魔法使いの嗜み「で?」
「いや、何が『で?』」
呼び出された師の住まいである洞窟。厳しい目とともに向けられた一音にポップは首を傾げた。
ハドラーの急襲から一夜明け、一行はテランからパプニカへと戻ることとなった。気球を回収するため一旦ベンガーナに戻ると言うレオナに、じゃあルーラで行くかとポップが提案すると盛大に睨まれた。借りた馬車も返さなきゃいけないでしょうと言われたが、真意が別にあることは明らかだ。彼女だけでなくダイやヒュンケルにも渋い顔をされた。不調を隠して見張りに立とうとしたことはすっかりばれていたため、観念して荷台の隅に座った。
全員は荷台に乗れないだろうとクロコダインはガルーダを呼び出した。空に昇る巨漢を見送った後、馬車を出発させる。しばらく道を行きふと振り返ると、メルルが同じ場所からずっと一行を見送っていた。
マトリフは疲れたから先に帰ると既に飛び去っていた。別れ際ポップに「戻ったらすぐウチに来い」とだけ耳打ちして。こりゃ改めて説教かなあ。昨夜の失態を思い返しげんなりとする。実戦を重ね自分なりにレベルアップもしてきたつもりだが、味方の真贋も見極められず騙し討ちを喰らったのは確かで弁解のしようもない。戦闘中血を吐いた師の体調も気になっていたため、パプニカ城に帰還すると言われたとおりすぐ洞窟へと向かった。
そして冒頭の会話に戻る。
「テランで何があった」
「へ?昨夜説明したじゃねえか」
「全部は話してねえよなあ?」
睨めつけられ、ポップはたじろぐ。
ベンガーナでの戦闘後、竜の騎士について知るためテランへ向かった。そこでダイの父であるバランと遭遇し、紋章の共鳴によりダイは一時的に記憶を失った。一旦は退かせたものの二度目の襲来で竜魔人と化したバランに全員重傷を負わされた。ダイは回復した記憶を再び奪われそうになったため紋章を拳に移し、激闘の末バランを撃退した。これが昨夜マトリフに説明したテランでの顛末だ。心配をかけるであろう要素は省いて要点のみを伝えよう、と仲間達と目配せし合っていたことはお見通しらしい。それでもポップは無駄な抵抗を試みる。
「確かに枝葉は省略したけどよ、おおよそのことは話したって。これ以上言っとくことなんて―」
「ダイが言ってたな。『もう二度と死なせない』と」
誤魔化そうとする言葉を遮られポップの喉が詰まる。目を逸らす弟子にマトリフは更に言いつのる。
「『もう殺させない』『死なせない』……全員が無事なら絶対に出てこねえ台詞だ。昨夜小屋にいた連中以外に仲間がいた様子もねえよな。じゃあ、誰が『殺された』んだ?」
「そ、れは」
「外傷だけでいやあお前は他の奴等より軽傷に見えた。その割りにどいつもこいつもお前の様子ばかり気にして早く休ませようとしていたな。何故だ?」
「……」
言い返せずポップは押し黙る。俯いた丸い頭にマトリフは手を遣り、鷲掴みにした。ぐいっと自分の側へ引き寄せると、耳元で低く問う。
「何やらかしやがった。正直に言ってみろ」
黙秘を許さない強い声に気圧され、ポップは渋々と口を開いた。
「……メ……」
「メ?」
「……メ、メガンテを、少々」
「令嬢の嗜みごとみたいに抜かしてんじゃねえ、この馬鹿たれが」
言うなり手近に置いてあった杖でポカポカと殴られ、ポップは情けない悲鳴を上げる。
「いって!ちょっ痛えって!師匠」
「痛くしてんだよ!生きてる有難さを思い知りやがれド阿呆」
「殴られなくても分かってるっての……痛っ!痛い!ごめん!すんませんでした!謝るからやめてくれよ」
ポップの頭を抱えた手は老人とは思えぬほど力強く、逃げようとすると更に殴られた。互いの息が切れる頃になってようやく手を放したマトリフは、涙目になっている弟子の顔をじっと見据える。
