飛べなければ跳べばいい 城の中庭でポップが宙に浮いている。傍らにいるのは三賢者たち。彼らは今トベルーラの特訓をしている。得意分野に偏らず、より幅広く魔法を使いこなせるようになるべきと大戦後も修行を続けているのだ。そしてポップはパプニカに戻るたび彼らの特訓に付き合っている。
ふわふわと浮かぶエイミの横に並び、ポップは何かを伝える。頷いたエイミは直立の姿勢のまま前後左右へと動く。アポロは上下に、マリンは庭全体を旋回する。身体の軸が僅かでもぶれるとポップの鋭い指摘が入る。動きが安定するまで、それぞれ一定の動きを何度も繰り返し、宙空でのバランスの取り方を覚えていく。
「そんなこっそり覗かなくても、堂々と見学に行けばいいじゃない」
そんな中庭を一望できる王女の私室。窓際でそっと様子を窺うマァムにレオナは苦笑する。
「邪魔しちゃ悪いもの」
目線を庭に向けたままマァムが応える。戦場でもないのに気配まで消してポップたちをじっと見つめている。レオナはハアと溜息をつき、年上の友人に再び声をかけた。
「ねえ。マァムは何がそんなに気になるのよ?」
「何が? って?」
レオナの問いに、ようやく視線を室内に戻したマァムは首を傾げた。
「パプニカに戻ってくるたび、ポップ君と三賢者たちは何かしら魔法の特訓してるわよね。別にもう珍しいことでもないでしょ?」
「ええ、そうね」
レオナの言葉にマァムは頷く。
「それなのに、あなたはいつもそうやって遠くからじーっと彼らを見てる。一体どうしてかなって、部屋の主としては疑問なわけよ」
にこやかに問うレオナに対し、マァムはやや面持ちを暗くした。
「ごめん。やっぱりここにいちゃ迷惑よね」
「そういうことじゃないってば、もう!」
レオナはぷくっと頬を膨らませた。手招きに応じてマァムがテーブルに近づくと、手ずから紅茶を淹れる。
「迷惑なんて思ってないわよ。でもせっかく久しぶりに会えたんですもの、お茶くらい付き合ってくれてもよくなぁい?」
「ええ、本当にそうね。ごめんなさい」
元よりマァムは「ここから中庭を見せてほしい」と申し出た上で入室した。レオナも別に腹を立てている様子はない。しかし大切な友人を放ったらかして階下を見るばかりというのは確かに失礼なことだ。マァムは椅子に座りティーカップを手に取る。甘い花の香りが心を穏やかにしてくれた。
「ねえ、マァム。知ってる?」
頬を緩ませ紅茶を味わうマァムに、レオナは悪戯っぽい視線を向ける。
「ポップ君ね、魔法の特訓は絶対中庭や兵の訓練場でやるって決めてるのよ。あと、三賢者全員が揃わないときは魔法兵や魔道士に付き合ってもらうの。何故だか分かる?」
分からない、とマァムは首を横に振る。
「『自分たちは魔法の特訓をしてます』って皆に示すためよ。トベルーラの特訓は主にエイミが言いだしたことなんだけど、最初はこっそりやりたいってポップ君に打診したんですって。でも、彼がそれは駄目だって言ったの」
レオナはにこやかに話を続ける。
「男女二人がこそこそしてたら仲を怪しまれるかもしれないでしょ? 不名誉な噂を立てられるくらいなら人前で恥をかいたほうがエイミのためにもいいはずだって言ってたわ。だから特訓は人目につく場所で、必ず男女数人で取り組むようにって決めたわけ」
「ふうん。そうなんだ」
やけにあっさりとしたマァムの反応に、レオナは形の良い眉を寄せた。
「あら、そこが問題なわけじゃないの?」
「そこって?」
言葉の意味が分からずマァムは首を傾げる。
「ポップ君が女の人とずっと一緒にいるのが気になってたんじゃないの?」
「別に? 何で?」
きょとんとするマァムに対して「ええええ」とレオナは目を見開く。
「そろそろ答えが出たのかと思ってたんだけど……そっかあ……まだそんな感じなのね……」
「何言ってるのよ、レオナ」
小声でぶつぶつと呟くレオナに、今度はマァムが頬を膨らませる。
「ラーハルトが選ぶ旅の目的地は険しい場所ばかりだと聞いているわ。まだ傷の癒えないヒュンケルも一緒なんだから、いざというときの対処法を考えるのは当然のことよ。エイミさんが真剣に魔法の特訓をするのも、ポップがそれに協力するのも素晴らしいことだと思ってるわ」
「うんうん、そーねえ。そのとおりだわぁ」
真剣に語るマァムに対してレオナの反応は一気に雑になる。
「じゃあ、何が気になってその素晴らしい特訓をこそこそ見てるわけ?」
「……それは」
途端に口ごもるマァムを見てレオナはふむ、と思案する。
「理由が言えないのは相手があたしだから? それとも誰にも秘密なのかしら」
「……うーん……言えないってことはないんだけど……」
マァムは困ったように微笑んだ。レオナも柔らかい笑みを返す。
「ま、いいわ。言いたくないこともあるわよね」
レオナは茶菓子をぽいっと口に入れた。「美味しいわよ」と、マァムにも食べるように促す。
「レオナにもある? 秘密にしたいこと」
「そりゃあるわよ」
くすりと笑い、レオナはマァムを見つめる。
