから見分けがついたようなものだ。ともかく変わった風貌の持ち主で、しかし話を聞くうちにこれが彼の理想の姿、彼なりの美貌を表しているのだとわかった。ヒトであった頃の記憶を探ると、良いことなど何もないと憎悪を見せる。世間が憎くて仕方がない様はまるで妓夫太郎と同じだった。かと思えば陶芸品は無惨様の伝手でヒトに売ることもあるのだと言う。確かに素晴らしい品で俺も後に壺をもらって大切に使ったものだ。
     現代の言葉で言えば玉壺は醜形恐怖症だったのかもしれない。彼の誇る外見は正直に言って一般的な美とはかけ離れており、それなのに同じ美的感覚で確かな逸品を生み出す点が不思議でならなかった。勿論それは術ではなくあの無数の小さな手を使って作り上げられ、今の時代でも蒐集家を楽しませ稀に展示される価値のあるものだ。
     ともかく玉壺は下位の俺に対して胡座をかいていられることを楽しんでいたものの攻撃的な面はなかったから、警戒心を解いてしまえばあれこれとよく喋った。
    「実は私、もっと美しいとっておきの姿があるのです」
     彼がこう打ち明けたとき、俺は是非とも見てみたいと飛びついた。断っておくが美しさへの期待ではない。彼の理想の美の最たるものが何なのかへの興味だった。そういえば玉壺は言葉遣いにもこだわっており、それなりに美しい喋りと言って差支えなかったと思う。だからこそ垣間見える嫌味な言い回しや品のない笑い声が彼の歪みをより際立たせているのが惜しいことだとは常々思っていた。
    「童磨殿、あなた、簡単に見せろと仰りますがそうはいきませんよ。最高の舞台でのみ、披露するものです」
    「そうか。じゃあいつか入れ替わりの血戦をしようじゃないか。それでいいだろう?」
     ヒョヒョヒョと気味の悪い鳴き声にも聞こえる笑いがおかしな音に捻れて怒声に変わった。俺は聞き慣れていたが、あの笑い声はどうにも信者たちには評判が悪かったなあ。無礼ですぞとか何とか腕を振り回してまくし立てられても赤子のようなそれは可愛らしいだけで迫力がなく、俺はうっかり笑って火に油を注いだ記憶がある。だって怒っているぞと威嚇したいのならば、とても非効率なやり方に見えたのだ。その態度が上位を軽んじていると思われたらしいが、俺には教祖という果たすべき任務があるのだし自信が無ければそんな申し込みはしないのだがなあ。
     まあともかく後日宣言通りに闘い、俺はじわじわと追い詰めることでほとんどの技を出させ、玉壺の言うとっておきの姿を拝むことに成功したと思う。それはますますヒトとかけ離れたもので、いわゆる人魚と言えば少しは想像がつくだろうか。その後も最終形態が進化した可能性は大いにあるが、少なくともあの時点での彼はすべて鑑賞させてもらった。
     勿論勝利した俺は着々と技を磨き同じようにまたひとり血戦を申し込み、普段は虫のように這いつくばっているのか腰が曲がった年寄りなのか見分けのつかない半天狗の様々な姿にも接した。四人に分裂する事実に驚き、しかもそれが俺の知らない喜怒哀楽を独立させているのにはうっとりとしてしまった。これは仁王像や阿修羅像などの造形美を思い浮かべてもらうと近いかもしれない。それぞれの表情や口調は感情を表すとき、逆にそれを汲むときにだいぶ参考になったと言える。ただ普段の半天狗は叫びや独り言が多くほとんど会話が成り立たない男で心について尋ねても何も聞き出せなかったし、残念なことに目指したい人格ではなかった。戦法においては、数で不利な場合でもやはり広範囲に技を繰り出せばどうにか勝てると自信を得る経験にもなった。
     彼らを亡き者にしようなどと思ったことはない。ただ俺が肆、半天狗は伍、玉壺は陸でしばらくが過ぎるうちにぼんやりとした考えがだいたいまとまっていった。ヒトの姿を取っていない鬼には過去の記憶がないのではないか。正確に言えば玉壺も半天狗も記憶はありそうだが過去の自分を肯定できず、その結果がヒトへの憎悪に繋がっていた。恵まれない境遇に恵まれない状態で生まれた末の、不幸な人生だったのだろう。――とくれば妓夫太郎と梅も相当のものだが、彼らは自分たちを誇っているのがまったくもって異なる点で、それが記憶の有無に繋がっているのかもしれない――だいたい当時の俺の見立てはそんなものだった。
     さて残る上位は壱弐参となったわけだが、彼らはほとんどヒトと変わらぬ形をしていた。俺も血濡れの頭が異形だが造形は同じ――つまりそういうことだ。
     そしてその頃には壱の黒死牟殿に過去の記憶があり、無惨様と旧知の仲だということも知っていた。ついでにずっと壱の座に君臨し続けていることも。俺も上弦として実績を上げ、あのお方とは用件があれば当然お話をする機会が訪れた。嫌な顔をされてもめげずに世間話を吹っかけ、本で読んだのですがと古い時代の言い伝えなどを口にすると、時々だが実際はこうだったと教えて下さることがあった。そのうちわざとうろ覚えのふりをしたり、間違ったことを口にして、そんなことはお見通しなあのお方がそれでも正したくなるのを狙ったものだ。邪険にされることもあったが一方で堕姫は目をかけられており、実際彼らはぐんぐんと実力をつけていたお陰で俺の株も上がったと思う。
     黒死牟殿は決して多弁とは言えないが会えば徐々に口を利いてくれるようになっていた。小言がほとんどではあったが馬鹿にする態度はなかったし、他の皆がその威厳にひれ伏し声をかけないだけで、彼自身は実はそう無愛想ではないとわかってきた。
     ところがひとつ上、参の猗窩座殿ときたら無骨というか気性の荒い動物が常に毛を逆立てて唸りを上げているような有様で、この鬼と闘いの間に会話を交わせるのかすら疑問だったが、ともかく勝ってしまえばあとは上位だからと言い張ってお喋りが出来るかもしれない――肆にまで上がっても尚見向きもされなかった俺はそう考え、一層栄養のあるヒトを喰い力を伸ばして機会を窺いその日に備えていた。


              3


     そんな中、意外なところから声をかけられ俺には滅多にないことだが驚いた。