「頭っから残らず話せ。お前が何をやって、どうして生きて今ここにいられるのか。全部だ」
「……分かったよ」
冷たい岩肌の床にぺたりとポップは正座する。マトリフは寝台に腰掛け、ぽつぽつと語られる一部始終を静かに聞いた。話が進むほどに荒れ狂う胸の内の嵐を抑えながら。
「で?」
「いや、今度は何の『で?』だよ」
洗いざらい話した末、再び繰り出された一音にポップは眉を顰める。
「現状、身体でおかしなところはねえのか。脈の打ち方が変だとか、やたら息が切れるとか」
「……無い、と思うけどな」
答えながらポップは無意識に手を自らの胸に添える。途端に睨みつけられ、「違うって!確認してるだけだから!」と慌てて弁解した。
「昨夜は確かにちょっとしんどかったけど今は何ともないぜ。魔法使ったときも……ギラ一回だけな!そん時も身体がおかしくなるなんてこと無かったし。問題はねえ、と思う。多分」
魔法を使った、の言葉にギロリとまた睨まれ首を竦める。身体を縮こまらせる弟子をしばし見つめ、マトリフはふうと深く息を吐いた。
「ま、昨日の今日じゃ何とも言えねえか。傷の影響もあるだろうしな。しばらくは修行も休みだ。様子見とけ」
「ああ、姫さんにもココ来る前に釘刺された。数日は大事を取れって」
テランを立つ間際ポップの様子を伺っていた面々の表情を思い出し、だろうなと頷く。本来であれば蘇生後即動き回るなどもっての外だ。しかし絶対安静などと言い渡せば今のポップは逆に無理をしかねない。レオナにしてみれば修行を休ませること以外行動を制限しないのは随分譲歩したと言えるだろう。
問題は無いと答えつつ、胸に置かれたままの手は微かに震え、顔色も決して万全とは言えない。いつの間にか痩せ我慢の上手くなってしまった弟子にマトリフはため息をついた。
「ちゅーかさ、師匠、あんたどうなんだよ」
気まずそうに背中を丸めていたポップだったが、ふいに頭を上げマトリフに詰め寄る。マトリフはできるだけ自然に目を逸らした。
「ああ?オレがどうした」
「どうしたって、あん時さあ……」
「どうもしねえよ。忘れろ」
「いや忘れろったって」
目の前で血を吐いたことを忘れたりできるものか。そう言い返そうとすると横目で睨まれる。口を噤みながらも心配そうな表情を隠さないポップに、マトリフは小さく苦笑した。痩せ我慢上手などと人のことは言っていられないか。互いに同じような思いを抱きながら、師弟はしばし次の言葉を探した。
「あのさ、師匠」
長い沈黙の後、ぽつりとポップが呟く。
「おれ、魔法使いになりたい」
「あ?」
少なくとも一年以上前から魔法使いとしての修行をしてきたはずの少年の言葉に、マトリフは怪訝そうな声を上げた。
「メガンテ使って身体がバラバラにならなかったのは幸運だったのかもしれねえけど……結局おれ、あの時失敗してるんだよな。最後の最後、指の力が抜けて躱されちまった。アバン先生にあんなに『魔法は集中力ですよ』って言われてたのに。詰めが甘いって叱られてた昔のまんまだ」
自身の肉体が爆散することを望んでいたかのような言い様に、マトリフは眉間に皺を寄せた。
「別に死にたかったわけじゃないぜ。ただ……ただよ。強い呪文覚えりゃいいってわけじゃねえと思ったんだ。ちゃんと相手に効かなきゃ意味がねえ。今のまんまじゃ戦いの役には立てねえって。今更かよって話なんだけど」
重ねてきた失敗の数々を思い返し、ポップは苦い笑いを浮かべながら言葉を続ける。
「おれさ、師匠に前言われたみてえにみんなを守れる魔法使いになりてえ。師匠みたいにみんなの力になれる魔法使いになりてえ。ダイに頼りきりじゃなくあいつを支えてやれる魔法使いに……ダイの魔法使いになりてえんだ」
「……そうか」
「うん、だからさ」
一旦言葉を切り、ポップは正座のままぴしりと姿勢を正し、マトリフに向き合った。床に両手をつくと深く頭を下げる。
