かけがえのないものの為に「ユリウス!俺はともかく、ヨーコさんまで置いてくことないだろ!」
それとわかる影を目に捉えた瞬間に蒼真は叫んだ。
目立つはずのキャメル色のコートも雪に陰る建物内ではすぐに見失いそうで、目を逸らさず駆け寄る。
「驚いたな…追いつけるとは。支配の力、思ったより使いこなしているようだな」
蒼真も、水路と跳ね橋を飛び越えていくような奴に追いつけるとは思っていなかったが、ユリウスの露払いと入り組んだ通路が生んだ偶然のお陰だろう。
魔物と戦うことで、ソウルとしては支配できなくても肉体や魔力は強化されていく。だから戦いに習熟していない蒼真でも先に進むことができるのだ。
「不本意ではあるけどさ…」
──息をするように魔物を支配できる力など、蒼真が望む日常には必要ない。だが羽根のように跳び上がったり水に潜り続けたりなんて芸当もできてしまうこの力は、悪魔のために作られた場所を進み続けるには不可欠だ。
(それを生身でやるユリウスがおかしいってのもよく分かる)
魔を征服していく蒼真とは違い、正面から粉砕する力。
曲がりなりにも二度同じ舞台に立てば、ユリウスの実力と圧倒的な信頼感に感嘆せざるを得ない。
「俺はお前に覚悟があるのなら戻れとは言わん。だが、面倒を見ることはできんぞ」
ぴしりと警告を突きつけたユリウスに、思わず蒼真は反発する。
「ついてきてほしくて追いかけたわけじゃない。俺が狙われている事がわかった以上、黙って待っている訳にはいかなかったんだ」
ユリウスはさらに何か言いたげな素振りをしたが、結局視線を逸らして愚痴のように呟く。
「お前を守るのは有角の仕事なんだが」
「有角?」
なぜここでその名前が出たのか、蒼真には理解が追いつかない。確かに今回はセリアに襲われたところを助けに現れた。だが彼こそ一年前、日食の城で蒼真を覚醒に導いた張本人なのだ。
蒼真を魔王にさせないための行動だとは理解しているが、それを守ると表現されることには違和感がある。
その蒼真の反応に、ユリウスは少し考えてから再び口を開いた。
「知らんのも無理はない。本人からも説明するなと言われているが…その女教祖のように、お前を利用しようとする数限りない輩から、有角がお前を守り続けている。大抵は姿を表さずに済むが、今回は相手のが早かったということだ」
「……」
驚きを誤魔化すように蒼真は息を呑む。
(守る…まもるもの、そういえば、セリアは有角のことをそう呼んでいた)
それが本当なら、有角はいつから?どうやって?
気付かない自分に呆れるというより、過去の悪魔城で見せた、呼べば影から現れるような有角の姿を思い浮かべればどこかで納得がいく気もした。
有角がいれば弥那のことを任せておけるだろう。そう考えたのも、無意識に守られていることに気付いていたのかもしれない──
「あいつに礼は言うなよ、嫌がられるだけだ。第一、俺がバラしたこともバレる」
「……ははっ」
考え込む蒼真にユリウスの茶化したような言葉が、束の間緊張を解した。
お陰で続く話に素直に意識が向く。
「蒼真、混沌も城も一年前、お前から切り離され封じられた。だが力はお前の魂に存在したままだ。魔王として覚醒させる方法は他にもあるとみて間違いない」
「混沌みたいなものがまだあるってことか?…俺が俺でなくなるくらいの…」
「それはまだ分からんがな…。混沌…魔王の意思とは、人を滅ぼしてあまりあるほどの悪意。それにお前が呑み込まれれば…あるいは同調してしまえば。
俺はお前を殺さねばならん」
ユリウスの毅然とした言葉には変わらぬ決意が宿っていて。それは混沌との戦いに赴く時に蒼真の怯懦を受け止め、困難に立ち向かう決定的な支えとなったもので。
「うん、それが約束だよな。ありがとう」
蒼真は自然と口にしていた。
「………礼など言うなと言ったはずだ」
「有角にはだろ?ユリウスにじゃない」
「俺にもだ」
「なんでだよ?」
子供らしく食い下がる蒼真に、ユリウスの表情が珍しく陰りを見せた。ほんの一瞬のことではあったが。
「──それは本来、お前が望むようなことじゃない」
もう行く、と言って、ユリウスは風のように身を翻し、横手のバルコニーから飛び降りてしまった。蒼真を撒くつもりなら、もう追いつくことは無理だろう。
※※※
「……知ってるよ。ユリウスの仕事は、ドラキュラを、俺を殺すことだよな」
すでに影も見えない虚空に向かって蒼真は言葉を続けた。
「いつだって怖いよ。だから、信頼してるんだよ」
強さと誇りを兼ね備えた戦士との『約束』のお陰で、蒼真は混沌にすら立ち向かうことができた。
後始末をつけてくれる仲間がいる。
魔王化という脅威に晒されていると、それが救いにさえなるのだ。その過酷さを受け止めるのは蒼真自身しかいないのだから。
(逃げられないなら立ち向かうまでだ)
蒼真を突き動かすのは、怒りにも似た、希望を掴み取ろうという意志だ。
後先考えずここに来たわけじゃないと思いつつ、ヨーコとユリウスに会えたこと、そして有角の話を聞けたことで、蒼真は再び勇気をもらった。
(有角だけじゃない、ヨーコもユリウスもハマーも、そして俺自身が、弥那を…俺達の日常を守るんだ)
みんながいる。絶対にできる。
蒼真は顔を上げ、振り向くことなく足を前に踏み出す。
※※※
駆けていた脚が止まる。
バルコニーから身を翻したあとで、ユリウスはらしくなく自己嫌悪めいたものを抱いていた。
(言うだけ言って逃げ出す…卑怯者のやることだな)
ユリウスはとうに蒼真のことを認めている。力だけではなく、過酷な運命に立ち向かう心の強さを。
だからユリウスは、記憶とともに取り戻した一族の言い伝えを思い出す。
──祖ラルフが、魔王の息子アルカードと仲間であったこと。
そんな昔から、いやきっとはじめから己の一族は、右手に鞭を握りながら左手で敵と握手を交わしてきたのだ。
理念ではなく本質的に、ベルモンドは聖だ。闇を討つために闇と近しくもなる存在。
アルカードや蒼真は闇だ。在り方は違えどその魂と肉体は膨大な闇の魔力の所有者にほかならない。
蒼真は危うい。彼を飲み込まんとする力は何よりも大きく邪悪だ。
ただの少年であるがゆえの危うさにつけ込まれれば。
(…俺はお前に差し出した手で、お前に再び鞭を向けねばならんのだ)
その事実を改めて伝えて『ありがとう』と答えてしまう蒼真に、ユリウスは胸を掻きむしられる思いがした。
ひとりの人間としての願いを。
冷徹であるべき宿敵としての役割──蒼真と交わした約束を破りかねない弱音を、思わず口にしてしまうほどに。
「ベルモンドの祖たちよ、…なぜあなた方は皆、宿命を恨まずに立ち向かえたのか?」
答えはユリウスにだって分かっている。血が知っている。きっと同じ痛みを引き受けてきたのであろう祖先らに恥じぬ力を振るうために、鞭はこの手にあるのだから。
誰も聞いてはいないふたつの言葉は、ただ風に吹かれて消えていった。