     弐の鬼がにわかに俺に興味を持ち、飛び級で挑んで来いと煽ったのだ。煽ったと言うのは後に周りから散々言われただけで、俺は単純に誘いだと思ったから受けて立った。そんなもの真に受ける者がありますかと変わらずにつき合いの続く玉壺には止められたし、半天狗ならきっと悲鳴を上げてどこかへ隠れてからコソコソ覗き見るだろうとそこに居もしないのに思い浮かべながら、俺は一切下りる気も負ける気もなかった。
    「思いもよらない誘いだからね。こんなに面白いと思えることもそうあるまい。まるでわくわくするようだよ」
     これを聞いて呆れた玉壺の顔、おかしかったなあ。例のごとくぶんぶんと幼子のような腕を回して長々と訴えていたが、鬼にしては表情豊かなその顔に実は楽しみだと大きく書いてあるようなものだった。彼は残忍なことが大好きでそれを面白がっていたから、上位がつぶし合うのはさぞ見ものなのだろう。あのお方はすべてご存知でまたお前かと言ったきり止めもしなかったし、黒死牟殿は直前に弐に本気かとだけ確認して血戦に立ち会った。
     さすがに辛勝だったが俺はめでたく弐になった。玉壺や半天狗を負かしたときと同じく位を交代するつもりで挑んだが、敗れた弐は気力を失いしばらくの後に消え去った。残った者は順に繰り上がり、そうして空いた上弦の陸についに妓夫太郎と梅が収まったわけだ。
     それも勿論喜ばしいことではあったが、何しろ俺にとって最大の興味対象は参の猗窩座殿だった。思わぬことから上位に就き自由に話しかけることが可能になった俺は、早速じゃんじゃん念を飛ばした。現代風に言うなら鬼電とか鬼ラインだな。当時そんな概念はなく、まして嫌われる可能性があるということも知らなかった。玉壺や妓夫太郎は招べば何度かに一度は顔を出したし、半天狗は滅多に応じない代わり文句を言うこともしない。自分より上位には念を送れないから参の彼から返事がないのはまあ当然と言えば当然で、俺は向こうがどう感じているのかなどまったく知りようがなかった。
     最初は昔話を聞かせてよという軽い呼びかけが主だったが、それで反応がないのでもっと人間らしく招待してみようと思い立った。やれやれなぜあんな雑に話しかけてしまったのかと後悔したくらい、それはとびきりの案に思えた。
    「猗窩座殿〜俺だよ、童磨。今度うちで一緒に食事をしないかい。親睦を深めたいんだ。栄養のあるご馳走を用意しておくよ。俺の居場所は〇〇の山中の寺で――」
     こうしたところで成果はなかった。そこで俺の送る念は徐々に曖昧なお伺いからはっきりと日時を告げる内容へと変わり、ついには具体的な実況中継のようになっていった。さっきも言っただろう、嫌われる可能性など微塵も考えていなかったし、嫌なら嫌でとうに何かしらの態度で示してくれるはずと思っていたんだ。それが無いのに察するというのが、どうも俺には難しいのだな。
    「もうやめておいたらどうです? 気が向いたならこれまでに一度くらいは応じていると思いますよ」
     思い返すと確かに玉壺は遠回しに諌めてくれていたのだが、あの時の俺は便りがないのは良い便りじゃないかとか何とか、かなり的外れな答えをして気にしなかった。俺の悪い癖だな。
     日課のような一方的な呼びかけは、ある晩突然の急展開を遂げる。
    「猗窩座殿〜今晩は、童磨だよ。これからとても力がつきそうな良い女を食べようと思うんだ。栄養満点の身体なのに将来を悲観して死にたいと言って泣きついてきてね。良人以外の赤子を宿してしまったのだって。だがそれも俺たちが食べてやれば救われるだろうから、良かったら一緒にどうだろうか。俺の居場所は〇〇の山中の寺で――」
     心で念じている最中に恐ろしい突風が巻き起こり、おやと思うともう室内に猗窩座殿が立っていた。なんだか怖い顔つきだなとは思った――思ったけど、もしかして空腹なんじゃないかななんて考えてしまって、ともかく俺は精一杯もてなそうと立ち上がり口を開いた。
    「ああ! やっと来てくれたね。待ってい――」
     歓迎の挨拶を述べているところへ拳が飛んできて、俺の頭は見事に砕かれて物理的に発音出来なくなった。彼は以降もこのやり方で幾度となく俺を黙らせたものだ。口より先に手が出るというやつだな。晩年に近い頃は黙れの一言くらいは忠告してくれるようになったが、基本はずっと鉄拳制裁だった。
    「ご挨拶だね〜」
     ゆらゆらと顔を再生させながらもてなしを続ける。
    「手合わせなら別の機会にしないかい? 今は食事を――」
     再び視界に拳が迫るのを捉え、頭が飛ぶ前に念じながら腕を伸ばし彼のもう片腕を掴んだ。そうだ、彼の拳は藍色で、それが闇に紛れて高速に繰り出されるのは慣れるまではちょっと間が取りづらかったな。
    「待って! お喋りしようよ。なんでそんな殴るの?」
     よし、さっきよりも早く回復出来た気がする。視界が戻ると猗窩座殿はちゃんとそこに居て、でもひとまず座らないかという俺の言葉は完全に無視された。
    「二度と話しかけるな。特に食べ物に関してだ」
    「え。好き嫌いがあるの? だってヒトしか食べないでしょ?」
     初めて聞いた内容に俺はますますこの鬼が気になった。
    「俺はここで教祖をやっているから、時々は人間と同じ食事をするよ。あとで吐き出す手間が――」
    「煩い! 俺に話しかけるなと言っている」
    「どうして――」
     だがもう限界だったらしい。鬱陶しいと言い捨てて俺を振り払うと、彼はさっと出て行った。
    「わあ。すごく面白いな」
     思わず独り言を漏らした。今まで見聞きし接した中で下位の鬼が上位に手を上げるなんて初めてだ。黒死牟殿はもっと思い切り殴られているのだろうか。序列序列とゆっくり唱える間に容赦なく顔を吹き飛ばされる黒死牟殿を想像してみるとちょっと気の毒になったけど、次に会ったら絶対に訊いてみなくちゃと心に決めその日の食事を堪能した。