「ちゃんと休んで体調が問題無くなったら、修行の続きやらせてください。よろしくお願いします」
初めて聞く礼儀正しい言葉にマトリフはふんと鼻を鳴らした。座礼を崩さぬ魔法使い志願の少年の頭をぐりぐりと乱暴に撫で回す。
「頼まれなくてもしごいてやるよ。言ったろ?逃がしゃしねえってな。大魔王を倒すところまでは付き合ってやらあ」
師の言葉を受け、顔を上げたポップはニッと笑う。彼らしい屈託の無い笑顔を久しぶりに見た気がして、マトリフも皺の刻まれた顔に心からの笑みを浮かべた。
東に向けて開けた洞窟は日暮れが早い。外が薄暗くなったのを感じ取ったマトリフはポップに帰城を促した。ポップも素直に立ち上がる。
「修行は休むとしても、また明日も来ていいだろ?あの辺の本、読ませてくれよ」
そう請うてくる視線の先には数多の魔導書が並ぶ本棚がある。これまでは実戦形式の修行が主だったが座学にも多少の興味が出てきたらしい。良い傾向ではあるが勉学もまた修行の一つだ。それじゃあ休みにならねえぞと諭してやりたいが、どう言ってもこの若者は最終的には思うようにしか動かない。好きにしな、とマトリフが答えるとポップは安心したように笑った。
じゃあ、と外へ出ようとしたポップが、突然あ!と大声を上げ振り返った。
「忘れてた!師匠すまねえ、おれ師匠にもらったマント破っちまったんだ」
「ん?ああ……まあ気にすんな」
何事かと固くしていた身体の力を抜き、マトリフは気の無い返事を返した。正確にはバランにフェイントをかけるためあえて破らせたのだが(その話も先ほど聞いた)、それを詫びるくらいなら自己犠牲呪文を唱えたことをもう少し反省して欲しいものだ。弟子の思考方向に少々呆れる。
「でも若え頃からの愛用品だったんだろ?せっかく譲ってもらったのに……」
「くれてやったもんの使い途なんざ気にしねえよ。マントもお前の身代わりになれて本望だろうさ」
今更謝罪は要らぬと軽く手を振って返せば、申し訳なさそうに下がっていた眉がほっと緩んだ。再び別れの挨拶を交わし洞窟の出口に向かう。扉を閉める間際に見せた笑顔からは曇りも迷いも消えていた。
洞窟を去るポップを見送ると、マトリフは長い長いため息をついた。胸の澱みを咳と共に吐き出し、冷たい壁に背中を預ける。
「やれやれ。まったくとんでもねえ忘れ形見遺していったもんだなあ、アバンよ」
自身の三分の一も生きられなかったかつての勇者に、決して届くことの無い愚痴を吐く。彼の更に半分も生きていない少年は、若くして世を去って行った友人達に似なくて良い部分ばかり似てきたようだ。仲間思いは結構なことだがどうしてこう誰も彼も生き急ぐのか。大事なものを失うたびに感じてきた苦しさがぶり返し、百歳を間近にした男は熱を持った目頭を押さえる。
だが、それでも。
「魔法使いになりてえ、か」
少年の言葉を思い出すとこらえきれぬ笑みが口元に浮かぶ。初めて魔法を扱えるようになった頃、あんなにも真っ直ぐ同じことが言えただろうか。まだまだ未熟ではあるが、彼には自分の持つ力を余すこと無く注げるだけの素質がある。この年齢であの才能に出会い弟子に取れたことは生涯最大の幸運と言っても過言では無いだろう。ポップに魔法使いの道を示したアバンを褒めるべきか恨むべきか、複雑な思いに囚われる。
ごろりと寝台に寝転び、マトリフは独りごちる。
「ご希望通り、ならせてやろうじゃねえか。世界最強の魔法使い、勇者ダイの魔法使いにな」
だからそれまで死ぬんじゃねえぞ。
天井を見上げながら放った言葉は夜の空気に溶けていく。どうかあいつに届いてくれよ。この言葉があいつを守る呪文となるように。
大気に遊ぶ精霊達にそう願いながら、大魔道士はゆっくりと瞼を閉じた。