「『この人だから話せる』ってこともあれば『この人にだけは言えない』ってこともあるわ。相手が好きか嫌いかってことに関係なくね」
「たとえば、試着だけで済ませるはずだったのに服を買いすぎちゃってどうしよう、とか?」
マァムはクローゼットの前に山積みになっているデパートの箱を指差す。「言わないでー!」とレオナは大袈裟に頭を抱えた。
「呆れられると思ったから言わずにいたのに~!」
「あの箱の山に気づかないと思ったの?」
くすくすと笑うマァムに「だってぇ」とレオナは口を尖らせる。
「マァムは部屋の中なんてぜーんぜん気にせず窓際に行っちゃったんですものー。見えてないのかと思ったの!」
「そうだったわね。ごめんごめん」
少女たちは顔を見合わせて笑う。
「ま、それはいいとして」
レオナはパンと両手を打ち、話題を元に戻す。
「あたしに内緒のことがあったって構わないけど、最近のあなた、ずいぶん悩んでるようで心配だわ。一人で思いつめすぎないようにしてね」
「うん……そうね。ありがとう」
マァムは頷き、窓のほうへと目を向けた。まだ魔法の特訓は続いているようだ。中庭から掛け声らしきものが聞こえてくる。
(良い方向に行けばいいけど)
遠い目をしているマァムを見つめ、レオナは心の中で大切な友人の心が早く晴れやかになることを願った。
「必要なもの全部揃って良かったわね」
「ええ。パプニカも物流が安定してきましたね」
明くる日。マァムはメルルと共に買い出しに出ていた。次の出立までは数日ある。傷んでしまった道具の買い換えや消耗品の補充を早めにやっておこうと街へ繰り出したのだ。
「マァムさん、私も少し持ちましょうか」
小さな袋一つを提げたメルルが問う。マァムの両手には重量のある道具類が抱えられていた。普段旅の荷物はアバンが作ってくれた非生物用の魔法の筒に収納しているが、一般に出回っているものではないため市中では使用を控えている。
「大丈夫。全然重くないから」
マァムは微笑み、すいすいと人混みの中を歩く。大荷物で前も見にくいはずだが、人の気配を察して上手くすり抜けていく。メルルは楽しそうにその様子を見る。
「いつもながら見事ですね。マァムさんなら目隠ししても街中を歩けてしまいそう」
「ふふっ。上手く人混みの中を歩けたら、何だか楽しくなっちゃうのよね」
二人はにこやかに大通りを行く。大戦で壊滅状態になっていた王都も賑やかになった。和やかに行き交う人々を見ていると平和の尊さを改めて実感できる。
街を抜け、城へ向かう一本道に入る。ふうっと息を吐き、マァムは空を見上げた。
「ポップはまだみたいね」
「そうですね」
ポップはマトリフの所へ行くと早朝から城を出た。買い物の荷物持ちはマァムがいれば問題ないし、男性同伴では買いづらいものもある。ポップにしても一人でやりたいこともあるだろうし、師匠との間に積もる話もあるだろう。別行動を取る彼に対してマァムもメルルも特に不満などない。
そう、不満も問題もないのだけれど。
マァムとメルルは高い空を飛ぶ鳥たちに目を向ける。
「しばらくはお天気が続きそうですね」
「そうね……」
空は青く澄み渡り、雲一つない。出立の日まで晴天が続くだろうと思われた。
「たまには、飛べなくなるくらい雨が降ってもいいのにね」
マァムがぽつりと呟く。メルルは小さく頷いた。
「でも……たとえ土砂降りでも飛んでいってしまいそうな気もします」
「そうね。嵐でも吹雪の中でも、飛ぶと決めたら飛ぶんでしょうね」
誰が、と言わずとも二人の間では通じ合っている。旅の中でたくさん話をして、マァムとメルルは互いの理解を深めてきた。今マァムの胸の内をもっともよく知るのはメルルだと言っても過言ではないだろう。
(メルルの気持ちを考えたら申し訳ないような気もするけど……)
この申し訳ないという思いさえ傲慢なのかもしれない。自分の心と向き合うことの難しさを今更に実感する。
「何処まででも……飛んでいってしまえるのよね。あいつは」
マァムは輝く太陽を見上げ、目を眇めた。美しい青は、あの朝のことを思い出す。真っ黒な悪魔を抱え、空へと飛んでいった二人の少年のことを。
あの日、ポップは一人で落ちてきた。経緯は分からないがダイが彼の生命を守るために何かしたのだということは察せられた。しばらくは荒れていたポップだったが、ダイの生存が分かったことで生来の前向きさを取り戻した。そしてマァム、メルルと共に勇者捜索の旅に出かけたのだ。
旅は世界各地の被害状況の確認や復興支援を兼ねて続けられた。英雄と祭りあげられるのは三人とも好まなかったが、情報を収集するために必要があれば自分たちの知名度を積極的に利用した。
「あいつが胸張って笑顔で帰ってこれるように、おれたちがこの平和を守っていかねえと。そのためには使えるモンは使わなきゃ損だよな」
そう言って笑ったポップに、マァムもメルルも同意を返した。しかし元は小さな村で庶民として生まれ育った少年少女たちだ。ダイの捜索に進展が見られないことも重なり、『勇者の仲間ご一行』として旅を続けることに皆疲弊し始めていた。
