みどりごは焰の女神に抱かれ-3-スティーヌとポップが王城の武器工房を訪れた日。
仕事を終え、久々の我が家に帰ろうとしていたジャンクを王宮の役人が呼び止めた。王城の一室に同行するよう求められる。
理由は分からないものの、役人に逆らうこともできず言われるまま城内に赴いた。連れられた無駄に豪奢な部屋は魔法省と呼ばれる魔法や魔術に関する一切を管理する官署だった。
更に奥の部屋に入るよう促され、小さな扉を抜けるとこれまた無駄に高級そうな調度品に取り囲まれた部屋の中央、大きな椅子に小柄な男がふんぞり返って座っていた。魔法省の大臣だという。
ジャンクが跪き頭を下げると、前置きも無しに大臣は告げた。
「お前の子を国外追放とする」
「は?」
あまりに突然の言葉にジャンクは唖然とする。大臣はその様子に一切気遣うことなく続けた。
「お前の息子は本日、工房にて魔力を暴走させたらしいな。我が省の部下が見ていたのだ。王家に武器を献上する神聖なる場所を汚すなど言語道断である」
「いや、待ってくれ…ください」口調に気を付けつつ、慌てて反論する。
「倅は魔力なんて使ってはおりません。ありゃあ鍛冶場の炉の精霊さまが…」
「黙れ」ジャンクの言葉はぴしゃりと遮られた。
「卑しい職人の子に高貴なる精霊さまが姿をお見せしたりするものか。私はこの国における魔法使いの頂点であるぞ。魔法と精霊のことは私が誰よりも詳しく知っているのだ」
「いやしかしあれは!倅は何も悪い力なんぞ使っておりません!他の職人にも聞いてもらえば分かります!」
「黙れと言っておる!お前の意見なぞ求めてはおらん!」大臣は声を荒げた。
「おぞましい忌み子をこの王宮に招き入れておいて何たる言いぐさか。一族郎党捕らえあげて死罪に処されてもおかしくはないのだぞ!」
「そんな!」
青ざめるジャンクに大臣はにやりと笑う。
「しかし私もそこまで冷酷ではない」にやにや笑いを続けたまま椅子から立ち上がり、ジャンクの側に近寄る。
「忌み子であっても幼い子を殺すなどという残酷なことは私とてしたくはない。だからこそ温情で国外に逃がしてやろうというのだ。
北のテランは小国だが様々な呪術を扱う者がいる。そこで魔力を封じさせ、修道院に生涯幽閉すればお前の息子は誰を傷つけることもなく平穏に過ごせることだろう。
あるいは南方のアルキードへ送ってやろう。こちらは我が国のような強大な武力が無い代わりに魔法兵を重用しておるからな。訓練を受けさせれば有用な駒くらいにはしてくれるかもしれんぞ」
駒、と呟くジャンクの肩に手を置き、長く伸ばした口髭を指で梳きながら大臣は嗤う。
「お前はなかなかの腕の武器職人だそうだな。下賎の者とはいえ高い技術を持つ者をみすみす失いたくは無い。最高級の杖と魔法武具を作り、私に献上せよ。予算は現在工房に下りているものから調整するのだ。剣や槍に使う鋼の質を下げれば節約できるであろう。このことは口外してはならぬぞ。きちんと約束を守れば-」
ぽんと肩を叩き、いやらしい目つきでジャンクを見下ろす。
「お前の息子の命だけは保証してやる」
「…ポップは忌み子なんかじゃねえ」
ジャンクは声を絞り出すように言った。
「あれは精霊さまの祝福だ。その証拠に倅もオレ達も火傷ひとつ負わなかった。あんな綺麗なもんが悪いもののはずはねえ!!」
「まだ言うか!!」大臣は叫んだ。油でべったりと撫でつけた前髪が乱れ、皺だらけの額にかかる。
「卑しき血の者が私に歯向かうなどそれだけで死罪相当なのだぞ!戦(いくさ)の間も工房に逃げ籠もり、なまくらを打つことしかできなかった役立たずどもが何を見たとて何の証拠にもならぬわ!」
「逃げ籠もってた…だと?」その言葉にジャンクはゆらりと立ち上がった。無礼な、と言われたが構わず大臣を睨みつける。
「なまくらしか打てねえ役立たず、だと?」
「そ、そうだ、何が違う」体格のいいジャンクに今度は逆に見下ろされ、大臣は怯んだ。しかしその口が止まることは無かった。
「魔王に対抗できる剣などひと振りも無かったではないか!工房の職人どもは戦場にも出ず使える武器も作れなかった腰抜けの役立たずだ!」
ジャンクの頭にカッと血が上る。大臣の胸ぐらを掴み思い切り殴り飛ばした。吹っ飛んだ大臣がよろよろと起き上がろうとするのを上からのしかかって押さえ込み、怒鳴りつけた。
「いい加減にしやがれ!!倅と仲間達をさんざんに貶しやがって!!誰がおめえの言いなりになんてなるもんか!!
ポップは忌み子じゃねえ、火の精霊さまからのありがてえ祝福を受けたオレの可愛い大切な息子だ!
幽閉なんかさせねえ、どこかの国の駒にされるのもまっぴらごめんだ!!