     実際壱の彼に会うことは当然なかなかに難しく、俺と妓夫太郎と梅は新参で本人はとりつく島もない。それに半天狗はいつでも悲鳴と独り言とくれば、猗窩座殿のことを知る為に自然玉壺とはますます馴染みになった。しかも玉壺は上位のはずの参をどこか軽んじている節がありそれも興味深いことだったが、何より猗窩座殿という鬼は聞けば聞くほど俺の知りたいという欲を刺激する存在だった。
    「猗窩座様は女性を殺しません。食べるなんてもってのほかですよ」
     玉壺はすまして答えた。
    「どういうこと? そんなことでは参の地位を保つのは大変じゃないか」
    「詳しくは知りませんがあのお方の指示でさえ出来ないと言って、別の方がそれだけの為に助太刀することもございます」
    「え〜? よく怒られないねえ」
     怒るなんて可愛い言い方で、無惨様の気分次第で鬼の命は消える。俺に敗れた元弐もそうやって死んだのだろう。
    「猗窩座様は女性絡みの件は基本的に免除されますし、遭遇してまずいことが起これば誰かが代わりに遣わされる可能性もあります。例えば、あなたや私も――」
     思わず目を丸くして声を上げた。それくらいひどく勿体ぶった言い方と意味深長な間合いだった。もしかして玉壺は猗窩座殿のそういうところを下に見ていたのかもしれない。
    「ともかく猗窩座様にお咎めはないのでしょう。何せ上の方々に気に入られていますからね」
     俺たちの行動、会話はすべて上位の鬼に筒抜けの可能性があるわけだが、それにしても玉壺の顔には隠し切れない薄ら笑いが浮かんでいた。
    「おおっと私としたことが。猗窩座様は真面目で鍛錬の鬼です。目をかけられるのも当然」
     まったくそうは思っていなさそうな笑いがヒョヒョヒョと響く。
    「鍛錬なぞするより栄養を取った方が近道だろうに。俺は以前わりと貧弱な子どもだったけど鬼になっただけでこの通り丈夫だがなあ」
    「ですからその栄養がどうしても取れないのですよ。どうしてもです。代わりと言っては何ですが、強い柱などはよく鬼に勧誘しているようです」
    「柱を? 彼らあんなに俺たちに敵意むき出しじゃないか。鬼になりたい者なんて――」
     そうか黒死牟殿がそうだったと今度は慌てて俺が口を噤む番だった。玉壺も俺もおっちょこちょいなところがありお互い様だと笑ってやり過ごしていたから、厳しく接するような関係ではなかった。
     そんな風にして猗窩座殿のことを耳に入れながら、相変わらず時々は念を送り続けた。
    「猗窩座殿~気持ちの良い季節になったね」
    「猗窩座殿~山で暮らしてるんだって? 不便はないかい。遠慮なくうちの風呂に入りに来いよ」
    「猗窩座殿~先ほど夜の街に暴漢が出てとっちめたよ。身体はしまってなかなかよい筋肉だ。食べるかい?」
     だがある晩これも急に現れた彼は挨拶もなくただ憮然と立ち尽くし、ひどく不本意だという顔をして呟いた。
    「……手を貸してくれ」
     握られた手が閉じたり開いたりを繰り返すと、藍色の指の先には紅のような赤い爪が収まっているのが見える。思わず手を繋ごうと差し出してしまい、不信感たっぷりに睨まれた。だって俺も爪の手入れは好きだし、あの小さな赤い爪について話をしてみたかったんだ。そんな場合じゃないのに。これも俺の悪い癖。
    「いやあ悪い悪い。で、具体的に何をすればいいの? っていうか、すごい血まみれだけど――」
    「だからそれだ。見ればわかるだろうが!」
     どれだと言うのか。きちんと説明してくれないと俺には全然わからない。別に頭が悪いわけじゃないし何なら回転は良い方だと思うけど、俺にはだいたいの皆が共有している何かが欠けているようでしょっちゅう置いてけぼりになる。でもまあこういうときに言うべき言葉は決まっているから二つ返事で引き受けた。
    「いいよ、任せて! 困ったときは助けないとなあ」
    「行くぞ」
    「え、どこへ――」
     答えはなく、俺は飛び出す猗窩座殿を追いかけて行くしかなかった。けっこうというか猛烈に足が速い。ひらひら揺れる羽織と腰紐を見据えどうにか尾けて行くうちに鉄の匂いが濃くなり、辿り着いたところは血の海、黒い隊服の死体が小山と積まれたところだった。
    「うわあ。すごいね」
    「女が……」
     小さな声だった。
    「何?」
    「女が居る」
     なるほど玉壺の話は今も続く事実だったのだ。別に疑ったわけじゃないが、この目で確かめるまでは何事も不確かだからな。すすり泣きのする方を見れば何のことはない、恐怖に震えて腰も立たない、握力も失せてしまったまだ子どもの隊士がいた。立派な刀なんぞ下げていても振れなければ何の意味もない。
     そういえば俺は二十歳で鬼になり歳をとらなかったわけだが、出会う鬼狩りたちは柱を含めても九割方は若く年下に見えたものだ。つまりすぐに死んでしまい、代わりにまたも若い子どもを引き入れるということが繰り返されていたのだ。でなければもっと熟練の鬼狩りが育つはずだろう。あんな組織に居れば当然のごとく鬼に遭遇する機会が増える上、例え猗窩座殿が相手でも見逃してもらう言い訳が成り立たなくなる。まったく命がもったいないよねえ。
    「嬲るな。ただ殺ればいい」
     猗窩座殿が指示をする。俺は双方ににっこり笑って見せてから、静かに鉄扇で撫でるように女を斬った。何の抵抗もなく、術も要らない。シャランと扇が輝きふうと猗窩座殿のため息が聞こえ、緊張を緩ませた声がした。
    「俺は、報告に行く」
     礼くらい言うものだよと指摘しようとした瞬間、かすかな声で助かったとだけ聞こえた。ほうと思って見つめた顔がやけに幼く映る。彼の顔には禍々しい紋が縦に七本走っており、並の人間であればそれを目に入れただけで怯えてしまうような異様な迫力があった。しかもすぐに青筋を立てて怒るものだから惑わされていたが、安心しきった表情はあどけなく、よく見れば大きな瞳の上には悲しげな眉が乗っかっていてどことなく哀愁を漂わせていた。息絶えた隊士よりはやや年嵩、だが俺よりは下なのではないか。素直になれない年頃の少年みたいで可愛いじゃないか。そしてすぐ駆け出す背中に風呂でも入りにおいでよと呼びかけ、俺はひとり寺院を目指し帰途についた。