ポップは遠からずこのパーティーを解散するだろう。共に歩むうち、マァムもメルルもそう予感するようになった。魔王軍に蹂躙された地を復興し安定に導くのは世界の急務だ。蔑ろにしてよいとは誰も思っていない。だが、ポップが第一に願うのはダイとの再会である。足踏みしているような現状に彼は焦りを感じている。マァムたちに黙って危険な遺跡探索に向かうことさえあった。単独行動だけはやめてくれと懇願したことで無茶は減ったが、どこまで彼の我慢が続くだろうか。
(もしポップが一人で旅に出たいと言ったら、きっと私たちには止められない)
彼の背には世界中何処へでも行ける翼がある。地上全てを巡ってそれでも足りなければ、天界へでも魔界へでもポップは躊躇いなく足を踏み出すだろう。マァムにはそれを止める力も、彼に着いていくだけの能力もない。足手まといになるくらいなら信じて待つのが最善なのかもしれない。だが、本当にそれでいいのかと心の中で問うもう一人の自分もいる。
「雨を望んでるだけじゃだめなのよね」
澄み渡る空を見つめたままマァムは呟く。自分がどう考えているのか、ポップに何を望むのか、自らの言葉で伝えなくてはならない。そう思ってはいるのに考えが上手くまとまらない。
「でも、何も伝えず行かせたりはしないですよね?」
メルルの口調は静かだが、その言葉には重みがあった。ことマァムに対しては複雑な感情を抱いているだろうに、そっと背中を押してくれる。得難い友を得たことにマァムは深く感謝する。
「ええ。黙ったままなんて性に合わないもの」
ぐっと顔を上げるマァムを見て、メルルは微笑む。
「ふふ。それでこそマァムさんです」
マァムもメルルに微笑みかけた。自らの想いを捨てることなく恋う人の幸せを願えるメルルは本当に強い人だ。マァムは隣に立つ少女を見つめる。
「私もメルルくらい強くなりたいなあ」
「まあ。マァムさんより強いなんて光栄です」
伝説の超金属さえ砕く武闘家の呟きを聞いて、嫋やかな占術師は声をあげて笑った。
「二人ともお帰りなさい」
城門近くにエイミとマリンがいた。マァムたちを待っていたようだ。
「何かありましたか?」
城で問題でも起きたかと心配したが、そうではないと首を横に振られた。
「急で悪いのだけど、トベルーラの練習に付き合ってほしいの」
「今日は特訓はお休みだったのでは?」
エイミの言葉にメルルが首を傾げる。
「ポップ君に見てもらうのはそうね。でも自主練習は禁止されてないから」
複数人で飛ぶ練習をしたいのでマァムたちに協力してほしいのだとエイミは言う。
「トベルーラを習得してない人の動きに慣れたいのだけど、高いところが平気な人ってなかなかいないのよ」
「つまり私たちがヒュンケルとラーハルトの代理をするってことですね」
エイミは深く頷いた。幼少から戦士として教育を受けてきたヒュンケルとラーハルトは優れた察知能力、動体視力を有する。道中、エイミが気づかぬ異変を感じて対処に動く場合もあるそうだ。エイミは、トベルーラで支えている間も彼らの突発的な動きに対応できるようになりたいのだと言う。
「ヒュンケルさんたちに直接頼まれないのですか?」
メルルの疑問はもっともなことだ。十代後半の少女と成年男性では体格も筋力も大きく異なる。互いの動きの癖を把握するには旅の同行者と練習をしたほうがよいはずだ。
「頼めないわけじゃないんだけど」
エイミは困ったように笑う。マァムはその表情を見て、元々彼女は秘密裏に特訓することを希望していたのだと思い出す。
(練習に付き合ってって言いにくいのかしら)
ヒュンケルはともかく、ラーハルトは当初エイミの同行に難色を示していたと聞く。修得が不十分な状態で協力を仰ぎにくいのかもしれない。
「私は大丈夫ですよ。部屋に荷物を置いてからでいいですか?」
マァムがそう答えると、隣のメルルも「私も」と頷いた。エイミはほっとしたように頬を緩ませる。
「ありがとう。助かるわ。では準備ができたら城の裏の森に来てもらえる?」
「えっ、中庭じゃないんですか?」
いつもの訓練場所ではないことにマァムは驚く。ポップの懸念していた『男女でこそこそ怪しいことをしている』ようには見えないだろうが、わざわざ裏の森で行う必要があるのだろうか。
「自然に近い場所で練習したいの。飛ぶ範囲も広げたいしね」
道中とできるだけ近い環境で飛び慣れたいということだろう。マァムとメルルは了承の意を示し、荷物を置きに部屋へ向かう。
「一緒に旅をしていても、お願いってしづらいものなのでしょうか」
過剰な遠慮はパーティーに対して逆に迷惑をかけることもある。奥ゆかしい性格のメルルだが、最近ではポップやマァムに気軽に頼みごとをするようになった。
「うーん、ヒュンケルたちがエイミさんの頼みを断るとは思えないけど」
