触れたいと思うとき ポップ、マァム、メルルの三人は約一ヶ月ぶりにパプニカを訪れた。ダイ捜索に進展があっても無くても、定期的に報告のため城を訪問することにしている。
「みんな久しぶり!」
明るい笑顔を浮かべ、レオナは大きく両手を広げた。ずい、と迫られマァムは少々戸惑う。
「えーっと……?」
「ハグよ、ハグ! たまにはいいでしょ?」
ほら、ぎゅってして!
身分を越えて絆を深めた友人は、満面の笑みで手を広げてくる。マァムは苦笑しつつレオナを両腕で抱きしめた。柔らかく細い少女の身体。世界の復興に捜索の支援にと、この細身で奔走しているのだと思うと胸の内に熱いものがこみ上げてくる。
「レオナ、少し痩せたんじゃない? 無理しないでね」
「うふふ、ありがと」
そっと身を離したレオナは「メルルも!」と更にハグを求める。占い師の少女も、ほんのり頬を染めてそれに応じる。
「お帰りなさい。元気そうで何よりだわ」
「は、はい。ありがとうございます」
レオナと微笑みを交わしたメルルは、マァムにも笑いかけた。
「こういうの、あまり慣れていないのですが……いいものですね」
「そうね。ちょっと照れくさいけど」
お国柄というものもあるのだろう。マァムやメルルは親しい相手であってもハグをするような習慣は無い。レオナも以前はこんなことは求めてこなかった。旅に出た仲間達を一人で待つのは想像以上に淋しいものなのかもしれないと、レオナの心情を思う。
「おっ? 姫さん、おれともハグするかい?」
少女達のやり取りを見守っていたポップがにやにやしながら近づいてきた。
「不敬罪で処すわよ」
「何でだよ!」
即答するレオナにポップのツッコミが入る。楽しげに喧嘩する二人を見て、マァムとメルルはくすくすと笑う。
「皆、元気そうだな」
少し遅れて到着したヒュンケルが声をかけてくる。マァムとは握手を交わし、メルルとは互いに会釈する。ポップは、とマァムが見守っていると、こつんと拳をぶつけていた。そういえば、近頃は大戦時のように顔を合わせるたびつっかかるようなこともなくなったようだ。
(大人になったってことなのかしら)
兄弟弟子の関係が改善したのは喜ばしいことだが、まだ何となく違和感があるな、とマァムは思う。ヒュンケルの旅の同行者は二人。そのうちの一人であるラーハルトは、大勢で騒ぐのを好まず一人何処かへ行ってしまった。もう一方の同行者エイミは、主君レオナに抱きつかれ慌てている。
「姫さん、すっかりハグ魔になっちまってるなあ」
ポップの言葉に「そうね」と頷きながら、マァムは他のことを考えていた。
夜。夕食を済ませた一同は部屋に戻る。何かの用でメルルがレオナに呼ばれ、マァムはポップと二人で食堂を出た。二人の寝室は同じ棟の別階に用意されている。とりとめのないことを話しながら階段を昇る。そしてマァムの部屋の階に着いたところで、マァムは日中から考えていたことを口にした。
「ねえ、ポップ」
「んー? 何だ?」
榛色の瞳をくるりと向けてくるポップにマァムは問う。
「レオナとハグできなかったの、残念?」
「ふえっ」
予想外の問いだったのか、ポップは大きな目を更に丸くする。
「何だよそりゃ? おれ、そんなふうに見えてたか?」
「う~ん、そうでもないんだけど」
言っていいものかどうか迷いつつ、マァムは言葉を続ける。
「ええっとね……ポップって、ダイとよくハグしてたでしょう?」
「え? ……ああ、うん。そうかもなあ」
突然出された親友の名にポップはぴくりと反応した。捜索の旅はまだ終わりが見えない。ポップの心情を慮り、今まで道中でダイの名を出すことはほとんどなかった。
「今日あなたを見ていて、ダイといたときみたいに誰かとくっついたりしないなって……ふと思ったの」
「ああ、そりゃまあ、なあ」
マァムが想像していたよりは平気そうな顔でポップは応える。
「あいつはおれにとっちゃ特別だからさ。誰とでも同じように触れ合えるかってーと、そうはいかねえわなあ」
