古き伴い「 ……が、ぐっ…!!?」
呻き声を発し、唐突にシモンがその場に膝を折る。
ただならぬ様子に、広間に集まっていた全員が一斉に振り向いた。
「! マリア、見るな!」
真っ先に覗き込んだリヒターが叫ぶ。
幼いマリアを遠ざけながらシモンを見やるリヒターは青ざめており、場の誰もがほぼ同じ顔色をしていた。
「…それでいい、リヒター…、ッ!」
声を発することもままならなくなり、シモンは両肩を抱き締めるように蹲る。
自分の身に何が起きているかは察しているようだ。
限定された時代の召喚英雄のみを襲う急激な苦痛。
シモンの歴史書が改変の影響を受けているのだろう。
他の英雄の時は存在の消滅を危ぶませる揺らぎだったが、伴う苦痛と変化はどうやらその比ではない。リヒターがマリアに見せることをためらう程の変化がそこにあった。
鎧に覆われていないシモンの肩と脚は、生者のものとは信じがたい色に変わっている。腐敗臭までしてくるような有様に思わず顔を覆いたくなるほどだ。
シモンは自らの時代で背中にドラキュラから呪いの傷を受けていた。
歴史では七年かけて広がった呪いが、いま一気に英雄の体を食らい尽くそうとしているのだ。
「……ぉ、ぁあ……!!」
「シモン!」
駆け寄った有角が手を伸ばし、過たず背中の一点を手で押さえる。
「うっ……ぐ…!」
血の色の魔力が巡るたび、有角自身も苦悶の表情を浮かべた。呪いに対してなにがしか抵抗を試みているのだろう。
ルーシーが涙を堪えながら二人を励ます。
「シモンさん…ぁ、有角さん、しっかり…!」
「、シモンの呪いは、俺が抑える。その間に書の鎮圧を…」
「っ、はい!」
ルーシーは気丈に背を伸ばし、記述の特定と転送のため仲間たちと共に駆けていく。
「あり、かど、 幻也、」
がらんとしたホールに二人。
少しでも楽な姿勢をと這いずるように移動し、体を壁にもたせ掛けながらシモンが呼びかける。そのか細い声を有角の聴力は問題なく拾う。
しばしば苦鳴が混じるものの、会話ができる程度には落ち着いてきているようだ。
「…私は、再現された存在だ。いま生きるべき、その身を…賭してまで、救おうとしては、ならない…」
「……」
有角は聞いていないように黙ってから、慎重に息を吐いて答える。集中を切らすまいとしているためだ。
「分かっている。だが意味があるうちは…俺の力が及ぶ限りは、手を貸そう」
「…お前にも、負担がかかることは、理解している。…取り返しがつかなくなる前に…手を離すことを、約束しろ」
「ああ…誓おう。だがいまお前を失うことも取り返しのつかぬ痛手であることを忘れるな。シモン・ベルモンド」
それまでの厳しい表情と声からは一転。
有角の返答に対し、苦痛に耐えながら、最も高名なベルモンドは唇を笑みの形に歪めてみせた。
「…よかろう。 一度は克服した呪いだ…負けはせん…!」
シモンの喘鳴に合わせ、有角の額から汗が流れ落ちる。
ドラキュラが末期に残した死に至る呪いだ。それを魔力で抑えることは、呪いを共に受けるに等しい。
そうして進行を抑えても、シモンが呪いによって命を落としたと改変が成ってしまえば無意味な行為だ。
(思いのほか、冷静では…なかったな)
有角は今更に自戒した。
効率を考えれば、改変自体を阻止するために皆と共に書内へ赴くべきだっただろう。だがこうまで憔悴している仲間を目の当たりに、手を出さずにはおれなかった。
「 …手遅れになど、ならんさ、必ずだ…」
シモンなら耐え抜く、有角もついているから大丈夫。
仲間たちはそう信じて書内に赴いたはずだ。
シモンと有角もまた託した仲間たちを信じ、苦痛の時間を耐え続ける。
最初は二人だけだった。それが随分と賑やかになったなと、笑って交わした時間をいま少し守りたいと願う。
時計の針がどれほど進み、鐘の音が幾度鳴ったかもわからない。
──シモンは不意に目を開いた。
(……痛みが……消えた?)
軽く身を起こし、身体が動くことを確かめる。背面まで自分で見ることはできないが、確かに手足の感覚が戻りつつある。
仲間たちが成し遂げてくれたのだ。
「有角幻也、呪いはもう…うん?」
声をかけても有角は柱にもたれた姿勢のまま微動だにしない。シモンが完全に身を起こすと、背に触れていた手がずり落ちる。
白磁の肌は焼け焦げたように爛れているが、彼の治癒力ならさして時を置かず治るのだろう。
「 …眠っている、のか?」
口元に手をかざすと確かに寝息を感じる。呪いの消失を見届け意識を手放したということか…再現とはいえドラキュラの呪いだ、相応に消耗したのだろう。
今更ながら胸に感動がこみ上げる。
仲間全員が自らのことのように必死になって助けようとしてくれた。それはシモンが過去に経験し得なかったことだ。
「 …皆にも、お前にも、心から感謝する。有角幻也」
起こす気はなかったがここで寝転がしておくのも忍びない。担ぎ上げても有角は目覚める様子はなかった。
しかし、皆が戻った時に二人の姿が見えなければ心配をかけるだろうかと思い直し、シモンはその場で考え込む。
「 うーむ…」
「 ……ぅ…む……」
どうしたものか、と唸るシモンの声に重なるように寝言を呟いたのは有角だ。
顔を向ける前に両腕がシモンの頭を抱え込むように回され、愛でるように髪を撫でられた。
「 …… …」
それは夢うつつに誰かを呼んだ言葉。
ベルモンドと助け合いながら長きを生きてきた存在の、思いがけない微笑ましさに、苦笑と微笑がない混ぜになる。
「 …面影より、血の匂いが似ているのだったか?良い夢であればいいのだが」
やはり彼を先に休ませよう。
そう決めて、シモンは疲れを感じさせない足取りでその場をあとにした。