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     以来、猗窩座殿は女隊士に遭遇すると渋い顔をしながらも俺を頼ってきた。言わないだけで他の鬼にも助けてもらっていたかもしれないが、少なくとも彼なりに選ぶ基準があり玉壺がその枠から外れていたのは確かだ。
     彼はこれも噂通りに真面目で、意外なことに初めて手助けした翌晩はわざわざ寺院に足を運び改めてごにょごにょと礼を呟くと、誘いを断らずにお喋りらしきものをして帰っていった。ほんの短い時間ではあったが、そこで玉壺の名が出たのだ。
    「あいつは……散々虐めてから殺すんだ。一度だけ――あれは失敗だった。ひどく嫌な思いをした」
     顔を歪ませて語っていたのが印象に深い。どんな風にと訊いて案の定怒らせてしまった反省から以降その話題はしまい込んだが、玉壺と長くつき合ううちに何となく想像がつくようになった。自分の作品を芸術だと言ってお披露目するのと同じで、まあその、仲間の死体を盛りつけ飾った壺でも見せ美しいでしょうと語って頷くまでつき合わせたのだろう。俺には楽しむとか面白がるという感覚がないが、弱い者を虐めて喜ぶ輩がいるのは今も昔も周知の事実だし、中にはそれで性的に興奮する輩が居るらしいじゃないか。俺は少なくとも玉壺がそうでないことを祈ったよ。笑わせたり励ましたりすることを日々の務めとする立場から言わせればだいぶ異なるものの捉え方だ――と同時にヒトの倫理から外れたことに楽しみを見出すのが厄介だとしても玉壺はすでにヒトではなく鬼だから別段どうするわけにもいかず、だからこそ猗窩座殿もただ避けるしかなかったのだろう。
    「玉壺はあまり語らないのだが、ヒトであった頃も同じような気質だったのだろうなあ。それが他の人々に疎まれ、すると玉壺はますます周囲に不信感を募らせた――どうだろう、良いところを突いていると思うのだが」
    「知らん。考えたくもない」
    「猗窩座殿は? どんな暮らしをしてどうして鬼になったんだい?」
     だがこれは上手くない質問で、せっかく慣れた野猫に誤って水をひっかけてしまったようなものだった。放心したようにどこか一点を見つめて動きを止めていたかと思うといきなり癇癪を起こした猗窩座殿は突風のように出て行き、その後しばらく俺を無視したのだ。
     懲りた俺は直接尋ねることをやめた。代わりに例えば手近なところに墨と筆、書きかけの文をこれ見よがしに置いてみたり季節の花や果物の名を口にして、人間の生活にまつわる話題を試みてみた。結果彼の興味はほとんどすべて強さに絡んだものだけだという事実が浮き彫りになっただけだった。しかもそれはあのお方への忠誠からではなく、青い彼岸花を見つけて陽光を克服し永遠に永らえたいのでもなく、強さそのものへの憧れで――そうだな、強くありたいから強くなりたいというような、むしろ強迫観念に近いものに思えた。そして、なぜどうしてと問うとやはりこれも上手くいかないのだった。
     だがそういったあれこれがまったくの無駄というわけではない。様子を窺い見るうちに、はたとその風貌が鍵なのではと思いついた。
     彼は紅梅色のきれいな毛をしていたが、何より藍色の縄のような彩りから目が離せなくなるのはそれが露出されているからで、そういえば火消しや海に漁に出る者は肌に立派な柄が施されていたのではなかったか。遊女も墨を入れている者があった気がする。何せ俺の暮らしは寺院中心だから町のことは話に聞くだけで想像に頼る部分が大きくもどかしい。気になって調べてみると肌を晒す職では衣服の代わりに、また漁師や罪人などには識別の意味で用いられ年々華やかになっているようだった。
     鬼は凶暴さを隠せずに人間社会からはみ出た者が多くを占めていたし黒死牟殿も結局は世間で認められていない鬼狩りという存在で、刀を操れるという点でも俺とは育ちが違う。あのお方こそ病弱で寝たきり、武道を嗜むことは到底望めない身体だったそうだがその系統の鬼はどちらかと言えば少数で、教祖の俺はだいぶ毛色が違うことを何度か指摘されて知っていた。そう考えると猗窩座殿は罪人の烙印を背負い鬼になった若者なのかもしれない。
     彼は無関係の女子供を殺すことを嫌った。一方で鬼狩りに関しては叶うならば自分で手柄を上げたい気持ちが滲み出ていたし、それでも尚出来ない事実に嫌気が差しているようだった。一度など俺が女に対して可哀想だねえとかけた言葉を、女が殺せず可哀想だねえの意味に捉え苛ついた猗窩座殿にボコボコに粉砕されたこともあった。その程度には気にしていたのだ。妓夫太郎に関しての梅と同じで兎にも角にも女が絡むと気難しさが増したが、そういった姿を見続けるうち徐々に彼には記憶がない可能性も考え始めた。
     ではつまり――と自分で立てた仮説に沿って考える――彼も過去の自分を肯定出来ない類の鬼なのだろうか。
     あのお方から直々に呼び出され警告されたのはその頃だ。
    「最近猗窩座と交流があるようだが」
    「はい。色々と話を――」
    「悪い影響が出ている。干渉するな」
    「悪い影響、といいますと?」
    「今の状態に耐えられないから消えた記憶だ。そんなこともわからんのか」
    「ではやはり猗窩座殿は話したくないのではなく、実際に覚えていないのですね」
     俺と二、三言話せばだいたい半数以上の相手は癪に障るらしい。皆に好かれたいと思うのにまったく困ったものだ。
    「勝手に結論を出すな」
     刺々しい視線が物理的に放たれ突き刺さり、皮膚が爛れて血が噴き出た。
    「申し訳……ありません」
     頭を垂れて謝罪する。筋を動かすだけでズキズキと目の奥までが痛んだ。
    「気に入りなのだろう、壊れたら困るのではないか?」
