平蔵の仕事は放課後からが本番である。
特に今日は大きな仕事が待っていることもあり。早く真実を明かしたいはやる気持ちに身を任せて、押してくる波に流されるように足早に教室を飛び出していた。
風紀委員に所属している平蔵は、主に校舎裏や体育館で屯している不良グループを追い払ったりすることが仕事のひとつにある。
元々堅苦しいのが苦手な平蔵は会議を何度もすっぽかしては、同じ委員で同じ学年の九条裟羅に何度も注意を受けていた。「形式的な会議が嫌なのなら、その間校舎の見回りでもしたらどうだ」と言われてからほとんど毎日、こうして放課後に見回りをするようになったのだ。
学校という閉鎖空間、授業という収容状態から開放された生徒はどうしても気が大きくなりがちなもの。それに加え我の強い生徒ばかりが集まってしまったのだから、以前から収集がつかない事態も多々起きていたと記録に残っている。
「そもそも事案は現場で起きてるんだから、会議室にのんびり座っていたところで根本を解決できるわけないよね」
一度平蔵はこう口にしたことがある。結果は――裟羅が少し肩入れをしたところで、当時他のメンバーには全く響かなかったのが現実にあった。
それならと平蔵は更に単独で行動するようになり、そのせいで様々な事件に巻き込まれたこともあるが本人はそんな過程もそれなりに楽しんで毎日を過ごしていたようだ。
平蔵が見回り始めてから不審な行動をする生徒がみるみる減ったとの報告は、日を追うごとに生徒からも教師からも届きはじめた。意外にも効果はあったことを裟羅も見直して、少しだけ彼女の平蔵に対する評価も上がっていた。
そんな中、風紀委員にとある報告が寄せられたのが今回のことの発端であった。
「隣の公園を占拠している大人と、一緒になって騒いでいるうちの生徒がいた……ねえ九条さんはどう思う?」
「報告によればその大人は身体に入墨のようなものがあると聞いている。関わってはいけない部類の者だと私は推測しているが」
至極まじめな返答に、平蔵はそうだねと相槌をうつ。
関わってはいけない。不可侵。禁忌。そういったものに平蔵の心が躍らないわけがない! しかし、あからさまに興味がありますと態度で示してしまえば、「また自ら厄介事に首を突っ込むつもりだろう」と担当を降ろされる可能性もあり返答が慎重になる。
この心境を知ってか知らずか裟羅は平蔵をきつく射るように見つめ、念を押すように重ねて言うのだ。
「犯罪に巻き込まれる前に手を打つ必要があるだろう。鹿野院、相手と無闇に接触するんじゃないぞ。まず関係のある人物に詳しく話を聞いて、必要であれば皆に相談するんだ。いや、私や鎌治にでも構わない」
不意に名前を挙げられた鎌治が、僕ですか!? と声を裏返らせたのに平蔵はからりと笑って言う。
「分かってるって! 大丈夫。僕がなんとかしてくるよ」
――とは言ったものの。平蔵も件の公園に出没するという人物について、風のうわさである程度だが耳にしていた。
不良と殴り合いのケンカをしているのを見たとか、屋台のラーメン屋にいたとか、はたまた近所の小学生に囲まれてカードゲームをしていたとか。
様々な話が平蔵のもとにやってくる度に、平蔵の中でその人物像がはっきりしたと思えば、水面に揺らいだ絵の具のようにぼやけて霞む。この繰り返しだった。
非常に残念なことに、”知れば知るほど分からない未知もの”に興味が引かれてしまうのは昔から平蔵の性である。
彼に会ってみたい自らの好奇心を、風紀委員の仕事と銘打つことのできる絶好の機会を逃すわけにはいかない。災い転じてなんとやら、平蔵は浮足立った気持ちで目当てにしている上級生の教室へと向かっていくのだ。
「晃先輩に元太先輩、少しお話いいかな」
「ゲェ風紀委員! 俺たち何もしてないぜ。なぁ元太」
「そうだそうだ。風紀委員は元気に学校生活送ってる善良な生徒にも手を出すのかよ」
晃と元太と呼ばれた人物は平蔵の姿を見るなり、蛇に睨まれた蛙のようにふたりで身をひそめて警戒心をあらわにした。
それもそのはずで、風紀委員に指摘を受けるのは規則を破ったり素行が悪い生徒がほとんどのこと。普通に学校生活を送っていれば、まず顔を合わせることすら無いのだから身構えるのも無理はない。
