はるかなる頂までも 地の底までも雪のちらつく山中を通り、徘徊する魔物を退けながらヨーコは先を急ぐ。
元より戦うつもりでここに来ていたのだ。準備は整っている……随分と望まぬ相手になってしまったが、だからこそ急がねばならない。
「あなただけが悲しみを背負う必要はない。人は支え合うものよ」
追いついたユリウスを見据え、ヨーコは今度こそ置いて行かせまいと語気を強める。一年前のように不覚をとったわけでもない。戦わねば。待つだけで、任せるだけで、守られるだけでいるつもりは毛頭ない。
(あなたにはベルモンドの、私にはヴェルナンデスの矜持がある。)
そしてユリウスには蒼真との約束が、ヨーコにはせめて弥那を守りたいという願いがある。
「もう少し私を信用してほしいわ」
「…そうだな。悪かった。よろしく頼む」
気難しい初老の戦士は素直に頷いた。
しかし、ここに来ていたもう一人はどうしたのだろう。
ユリウスは予想できたから追いつけたが、もとから神出鬼没な男がひとりで行くつもりだとしたら合流は困難だとヨーコは気を揉んだ。
あの男のやることに間違いはないだろうから、来ない可能性だけはつゆも考えていない。
「ユリウス、遅かったな」
なるほど、彼もまた、ユリウスを待っていたのだ。
溢れるような白金の髪と瞳に蝋のような肌、古風な装いは彼が伝説の存在であることを示すかのように、この場の全てに馴染んでいる。
アルカード。
いつからか有角と名乗り、共に闇に携わる仕事をしてきた仲間の本来の姿。
ヴェルナンデス家の魔法の才能と共に歴史を継承してきたヨーコだが、『彼』が悪魔城にいることの意味を目の当たりにし、知らず身震いした。
「失敗は許されない。俺に力を貸してほしい」
ベルモンドの元に集う、ヴェルナンデスと魔王ドラキュラの息子。
ああこれが、宿命ということか。
魔王のもとに歴史が繰り返されることを因縁というのか。
「ねえ…ユリウスは、以前もアルカードと一緒に戦ったのよね」
広大で複雑な悪魔城内部偵察のためアルカードが場を離れている間、ヨーコは何となく口にした。
「そうだが…なんだ今頃」
「いいえ。何となく」
そう、何となくだ。
1999年、ユリウスとアルカードの共闘に白馬神社の者が力を貸し、悪魔城を封印した。ヨーコはその戦いを経験していない。
ユリウスはその時アルカードと共にいてどう思ったのか、いまこの状況をどう感じているのか。
この苦々しさは、当事者になってみないとやはり理解できないものだ。
ゴゴン…と重々しい音ともに天井が開き、闇の奥から一羽の蝙蝠が迷わず二人の元へ飛んでくる。その姿が蜃気楼のように揺らぐと、黒ずくめの美丈夫に変化した。
「道は開いた。進むぞ」
アルカードは無感情に先を促す。
悪魔城は混沌の産物。顕現するたび形を変え、内包する悪魔も構造も変わる。
…おそらくは城主の精神によって。
この事態を引き起こした教祖セリアはおそらく死んだのだろう。魔王降臨の場にいたのなら、死体は塵となったか悪魔の餌になったか。
城内には、魔王候補とされたダリオ、ドミトリーの二人を模したドッペルゲンガーもいた。
ドミトリーは蒼真との戦いで死亡したと聞いている。その際に蒼真の体に飛び込んだものが仮に奴の魂だとして、魔王化した精神の中で己を保てるとは思えない。
ダリオに憑依していた炎魔アグニは別個に顕現していた。その場を逃げ出しても、一切の力を失った人間がこの城で辿る末路に察しはつく。
敵は全ていなくなった。
しかし、あえて通ったあとをなぞらせるように再構築された道行きは、まるで彼の遺志であるように思えてしまう。
「……弥那ちゃんは生きてる、と伝えられたら。」
言っても仕方のないことだとわかってはいたが、ぼそりと口に出していたらしい。
相手が人間の可聴域を逸脱した耳を持っていたことも敗因だ。
アルカードが足を止めてヨーコを振り返る。
「無駄だ。蒼真を引き戻すことはもう不可能だ」
ヨーコを見咎める厳しい瞳には悔恨が浮かぶ。
動揺しているのはアルカードの方だと分かってしまうほど、刺々しくなる声を抑えきれていない。
「蒼真は憎悪に飲まれた…もしくはあいつ自身が受け入れたのだ。人を憎み滅ぼそうとする魔王に、もはや弥那は無関係だ。巻き込むことはできない」
もう蒼真は蒼真ではない、と言いながら、皆が蒼真を思う。
自分があの場に間に合っていれば。蒼真を引き留められていれば。アルカードはそう考えているのだろう。
だが止められなかったのは誰のせいでもない。蒼真を一人にさせ、付け入る隙を与えたのはユリウスもヨーコも同罪だ。
ヨーコはあえて黙ってアルカードの眼光を受け止めるが、アルカードはそれすら理解していない様子だ。
「それとも、俺たちが蒼真を殺すところを、蒼真が誰かを殺すところを見せたいのか?」
「アルカード」
ユリウスが、もういいだろう、と口を挟む。
確認は必要だが、感情に流されることは死地では厳禁だ。
自分たちは蒼真ごと魔王を葬りに来たのだと。
その覚悟が出来ていないものなどいないが、完全に割り切れる者もまたいない。
「わかっているわよ」
ヨーコはアルカードと、彼を抑えるユリウスを見据えて言い返す。
「私達のすべきことは、彼を救うと信じて成し遂げて……そして、終わってから後悔して、思いきり泣くことだわ」
悲しむのは今ではない。悔いることも嘆くことも迷うことも、今ではない。
「…………」
やや恥入るように顔をそむけるアルカードからヨーコは目を逸らさない。痛いほど、彼の気持ちは分かるつもりだから。
最後に悲しみを分け合うために、ユリウスだけに、アルカードだけに背負わせないために。今はなさねばならぬことをするのだ。
「立ち止まっている暇はない。行くぞ」
ユリウスに続いて、ヨーコ、アルカードも歩みを再開する。
歴史をなぞるように、血と運命に導かれるように三人は城の奥へ進む。
そこがどれほどの地獄であろうと、かなしき魔王の待つ場所へ。