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    nukohumi_sq

    @nukohumi_sq

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    nukohumi_sq

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    カゲロウさんと添い遂げるために禁忌を犯して長い長い寿命を得たハンター♂の話。
    の2話目。
    場所はkmrの里と大社跡ですが、キャラクリ済みのハンター♂とオリキャラしか出てきません。

    「ありがとうごぜえますカミサマ、本当にありがとうごぜえました!」
    「いいって、いいって。いや、拝むことないだろ……」
    「こちらは御礼の品でごぜえます、どうか受け取ってくださいまし!」
     カムラの里の農夫の依頼を受けてオロミドロを無事討伐したカミサマ───と、呼ばれる青年は、必死に頭を下げて手を合わせる農民たちに若干引いてしまいつつも、御礼の品だと渡された包みはしっかりと受け取って社に戻った。若干引いた、といっても、青年にとってはいつものことなのである。毎度毎度、そう気にすることでもない。
     鎮護の御廟も今は昔、などとはよく言ったもので、カムラの里からほど近い「大社跡」と呼ばれる地域には、以前より数は減ったにせよ、今でもモンスターが棲み着いている。高い岩場や山間の狭い土地が多く、隠れ場所を探すのには苦労しないのだから、それも当然だった。今回、里の農夫が討伐を依頼してきたオロミドロも、大社跡からそう遠くない場所にある農地を巣にしてしまっていた、というわけだ。今も昔も、人々が生活を営んで、そのすぐ隣にモンスターたちがいて、そうしてたまに交わりぶつかり合うことに変わりはない。
     そう、今も、かつても。何も変わってなどいない。


     青年はかつて、カムラの里を拠点として八面六臂の活躍をしたハンターだった。
    洗いざらしのまま伸ばした蒼黒の髪を翻し、黄金色の瞳は時に鷲のように鋭く、時に蛇のように狡猾にモンスターを絡め取る……などと、どこかで言われていたらしい。青年自身、その辺りの噂めいたことにはほとほと興味がなく、よく知らなかった。そもそも、よく思い出せない。何せ、青年がハンターとして活動していたのは、もう百年、いやその倍以上に昔の話なのである。
     青年は、老いなかった。青年は、死ななかった。
     青年を知る者は皆、遅い早いはあれど自然の摂理に従って老い、衰え、死んだ。だが、青年の蒼黒の髪には白いもの一つ混じらず、青年の張りのある肌には皺ひとつできず、青年の発条のようにしなやかな筋肉は微塵も衰えなかった。十年、百年経っても、青年の姿は変わらなかった。そんな青年は、カムラの里で過ごすうちにいつしか「化け物」と後ろ指を指されるようになり、逃げるようにして里を飛び出した。それが、五十年か、いや百年か、とにかく、ずうっと前のことだ。
     それからというもの、青年はあちこちを転々とした。行ったこともない国、街、村。青年ができることといえば狩りくらいで、色々な場所を拠点にハンターとして生きた。十分な知識と技量を持った青年を、土地の人々は歓迎した。最初のうちは。五年、十年と同じ場所を拠点とするうち、大怪我をしても数日後にはケロッとしていることも、姿が露ほども変わらないことも、徐々に不審に思われるようになっていった。土地の人々から奇異の目を向けられるようになるたび、青年は住む場所を変えた。そうして転々とするうち、青年は、いい加減人里で過ごすことに疲れてしまった。どこに行っても、歓迎されるのは最初だけ。ある一線を越えると、たちまち後ろ指を指される。人にそういう目で見られるのなら、いっそ人がいない場所にいればよいではないか。そう考えた青年は、ある時からカムラの里近くの大社跡に住み着いたのであった。今は、朽ちた社を家代わりにしながら、半野宿のような生活を続けている。いつからこうしているのかもう忘れてしまったが、ここの地形は知り尽くしているし、狩猟も採集もお手の物で、青年が食うに困ったことは一度もない。
    「さて、と……武器も腕前も、磨いてなんぼってな」
     オロミドロが纏う泥は、非常に頑固だ。青年は拠点にしている社の前を流れる川で、双剣の刀身を丁寧に洗う。目の前にある石橋の上では、一頭のブルファンゴがフガフガと鼻を鳴らしながら青年を見ていた。ここに住み着いたばかりの頃は、よく彼らから突進を食らったり、社を壊されたりしていたが、いつの間にやら気にもされなくなった。そんなこともあって、青年はここで生活していくのに必要となる以上の狩猟を好まなかったが、小型や中型のモンスターだけでなく、危険な大型モンスターが現れることもあるし、今日のように里の人たちから狩猟を依頼されることもある。そういう時は、四の五の言わずかつてのように双剣を振るっていた。ここに現れる種の狩り方を、青年は熟知していた。何度か依頼を受けるうち、ふと、どこのギルドにも所属していない自分がこうしてモンスターを狩るのは密猟になりはしないかと思いもしたが、ギルドを通さない依頼ならばギルドに知れることはなく、結果睨まれることもない。おそらくカムラの里長やギルドマネージャーは青年が里の人々から依頼を受けているのを知っているのだろうが、見て見ぬ振りをしているのだろう。青年はそうして放念され、気にしなくても問題ないと思われる程度には、ここに長く居るのだ。それに、モンスターから剥ぎ取った素材は、食えるものならば食糧にしているが、そうでなければ必要がないので、天鱗だろうが宝玉だろうが里の人たちに譲っていることも放置されている一因だろう。とは言え、今にして思えばこういうことがよくなかったのだろうな、と青年は思う。