「こっちも仕事だからさ。二人と、あと守先輩。今から公園に行くんでしょ」
「だったら何だ。風紀委員ってのは俺たちを何でもかんでも監視してんのか?」
「人聞き悪いなぁ。まさか、そこまでしないよ」
「じゃあなおさら言う必要ねえだろ」
平蔵に目をつけられた理由がわからない。元太はあからさまに機嫌を悪くして、胸の内を探られている不快感を隠そうともしなくなってきた。
話を長引かせると全く聞く耳を持ってくれなくなるだろう。元太は気が短いことで多少有名だし、早いうちに決め手を打つしかない。
「……実は僕、この前見ちゃったんだ」
「な、何をだよ」
「僕って風紀委員に所属してて、校舎で取り締まりみたいなことよくやってるでしょ。だから周りの人たちからあんまりよく思われてなくて」
まあそうだろうな。そう反射的に返した元太の口を晃が慌てて塞ぐ。
「通りがかりに君たちが公園で遊んでるのを見て、いいなって……ちょっとだけ思ったんだ」
「お前……」
警戒心むき出しだった視線が、河川敷に捨てられた小動物を見るような視線へと移った変化を平蔵は見逃さない。平蔵は伏し目がちにため息をついたと思えば、ぱっといつものように笑顔を作って二人の方へ向き直った。
「ごめんね、こんな話聞かせて。気にしないで」
さながら傷付いてませんと笑みを向けて、二人の反応を観察する。出会い頭の調査モードだった平蔵の打って変わった態度に、二人とも混乱しているようにもみえた。
「なあ、親分だったらよ……」
「そうだな……」
なにやら二人でこそこそと声をひそめ、横目で平蔵の様子をちらちら伺う。少しばかり居心地が悪い気分だが、もう一押しで完全に盤を自分に引き寄せられるのを確信した平蔵はさらに踏み込んで一手を打つ。「引き止めて悪かったね」と平蔵がくるりと踵を返したとき、立っていた人物に思いがけず帰路を塞がれてしまった。
「おーいみんな何してるんだ。今日は親分と会う日だろ? 早く行こうぜ」
「守!」
なんだかんだいえどこれで目をつけていた全員が揃った。偶然ともいえる最高のタイミングでの登場である。探す手間が省けたなぁと悠長な思考が平蔵の脳裏を駆けていく。平蔵に云わせれば、偶然も必然のうちであり、全てこうなるはずだったとも。
平蔵はあくまで、気にしないでほしいという態度を貫いていた。独りで寂しいなと思ってもいない雰囲気をまとい、寂しそうな視線を去り際に置いて、「じゃあまた明日」と背を向けた平蔵を掴んだのは、ついさっきまで風紀委員だからと言って平蔵を嫌がっていた元太だった。
「お前も来るか?」
渋々と、それでも嫌味がなく純粋な善意をもって投げられた言葉。
「えっ……ありがとう!」
あまりにもちょろい。それはもう、引っかけているこちらが心配になるほどに。人を疑いもせず真っ直ぐな目を向けられることに、平蔵とて罪悪感がないわけではない。
根は悪い人たちじゃないんだろうな。でも他人に迷惑かけてるのは事実だし、気にかけておくか……。平蔵はひっそりと心の中にある目掛リストに三人の名前を追加したのだった。
「親分! 遅くなっちまった」
「お前らやっと来たか。待ちくたびれちまったぜ! ん? 見かけねえやつもいるが、お前らの友達か?」
その人はこちらを確認するなり、大きく口を開けて豪快に笑った。肌寒いくらいの気温だというのに半袖のシャツを着て、地面に胡座をかいて座っている。見るからに元気そうな人だった。
「すまねえ親分。こいつもいいか?」
「初めまして。僕はみんなの後輩で、鹿野院平蔵っていうんだ。よろしくね」
「礼儀正しいやつだな、お前みたいなやつは嫌いじゃねえぜ。俺様は荒瀧・天下第一・一斗様だ! よし、新しい友情の記念に乾杯といこうじゃねぇか!」
そう言うと、なにやらゴソゴソと荷物を漁り始める。彼の様子を伺うついでにじっくり観察してみることにした。見るからに鍛えていそうな身体に、腕に刻まれた朱いラインが際立って存在を主張していた。一目見て、彼はカタギではないと誰が見ても判断するであろう風貌だ。
更にこういう場合は大抵、二十歳を超えないと買えないお酒なんかを大人が持ってくる……なんていうのがよく見る光景だろう。これまでも数回、同じような案件を見てきたのだ。