     壊れるって? わからない。上手く考えられない頭をもたげてどうにか視線を返すと、赤い眼差しが冷ややかに笑っていた。
    「今のその痛みを覚えておけ」
     ぐしゃりと額に指が突き立てられるとずんと沈むような感覚が走る。
    「猗窩座の記憶を引き出そうとするな。その度にあいつの頭は痛み、割れかけている」
     沈んだあとは膨張が待っていた。はち切れそうな頭を抱えてうずくまるしかない。
    「あの目を見ればわかるではないか」
     最後にその言葉が聞こえ、フンと鼻で笑われた気がした。猗窩座殿はものすごく痛みに強いのだなあと感心したところまでは覚えている。次に視界が開けたときには天井と、心配で気が気でない様子の禿頭の従者が俺を覗き込んでいた。


              5


     昔のことなど覚えていないと素っ気なく言い捨てても、猗窩座殿の数字を抱く満月のような瞳が振動しそれを囲む空色の結膜がますますヒビ割れていくように思えたのは確かだ。壊れるとは一体――あのヒビはそういうことなのだろうか。いつかぱりんと割れてしまったら――さすがの俺も身震いがした。
     あれこれ無駄な探りを入れなくなると、しばらくの間俺たちの関係はわりに穏やかだった。頼まれて初めての土地まで闇雲に移動したあとで俺の記憶力を持ってしても寺院に帰れず、猗窩座殿に泣きついて道案内を請うこともあったし、するとついでだからと風呂を浴びて帰ったり、人の居ない山奥まで移動して手合わせに勤しむこともあった。
     相変わらず訪問は応援を要請するもので急だったし、重大な局面は突然に訪れる。
     墨を流したような晩だった。気配を感じとった俺はじゃあ行こうかと即座に中庭に注目する。鬼の目にも暗くてよく見えない中でだいたいの見当をつけ、今行くよと念じると同時に鉄扇を振って合図した。少しは光るし音も鳴るだろう。鬼狩り側だって救援が来ることもあるし、我々は夜が明ける前にという制限もある。だが一番は無関係の、特に女子供が不幸にも鬼やら鬼狩りの死体やらを見てしまうことが厄介で、その処遇を巡って言い争いをしない為に俺たちは時間を惜しんで現場へ向かうのが常だった。
     もしも夜明けが迫っていたり標的が複数居るのならば、ひとまず刀を捨てさせ女だけを攫ってくれば済む。猗窩座殿だって指一本触れられないほどではないのだから、そうしないのは万が一にも俺の居場所が産屋敷側に把握されてしまうのを避ける為だったのだと思う。
     だけどその晩は違った。おやと思うとすれ違った影がごとりと何かを部屋に投げ入れ、俺は早速出鼻をくじかれた。影はもちろん猗窩座殿で、振り返ると丸腰の鬼狩りの女が半身を起こして醜い呪いの言葉を吐き、据わった目で睨んでくる。
    「柱だ」
     それだけ言うと猗窩座殿は踵を返し一目散に闇に向かう。
    「おーい。もう行っちゃうの?」
     俺の問いかけに答えはなく、彼は夜に吸い込まれて消えた。
    「なるほど。柱ねえ……」
     闘気をほとんど使い果たした弱々しい姿は一般隊士にも見えたが、猗窩座殿がここまで連れて来た理由を考えれば、柱ほどの実力者をみすみす喰わずに無駄にするのはけしからんとあのお方に咎められるからに他ならない。
    「なるほどなるほど、そうか」
     まったく鬼は概して口数が少なくていけない。俺は予定外のご馳走をありがたく頂戴しながら考えを巡らせる。これじゃあまるで動物の親が子に餌を運ぶようじゃないか――求愛行動も似たようなものかもしれない――現実的には俺はただの始末屋なのだが――。何にせよ今回に限って言えば一方的に大きな得をしてしまったなあというところに落ち着いた。
     それで俺は風呂に浸かりいい気分で長々と礼を述べた。念の悪いところは向こうの反応がいまひとつわからないところだ。それが対面していても気難しい者相手なら尚のこと。だがその時の俺は出来るだけ大げさに喜んで見せようと決めていたし、それこそが上位としての褒め言葉になる、喜ばれると信じて疑っていなかったのだ。自分で言うのも何だが、可愛いものだろう。
    「猗窩座殿! 先刻の訪問驚いたよ。あんな良い土産を持ってくるなんてどう礼を言えばいいのかわからない。良い栄養になった気がするよ。お返しと言っては何だが、また手合わせをしようじゃないか――」
     こんな調子で始め、思いつくままに何度も女の柱は糧になると念で送り続けた結果は、悲しいかな彼の逆鱗に触れてしまったのだ。まあ今の俺ならわかる気がする――というか実は今の世で猗窩座殿に説明してもらって初めて知った。彼は命令下でさえ女を殺せない自分を不甲斐なく惨めに思っていたから、俺があっさりと請け負うことで気が楽になる一方、妬んでもいたのだって。同時に色々感じるなんて難しいったらない。わからなくて当然じゃないか。
     あのお方に猗窩座殿相手の念を送ることすら制限されて初めて、俺はどうやら重大な過ちをやらかしたらしいと気づいた。関わりはぷつりと途絶え、援護の要請もない。では誰に頼っているのかと予想すれば黒死牟殿の確率が高いと思われた。半天狗は玉壺と似た嗜虐性を持っていたし他人からの指図を嫌う。妓夫太郎はともかくとして堕姫は自信のある女の尊厳をズタズタにするのが好きだった。さらにはその自慢話も好んでするのだから猗窩座殿は耐えられないだろう。
     何にせよいつかは彼も再び女の柱と闘うときがくる。誰かにそれを引き渡さざるを得なくなり、似たようないざこざを経てまた俺のところへ帰ってくる――それは経験と思考に基づいた予測であり、しかもそうあって欲しいと願う自分がいた。俺はいつの間にか猗窩座殿を待ち侘びるようになっていたのだ。
     そんな風にして時は過ぎ時代すらも移りゆく中、陸の妓夫太郎に挑み敗れた者があった気はするものの我々六人は馴染みの顔ぶれとなっていた。そんなとき、猗窩座殿が黒死牟殿に入れ替えの血戦を申し入れたと聞かされた。
    「ええっ、俺が居るじゃあありませんか!」