     天地に名を轟かせたハンターであった青年は、強かった。とかく強かった。その上何年経っても歳も取らず、人里から距離を置いて、たまに人々に「施し」をする───いつの間にか、こう呼ばれるようになってしまったのだ。大社跡のカミサマ、と。
     青年は、死なないことを除けば普通の人間と変わらなかった。怪我をすれば傷は痛むし、腹を出して寝れば風邪をひいた。もちろん、神通力などない。日照りが続いて困ってるのでなんとかして欲しい、などとお願いをされると困り果ててしまう。なので、カミサマと呼ばれるたびにカミサマではないと応じる。青年は、それだけは忘れないようにしていた。
     双剣の手入れを終えたなら、お次は狩猟後の腹拵えだ。オロミドロの狩猟を依頼してきた農夫が、御礼だと言って渡してくれた包みを開く。中には、お供えものらしくカッチカチになった白い餅。それから、新鮮な野菜と質の良さそうな味噌。青年は、おお、と感嘆の声を洩らす。今日は御馳走が作れそうだ、と。こんな生活が始まった頃は、御礼として貰えるのは大抵賽銭だった。が、自給自足をしている青年には金の使い途などないので、次第に受け取らなくなっていった。すると、今度は食べ物を供えられるようになった。貰うのは大抵神棚に供えるような餅や米だが、こうして野菜や肉、ありがたいことに塩や味噌を貰うこともある。それから、青年がよく知る形ではなくなってしまっていたが、串に刺さったもちもちの団子も、たまに。なんだかんだで、ここでの生活は案外と快適なのである。
     青年は火打ち石で火を起こし、丸い餅を炙り始めた。少し柔らかくなったら洗った枝に刺し、火の前に立てかけておく。餅が焼けるまでの間、農夫から貰った野菜と採ってきてあった茸で味噌汁を作る。知識と技量さえあれば、金などなくてもどうにかなるものだ。水浴びや洗濯ならば川や泉でできるし、肌寒ければ少し遠出して人里離れた秘湯にでも浸かればいい。
     だいぶ柔らかくなってきた餅の焼け具合を見ながら火の前で返していると、食べ物の匂いにつられて小動物でもやってきたのか、近くの茂みがゴソゴソと揺れた。どれ、少しくらいは分けてやるかと、青年は葉でくるんだ餅を手に身を乗り出す。チチチ、と舌を鳴らしながら茂みを軽く掻き分けたのだが。
    「えっ、」
     こんな狩り場の奥地、いたとしてもエンエンクや、もしかしたらハクメンコンモウの子供だろうと思っていたが、思いもよらないものと目が合い、青年は硬直した。くりくりの青い目と、顎の辺りで人形のように綺麗に切り揃えた黒い髪。身につけているのは、カムラの人たちがよく着ている模様の着物。どう見ても、人間の子供だったのである。一応確認すると、青年が餅を焼いているのは狩り場である大社跡の奥地である。子供どころか、大人でも武器や防具なしに入り込むには苦労するような場所だ。そんな場所に子供? なぜ?
    「ええと……とりあえず、食うか?」
     事情は知れないが、餅を持ったまま目が合ってしまった手前、見なかったことにはしづらい。そんなわけで青年は、焼きたての餅を差し出したのだが。
    「……なんかいた‼ なんかいたよ‼」
     子供は青年が差し出した餅を見るや、何やら大きな声で茂みの中に向かって呼びかけた。そのまま奥へ向かって引っ込むのを、青年は追う。こんな場所で大声を出しては、モンスターに囲まれてしまうかもしれない。
    「おいおい騒ぐなって……ん?」
     子供を追って茂みの中を進んでいった青年は、再び固まる羽目になった。木々の間に埋もれるようにして、もう一人の子供が座っていたからである。元気の良い一人目の子供とは違い、怯えるようにして頭を抱え、震えている。
    「ねえ、オバケいたよ! おモチやいてる!」
     おいおい、俺はいつからオバケになったんだ? あと、餅を焼くオバケとは一体。
    突っ込みはさておき、だ。青年は二人の子供の近くまで行き、目線を合わせるようにしゃがむ。一人目の子供は、至って元気。元気すぎる。対して二人目の子供は、一人目よりも身体が大きく歳上のようだが、ひどく怯えているらしく顔を上げもしない。それどころか、青年の気配を感じてか、更に身を縮めてしまう。これでは話はできそうにない。なので青年は、一人目の子供の方に問うた。
    「お前ら、こんな所で何やってんだ?」
    「んっとね、きもだめし!」


     最初に茂みから出てきた少女は、名をミソラというらしい。モンスターだらけの大社跡で「きもだめし」に興じるほどの元気の良さ───怖いもの知らずとも、状況をよく理解していないとも言えた。一方、茂みの中で怯えていた少年は、トクサ。こちらは狩り場に放り込まれた子供の、正常な反応で……いや、少し怯えすぎのきらいがある、か。二人とも身につけているのはカムラの伝統的な着物で、訊かずとも里の子らなのだろうとわかった。
    「んで? 迷子か?」
    「きもだめしだよ!」
    「いや、だから……」
    「ねえねえ、オバケはここで何してんの?」
     警戒心剥き出しの少年、トクサは青年が何を訊いても口を開かないため、元気な少女、ミソラの方に訊いてみるが、元気すぎて話がしづらい。青年は大きな声を出さないようミソラに注意しつつ、首を捻る。
    「ねえ、何してんの? 教えてよ」
    「あ? 何って別に……俺はここに住んでるだけだ」