ヒュンケルは元より、ラーハルトも口調のわりには面倒見のいい男だ。エイミの同行を認めているということは、それなりの信頼関係を築いているはずだ。頼めば(表向きは渋々であっても)了承するのではないかと思われる。
「ただ、賢者って魔法のエキスパートと言われてるでしょ。不出来な魔法を人に見せたくないって気持ちはあるのかもしれないわね」
「ああ、なるほど」
マァムやメルルが扱う回復魔法は行使する対象がいなければ効果が分からない。ゆえに修得には他者の手を借りることが必須となる。
対して、魔法使いの呪文はほとんどが単独でも修得可能だ。もちろん上級者に師事することはあるが、他人に修行の様子を見られたくないという者も多い。エイミの感覚は魔法使いに近いのかもしれない。
「そういえば、ポップさんも知らないうちに新しい呪文覚えたりしてましたね」
メルルの言葉にマァムは溜息混じりで応える。
「そうね。姿を消したり私たちを眠らせたり、禁呪紛いのものまで……」
ポップの魔法に幾度となく助けられてきたのは間違いない。だが知らぬ間に彼が抱えてきた負担をのちに聞かされ、心を痛めてきたことも事実だ。
「いつだって、大事なことほど後から知るのよ……」
魔法に関することに限らない。『心配をかけたくないから』『傷つけたくないから』そんな残酷な優しさで、これまでどれだけのことを知らされずに来たのだろう。これからどれだけの『大切な想い』でマァムは真実から遠ざけられていくのだろう。
無論、他者に対して隠したいことも全てをつまびらかにしろとは思わない。マァム自身、人に言いづらいことや秘めておきたいことはある。昨日レオナに心中を打ち明けられなかったように――
「エイミさんたちはそんな深刻な状況じゃないと思うけど……」
この特訓が早く終わればいい、とマァムは願う。気遣いゆえの秘密などできるだけ少なくなればいい、と。メルルはマァムの内心を察したのか、優しい微笑みを向けてくる。
「お三方の旅が少しでも楽になるように、私たちも頑張ってお手伝いしましょうね」
「ええ、そうね」
二人は頷き合い、歩みを早めた。
「ちょっと変なお願いになるんだけど、二人には私が飛ぶのを邪魔してほしいの」
城の裏手の森に着くと、マァムたちはエイミからこう請われた。
「わざとエイミさんが飛びにくいように動くってことですか?」
「そうそう」
ヒュンケルもラーハルトもトベルーラを使わないが、飛行をわざと阻害するような性格ではない。これはあくまでもあらゆる事態に対応するための訓練だ。「分かりました」と二人は答えた。
マァムとメルルは左右に分かれ、それぞれエイミと手を繋ぐ。少女たちに挟まれたエイミはきゅっと唇を引き締めた。
「実はトベルーラを使えない人と飛ぶのは初めてなの」
「あ、そうなんですね」
マァムは繋いだ手元に目を向ける。手袋越しでも緊張が伝わってくるようだ。
「ヒュンケルもラーハルトも、私とずいぶん体格が違うでしょう? いざというときちゃんと飛行を維持できるか、まだ自信がなくて」
無理に付き合わせてごめんなさいね、とエイミは眉を下げた。マァムもメルルも笑顔を返す。
「全然。いくらでも付き合いますよ。思いっきりエイミさんを振り回しますね!」
「ええ、遠慮なく『邪魔』させていただきますわ」
茶目っ気のある返答にエイミは少し表情を緩ませた。「じゃあ、行くわよ」と二人と共に宙に浮かぶ。そして木々の頂点を少し超えたあたりで止まった。万一に備え、マリンも近くで見守る。
「この辺りをぐるぐる回ってみるから、二人も適当に動いてみてくれる?」
「分かりました」
エイミが旋回を始めたところで、マァムたちも依頼どおり『邪魔』を開始した。わざと手を強く引いてみたり、進行方向とは逆に身体を向けてみたり。森の中に何かを見つけた、というていで大きく身体を傾けてみたりする。エイミのトベルーラのレベルはかなり高い。マァムたちの動きにも動じず安定した飛行をしている。もっと無茶な動きをしてみてもいいかも、とマァムは新たな『邪魔』の方法を思案する。
「エイミさん。ちょっと手を離してもいいですか?」
「え?」
返事を待たずにマァムはエイミの手を離した。身体を回転させることで落下速度を抑え、一本の木の枝に着地する。そして木々の幹を蹴って数度跳躍した。最後に大きく跳ね上がり、飛んでいるエイミの元へと戻る。
「エイミさん、手を取って!」
「え、ええ!」
向かってくるマァムを受け止めようとエイミが構える。その瞬間、メルルが突然身体の力を抜いた。体調を崩したわけではなく、マァムの目配せに気づいての行動だ。
「きゃあっ!」
エイミは脱力し重みの増したメルルを支える。若干ふらついたがバランスが大きく崩れることはなかった。そして何とか飛び上がってきたマァムの腕を掴む。
「ああ、もう! びっくりした!」
少女たちの突然の行動にエイミは思わず声を荒げた。
「ごめんなさい。今のエイミさんなら、このくらいは大丈夫だと思って」
申し訳なさそうにマァムが見上げる。メルルも体勢を立て直し、エイミの表情を恐る恐る窺った。