     思わずそう口にしてしまったところ、あのお方は機嫌良くお返事をされた。俺が慌てるとだいたい面白いとお喜びになる。
    「当日は鳴女に呼び出させる。見届けたいだろう」
    「ありがとうございます。是非!」
     ふたりの闘う姿を拝めるなんてこの上なく贅沢な楽しみで、例えば猗窩座殿が壱になり黒死牟殿が参を不服として俺に挑むことなども想像した。頭の中は即座に読まれてしまう。
    「ずいぶんと浮かれているが、どちらかが消えてもいいのか?」
     笑う口から鋭い鬼の牙が覗く。
    「え?」
     琵琶の音が鳴り気がつくと見慣れた寺院の中、柔らかな座椅子に座っていた。座り心地のよいはずのそこで、いつまでも脚を組み直した記憶がある。落ち着かなかった。
     それから血戦の実施までひと月くらいはあったろうか、俺はその間考えに考えた。三本の指に入る者を潰し合いでみすみす失うことが組織運営として上手いやり方でないことくらい、あのお方ならじゅうぶんに心得ておられるだろう。だからあれは何でもない冗談なのだと思いたい自分がいる一方で、俺に敗れた元弐が消滅したのも事実だった。久しぶりに会う猗窩座殿がもし敗れて居なくなってしまったら――。俺も無惨様も体力、戦闘力は鍛えたというより食料で養ったようなものだから、それほどヒトを喰わずに参の地位を手にした猗窩座殿の潜在能力は飛び抜けているのかもしれない。にも関わらずいつまでも非効率な方法で必死に強くなろうとしている姿を思い描く。手を差し伸べることが出来たならば――。
    「どうかされましたか。お加減が悪いようです」
     てきぱきと声をかけられ我に返る。落ち着き払った従者の後ろで数人の信者がうろたえていた。
    「……これは俺としたことが失礼をした。すまないねえ。いやいや、平気だよ。話の続きを聞かせておくれ」
     その場にいる者皆に笑顔を作って見せ安心させる。いつの間にか素の顔に戻っていたらしい。鬼になって以来初めての失態だった。


              6


     結果から言うと序列は変わらず、猗窩座殿も消えなかった。
     入れ替えの血戦に立ち会ってわかったのは猗窩座殿に秘技と言えるようなものは無く、俺が普段の手合わせで見ている体術の威力や速度が大幅に増すだけだということだった。逆に言えばこれで参に留まっているのは相当のものだと改めて感心したが、だからこそ惜しいという評価になるのは避けられない。そして黒死牟殿が鬼狩り出身なものだからふたりの闘いは言ってみれば人間同士が争っているようにも見えた。勿論人間業ではないことは承知の上でもこれは新しい発見で、黒死牟殿は戦国の世の生まれで鬼狩り出身だと知ってはいたがそもそも武士の家系だろうと思われたし、対して猗窩座殿は一切の武器を持たず素足であることからこちらはごく普通の名字を持たない町民だったのだろうと推測された。
     体力の漲る前半は殊更に楽しそうに拳を繰り出す猗窩座殿が見られ、その姿は俺が知る彼とはだいぶ異なり目を瞠った。黒死牟殿はまともに衝撃を受けないように間を取り身をかわしながら刀によって鬼狩りの呼吸を模した血鬼術の攻撃を加える。言うまでもなく勝負は時間の問題だと明らかだったが、居合わせた皆が猗窩座殿の伸びしろを認めていることがよくわかった。そんな彼を消滅させようという雰囲気は感じられず、黒死牟殿は余力を残していたと思う。最終的に動けなくなった猗窩座殿にまた挑んで来いと発破をかけ、猗窩座殿も気概だけでいつまでも食らいついていたが、その対話で勝負がついたとみなされた。
     そして嬉しいことに猗窩座殿はまたぼちぼちと俺の棲家へ顔を出すようになったのだ。黒死牟殿に負けて顔を合わすのが気まずいのかいと訊いたら怒って帰ってしまったことがあるから図星だったのだろう。わかっている。そういうのが俺の悪いところで、前の世で長い命を生きる中もっと距離を縮める機会はあったのに、俺のお喋りは何度もその可能性を台無しにした。
     それでも猗窩座殿が女を手にかけられないと言ってはやって来るものだから、俺は甘えていたのだと思う。上の方々を真似て寡黙に徹しようと考えたこともあるのだが、どうにも気になる対象を前にすると質問疑問を抑えられない。もっとも興味がわかないのは口を利くに値しない輩だけで、俺ときたら非常に好奇心が強いのだ。ところが猗窩座殿はと言えば他者への興味が薄く、相も変わらず身体を鍛えることへの探求心が強かった。せっかく寝ずにいられる身なのだからと俺がお喋りに誘えば、不服そうに鍛錬の方が良いではないかと顔をしかめる。
    「むやみに鍛えても仕方がないだろう。闘い方を分析してみると猗窩座殿の肉体は素晴らしいが、その代わり接近戦を避けられたらだいぶ分が悪くなるではないか。そういった弱点を補うといい。俺や黒死牟殿は離れたところから武器でもって広域に技を繰り出せるだろう? 頭を使うのだよ」
     頼まれてもいないのにこう余計な口を出すのはお節介だが、教祖としての俺ならば何を助言しようが信者の皆に喜ばれたし、当時は悪い面に気がつけなかった。言い返されたとて、例え気に入らずとも礼は言うべきだよなんて追い打ちまでかける可能性もあったと思う。だがこの時の猗窩座殿の反応にはさすがの俺も戸惑い、そうしなかった。
    「煩い! 俺は……!」
     見る間に筋肉と血管が隆起する。手合わせの他に殴られることで彼の力を測っていた俺は、いつも敢えて避けないと決めていた。ただ、来るぞと目を凝らす。
     ところがぴきっと小枝が折れるような音をさせながら青い瞳がヒビを走らせ、満月のような瞳孔は開き切り焦点が合わずにぐらぐらと揺れる。それきりで身動きひとつしない。紅梅に似た色のまつ毛が震えだし三色が混ざり合う。見ている俺まで気分が悪くなる気がした。壊れてしまうなんてこと、本当にあるのだろうか。
    「あっ、猗窩座殿! 勿論実戦では鬼狩り相手なのだから、接近戦でじゅうぶんだぜ。いくら呼吸を使いこなすと言っても俺たちとは比較になるまい」