     聞き出したいことを訊くにしても、まずは質問に答えねば話が進んでいかないらしい。そう察した青年は、ミソラの問いに答えた。すると、縮こまって目も合わせずにいたトクサが、えっ、と声を上げる。
    「じゃあ、あんたがカミサマ……?」
    「いや、俺はカミサマじゃねーよ」
    「里守のおじさんたちが言ってたんだ、大社跡のボロ社に住んでる、変な奴がいるって……! ぅ、ッわあああぁぁ見つけちゃった……取って食われる……ッ!」
     こっちはこっちで話がしづらい。取って食うって、カミサマの話と他のモンスターの話がごちゃごちゃになってはいないか。とりあえず二人を落ち着かせようと、青年は焼きたての餅を差し出す。
    「まあ、とにかく食えよ」
    「おモチ! トクサちゃんおモチだよ!」
    「ダメだミソラ、こんなのオレたちを油断させようとしてるだけだ! ぶくぶく太らせてオレたちを食おうとしてるんだ!」
    「お前、捻くれてるなその歳で……」
    「オバケ! じゃあモチやきオバケだね!」
    「あーあーもーうるせぇなぁ」
     なんだよ餅焼きオバケって、と言いつつ、青年は二人の子供の開いた口にむぎゅっと餅を押しつけた。二人は黙って餅を受け取り、もきゅりとひと口噛る。
    「ゆっくり噛んで食えよ。詰まりかけたら味噌汁もあるからな」
     といっても、長年一人だったのでお手製の椀が一つしかない。困ったな、と思う青年だが、まさかこうして他の誰かに食事を振る舞う機会があるとは思わず……二人の子供をチラと盗み見ると、ミソラの方は餅のようにもちもちのほっぺを膨らませ、実に旨そうに餅を頬張っているが、トクサは最初の一口の後黙りこくったままだ。
    「ほら、お前も食えよ。冷めると固まるぞ」
     なんだって、出来立てを食べるのが一番旨い。青年が促すと、トクサは遠慮がちに口を開いて二口目を噛った。
    「どうだ?」
    「……うまい」
    「そりゃ、里の餅だからな」
     カムラの里の食べ物は、昔から何だって旨い。多くの地域を転々とした青年だが、結局里の近くに戻ってきてしまったのは、まあ、そういうこともあるのかもしれない。そういうことにしておこう。
     二人の子供は、餅で腹が膨れて落ち着いたのか、ようやく少し話ができるようになった。聞けば、里の大人たちから「大社跡のカミサマ」の噂を聞き、どうしても見てみたいとここまで忍び込んで来たらしい。狩り場のことをよく知る青年からすれば、何の力も持たない子供がここまで無傷で来られたなど奇跡でしかない。
    「おいおい、よく無事でいられたなお前ら」
    「奥まで来ちゃえばなんてことないよ。モンスターが通りにくい抜け道だってあるし」
    「さっきまで『取って食われるぅ~』とか言ってたじゃねぇか」
    「うっ……オレはそもそも、カミサマの噂なんか信じてないんだ! ミソラが行きたいって言うから心配で……」
    「ふーん」
     なるほどなぁ、とニヤケ顔を青年が見せれば、トクサは顔を真っ赤にしてうるさいうるさいと騒ぐ。が、静かにしないとモンスターが来るぞ、と青年が言えば、途端に大人しくなった。一方ミソラは、トクサの気など知らぬ様子で青年を見ている。キラキラと輝く瞳は、いかにも興味津々といった風だ。
    「ねえ、あんたがカミサマなの?」
    「カミサマじゃねーよ」
    「じゃあ、モチ焼きオバケ?」
    「だから餅焼きオバケって何だよ……俺は、ここに住んでる…………なんだろな?」
     果たして自分は何者なのか。突然降って湧いた哲学に、青年は頭を抱えそうになる。だが子供の手前、悩んでも仕方がなく……とりあえずもっと食っていけ、と追加の餅を火で炙る。
    「おモチおいしいね」
    「だろ」
    「すごいね、おモチのカミサマだね」
    「ちげーよ」
     カミサマではないし、餅が旨いのは餅を作った里の人のおかげだし。青年は焼き上がった餅を更に二人に渡し、自身は味噌汁を啜る。二人の相手をしている間に少し煮詰まってしまったが、くったりとして味が染み込んだ野菜と適度に食感が残った茸、そして何より上等の味噌と具材から出た旨み、申し分ない出来映えだ。ほとんど自画自賛で頷きながら舌鼓を打っていると、静かにしていたトクサがふと問うた。
    「それで結局、カミサマはここで何してるの?」
    「あ? あー……えー、」
     何をしているのだろう。行く場所がないからいるだけ。人里にはうんざりだから一人で暮らしている。ここにいる理由はないわけではないが、はっきりしているわけでもなく。強いて言うのなら───
    「待ってんだよ」
    「誰を?」
    「……、」
     誰をって。言い淀んでしまって、トクサがジト目でこちらを見ていることに気づいた青年は、一つに咳払いをした。
    「……よし、腹いっぱいになったんならもう帰れ。里の近くまで送ってやるから」
    「ねぇおモチのカミサマ、またおモチ食べに来ていい?」
    「危ねぇから駄目だ」
     えーっ、というミソラの声を背に火の始末をして、青年は立ち上がった。