「あー……怒ってるわけじゃないわ。邪魔してって言ったのは私だし。でもさすがにひやっとしたわ……二人とも落とさなくて良かった……」
ほうっと安堵の息を吐くエイミに、マリンが近づいてくる。
「凄かったわねえ。今みたいな動き、ポップ君と飛んでるときにもよくやるの?」
問いに対してマァムは首を横に振る。
「まさか。めったにやりませんよ。山越え中に要救護者を見つけたときとか――」
「川の中洲に取り残された人を助けたこともありましたよね。崖の上からマァムさんが飛び降りて」
「あったわね。崖を跳んで戻るよりは、さっきの枝から枝へ移るほうが楽だったかな」
徒歩中心の旅路では土砂崩れや川の氾濫で道が塞がっているときなどにトベルーラを使う。そして飛行中はマァムとメルルが地上を注視し、危険に陥っている人がいないか確認することにしている。緊急の場合には先ほどのようにマァムだけが地上に降りて救助に当たり、ポップとメルルは一番近い集落へ連絡に行くということもある。マァムたちは思い出話として平然と語るが、エイミとマリンは話の内容に目を丸くしている。
「何というか……凄いのね、あなたたち」
エイミはしみじみとマァムたちの顔を見た。知り合ってからかなり経つが、武闘家に転身してからは三賢者らの前で戦ったことがない。後衛職ではあり得ない身のこなしに驚いたのだろうか。しかしそれほどのこともしていないのに……とマァムは首を傾げる。
「あんな動きができること自体凄いけど、それを平然と見守っていられるというのが……ね」
エイミの言葉にマァムはますます首を傾げる。
「マァムさんの身体能力の凄さはこの目で何度も見ていますから。最初は驚きましたが、今は安心して見ていられます」
メルルが笑顔で応えると、賢者の姉妹は納得の面持ちで頷く。
「でもメルルまで脱力して、もし落ちてしまったらって思わなかったの?」
「思いませんよ」
エイミの問いに、今度はマァムが即答する。
「一緒に飛ばせてもらって、エイミさんのトベルーラが安定していることはよく分かりましたから。あのくらいは絶対大丈夫って思ってました」
「絶対って……私、人と飛ぶの初めてって言ったわよね?」
エイミは複雑そうな笑みを浮かべた。全幅の信頼を寄せられたことへの喜びと戸惑いが入り混じった表情だ。
「私たちはトベルーラを使えませんが、ポップさんと何度も飛んでます。エイミさんが優れた使い手だということはすぐ分かりましたわ」
「それに何かあってもマリンさんもいてくれるし、このくらいの高度なら私がメルルを受け止めて着地することもできますから。不安はありませんでしたよ」
二人の言葉を聞き、エイミはほうっと息を吐いた。
「ポップ君がね、誰かと飛ぶときはお互いを信じることが大事だって言ってたの」
「! ポップが」
マァムたちは聞かされたことのない話だ。目を丸くしているとエイミが微笑む。
「地面に足が着いていない状態って不安でしょう? 上空を飛ぶなんて術者本人でも怖いものよ。万一魔法力が切れたら墜落するしかないんですもの」
注意すべきは魔法力切れだけではない。空中は障害物もなく移動が楽なように思えるが、気流の乱れや急な天候の変化が飛行に支障をきたす場合もある。エイミの言葉にマァムとメルルは頷く。
「それでも仲間が一緒に飛んでくれるのは、『絶対に落とさない』って信じてくれてるからだって。だからトベルーラを使う側も、相手が信じてくれていることを信じなければ駄目だって」
「信じていることを……信じる」
マァムはエイミの言葉を口の中で繰り返す。
「私、その言葉の意味をちゃんと理解できていなかったのかも。空中では自分が何とかしなきゃいけない、一緒に飛ぶ人が勝手な動きをしても完璧に制御できるくらいにならなくちゃ駄目だって思いこんでたわ」
エイミは少し気の抜けたような顔を見せる。
「ポップ君にもヒュンケルたちと練習したらって言われてたのに、まだ完璧じゃないから無理だって思ってたの。空中で完璧なんてあり得ないのにね」
エイミは剣も扱うが、さすがに超一流の戦士には遠く及ばない。せめて魔法に関しては誰にも文句を言われぬレベルになろうと、高い目標を掲げていたのかもしれない。特訓の手助けをしていたのが年下ながら魔法制御に秀でたポップだったことも影響しているのだろう。
「二人とも本当にありがとう。自分の駄目なところがよく分かったわ。次はヒュンケルたちに練習に付き合ってもらえるよう頼んでみる」
エイミは晴れやかな顔で笑う。
「私がヒュンケルたちを信じないと、こちらを信じてもらうなんて無理よね。安心して一緒に飛んでもらえるように、早く私のトベルーラに慣れてもらわなきゃ」
「ええ、そうですね。ヒュンケルたちも協力は惜しまないと思います」
「頑張ってくださいね」
マァムとメルルはエイミに激励の言葉を贈る。ぎゅっと手を握り合う三人の姿をマリンが嬉しそうに見守っていた。
「話が終わったのなら早く降りてこい」
