みどりごは焰の女神に抱かれ-4-ベンガーナ王国魔法省の現大臣である男は、長く続く上級貴族の家に生まれた。
その祖先は建国の際に大いに力を振るった魔術師であるとも言われている。
過去には多くの優秀な魔法使いを輩出してきた名家であったが徐々にその力は薄れ、男自身も魔法使いとしては二流と言えるレベルであった。
家柄の力で大臣にまで上りつめたものの、男は常に有能な誰かに追い落とされることを恐れた。
彼にとって幸いだったのは、この国における魔法使いの認識が「戦士らを後方から援護する戦闘員」というよりも「魔法具を開発する技術者」あるいは「魔術の研究者」であったことだ。
金にものを言わせて新たな魔法具を開発させ、部下に魔術の論文を書かせては自分の実績とした。
歯向かう者、そして彼より魔法の才能に恵まれていた者は閑職に追いやるか難癖をつけて職を辞させた。
あとには彼に媚びへつらう者だけが残り、見た目ばかりが派手な魔法具や過去の研究の丸写しのような論文ばかりが生み出され、省内は腐敗の一途を辿っていた。
周りを無能な追従者で固め、それでも大臣の不安は消えなかった。
男が次に目をつけたのは、まだ幼い子ども達である。
部下に国中を調べさせ、魔法の才ある子どもが見つかれば有無を言わさず連れ帰らせた。
親達には訓練を受けさせ国益に叶う魔法使いを育てるためだと言い含めさせたが、実際の男の目的はただ自身の権威と体面を保つことばかりであった。
適当な理由をつけては子らを他国に送り、優秀な人材を送ったのだからと見返りを求めるその行為は人身売買だと言っても過言ではない。
訴えは全て金と権力でねじ伏せた。
魔王軍との戦いのさなかにあっても彼は自身の財を守ることのみに注力し、舌先三寸と裏金で大臣の地位にしがみつき続けた。
全てが思い通りに進むことに男は増長していった。
国の被害が大きくなる前に魔王の脅威も去り、順風満帆というほか無かった。
そんななか、王宮の武器工房で奇跡のような現象が起きたことを知る。
まさかこんな近くに新たな脅威が生まれていたとは思いもよらなかった大臣は、すぐさま行動を開始した。
懇意にしている他国の貴族に、また才能ある子が見つかったのでぜひ貴国で"有効に活用"して欲しいという旨の信書をしたため、父親であるという職人はいつも通り権力を傘に言うことをきかせようとした。
王宮に出仕していて自分に逆らう者などいない。魔法に関することで自分に反論出来る者などいない。
これまでの経験から実力以上に思い上がっていた大臣は、ひとつ大事なことを忘れていた。
この世界には、どんな悪意にも凶悪な力にも媚びず屈しない-そう、まるで勇者のように-大切なものを守ることにただ一心を捧げられる者達がいるのだということを。
ベンガーナ国王クルテマッカⅦ世は現実主義者である。
神や精霊が実在していることは認めているし魔法もその目で見たことがあるが、その神秘性というものには全く魅力を感じなかった。
政(まつりごと)を円滑に行い国を豊かに強くするために有用な術や道具は採用したが、古代より残る伝承や形ばかりの儀式を重要視することはなかった。
王は勇者や伝説的な魔法使いというような突出した才能を持つ個人に頼ることを良しとはせず、国民が皆、国のために有益な存在であることを求めた。
身分問わず子ども達に教育を受けさせることで識字率が上がり難しい計算をこなす庶民も増え、多様な需要と供給が生まれ経済は大いに発展した。
また剣や槍、弓矢など個人技能に頼る武器よりも、誰が使っても等しく効果の出る大型兵器の開発を進めることによって国の軍事力を高めた。
才能ある個人を(そういった人材も必要だと分かってはいたので)軽視していたわけでは無いが、1人2人の天才を育てることよりも、国民全体の能力の底上げをすることを優先したのだ。
王にとって、魔法省および魔法大臣はその有用性が見えない最たるもののひとつだった。
国家予算を潤沢に使って開発されたはずの魔法具は一般に出回っているものの質にはるかに劣り、発表される論文は過去のものの焼き直しばかり。
大臣本人は自身を指して魔法の大家と威張っているが、その口から出てくるのはもったいぶった無意味な言葉遊びばかりで彼から役に立つ意見を聞けたためしが無かった。
彼等に対する印象はとにかく"無駄"の一言に尽きる。
更に言えばその権力と財力を盾にして色々好き勝手をやっているらしい。
大臣の周囲はおべっか使いばかりだが、王城には他にも多くの省庁がある。隠しているつもりでも漏れ聞こえてくる声はあるのだ。
密偵を放ち証拠を集め、さていよいよ奴に引導を渡そうかというときに
王宮直属の武器工房に勤める職人が魔法省内で大臣をぶん殴ったという、驚愕かつ痛快な事件が王の耳に届いたのだった。