     朝起きて川で水浴びをしたら、運動と食材調達がてら狩り場を歩き回るのが青年の日課だった。社がある大社跡の北から、のんびりと南へ向かって歩いていく。竹林の間の斜面を抜けて、大きな石鳥居がある広場まで来たら、鳥居を潜って別の道から社へ帰る。途中、ガーグァやブルファンゴなどのモンスターがいれば、食材用に狩ることもあった。それだけでなく、薬草や茸、タケノコに山菜、いくらでも食べられるものがある。木々の間、草の間、あちこちに目を向けつつ、時折脇から顔を出す小型のモンスターを追い払って斜面を下っていくと、ふと、竹林の中が騒がしいことに気づく。いつもと少し、違う雰囲気。そこに何があるのか想像がついてしまった青年は、気が進まないながらも放っておけず、竹林に足を踏み入れた。ギャアギャアとけたたましい獣の声。ジャグラスだ。山道からそう離れてはいない場所で、数頭が群れになっていた。その中心に横たわっているものを見て、青年は、ああ、と溜め息にも似た声を洩らした。双剣を抜き、ジャグラスたちを追い払う。恨めしげにこちらを睨みながら駆けていく彼らを胡乱げに見やり、それから、そこに残った「それ」を見下ろす。
     それは、軽装ながら防具を身につけた遺体であった。
     ジャグラスたちに引き摺られ、引っ張られたせいか、惨憺たる有り様だが、鎧の隙間から覗く身体の状態からして、亡くなったのは二、三日前か。背中には、何か巨大な刃物で激しく打ちつけられ、叩き斬られたような凄惨な傷が残っていた。
     数日前、青年が社で飯の用意をしていた時、イズチの群がいそいそと走っていくのを見た。それとほぼ同時、山間の方から轟く大型モンスターの咆哮が耳を突いたのである。侵入者を排除せんと、手下を呼び集め威嚇する声───ハンターがモンスターを狩りに来たのだと、青年は即座に察した。
     青年は大社跡に住み着いているし、カムラの里の人々から頼み込まれればモンスターを狩ることもあるが、他のハンターがギルドを通して受けた依頼には手出しをしてこなかった。その狩猟が、どれほどハンターにとって不利で危険なものであっても、だ。ギルドに正式に登録されている者ではないこともそうだが、それ以上に、青年が手出しをするいわれはないと割り切っていた。それがハンターという生業なのだ。単独で挑み続けるか、時間と道具を無駄にして退くか。救援要請を出すのか、出さないのか。出すのならば、それはいつか。全ては、依頼を受けたハンター自身が判断することだ。この若いハンターは、その判断を誤ったということ。
    「……」
     青年はしばらくの間、若いハンターの遺体を無言で見下ろしていたが、ふと身を屈めると、遺体の首元から何かを取り上げた。青年の分厚い手のひらの上に乗るそれは、文字が掘られた真鍮製のプレートだ。こうして命を落としてしまったこのハンターが、己は己であると証明できるものは、もうこれしか残っていない。青年はプレートを懐紙に丁寧に包んで懐に仕舞うと、日課を再開した。


     青年が日課を終えて社に戻ると、いつもはのんびりしているブルファンゴたちが、そわそわと落ち着かない様子だった。何かあったのだろうかと思うが、付近に大型モンスターの気配があるわけでもない。念のために警戒しながら社に近づくと、
    「あーッ! おモチのカミサマいた!」
     小さな影が、転がるようにして青年の方に駆けてきた。足元に飛びついてきたその影を引き剥がす気にもなれず、青年は盛大に溜め息を吐く。ついでに、またかよ、と洩らしてみるが、元気なこの少女───ミソラには、ついぞ聞こえていないのである。そして、ミソラがいるということは。
    「お、遅いよカミサマ。何処ほっつき歩いてたんだよ」
     かなり周囲に怯え……いや、気を配りながら遅れて出てくる少年───トクサも一緒、ということである。
     二人の子供は、青年が餅を与えて以来文字通り味をしめてしまったのか、それとも単に青年に興味があるのか、里の大人たちの目を盗んで、あるいはわざわざ了承を得て、大社跡の社まで遊びに来るようになってしまっていた。今ではもう、三日に一度くらいの頻度で。初めてここに来た時、モンスターが通りにくい抜け道がある、とトクサが言っていたか。二人の子供は当然として、里の大人たちもそう気にしていないようだが、青年にさせれば狩り場の中に安全な道などない。子供が通るのなら、なおさら。
    「お前らなぁ、いい加減こんな危ねぇ場所に来んのやめろよ」
    「けど、里守のおっちゃんたちはカミサマのとこならダイジョーブだって」
    「いや、雑だな……子供は里の宝だってのによ」
     困ったものだ。里守たちがそう言うにしても、この子らの家族はどう思っているのやら。こうして遊びに来た後、里近くまで送った時などに小耳に挟んだ話だと、ミソラは里の中で代々続く商家の娘のようだ。活発さも、度胸の良さも、おそらくは商人の血だろう。一方、トクサはハンターだった両親を早くに亡くし、今はカムラの里長のところで世話になっているらしい。将来は両親と同じハンターを目指しており、教官の下について修行を始めたところらしい。見たところ、歳はトクサの方が二つ三つ上のようだが、二人はトクサの両親が亡くなる前からの幼馴染みなのだという。
    「おいトクサ、お前ハンター修行はいいのかよ? 教官にどやされるぞ」
    「い、いいんだよ、昨日頑張ったし……」
    「トクサちゃんのキョーカン、すっごいキビシイんだよ。トクサちゃん、走りながらいっつも泣いて、」
    「泣いてない!」
     俺の教官も笑顔で明るく厳しかったなぁ、と青年は思い返す。それはさておき、臆病でへっぴり腰なトクサが厳しい稽古やつらい修行について行けず、泣きべそをかいているのは想像に難くない。他のハンター候補生に埋もれてしまっていることも。それならば、尚更こんなところで遊んでいる場合ではないはずなのだが。
    「あのね、カミサマ! ハンターってすっごくつよくてカッコイイんだよ!」
    「へえ、そうなんだな」
    「あたしも大きくなったらハンターになるんだ!」