地上から不機嫌そうな声が響いた。視線を下に向けると、ラーハルトとヒュンケルが城の裏門近くに立っている。上空に浮かんだままだったエイミたちは急いで近くへと降り立った。
「もしかして、ずっと見ていたの?」
マァムの問いにヒュンケルが微笑む。
「姫が『面白そうなことをやっているから見に行ってみろ』と仰ってな。見学をさせてもらっていた」
「もっと早く声をかけてくれたらいいのに」
エイミの言葉にはラーハルトは睨みと共に返答する。
「上空で話に夢中になっていたのはお前たちのほうだろう。オレたちの気配も読めんとは情けない」
マァムとメルルでさえ察知できなかったのだから気配は消していたに違いない。覗き見をしていたようでばつが悪いのだろうか。皮肉っぽい言葉もどこか言い訳のように聞こえる。共通の感想を抱いた女性陣は笑いを噛み殺す。
「ちょうど良かったわ。二人とも、トベルーラの練習に付き合ってくれないかしら」
仏頂面のラーハルトにも臆することなく、エイミは早速頼み事を口にする。ヒュンケルは優しく笑い、ラーハルトはフンと鼻を鳴らした。
「ようやくだな」
「言うのが遅すぎる。何故旅の同行者より先にそやつらに頼むのだ」
エイミの言葉を待っていたのだ、と言外に二人は伝える。エイミは満面の笑みで頭を下げた。
「お待たせして本当にごめんなさい。今からでも協力してもらえる?」
「もちろん」とヒュンケルは頷き、「仕方ないな」とラーハルトは笑う。
「この貸しは高くつくぞ」
「すぐに返してみせるわよ」
軽口を叩くラーハルトとエイミを見て、ヒュンケルが楽しそうに笑う。マァムはそんな三人をじっと見つめていた。
(とても良いパーティーなのね。何だか……見ていてホッとする)
かつてエイミからヒュンケルへの想いを聞かされた際はかなり動揺した。現在二人がどのような関係なのかは知らないが、旅の仲間として絆を深めていることは分かった。そして打ち解け合った様子のヒュンケルたちを見て、マァムは安堵している自分に気づく。
(以前はヒュンケルを孤独の中で生きようとする人だと思っていた……でも、今は違うのね)
放っておけない人だと思っていたヒュンケルが、今は穏やかに笑っている。マァムが気をかけなくとも、彼は信頼できる仲間と共に歩んでいるのだ。良かった、と心から思える。自分の気持ちがどちらへ向いているかはとうに自覚していた。だがこんなにも抱く気持ちに変化が出るものかとマァムは自身に対して驚愕してしまう。
(ああ、ポップに会いたい)
ただ、そう思った。和やかに語らう仲間たちの中にあって、マァムは今この場にいないポップのことしか考えられなくなっていた。早く会いたい。言葉を交わしたい。毎日顔を合わせているというのに、居ても立ってもいられなくなる。
「私、行くわ」
唐突な言葉に、皆が一斉にマァムの顔を見る。
「行くって何処へ?」
マリンの問いにマァムは弾けるような笑顔で答える。
「ポップのところへ!」
言うが早いか駆けだしたマァムを、一同は呆然と見送る。
「ねえ、マァムってポップ君のこと……?」
エイミが小声でメルルに問いかける。メルルは一度目を伏せて、次いでふわりと微笑んでみせた。
「私、ポップさんのこともマァムさんのことも大好きなんです。だから二人が幸せになってくれたら嬉しいなと思います」
メルルは穏やかな笑みを浮かべて語る。エイミとマリンが健気な少女の頭を優しく撫でた。青年二人は素知らぬふりをしながら、青い空を見上げていた。
マァムは凄まじいスピードで道を駆ける。風を切って走るのは心地よい。頭の中に立ちこめていたもやもやがさあっと晴れていくようだ。
(私ったら、何をうじうじと悩んでいたのかしら)
マァムは答えを出すのが怖かった。心は決まっているのに上手く言葉にできずにいた。それは、自分が『正しい答え』を伝えられる自信がなかったからだ。以前ポップに「自分がズルいほうへ行きかけたとき、ガツンと言ってくれる」と言われたのを引きずっていたのかもしれない。自分にとってもポップにとっても最善の道を見つけなければ、想いを伝えることなどできないと思っていた。
(ポップは私の返事を待ってくれているのよ。正しいとか間違ってるとかじゃない。思ったままを伝えればいいんだわ)
そう考えが定まると、とにかくポップに会いたくて仕方なくなった。一刻も早く彼に言葉を届けたいと思った。
ポップはマトリフのところに行くと言っていた。いつもならそろそろ戻ってくる時間だ。すれ違いになるおそれもあったが、帰城を待ってなどいられない。
(あ……でも、もしかして)
マトリフの住む岩窟を目指していたマァムは途中で進路を変えた。目的地にポップがいるという確証はなかったが、彼が一人であの場所に佇んでいる姿が思い浮かんだのだ。
「早く、早く会いたい……ポップ……!」
マァムは全速力で走る。あの場所にポップがいなければ、次はマトリフの所へ。もう帰ったと言われれば城へ。彼に会うためならばいくらでも走れると思った。何度すれ違ったって構わない。彼を想って走ることこそ今の自分に必要なのだと感じていた。
