英雄の英雄ドラキュラに関する書物が集められたエルゴス内の研究施設は、グリモアオブソウル(GoS)に関する設備を除けばほとんど図書館と言って差し支えない。一般的な物語から家系図から、禁書、偽書とされた史書までも。
有角は長い指で書物を繰っては、確かめながら呟く。
「…年、クリストファー・ベルモンドの子孫、シモン・ベルモンドがドラキュラを討つ……」
ぺらり。
頁を捲った指は時折すらりと細い顎に添えられ、ふむ、と頷いては再び頁に伸びる。
「…ジュスト・ベルモンドの時代に疑似悪魔城の復活……のち、リヒター・ベルモンドは…」
ぺらり、ぺらりと捲るたび、記述は脳に染み渡っていく。
有角はここに至り改めて、自分の関わらぬドラキュラ絡みの戦いが存外多いことを知った。脈々と血と決意を受け継ぎ、傍系や血族でない者の力も結集した人々の希望の歴史。
とはいえ、彼が読み返しているのは、ベルモンド家が中心になった『前半』の歴史だ。
「……ふぅ」
本が傷まないようそっと表紙を閉じたタイミングで、有角に声を掛ける者がいた。
「熱心に読んでいらっしゃいますね」
ルーシー・ウェステンラ。
彼女こそが現在の歴史の語り部だ。
「ああ。何度読んでも思うところがある」
「思うところ?」
有角の言葉でルーシーの顔が俄に曇る。
歴史書を随分考え込みながら読んでいたとは思ったが、気にかかることがあったというのか。
「聞かせてください」
ルーシーにとっては自分の専門分野だ。
生き証人でもある有角の懸念は見過ごすことはできない。
ルーシーの追及に、有角は眉間にしわを寄せながらひと呼吸おく。
「…シモンが初めてこの場に召喚されて以来、思っていたことがある」
ごくり、と唾を飲む音すら控え、潜めた息を吐き出さずに待つ間、有角は心からという風情で言った。
「推せるベルモンドがまだこんなにいたとは…」
「なんて?」
ルーシーは思わずスラングで聞き返してしまう。
いや英雄を推したい気持ちはわかりすぎるほどわかる。が、自分のそれは憧れであり、英雄と共に戦ってきた有角にとってはまた違う感覚なのかもしれない。
ぐっとこらえて彼の言に耳を傾ける。
「シモンをはじめ、これほど優れたベルモンドが世にいたというのに俺は……悠長に寝てる場合じゃなかった。つくづく惜しいことをした」
いやこれは、単に好きすぎてこじらせてるやつだ。ルーシーは直感的に察した。
「そもそもラルフと共に戦ったあとすぐに眠るべきではなかった。たった三年ばかり待てば再び戦うラルフが拝めたとは…俺は何という失態を…」
「えと…ドラキュラの復活を止めたかったとかじゃないんです…?」
「1797年の時もそうだ。悪魔城があと五年ほど早く復活していれば俺もリヒターと共に戦えたかもしれなかったわけだろう。シャフトの怠慢だ。もちろん城主になったリヒターも良かったがやはり敵と味方では推すポイントが変わってくる」
「はあ…?」
「当時の俺は未熟にもベルモンドの良さを十分に理解していなかった。さもなくばリヒターやマリアと別れて再び眠るなどという選択ができるはずがない…ユリウスと共に戦う頃になってようやく気付けたが、後悔先に立たずとはまさにこのことだな…」
「は…はぁ………」
くらくらと目眩がしてルーシーはこめかみを抑える。
ラルフ。
クリストファー。
シモン。
ジュスト。
リヒター。
ユリウス。
名だたるベルモンドの一族。ラルフと同じくクリストファーに関する文献はほぼないに等しいが、ジュストやユリウスであれば手がかりはまだ存在している可能性は高い。有角の静かに流れる大河のような熱弁を聞いていると、召喚してくれと言われかねない圧を感じてルーシーは気持ち後退る。
「何を話してるんだ」
「人類の希望!!ラルフさん!」
「は???」
まさに光明が見えたとルーシーは思わず助けを求めた。
「助けてください。有角さんがその…」
「また眠るとか言い出したのか」
「逆です」
「眠るの逆?起きてるってことか?」
「違うんです確かに今は起きてますけど昔は寝てたから寝なければよかったってぇぇえと」
「いいから落ち着け」
慌てたルーシーがラルフに状況を説明する間も、有角は見知らぬベルモンドの話にひとり花を咲かせている。
シモンの伝記には事欠かないし、ジュストの魔法と嗜好に関する考察、リヒターと魔物の戦いの数々への感想を語る姿は輝きすぎていて虹が掛かりそうなほどだ。
「…………はあ、なるほど」
戦友が好きすぎて血族好きをこじらせてしまった友を見て、ラルフは曖昧な返事をするしかなかった。他にどうしろと。
「だめですねこれ、ラルフさんが『俺だけ見ていろ』とか言わない限り止まりませんよ」
「いやなんで俺がそんなこと」
「ええと、だって悔しくありませんか?有角さん、目の前で他の人の話に夢中ですよ?」
「そう言っても俺の子孫だし…」
必死に焚き付けようとするルーシーにラルフはあくまで呆れ顔だ。
「余裕ですか!子孫でも他人ですよ!有角さん取られちゃいますよ?!それとも『どうせ俺のところに戻ってくるから別にいい』とか思ってらっしゃいます?!」
「さっきから妙に具体的な表現なのが気になるんだが?!」
恋愛小説執筆という彼女の趣味を知らないラルフはますます混乱するが、ルーシーの意図は通じたらしい。
「取られるとかどうとか…アルカードが今後どうするかなんて俺に分かるはずもないし、束縛することもできん。
『初めてが俺だった』だけで十分だろ」
唐突に何気なく最強の旦那発言をかましたラルフに、ルーシーの呼吸は誇張なしに止まる。
「初めても何も、俺はずっとお前だけだ」
ラルフと見ればさらっと会話に入ってくる有角もどうかと思う。
「そりゃどうも」
「お前が唯一の最推しだが箱推しでもあるし歴史書は萌えの塊だし戦うお前たちを側で見られるという最高のファンサに感謝しかない」
「悪いが俺にわかる言葉で話してくれるか」
「俺はラルフが好きで、」
「そこは分かってるって」
そして当たり前に会話を続けるラルフもラルフだ。
いずれにせよ、ルーシーの精神は英雄二人の光の前に、日を浴びた吸血鬼のように消し飛んだ。