     青年の目から見れば、体力面は知れないが、精神面ではトクサよりもよほどミソラの方がハンターに向いているだろう。度胸よし、素直な態度よし。何より前向き。失敗を糧にする前向きさは、ハンターにはなくてはならないものだ。が、トクサにさせればそれは違うようで。
    「バカ言うなよ。ハンターなんて危ない仕事、おまえにはムリに決まってるだろ。里付きのハンターにはオレがなるから、お前は家業の勉強でもしろよ」
    「けどトクサちゃん、いつもシュギョーやだって泣いて、」
    「泣いてないってば! ていうか、オレが泣くような修行をおまえができるわけないし!」
     結局泣いていることを認めてしまっているが、突っ込んでも騒がしくなるだけなので青年は生温かい笑顔で見守るしかない。それにしても、カムラの里で「教官」と呼ばれる人は、どうにもこうにも厳しい人のようだ。昔は稽古場に行くのが嫌で、半泣きで姉弟子に引っ張られて行っていたなぁ、などと青年は思う。そうして見上げた空は、夕暮れにはまだ早いものの、お天道様はとうに空のてっぺんを通り過ぎていて。
    「おいお前ら、そろそろ帰る時間だぞ」
    「えーっ、もっと遊びたい」
    「えー、じゃねぇ。日が暮れたら、モンスターを見逃しちまうかもしれねぇだろ」
     いい子だから帰る準備しろ、と青年が促すと、二人の子供は渋々帰り支度を始めたのだった。
     

     青年は右手をトクサと、左手をミソラと繋いで、カムラの里へと向かう夕暮れ道を歩く。本当は、いつモンスターが飛び出してきてもいいように両手を空けておきたいのだが、二人……とくにミソラに迫られて断りきれず、二人を里に送る時はいつもこうしていた。
    「今日のごはんは何だろな~。あたしはカミサマのおモチがいいな~」
    「俺が焼いた餅より、里のできたての餅の方が美味いだろ」
    「でもあたし、カミサマのおモチ大好き。えへへ~」
     餅目当てで来てるんじゃないだろうな、と青年が茶化せば、ミソラはきゃらきゃらと可愛らしく笑う。反対側で大人しくしているトクサは、ムスッとしているようで少し口元が緩んでいた。
     里の大門近くまで行くと、丁度猟を終えたらしい里守風の男と出くわした。男は先に二人の子供に気づき、それから青年の姿に気づいて、ぺこりと頭を下げた。
    「いつもいつも、すんませんねカミサマ」
    「全くだ。あんな危ねぇ場所に子供だけで来させんなよ。あと俺はカミサマじゃねえ」
    「へえ……ですが、最近はモンスターの数も減ってまして。里付きのハンターも、そろそろ必要ないんじゃないかって言われてるくらいなんでさ」
     そんなものなのかな、と思う青年だったが、よくよく考えてみれば、青年が現役ハンターとして活動していたのは百竜夜行と呼ばれるモンスターの大移動と、それを引き起こした番の古龍の襲来があった時期だ。あの頃はモンスターも活発で、普段は姿を見せない珍しい大型モンスターや、触発された他の特異個体や古龍までもが里の周りを闊歩していた。その頃に比べれば、今は平和なものなのだろう。ハンターも、稼ぐのが難しくなっているのかもしれない。とすれば、多少無理をして難しい依頼を引き受けることもある、か。
    「……ああ、そうだ。狩り場でコイツを拾ったんだがよ」
     青年は、懐から懐紙に包まれたそれを取り出した。手渡すと、里守の男はそっと懐紙を開く。そして、中から現れた真鍮のプレートを見て、ああ、と溜め息にも似たような声を洩らした。それもそうか。青年も含め。これを見た者は大抵そうとしか反応できない。
    「こいつは、里の外のハンターのもんだと思います……ありがとうございました」
    「持ち主は男だった。結構若い奴。ギルド通して故郷に帰してやってくれ」
    「そうさせてもらいます。待ってる人もいるでしょうから……」
     待っている人、か。この若いハンターは、二度と待ち人の所には帰れない姿になってしまった。だが、この真鍮製のプレートだけは恐らく、家族や恋人の手に戻る。どんな形であれ、待ち人の所へ還るのだ。だけど。
    「……」
     里守の男は、真鍮のプレートをもう一度懐紙に包んで懐に仕舞った。それを見ていたミソラは、見慣れない物に興味をそそられたのか、里守の着物の裾を引っ張る。
    「ねぇおっちゃん、今のなに?」
    「え? ああ……コイツはとても大事な物だ」
    「そうなの? タカラモノ? だれの?」
     ミソラに問われ、里守の男は答えに窮している。トクサは何かを察しているようだが、人見知りをしているのか黙ったままだ。見かねた青年は、里守の足元からミソラを引き剥がして抱き上げる。
    「ほーら、早く帰らねぇと晩飯が冷めちまうぞ」
    「えーっ、ヤダ! おうちかえる!」
    「そうしろ、そうしろ」
     苦笑いで会釈しながら里の大門を潜っていった里守の男を見送りながら、青年はミソラを下に降ろした。トクサと並べて頭をぽんぽんと撫で、日が暮れる前に家に帰るよう促す。が、ミソラはまだ喋り足りなかったようで。
    「あっ、そうだカミサマ」
    「何だ?」
    「カミサマがまってる人、きた?」
    「……」
     はて、何のことだったか、と誤魔化して流すには、偶然が過ぎる問い。青年が動揺を押し隠しつつ、態とらしく首を傾げていると、前に言ってたじゃん、とトクサ。そう言われてみれば、二人が初めて大社跡の社に来た頃にそんな話をしてしまった気がする。待っている人。待っているもの。待っている……いや、どちらかと言えば待たせている方で───
    「……まだきてないの?」
    「まあ、そう、だな」