そして深い森を抜け、マァムは青草の茂る岬の先端を目指す――
ダイの剣の岬。ポップはまさしくそこにいた。剣を安置している台座の前に座り、じっと海を眺めている。マァムは一本道をひたすらに駆けた。やや丸まった後ろ姿に声をかけようと口を開く。
「ポッ――」
そのとき、ポップがふらりと立ち上がった。ぐっと背伸びをして空を見上げる。そして彼のつま先はふわりと青草から浮き上がる。
「ポップーーーー」
マァムは思わず叫んだ。ポップはがばりと振り返る。驚きの表情を浮かべた少年は剣の柄より高い場所に浮かんでいた。マァムは思いきり大地を蹴る。宙に浮くポップに向かって大きく跳躍する。
「うわあっ」
突然飛び出してきたマァムをポップが抱き留める。もし手が届かなければ海へ落下していたかもしれない。そのくらい凄まじい勢いだった。
「あっぶねえ! お前、何やってんだよ!」
ポップはいつになく厳しい声をあげた。飛べないマァムにとっては一歩間違えれば死に繋がる危険な行動だったからだ。
「だって、ポップが」
マァムは途切れ途切れに応える。城から走ってきた程度で息は切れない。だがポップに抱きしめられていると思うとドキドキと胸が高鳴った。足元が不安定な中空で、マァムはポップにぎゅうっと縋りつく。
「ポップが飛んでいこうとするから……」
「ん? 城に戻ろうとしてたんだよ……それがどうかしたか?」
いつもと違うマァムの様子に気づいたのか、ポップは訝しげに腕の中の少女を見つめる。
「ポップ、私ね」
マァムはずっと言えずにいたことをポップに伝える。
「私、あなたが空を飛ぶところを見るの嫌いなの」
「え……」
何度も一緒に飛んだことのある相手にそう言われ、ポップは言葉を失う。
「だって、あなたは何処までも飛んでいけるんですもの。一人でだって何処へでも行ける。あなたが飛んでいる姿を見ると、そのまま遠くへ行っちゃうんじゃないかって不安になるの」
マァムの脳裏に戦時のポップの姿が鮮やかに蘇る。ぼろぼろになっても前線で戦っていた姿。一度死んだことをマァムが知った際に見せていた焦ったような顔。凶悪な炎に包まれている姿。極大消滅呪文の向こうに見えた薄い影。そして、黒の核晶を抱えてダイと共に飛んでいった後ろ姿――いつだってマァムはポップを救うことができなかった。彼の生命が危機に晒されたとき、側にいることさえできなかった。また置いていかれるのだろうか。いつかまた、知らないうちにポップを失ってしまうのだろうか。そんな不安がいつもマァムの胸の中にある。ダイの帰還を健気に待つレオナには打ち明けられずにいた思いだ。
「でもね」
マァムはポップの顔を見上げる。二人の身長差はかなり大きくなった。成長期のポップはどんどんマァムを追い越していく。どんなに手を伸ばしても追いつかない。そんな思いがずっとマァムを苦しめていた。
「でも私、あなたに立ち止まってほしくないの。行きたいところへ行って、あなたの望みを叶えてほしい。ずっとあなたの側にいたいけど、あなたの枷にはなりたくないの」
「マ、マァム……それって」
マァムの真っ直ぐな言葉を受けて、ポップは耳まで赤くなる。
「そ、それってさあ。結構勘違いしちまう台詞だぜ……?」
「何よ、勘違いって」
話の腰を折られたマァムはぷくっと頬を膨らませる。
「いやだって……『ずっと側にいたい』とかさ……恋人相手に言うようなことじゃねえ?」
「それが何よ」
眉をつり上げるマァムにポップは慌てる。
「え、え、だって。そんなのマァムがおれを好きみてえな……」
「好きよ! ずっとそう言ってるでしょ」
「いやでも、その好きって……」
やたらと「いやでも」を繰り返すポップに業を煮やし、マァムは大声で怒鳴った。
「あなたが好きだって言ってるの! 弟弟子としてとか、友達としてじゃなくて! いい加減分かりなさいよ! 馬鹿」
「え、えええええ」
動揺したせいかトベルーラのバランスが崩れる。ポップはふらふらと地面に降りた。腕の中のマァムはじっとしている。上目遣いにポップを睨み、むっと唇を尖らせる。
「もう……怒鳴るつもりなかったのに!」
「わ、悪りい。びっくりしちまって」
ポップはあたふたとマァムに謝罪する。抱き留めたままの腕をどうすべきかとぐねぐね身体を動かす。困りきった様子があまりに可笑しくて、マァムは怒りを忘れて噴き出す。
「ふふふっ、ポップがそんなに動揺するところ久しぶりに見た気がするわ」
「わ、笑うなよぉ」
情けない声を聞いてマァムはますます笑う。出会ったころよりがっしりしたポップの身体に腕を回し、しっかりと抱きしめる。
「私、ポップが好き」
「……うん」
やや動揺を残しつつ、ポップもマァムの身体をそっと抱きしめる。
「側にいないと不安になる。置いていかれるのが怖いの。あなた、私の見ていないところで無茶ばっかりするから」
「う……ごめん」
思い当たる節がありすぎるポップは謝るしかない。