「本当にすまぬことをした。もう少し早くあれの不正の証拠を掴めていれば、お主をこのような目に遭わせることも無かっただろうに」
王の私室であるという場所に招かれ、テーブルを挟み一対一で話をしている。夢のようというより夢でも体験したくねえ状況だとジャンクは思った。
国家元首から直接謝罪をされても「いえ、そんな」と言葉少なに返すことくらいしかできない。
王は強引で剛胆で、プライドは高いが度量も大きかった。庶民でありながら大臣を殴って啖呵を切ったという男にどうしても会ってみたくなったのだ。
大型兵器の開発に比べて武器工房へ向ける興味は薄かったが、職人達が昼夜を問わず働いていることも、時には戦地に赴いて武器の修理をしていることも知っていた。
いかなる形であれ国のために戦ってくれている民のことを統治者として等しく愛していた。
「最終の証拠固めに少々時間がかかったが、もうあ奴を魔法大臣に据えておく理由は無い。ゆくゆくは魔法省の縮小も視野に入れておる。お主の息子も手元で大事に育てるがよい」
「はあ、あの、鍛冶場であったことについては」
「他の職人達からも話は聞いた。ワシは奇跡やらご加護やらというものはあまり信じておらん。王として神々や精霊に一応の礼儀は尽くすがな。何が原因でそのような現象が起きたかは知らんが事故が起きて怪我人が出た、というので無ければ特に気にならん。お主らの間でありがたがる分には好きにせよ」
寛大なんだか適当なんだか分からない王の言葉に「はあ、ありがとうございます」と返し、ジャンクは気になっていたことを尋ねた。
「それで、オレ…じゃない、私はどのようなお裁きを受けるので?」
「おや」王は片眉をぴくりと持ち上げる。「裁いて欲しかったのか?無罪放免では無く罰が欲しいと?奇特な男だな、お主は」
ジャンクより少しだけ年下の王は愉快そうに口角を上げる。
「どんな理由があっても殴ったのは事実です」ジャンクは静かに言う。「やったことに後悔はありません。だが人をぶん殴っておいて何も罰がねえってのは、どうも申し訳無いようで」
「ふむ」伸ばし始めの口髭を撫で、王は笑みを引っ込めた。外見や口調を年齢相応より重々しくすることも、年上の重臣達に威厳を示すための「現実的」な手段の1つだ。
「実はな、ジャンクよ。大臣は辞任させるが表向きは病気理由とすることに決まっておるのだよ。奴のしでかしたことは重罪だが、まだ世界が安定しきらぬこの時分に他国をも巻き込んで騒ぎを大きくしたくないのだ。先日の件も箝口令を敷いておってな。お主を何らかの罪で裁くということそのものが難しいのだ」
「はあ」政治のことはよく分からないジャンクは必死で頭を働かせて返事をする。「つまりオレのしたことは表向き無かったことにするから、大臣のことも誰にも話すな、と」
「理解が早くて助かる」王は微笑む。
「しかしあれだけの大騒ぎを起こしちまって、まったく何も無かったようにしろってのも…」
ジャンクはポリポリと頭を掻いた。元々誰にでも変わらぬ態度で接するのが彼の美点のひとつだ。国王の御前だという緊張感は解れかけていた。
「確かにな。実際あれから2日経ったがいまだ少々騒がしい」
王は頷き、ふうとため息をついた。
ジャンクを牢に、職人達を工房に留め置いたのは大臣と魔法省が彼等に手出ししないよう守るためと騒動の鎮静化が目的だったのだが、前者はともかく後者については完全に上手くはいっていなかった。
「魔法省の役人ども、お主を捕らえた衛兵達に武器工房の職人達、一応全員に口止めをしたが、いかに抑えても噂というのは広まるものだ。人の口に戸は立てられんと言うしな」
「噂の真相を確かめようとする連中が工房に押し寄せちまったら仕事にならねえだろうし…酔っ払っちまってついうっかりってこともあるし…」
正直牢屋に入れられるよりめんどくせえなあ、とジャンクは心の中でごちた。
「さすがに酒の席は気を付けてくれ。…しかし、お主の言うとおり多かれ少なかれ今後も面倒は起こるであろうな」
若き統治者は椅子の背もたれに身を預け、天井を見上げる。
「オ…私も口は固えつもりです。今回のことを吹聴するつもりは微塵もありやせん。しかし自分のやっちまった事の責任も取れねえってんじゃ、女房子どもに合わせる顔が無えです」
ジャンクの言葉にクルテマッカⅦ世は口元に大きく弧を描いた。誰に対しても正直で誠実であろうとするジャンクの気質は王にとっても好感の持てるものだった。
「ふむ、では」
王はジャンクの顔を見据える。じっと強い目で見つめられ少々気圧されるが負けじとジャンクも見つめ返した。満足そうに大きく頷いて、王はジャンクに告げる。
「ひとつ提案をしたい。これがある意味ではお主の言う罰になるかもしれん。…我が王宮の武器工房を辞してはもらえぬか」