     青年が曖昧に返すと、ミソラとトクサは顔を見合わせた。なんとも言えない、気不味いような、変な空気になってしまう。
    「じゃあね、カミサマ。その人、あたしがつれてきてあげるよ」
    「バカ言うなよ。誰かも知らないクセに」
    「だれだかわかんなくても、なんにもしないよりはいいよ!」
     正論をぶつけたトクサだが、ミソラの勢いに押されて「それはそうかも……」なんて言っている。全くミソラに頭が上がらない様子を見て、青年はふっと笑った。それが聞こえたのか、トクサはむくれっ面をしてそっぽを向いてしまう。
    「ったくお前らは……ほら、いい加減帰んな」
    「はーい。また遊びに行くね」
    「危ねぇからもう来んな」
    青年が言うと、二人は「はーい」とわかっているのかいないのかよく解らない返事をする。それから、明日は古い砦に遊びに行こう、とか、あんな砦何もないだろ、などと言っているのを見て、こりゃ、また三日後には来るのだろうな、などと青年は思うのだった。それにしても。
    「何もしないよりはいい、か……」
    確かにそうかもなあ、と納得しかけて、だが自分に何ができようかと、青年は首を横に降った。


     青年が二人の子供と出会い、のんびりと過ごしていたある日のこと。
     いつものように社がある広場に遊びに来ていたミソラが、そこら辺で拾ったらしい木の枝を二本持って、青年の前に立った。
    「カミサマ! あたしに剣おしえて!」
     そうして飛び出す、予想の斜め上を行く要求。ええ? と困惑する青年をよそに、ミソラはその白い腕でブンブンと枝を振るう。
    「どうしたよ、急に」
    「あたし、ハンターになったら剣を二本つかうの!」
     カミサマも剣を二本使うんでしょ? と、青年の背を指さしてミソラは言う。そこには、鞘に納められた双剣。二人の前で振るったことはないが、これが武具であることくらいは子供にも解ろう。なるほどなぁ、と青年が思っていると、ミソラの傍らで草いじりをしていたトクサが立ち上がった。
    「だから、おまえなんかにハンターが務まるわけないだろ」
    「できるもん! あたしだってハンターになるっ!」
    「……ハンターになるにしても、なんで双剣なんだよ。弓とか、盾が持てる武器とか、もっと安全なのがあるだろ」
     トクサの弁は解らないでもなかった。獰猛なモンスターを相手にするに当たり、ハンターが選べる武器は多い。トクサが言うような武器の他、盾代わりにもなる大剣、長いリーチを誇る太刀、一撃必殺の火力を秘めた鎚、遠距離からでも攻撃できる軽弩と重弩。そんな武器たちの中、双剣は両手が塞がり防御不能な上、リーチも短くモンスターと紙一重の攻防を続けなければならない危険を伴う武器だ。敢えてそれを選びたい、とは。
    「双剣なんて、蛮族の武器だぞ。あんな短い剣二本でデカいモンスターに突っ込んで行くなんて、狂気の沙汰だって」
     いや、双剣の愛用者を前にしてそれは言い過ぎだろ。
     トクサのあんまりな言い種に思わず突っ込もうとした青年だったが、ミソラが放った一言に一瞬固まってしまう。
    「けど、『たけきほのお』は剣を二本使ってたんだよ?」
     たけきほのお。たけき、ほのお? ───「猛き炎」。
     懐かしさを覚えるとともに、予想外の場面で発せられた言葉に、青年は喉が詰まるような、なんとも言い表せない心地になった。
    「なんだよ、タケキホノーって……」
    「むかしカムラにいたハンターのこと! すっごくつよいの!」
    「そんな話、聞いたことないって」
     トクサが言うと、ミソラは頬を膨らませた。これはケンカになる前兆だ。二人が騒ぎ出す前に、青年はやんわりと間に入った。するとミソラは、トクサに言われたことなどどうでも良くなったのか、青年の手をぷくぷくの小さな両手でぎゅっと掴む。
    「ね、カミサマ! いつかあたしが『たけきほのお』みたいなハンターになったら、カミサマがまってる人をあたしがつれてくるからね!」
     陽の光をいっぱいに吸い込んで、キラキラと輝く空色の瞳。青年はそれを、どうしても真っ直ぐに見られなかった。わざとらしくないよう、周囲の様子に気を配っている振りをして、ミソラから目を逸らす。すると、ちょうどこちらの様子を窺っていたらしい二、三頭のイズチたちが茂みの向こうでガサゴソと動き、やがて離れていった。
    「ねえ、カミサマってどんな剣をつかうの?」
     そんなことに気がつくはずもなく、ミソラが無邪気に問う。危ないのであまり触らせない方がいいかと思いつつも、言ったところで聞かないのは目に見えている。青年は背に携えた双剣を下ろそうとしたが、ミソラの興味はそれよりも早く社へと向かった。
    「おうちの中にも剣あるの? みせて!」
     止める間もなく、ミソラは社へ駆けていく。それを追って、トクサも。が、鈍臭いトクサではミソラに追いつくことができず、結局二人とも社の中へ消えてしまう。
     社の中は、灯りも灯っておらず薄暗い。隙間から漏れる光はあるものの、それだけではとても足りなかった。トクサはハンター候補生らしく懐から導虫を呼び出すと、社の中に放つ。淡い黄金色の光を受けて二人の目に入ったのは、二、三着の防具と幾組かの双剣。それから、普段青年が寝床代わりに使っているボロボロの筵と、ちょっとした食糧。そんな中で二人の目を引きつけたのは、社の奥の壁に立てかけられていた剣だった。ミソラは、あっ、と声を上げて社の奥へと進む。
    「おいおい、危ねぇから勝手に触るなって……!」
