ハピネスシェアまであと一歩「なあマァム。ポッキー食うか?」
「ん、ありがと。もらう……」
ぼんやりと窓の外を眺めていたマァムはポップの呼びかけに応えて視線を前方に向ける。そしてニマニマと笑う一つ年下の友人の姿にすうっと目を細めた。
「なあ〜早く食えって」
歯先でプレッツェル部分を咥えたポップがくいくいとポッキーをマァムに向かって差し出してくる。だらしなく緩んだ顔をしばし睨んだのち、マァムは無言でポップの唇に手を差し伸べた。
ボキッ!
「うわ、ひっでー」
「どっちが!」
折り取ったポッキーをマァムは一気に頬張った。チョコのかかった部分を奪われたポップはぶちぶちぼやいている。睨み合う二人の間でポリポリと軽快な音が響いた。
「ポッキーの日なんだからちょっとくらいノッてくれてもいいじゃねえかよ」
「絶対やだ。ここ教室よ?何考えてんのよ」
「誰もいないんだからいいじゃーん。別にキスまでしてくれって言ってるんじゃねえんだしさあ~」
「バカなこと言ってないで課題終わらせなさいよ。先に帰るわよ」
元々今日は二人で本屋に寄る予定だったのだ。ポップが未提出の課題をほったらかしてさえいなければ。科目担当からも担任からも大目玉を食らい、今日中に提出しなければ落第決定だと宣言されてしまっては無視するわけにもいかない。もう帰れるかと声をかけに来たところで見張り役を仰せつかってしまったマァムはきりりと眉を吊り上げる。
「あああ、悪かったって!超特急で仕上げるからもうちょっと待ってくれよ。な!」
ぺこぺこと頭を下げ、ポップは机にかじりつく。
「最初からそのくらい真面目にやりなさいよね……」
物量としては大したことない課題なのに、そうやってふざけているからいつまでも終わらないのだ。やれやれと溜息をつき、マァムは再び窓の外に視線を向ける。
「日が暮れるの早くなったなあ……」
「秋の日は釣瓶落としってか?」
「”つるべ“ってあのお笑いの?」
「違う違う、井戸で使う桶みてえなヤツ。時代劇とかで見たことねえか?」
「ああ、あれが……って、またあんたは!喋んなくていいから早くやんなさい!口じゃなくて手を動かす!」
「へいへい!」
廊下側からくすくすと笑い声が聞こえてくる。ちょうど通りかかった後輩たちが二人のやりとりを見ていたらしい。母親のような口調で叱ってしまったことが急に恥ずかしくなり、マァムはそわそわと視線を彷徨わせた。
(ベランダで待っていようかしら)
ポップと二人でいるときはあまり気にしてことがなかったが、ここは一学年下の教室だ。二年生のマァムがいるのを変に思われたかもしれない。意識してしまうと妙にいたたまれなくなった。見張り役と言ってもずっと側にいなくても良いだろう。うん、と一人納得してマァムは椅子から立ち上がる。しかしその身体がベランダに向かうことは無かった。
「ちゃんと見張っててくれよ」
ペンを走らせながらポップが言う。いつの間にか彼の左手はマァムの右手の上に乗せられていた。触れる手のひらがやけに熱い。強く掴まれてはいないが何故か一歩も動けなくなる。マァムはすとんと座り直した。ポップの熱が握られた手からじわじわと全身に伝わってくる。
「もうちょっとだから」
課題から目を離さず告げるポップに、マァムは真っ赤な頬のまま頷いた。
「おーわったぁ~!」
「お疲れ様」
バンザイしたついでにうーんと伸びをするポップにマァムはくすりと笑う。ついさっきまでマァムの右手に添えられていたポップの手は今彼の頭上にあった。行動の自由を得た代わりに、心には妙な寂しさが宿った。戸惑いを振り切るように、マァムは勢いよく立ち上がる。
「さ、提出してさっさと帰りましょ!」
「お?おう」
さくさくと帰り支度をするマァムにポップも続く。バックパックを背負ったところで「あ、そうだ」と机に残されたままだったポッキーの箱を手に取った。
「これ、食いかけで悪りいけどもらってくんね?待たせたお詫びってことで」
「安いお詫びね。でもありがと」
苦笑いしつつマァムは素直に箱を受け取る。開いた袋から一本取り出しポリポリと囓った。そしてもう一本手に取ると、ポップに向かって差し出す。
「一本分けてあげる。頑張ったご褒美」
「安いご褒美だなあ。つーかおれが買ったヤツだし!」
笑いながらポップはあーんと大きく口を開けた。細いプレッツェルをカリカリと少しずつ咀嚼していく様子が小動物のようで、マァムは思わず笑ってしまう。
「ふふ、ポップったらウサギみたい」
「うるへー」
カカカッと囓る勢いが増したのに合わせてマァムは手を放した。ポップの食べ方を見るのが楽しくて、つい唇近くまでポッキーを掴んだままだったのだ。もう少し手を放すのが遅かったら触れてしまっていたかもしれない。むぐむぐと動くポップの口元を見つめ、マァムはそっと息を吐いた。冷めたはずの熱がまた身体の奥から高まっていくような感覚があった。
「な、マァム。もう一本」
「お詫びで渡してきたくせに何ねだってんのよ」
あーんと大口を開けるポップの頭をはたき、マァムは職員室へと足を向ける。てへへと照れくさそうに笑いながら、ポップはその隣に並ぶ。
「ポッキーゲームはまた来年かなあ~」
「誰がやるか。バカ」
ニマニマ笑うポップを小突きながらマァムも笑う。ひょいと箱からポッキーを取り出すと、待ってましたとばかりにポップが囓りつく。職員室までの道すがら、結局半分以上がポップの腹の中に収まってしまった。
「本屋に寄る前にコンビニでもうひと箱買おっか?」
「そうね。プリッツも欲しいな」
「オッケー」
和やかに話しながら歩く二人を、先ほど廊下から教室を見ていた生徒たちが見つめる。
「あれで付き合ってないって嘘でしょ」
「ねえ」
遠い呟きに気づくこともないまま、少年と少女は仲睦まじく夕陽に照らされる校舎を後にしたのだった。