「でもね、もう怖がってばかりいるのはやめようと思うの」
マァムは栗色の瞳をきらきらと輝かせる。
「私は飛べないけど走ることができる。あなたを目指して跳ぶことはできるわ。置いていかれるかもって嘆くより、あなたを追いかけてずっと走っていこうって決めたの。追いつけなくても諦めない。あなたの側にいるためなら、どんなことだってやるわ」
若干十五歳にして地上最強の呪文使いとなったポップ。彼がどれだけ努力してきたかをマァムはよく知っている。天賦の才だけでここまでになれるものか。彼の側にいたいと思うなら、自分はそれ以上に努力をしなければならないのだ。たとえ一生追いつけなくても、ポップを目指して走り続けたい。マァムは自身の中に芽生えた決意を大切に抱きしめる。
「そしてね。あなたがまた無茶をしそうになったら、さっきみたいに飛びつくわ。一人でなんて行かせるもんですか。私の目の前から消えるなんて、絶対に許さない!」
にっこり笑うマァムに、ポップは困ったような笑みを返す。
「さっきのは本当にフツーに帰ろうとしただけ……ああ、それはもういいや」
ポップは抱きしめていた腕を解いた。そしてマァムの両肩にそっと手を置く。
「まず言っとくけど……もう一人で勝手に動くようなことはしねえから」
真剣な言葉にマァムはこくんと頷く。
「薄々予想はしてるだろうが……地上を探しつ尽くしたら、魔界や天界の捜索も視野に入れてる。でも行くときは必ず相談する。お前に黙って行くようなことは絶対しない」
「うん。約束ね」
マァムと真っ直ぐ向き合い、ポップは力強く頷く。
「お前と一緒に行けるかどうかは、正直何とも言えねえ。おれ自身に異界に行けるだけの力があるかも分からねえしな」
「ええ」
絶対に諦めないと誓ったマァムだが、足手まといになりたいわけではない。自身の実力を見極める目は持っているつもりだ。
「おれだけじゃねえ、ラーハルトたちだって、ダイを探していずれ魔界を目指すだろう。地上の戦力が減ったら、変な野望を持ってる奴が隙を狙ってくるおそれもある」
「そのときは、私を地上に残す?」
「そうなるかもしれない」
ポップは魔法使いとして冷静に状況判断する力を身に着けてきた。恋が実ったからといって浮かれた願望だけを語ったりはしない。そんなポップをマァムは誰より尊敬し、誇りに思っている。
「いいわ。レオナやヒュンケル、みんなと相談して、それが最善だって結論が出たらちゃんと指示に従う。あなたに代わって地上を守り抜くわ」
感情論だけで世界を見ることはできない。それはマァムも理解している。ダイを平和な地上に連れて帰ること。それはポップだけでなくマァムにとっても大切な願いなのだ。マァムを残すかもしれないというのは、ポップがマァムの力を認め、信じているからだ。それを見誤るようなことはしない。
「マァム、おれさ」
ポップはぎゅっと眉を引き締め、マァムを見据える。
「おれ、お前が好きだ。お前と一緒に未来が見たい。だから……何処に行ったって絶対にお前のところに帰ってくる」
熱の籠もった言葉を聞いて、マァムは微かに眉を下げる。
「前に読んだ小説だと、そういうこと言う人ほど早く退場したけど……」
「他人の書いた物語じゃねえんだ! おれは自分で自分のストーリーを作る!」
ポップはマァムの身体を強く抱きしめた。マァムもしっかりと抱きつく。
「やっと、やっと両思いになれたんだぜ? 早期退場なんてしてたまるかよ!」
二人の身体が宙に浮く。ぐんぐんと青空に向かって飛びながら、ポップは大声で叫ぶ。
「絶対にダイを見つける! 平和になった世界を見せつけてやる! そんで、お前と一緒にずーっとずーっと幸せに暮らす! これがおれの選ぶ未来だあ!」
「ポップと、私のね!」
「おお! そのとおりぃ!」
ポップは猛スピードで海上を旋回する。戦場でもめったに見せなかった速さだ。マァムはしっかりとポップの身体を抱きしめた。どんなに速度を上げられても怖くない。ポップの腕の中にいるだけで、心は不思議なほど落ち着いていた。
「ポップ!」
頭一つ高くなったポップに向けて、マァムは全身全霊を込めて呼びかける。
「何処へだって好きなように飛んでいけばいいわ! 私、地上から全力で跳び上がって、あなたを捕まえてみせるから!」
「はははっ、もうとっくに捕まっちまってるぜぇ?」
ポップはマァムの顔を見つめ、笑う。笑顔の先には青い青い空が見えた。とても綺麗で、とても怖かった空。今はこんなにも美しく見える。
「ねえ、ポップ」
呼びかけると「ん?」と瞳を覗きこまれる。僅かに尖ったポップの口先に、マァムは己の顔を近づける。
「貸し借りじゃなくて、今度はちゃんとちょうだい?」
「……ん。おれにも、な」
そっと触れた唇は潮の香りがした。「敵わねえな」と笑うポップに「当然でしょ」とマァムも笑う。笑い合う二人を眩しい太陽だけが見守っている。
「明日も晴れそうだな」
小さく呟くポップに「そうね。ずっと晴れたらいいな」とマァムは返した。