     二人に追いついた青年は、慌ててミソラの首根っこを掴んだ。それからトクサの方も、危ねぇだろ、と咎める。が、ミソラは剣が見たいとせがむし、トクサはトクサでここから退かないので、青年の剣に興味があるのだろう。青年は仕方なく、奥に立て掛けてあった剣を手に取った。ここでは暗いからと、二人を社の外に連れ出す。
    「ほら。刃には触るなよ」
     青年が手に取ったのは一見すると一振りだが、鞘にも鋭利な刃が取りつけられており、その中にもう一振りが納刀されている、特異な造りの双剣だ。が、風変わりな構造以上に特筆すべきは、その状態だろう。刀身には錆が浮き、差し色になっていたであろう紺碧の柄巻は破れてほとんど残っていない。子供の目にも、それがひどく傷んだ……とても使えない状態だと解るのだろう。二人は剣を見て、黙ってしまう。
    「……カミサマの剣、すっごくきたないね」
    「汚い言うな。古いンだよ」
    「古いのずっともってるの?」
    「ああ」
    「新しいの買えないの? ビンボーなの?」
    「新しいのは他に持ってますー。あとビンボー……かもしれねぇけど別に金には困ってませんー」
     ミソラが矢継ぎ早にやや失礼なことを尋ねてくるが、どれもこれもそれなりに的を射ているのが、なんとも。これ以上見ていても、そう面白いものでもなし、と思った青年は、そそくさと錆だらけの剣を鞘に納めた。
    「……それ、里の加工屋に持っていけば直せるかもしれないよ」
     が、青年が剣を社へ持っていこうとした時、ふとトクサが呟く。ありがたい提案ではある、が。
    「いや、これは傷み過ぎてて流石に無理だろ」
    「一度見てもらえばいいじゃん。里守のおじさんなら、加工屋に話を通してくれるだろうし」
     それもそうだな、と青年は思う。カムラの里では今でもたたら場が動いているし、鉄製の武具の修理となれは、見るぐらいは見てくれるかもしれない。見てもらうだけならば、金も取られないだろうし。
     それでもし、蘇ったこの剣をもう一度見られるのなら。
    「……」
    「カミサマ?」
    「……そうだな、一度見てもらうか」
     青年は朽ちた双剣を背負い、二人の手を取った。


     里への帰り道。
     青年がいつも通り二人を里の大門近くまで送っていくと、獲物を担いだ里守たちと出くわした。中には以前真鍮のプレートを託した男も混じっており、青年たちに気づいて軽く会釈してくる。
    「カミサマ、今日もすんませんね」
    「まったくだ。あと俺はカミサマじゃねえ」
     青年が包み隠さず言えば、里守たちは苦笑いしつつ頭を下げる。まあ、言っても詮がないということは、青年もよくよく解ってはいるのだが。
    「ねえねえ里守のおっちゃん、カミサマの剣すっごくきたないんだよ」
    「汚いんじゃなくて、古いのな」
     ミソラの弁を訂正しつつ、青年は古い双剣を背から降ろした。包んであった布を開き、里守たちに見せる。カミサマが使う剣、と言われて里守たちは興味津々のようだったが、布の中から現れたそれを見て、表情を曇らせる。
    「こいつぁ、なかなかの……」
     彼らの反応を見て怖じ気づきつつも、トクサはなんとか声を絞る。
    「さ、里の加工屋で直せない……?」
     だが、里守たちの表情は芳しくなく。
    「……こりゃ、傷みすぎて無理だよ」
    「そうだなぁ、ここまでボロくなっちまうと……」
     里守の一人が剣に触れ、そっと持ち上げる。しばらくは刃の表面に触れたり、返したりしながら様子を見ていたが、やがて「ん?」と手を止める。
    「おっちゃん、どしたの?」
    「こいつぁ……いや、カミサマ、こいつは里の加工屋で修理できるかもしれませんよ」
    「ほんと⁉︎」
     本当にか? と青年が問うより早く、ミソラが食いつく。ここまで傷んでしまった剣を修復するには、相当な技量が必要だ。青年が知るかつての加工屋ならば直せるだろうが、今のカムラの加工屋はどうだろうか。それに、金も……いや、どちらかと言うとそっちの問題の方が気になる。
    「知ってると思うが、俺はほぼ無一文だぜ。直せるなら、また別の機会に持ってくるわ」
     社で自給自足していると、金を使う機会など皆無だ。依頼の礼として貰っているのはほば食糧だし。金を用意するのは難しいかもしれないが、里の人たちの頼みを聞くことくらいならできよう。が、剣を見ていた里守は、首を横に振った。
    「いいやカミサマ、お代なんてとんでもございませんよ」
     え? と青年が思わず洩らすと、里守はニカッと歯を見せて笑った。それからミソラとトクサの頭に手を乗せ、この子たちが普段から世話になってますから、と。
    「世話も何も、そいつらが勝手に来てるだけだぞ」
    「そりゃそうかもしれませんが、まあ、それ以外にも里には良くしてもらってますから」
     青年としては、こういう見返りを求めて里の人たちの話を聞いていたわけではないのだが。とは言えせっかくここまで言ってくれているし、預けてみるだけならば構わないか、とも。
    「わかった。じゃあ、頼むわ」
     無理そうならそのままで返してくれりゃいいから、と里守たちに言づけ、青年は双剣を布で包んで託した。
    「さて、お前ら二人は暗くなる前に家に帰れよな」
    「はあい。カミサマ、またね」
    「危ねぇからもう来んな」
     里守の一人がミソラとトクサの手を引き、しっかり家まで送りますから、と青年に会釈する。里守に連れられていく二人の背中に手を振り、青年もまた、大社跡への道を引き返して行った。