「うん……そうよね」
真剣な表情で相槌を打つマァムに、ポップは明るく笑いかける。
「まあ、それぞれに合ったコミュニケーションってのがあんだよ。姫さんとハグしたくねえわけじゃねえが、どうしてもってもんでもない。あれがおれと姫さんのちょうどいい距離感っていうか」
「うん、何となく分かるわ」
ポップとレオナの間には彼らだからこその友情の形があると感じる。マァムとレオナの間がまたそうであるように。彼女だけでなく、ヒュンケルやクロコダインら、仲間それぞれとの特別な距離感があるというのはマァムも理解できる。
「他の奴らとも関係は悪かねえけどさあ。ハグしてえとかはねえかな。おれとヒュンケルが会うなり抱きしめ合ってたらビックリしねえか?」
「それは確かに」
くすっと笑うマァムに「な」とポップも微笑む。
「じゃあ、私は?」
「んん?」
重ねた問いにポップは目を瞬かせる。
「私とも、ハグしたいとは思わない?」
「うえぇ⁉」
これもまた予想外の問いかけだったようだ。ポップは素っ頓狂な声をあげた。
「一度だけ私から抱きついたこともあったけど、あれきりよね」
バルジ島へ向かう直前、ルーラを会得しボロボロの姿で戻ってきたポップに、マァムは駆け寄り飛びついた。ハグというには中途半端だったかもしれないが、ポップと強く触れ合ったのはあれが最初で最後のように思う。
「ええ……お前、それをおれに訊くかね……」
ポップはへなっと眉を下げた。三人で旅に出る前、レオナと三賢者から『異性に対する適切な態度・道中守るべきルール』を膝詰めで説かれたのだと聞いている。実際、ポップに不用意に触れられるようなことはほぼ無くなった。良い傾向だと思っているが、ポップの言う『それぞれに合ったコミュニケーション』が取れていないような気もしている。
「……してえよ。ハグ」
眉を下げたままポップが呟く。
「正直に言えばさ。ハグだけじゃなくて、もっといっぱいお前に触れてえなって思うよ。だって……好きなんだから」
「う、ん」
直接「触れたい」と言われたのは初めてかもしれない。彼の想いは知っている。からかい混じりに触れられた回数は数えきれないほどだ。その都度鉄拳制裁で懲らしめて、泣きべそをかくポップに「馬鹿ねえ」と笑って……それがかつての二人の『普通』だった。こんなに真剣な目を向けられたのは久しぶりな気がする。マァムはただ見つめ返すことしかできない。
「でもさ、やっぱ駄目だろ」
マァムを真っ直ぐ見据え、ポップは告げる。
「前は調子こいてべたべた触ったりしちまってたけど……お前の答えを待つべきだなって思って。別に恋人になれなくたってハグはできるけど……今は友情とか親愛の気持ちとごっちゃにしちまうのは嫌なんだよ」
「……うん。ごめんなさい。私、無神経だったわ」
俯くマァムに、「んなこたねえよ」とポップは優しく笑いかける。
「おれが寂しがってんじゃねえかって心配してくれたんだろ? ありがとな。おれのこと考えてくれてるってだけですげえ嬉しいよ」
でも、とポップは続ける。
「ただ寂しいからとか誰かの代わりとか……そういう理由でおめえに触れたいわけじゃねえから。それは分かっててほしい」
「うん。分かった」
頷くマァムに笑い返し、ポップは軽く手を挙げる。
「じゃあ、そろそろおれ部屋に行くわ。おやすみ」
「ええ、おやすみなさい」
マァムは手を振り返し、借り受けた寝室へ足を向けた。「部屋に行く」と言ったくせにポップはその場を動かなかった。マァムが部屋に入り扉を閉めるまで、後ろ姿を見送っているようだった。こつこつと響く足音と遠ざかる気配を感じて、マァムは深く溜息をつく。
「分かってる。ポップの言うことが正しいのよ。でも……」
マァムは、自分に向けて笑顔で両腕を広げる少年の姿を脳裏に思い浮かべる。
「私が寂しいときは、どうすればいいの……?」
遠ざかる足音は答えてくれない。マァムはぎゅっと自分の身体を抱きしめた。