ずっと興味を持っていた人が、よくいる大学生のようなありきたりな人物だったのはつまらないが、まったく予想外ではなかった。見目もガラが良いとは程遠く、耳に入ってくる悪評だってゼロではなかったから。平蔵が勝手に期待して、勝手に失望したというだけのことで。
それにしても出会って五秒で現場を目撃することになるとは、なんだかあっけなくて興ざめだ。
「親分、まさか酒か?」
守の問いに荒瀧は一瞬目を丸くして、口角を上げる。やっぱりかと平蔵が肩を落としたとき。響くような豪快な笑い声と「バーカ!」と守の頭を鷲掴むと、その大きな手で乱暴に撫で回した。
「なんだァ。ガキが一丁前に飲みたいのか? お前らには100年早ぇよ」
「力強ぇよ親分!」
「平蔵っつったか? お前も辛気臭ぇ顔してないで、早くこっちに来い」
荒瀧は自分の隣のアスファルトを叩く。
彼の屈託ない笑顔になんだか毒気を抜かれてしまった平蔵は言われるがまま、隣に腰をかけると瞬間氷のように冷たい何かが肌に触れた。
飛び上がって驚く平蔵に荒瀧は楽しそうに笑う。
「うわっ!」
「ハハハ! 急に卓也が来れねぇつってたからよ、ラッキーだったな」
そう言って渡されたラムネの瓶を、平蔵は思わず受け取ってすぐ、強く握りしめた。そんなに嬉しいのかァなんて覗き込んでくる顔に若干の苛立ちを覚えながら(得意げな表情をしているのが容易に想像できたので)、ありがとうと平蔵は小さく頷いた。
「は……」
ぴたりと荒瀧の動きが止まった気配を感じる。なんなら、周りの空気も一緒に止まったような錯覚まであって。
「ええっ、卓也さん来ないんすか!?」
一体何事か平蔵が顔を上げたのだが、それより先に晃の大声によって再び空気が動き出していたのだった。
「し、仕方ないだろ。あいつは仕事で忙しいんだとよ」
落胆する晃に笑いかける荒瀧にはさっきの妙な雰囲気はなく。爛漫な笑顔で「今日もあれやるぞ!」と意気揚々とカードケースを取り出し、連れの先輩たちも次々に鞄から取り出し始めたのだった。
* * *
「それからお菓子広げて七聖召喚したかな。あの人、攻撃パターンが単純だからちょっと特殊な攻め方するとすぐ手詰まりになって面白かったんだよね」
風紀委員が管理する一室で、平蔵は事の経緯を報告していた。机に寝そべる平蔵を見下ろした裟羅が、はあ、と息をついた。
「カードゲームの攻略法はいい。その男は結局何だったんだ」
「強面なだけでただのフリーターだったよ。なんでもあの公園にはレアなモンスターが湧くから絶好の穴場らしくてさ、それ目当てで来るのは基本子供だからボコりやすいんだって。ボコられることもあるみたいだけど」
「モンスター……」
「あっ裟羅さん知らない? 今流行ってるパチモンGOっていうアプリなんだけど、ボールを投げてモンスターを捕まえるんだよ」
朗らかに鎌治が言うと、裟羅は知らんと切り捨てる。
確かにこの人は知らなそうだ。世俗のものに興味が薄そうな雰囲気を大いにしているし。
「何か失礼なことを考えていないか」
「ぜっ、全然!」
「……特に害がないのであれば、この件に関してはもういい。ご苦労だったな」
ただのお騒がせな投書だったな。そう言って呆れ半ばに裟羅は自分の席に座り直した。
七聖召喚については、流行ってるなあというくらいの認識だったのだが。また会う口実になるかな、などとぼんやり割り込んでくる思考に平蔵は頭を抱えた。
たかが数日前に起きたあの日だけの出来事。普段はひとつの件を解決したあとも、そのことについて考えることなんてなかった。むしろ、この件はこれで終わり! とスッキリしていたのだ。
にも関わらず、もう会う機会はないのかと思うだけで、今回に限ってモヤモヤがずっと晴れずにいる。こんなはずじゃなかったのに!
「あの……」
仕事に集中力を戻した裟羅の邪魔をしないような声で、鎌治がそっと耳打ちをする。
「平蔵さん」
「ん?」
「僕でよければ、相手になりますよ」
親指を立てて頷く鎌治はとても楽しそうな表情をしていた。これは玩具にされるなぁと気づいたときにはデッキ構築を二人で考えていたのだから、彼女持ちの洞察力と行動力は怖いなと思うことしかできなかった。