     どうにか宥めたくて血戦の話を対鬼狩りにすり替え、べらべらと口を動かした。徐々に彼の興奮は収まってはきたのだが、怒りもなくどこか茫とした様子で帰るとだけ呟く様は憑かれているようだ。
    「え、ゆっくりとして行けばいいのに」
    「時間が勿体ない」
    「そんな。時間はほぼ無限だぜ」
    「俺は強くなって――」
     強くなってどうしたいのか、彼は自分でもわからないようだった。いつもそうだ。そして再び時間が勿体ない、帰ると繰り返す。
    「じゃあひとつ、手合わせにつき合おうじゃないか」
    「今日はひとりでいい!」
     ああ、鍛錬などそう必死にする必要はないのに。申し訳程度の小さな羽織を翻し去っていく背中を見送りながらそう思う。女が喰えないのならば強い男を多く喰えばいい。だが猗窩座殿は終生身体を鍛えることにこだわった。何がそこまで彼を駆り立てるのか俺はいつも気になるのだった。






              7


     猗窩座殿には言わずにいたが、俺だって何度も女を喰わずに傍に置いたことがある。信者たちの中で極楽へ行きたい、救ってくださいと言うものは優先して俺の血肉とし救済しなければならない。ただそれ以外の者は敢えて急いで喰う理由はないのだから、ちょうどよい対象だった。猗窩座殿がどういった気持ちからあのような行動に行き着いたのかをひょっとしたら知れる機会かもしれないと考えたのだ。俺には気持ちがわからないし、猗窩座殿は忘れている。似たようなものだろう。それでどうするつもりだったのかは我ながらわからない。ただ漠然と、いずれにせよ人間に囲まれて暮らすのだからと試みていた。
     上手くいった者、いかない者があり、俺がどうこうというよりも相手次第だったように思う。
     いわゆる色仕掛けというのだろうか、俺がその作法、雰囲気に疎いせいで日常の中に色が混じってくると上手く対処出来ない。花街で妓夫太郎を拾ったくらいだから勿論その方面の心得はあるし、しかるべき仲、しかるべき場所ならばどう振る舞えば良いのかがわかるのだが、思わぬときの場の空気とやらが読めない。だって寺院は悩める者の泣き言を聞いてやる場所で、俺は教祖じゃないか。あんなにめそめそしていた者が半月もすると欲を滾らせぶつけてくるのが、俺にはどうも理解できかねた。
    「おやおや。君は亭主にひどく扱われたんじゃなかったかい? 優しそうに見えた男に引っかかってもう懲り懲りだと言っていたじゃあないか」
     このような言葉でいくら遠ざけてもあまり効果はなかった。俺を褒め称え崇めると言いながらこういう女は強情で引きやしない。そうこうするうちに仲間内で問題を起こすのが常だった。また普段は影の薄い生真面目そうな女が夜這いをしてくることもあり、それはそれで悩みの種になった。夜の時間は鬼として行動しているのだから勝手に入って覗かれては都合が悪いことも当然にある。可哀想に、見てはならないものを目にした者は生かしておくなと言い渡されていたから、そういう女には俺とひとつになってもらうしかなかった。
     上手くいった事例もある。年老いて亡くなるまで寺院で過ごすのを見届けたり、独立して出て行くのを見送ったり、時には書や芸の稽古をつけに定期的に訪れてもらうこともあった。そしてあとから思い出すと酷なのだが、何かが違う、今度こそ何か掴めそうだと感じた女に限って事は上手く運ばない。  彼女は若く、傷だらけの身で赤ん坊を抱えて逃げてきた。目鼻立ちがわからないほどに殴られていたせいで顔の色は変わり、すっかり腫れ上がっている――そんな状態で助けを請われた。鬼でもないのにむごいことをする奴がいるのだなあと思ったよ。俺は他人の痛みなど感じないが、何が良いとされ喜ばれるか逆に何が悪とされ嫌われるかは皆の訴えから学んで知っていたからな。娘の身体はボロボロだったが生命力に満ちており、治療の甲斐あって見られる顔を取り戻した。子どもの成育も順調で、丸々とした活発な男の子だったよ。殴られたことにより娘の片方の視力は失われていた。それは確かだが、頭の方も弱ってしまったのではと思うくらい精神的に幼いところのある娘だった。あるいはそんな頭しかないからこそ悪い男に引っかかったのかもしれない。現代ではある種の障害があると性的被害に遭いやすいという統計が出ているはずで、これは悪口ではなくただの事実だ。
     事情が事情だし乳飲み子を抱えているものだから彼女が寺院内の重労働を請け負うことはなかった。ただ赤ん坊の世話をし、遊び、よく子守歌を歌う姿が印象に残っている。俺を畏れ距離を置く者も居る一方、彼女は花を摘んで髪に挿し、揃いだと笑って俺の髪にも飾ったものだ。しかも困った女性信者たちとは違って何の狙いも下心もない行動だった。それによく笑った。屈託のない笑顔と聞けば真っ先に彼女を思い出す。俺が喰わずに置いておこうと思った中でも彼女の場合は明確に理由があり、心が綺麗だと感じたのだ。それがもう俺たち鬼の晩年のことだった。
     ずっと猗窩座殿への念を禁じられていたから、そう長々とこれについて語ったことはない。ただ向こうが俺を呼び出し女の処分を依頼した後はいつも申し訳程度に話につき合ってくれたから、何度か話題に上げたことはある。まったく会話にならなかったし、ますます会う機会が減ったままにあの一晩で皆散ってしまったけども。
     それに結局彼女を生かしておけたのは一年にも満たない期間で、心が綺麗だというのは色々な可能性を秘めているのだと思い知らされたな。彼女は何かしらの勘が鋭く働くことがあり、あるとき俺が人喰い鬼だと見てとってしまった。しかも悪いことに、その後の行動はがっかりするほど並だった。騙されたと罵るばかりで俺の説得に耳を貸さない様は幼い印象を決定づけるもので、止めるのも聞かずに駆け出し崖に行きついて血迷った挙句に、なんと赤ん坊を崖底に投げ入れてしまったのだ。だから寺院に留まれと言い聞かせたのに、そうすれば俺はあのお方に頼み込んででもそれまでと変わらずに接してやるつもりだったのに――! あの娘自身が壊してしまった。次には俺のせいで赤子を失ったと騒ぎ出すのだろう。