工房の皆はずっと休まずお国と世界のために武器を作り続けてきた!
欠けた刃を研ぎ直して、折れた剣も鍛え直して、少しでも兵士さん達の力になれるようずっと努力してきたんだ!
オレの大事な家族と仲間を悪く言う奴は、たとえ誰であっても絶対に許さねえ!!」
ジャンク達工房の職人はこの数年休むこと無く日々武器を作り続けてきた。
魔物の声が響く夜も、街の至る所に葬列が並ぶ朝も、誰1人愚痴ることなく炉に向かい槌を振るい続けた。
大臣は知らなかったようだが戦場にも何度も赴いた。ただし戦うためではなく武器を直すためだ。防具もろくに着けず前線近くで修理を続ける職人達を、兵士達は労りと感謝の思いで見つめていた。
材料が足りないぶんを賄おうと命懸けで戦場を駆け回り、壊れた武具を拾い集めてきた見習いの青年は泣いていた。
オレの弟と変わらない背丈の子が、炎に焼かれ丸焦げになって倒れていた。
じいちゃんみたいな白髪の人が、魔物の牙で腹を裂かれて死んでいた。
ねえ、ジャンクさん。オレに一体何ができるだろう。
まだまともな剣ひとつ作れないオレがこうやって生きてて、オレなんかよりずっと頑張ってる人達がいっぱい死んで。
こんな、壊れた武器を拾い集めることしかできないようなオレに、生きてる価値なんてあるんだろうか。
そう言ってぽろぽろ涙を零す青年の肩を抱き、オレだって大したことはできてやしない。だけど今はやれることを一生懸命やろうやと、慰めにもならない声をかけることしかできなかった。
あのとき、誰もが必死で生きていた。魔王軍の圧倒的な力を見せつけられ無力感に心が押し潰されそうになりながら、自分の為すべき事を為そうと努力していた。
大臣がどんなに偉く高貴な身の上であっても関係無い。懸命に生きてきた大切な人達を貶めるような言葉は、ジャンクにとって決して許せるものではなかった。
大声で言いたいだけ言い切って、ぜいぜいと肩で息をする。目の前の大臣は泡を吹いていた。
人払いをされていた部屋に響いた大きな音に、何事かと役人達が扉の外から覗き込んでくる。目を回して倒れ伏す大臣とその上にのしかかるジャンクを見て皆一様に目を見開いた。
-ああ、終わったな-
ジャンクは天を仰ぐ。
(スティーヌ、ポップ、すまねえ。オレはもうお前らの顔を見ることはできないかもしれねえ)
心の中で愛する家族に詫びながら、それでもジャンクは、通報を受けて部屋に押し入ってきた衛兵達にニヤリと不敵な笑みを見せた。
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(誰も来ねえな)
牢屋に連れられて2日。すぐ始まるものと思っていた尋問はいつまでたってもその機会が訪れない。
ジャンクの牢内での待遇も何となくおかしなものだった。本来なら大臣、貴族に暴行を働いた重罪人として扱われるはずなのだが、やけに警戒が薄い。
全身を拘束されるかと身構えていたのは最初だけ。衛兵に囲まれた魔法省内ではさすがに縄で縛られたが、牢屋に入る際には全て解かれ、中には厚い毛布も用意されていた。
干し肉と白パン、温かいスープというこれまた質素ではあるが本当に罪人向けか?と思ってしまうような食事を平らげ、ジャンクはごろりと横になる。
目を閉じて思い浮かべるのは大切な家族の姿。
(スティーヌには誰かが知らせてくれただろうか)
工房の職人が知らせてくれただろうとは思うが、彼等とてどのような処遇を為されているのか今のジャンクには知りようもない。
そしてこの状況を知ったスティーヌはどう思うか。おそらく不安な日々を過ごしているだろう。体を壊してなければいいが。幼いポップのことも心配だ。
(重罪で裁かれるとしても…せめて連座だけは勘弁いただけるようにしなくちゃあな)
ジャンクはこれ以上事を荒立てる気は一切無かった。言いたいことは言い、思うままに殴った。これ以上の反抗は仲間や家族に迷惑をかけるだけだ。
罪を認め、罰を受け入れる。自分1人が勝手にやったことだ、自分1人が裁かれるのが筋だろう。ジャンクはそう考えていた。
染みだらけの天井を見つめてぼおっとしていると、牢屋の入り口がギイと音を立てて開き、コツコツと硬い靴音が中に響いた。
そして靴音はジャンクの房の前で止まる。
ようやく尋問か。それとも問答無用でお沙汰か。ゆっくりと起き上がろうとするジャンクに檻の前に立った人物が声をかけた。
「ずいぶん待たせてしまったな、武器職人のジャンクよ。お主に話したいことがある。共に来てくれるか」
予想外の穏やかな物言いにジャンクは顔を上げる。目の前の人の顔を見て、ヒッと喉が引きつった。慌てて起き上がり床に膝をついて頭を深く下げる。
「そうかしこまらんでも良い。此度のことはこちらにも責があるのだ。少々の無礼は咎めはせんから顔を上げよ。…殴られるのは御免被るがな」
そう言って口元を緩ませジャンクを見下ろすのは、この国の元首、ベンガーナ国王クルテマッカⅦ世その人だった。