     そんな状態で生かしておくはずもなく、それ以前にもう生かしておきたい理由すら消えていた。心が綺麗で近くにいると心地が良いって、何だったのだろう。わからない。うるさくて馬鹿な女を見下ろし、俺は何度もそうしてきたように鉄扇を構えた。まだ間に合うのに、俺の冷えた心は手を止めようとしない。ジャラリと振り下ろすと温い血飛沫が舞い、辺り一帯を汚した。やはり悲しくもなく、惜しくもなかった。あるいは猗窩座殿なら上手く立ち回ったり、心を動かされたりしただろうか――そういったことを頭に漂わせながら、ひとりで女を食べた。ありふれた、ひどくつまらない結末だった。
     奇妙な巡り合わせもあるもので、崖底に落ちたはずの赤子は生き伸びていた。よりにもよって鬼狩りとなっていただけでなく、俺の最後の敵のひとりになった。彼は、そうだな――母親と同じに純真無垢と言えば聞こえは良いが単純でひとつのことしか考えられない粗野な少年に育っていた。何とも勿体ないではないか。俺は確かに彼の母親を喰ったが、わずかの期間でもふたりを保護し治療してやったのは事実なのだがなあ。別にありがたがられたいのではない。そうではなくて、揃いも揃ってこちらの言い分に耳を傾けることすらしない姿に、所詮彼らもありきたりの人間なのだと認めるしかなかった。特別な何かが一時期は確かにあったと思うのに、俺ときたらその娘からは勿論赤子からも何も掴めなかった。
     そうそう、ありきたりではない者の話だが、寺院には幾らかいた。俺は隠しようがないほど奇妙な形をしているから、髪や肌に限らず瞳の文字や色、歳をとらないこと自体を不気味がる者はそもそも来ないか、来たとて居着かない。長く滞在するうちにあの娘のようにどこかしら恐怖を感じ逃げ出すなり気が触れるなりする者が一定数おり、極楽へ行きたいとねだる者がおり、見境なく色仕掛けをしてくる者がおり――信者たちは自然と淘汰され増えすぎることなくそれなりの数が保たれる。その中ですべての事象に見覚え聞き覚えがあるような顔で対峙し、安定して何があっても騒がず驚かず、まるで御伽噺から抜け出て来たような者がほんの少数いて、彼らもまた男女問わず話していて心地が良い種類の人間だった。俺はもっと彼らと近づきたいと思い試みることもあったがそういう者はおしなべて距離の取り方が見事で、友達になりたいと言ってもきかないものだから世話役とか従者とか――その時々で呼び方を変え仕えてもらった。俺を不思議に思うことはあっても気味悪いとは感じないのが良い兆候だったように見受けられる。しかし皆当たり前のように歳を取り、病にかかり、死んでいった。人間って儚いものだよ。
     もっと珍しい話をしよう。蝶の羽織を身に着けた髪の長い女の柱がいた。鬼より鬼の形相を見せる連中の柱でありながら沈着冷静に対話を試みてきた――それ自体は好ましいが何しろ鬼狩りだから鬼を滅ぼそうとしていることに変わりはない。憐れなヒトを喰って血肉となし生きることで救済と為すのが目的である以上、俺は鬼であることを辞められないと説明する。あの組織に居ながら顔をしかめることなくひと通り聞いてくれたことは立派だった。それでも俺たちが敵対する組織に属している立場で出会った以上、互いに互いを生かして返すことは出来ないし、こちらとしては話すうちに朝が迫ってくるのも止められない。そもそもそれが彼女の作戦だった――とは思わない。欺くために話を作ったり長引かせている印象は受けなかった。一方で相当多くの鬼を斬ったからこそ柱になったというのも事実だから、何しろ不思議な娘だったね。結局夜明けまで言葉を交わし、ついには鬼になるかと聞いてみた。でないとこれ以上語り合う時間が取れないと言ってね。だが彼女は断ったよ。俺があまり夢中になったものだから最後はまだ暗がりが残る位置から技を飛ばしてどうにか彼女を仕留めたものの、連れてくることが叶わずに喰い損ねたくらいだ。
     その妹というのも十年以内に遭遇した。これがまあ姉とはえらい違ってものすごい剣幕で怒鳴る怒鳴る。姉の仇だとか言ってね。鬼と鬼狩りなんだから会ったらお互い様だろう? あんな危険な任務をする組織に自分たちで入っておいて、そんなこともわからないなんて気の毒だ。辞めたらどうだろう。鬼じゃあるまいしヒトの仕事などいくらでもある。さらにその弟子というのは見たことがないほど意地の悪い娘だった。
     感情というのは厄介だなあと思うと同時に、やはり彼らを突き動かしている心の動きというものが気になった。俺も頑張ろうとしたよ。彼ら、もう駄目だとわかっていてもがむしゃらに突き進むじゃないか。俺にも出来るかなと試してみた。でも力は消え、俺も消えてしまった。つまるところ情というものは俺にはわからないものだった。
     死んで極楽へ行くなんて思ってやしなかったよ。そんなもの無いとして生きてきたのだから、あったところで俺が行けるはずもない。だけど死んでわかったことがある。
     何もない、地平線すらもない空間だった。音もしない。ただまるで寸劇のように、道着を纏った少年に光が落ちる。背中に何やら書いてあるが、最後に食らった大量の毒のせいか読みとれない。少年は腕に少し懐かしい時代の髪の結い方、着付けをした娘を抱き、目を凝らすと離れた場所にはそれぞれの父親なのだろうか、年嵩の男性が見守っている。どうやら皆泣いており何があったのだろうとぼんやり考えていると、おかしなことに少年にまで懐かしさを覚えた――それもそのはず、少年は猗窩座殿だった。身体中の紋が消えたことで逆に肘と手首の間にぐるりと入れられた印が際立つ。やはり罪人だったのだろう。紅梅の髪は黒みがかり、あれが本来の姿なのだと理解出来た。そして女を殺すのを嫌がった理由は抱き合っている少女で間違いない――ああ猗窩座殿は恋慕の情を知っていたのだなあと眩しい想いがした。

    ----以下略(転生し現パロで童猗窩になり終わります)----
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