    「……なあ、おい。こんなボロっちい剣、預かってどうするんだよ」
     その場に残った里守たちは、青年の背を見送ってから、彼が置いていった古い剣に目をやる。こんな汚い剣に手間暇かけて直す価値などあるものか、と彼らの目は言っている。が、青年から剣を預かった里守だけは違った。
    「まあ待てよ、コイツをよく見ろ」
     ほら、ここ。剣を預かった里守が、布の中から剣を取り出し、朽ちた刀身の根元辺りを指す。そこには、何やら刻印が彫られていた。この剣を打った鍛冶師の銘、であろう。
    「これは……」
    「コイツは、刀匠ハモンの銘さ」
    「なんだって?」
     里守たちは瞠目して、刀身を覗き込む。かなり朽ちていて判読しづらいが、よく見れば確かに、今や伝説と名高い刀匠ハモンの銘に違いなかった。
    「これ、とんでもない価値があるんじゃねぇのか……?」
     これ以上傷めてしまわないよう、恐る恐る剣を布の中に戻す里守が問う。青年から剣を預かった里守は、それを見てニイ、と口角を上げた。


     カムラの里のオトモ広場と、里の大通りとを繋ぐ吊り橋。その上を、沈みかけの夕日を浴びてトボトボと歩く、小さな影。同じく小さな包みを背負い、時折疲労の滲む溜め息を吐く、少年トクサ。今日は……いや、今日も散々だったな、と日中のことを振り返り、もう何度目かもわからない溜め息を吐く。
     トクサの両親は立派なハンターだった、らしい。トクサが幼い頃に狩り場の事故で亡くなったため、トクサ自身よく覚えていない。が、同じく立派なハンターである里長に引き取られ、そこで両親の武勇伝を聞かされながら育ったトクサがハンターになるための修練を積み始めたのは、ある意味必定とも言えた。だというのに。
    「はあ……」
     はっきり言って、トクサには才がない。それはトクサ自身が一番理解していた。修練場で武器を振ったり走ったり、大声を出して気合いを入れたりするくらいなら、部屋で薬草と図鑑を見比べたり、様々な調合法を試したりしている方がいい。というより、ずっとそうしていたい。身体を動かすのは昔から苦手で、近所の子たちと鬼ごっこをしてはスッ転んで顔や掌を傷だらけにしていたし、木に登ろうとしては途中でずり落ちて尻に痣を作っていた。そんな自分が、ハンター修行など。里の教官もまた優秀なハンターで、明るく元気で前向きな好漢ではあるが、とにかく修行が厳しいのである。少なくともトクサにとっては、厳しすぎるくらい厳しい。今日も今日とて、走り込みから一人遅れてしまい、追加で一周余分に走らされ……遅れた人間に一周追加しては余計に遅れていくのに、何故そういうことをするのか。とにかく、誰よりも遅れて走り込みを終え、誰よりも遅れて武器の素振りに入り、結果誰よりも遅れて日課を終えたのである。一緒に修行をしている子たちは、連れだってそれぞれの家に帰り、もう家族との夕餉を楽しんでいることだろう。
     いっそ、ハンターを目指すのなどやめてしまえ。お前の素養では努力を重ねても時間の無駄だ。
     なんて、誰かが言ってくれればいい。そうしたら、大手を振って「ハイ! やめます!」と言えるのに。里長にせよ教官にせよ、他の里の人たちにせよ、やたらと前向きなせいで、頑張れ! 君ならやれる! きっと立派なハンターになれるさ! としか言わないのだ。こんな奴でも応援せねばならない里の人たちは気の毒だし、何よりトクサ自身、こんな風に思いながら修行を重ねるのは居たたまれなかった。
     そんなに修行が辛いなら、誰かに引導を渡されるまでもなくやめてしまえばいいじゃないか、とも思う。だけど幼なじみのミソラが、あたしもハンターになる! なんて言い出すから。ハンターは、危険な仕事だ。ミソラにそんなことをさせるわけには───
    「はあぁ……」
     本日何度目かもわからない、大きな溜め息。子供の足には少し長い吊り橋を渡り、水車小屋を通り過ぎて加工屋の前にさしかかると、装備の加工を頼んでいたらしい里守の男が品物を受け取っているところだった。なんでもない、ありふれた光景。いつものトクサであれば、気にも留めず素通りしていただろう。だが、今日は少し、気になった。里守の男が受け取っていた物に、見覚えがあったからだ。
    「おじさん、それ……」
    「ん? おお、修行帰りかい?」
    「うん。それ、カミサマの剣?」
     鞘と刃が一体になった風変わりな造りと、紺碧の柄巻。よくよく見れば、この里守はあの時カミサマと呼ばれる青年から剣の修理を承った男で、トクサは返事を待たずに件の剣であることを確信していた。直ったんだ、よかった。厳しい修行で荒んだ心が幾分晴れたトクサだったが、対する里守は何やら複雑な顔をしている。
    「キレイになったんだ……その、いつカミサマに返すの?」
    「……カミサマには返さないよ」
    「えっ、」
     なんで? トクサは思わず問う。里守の男は居心地悪そうに視線を右往左往させる。
    「こいつぁ、カミサマから『施し』として賜った物なんだ。遠くの村で、お金に変わるんだよ」
    「そ、そんなことカミサマは一言も……!」
    「いいから、いいから。あんなにボロボロになるまで放っておくなんて、カミサマにはもう必要なかったんだろうよ。それよりも、里の人間の懐が潤うなら、カミサマもきっとお喜びになるさ」
     な、と里守の男はトクサの肩を軽く叩く。これ以上、大人のやることに口を出すな───そういう含みを感じる言葉と共に。
    「……、」
    「それじゃあ、真っ直ぐ家に帰れよ。修行、頑張ってな」
     トクサは何も言えないまま、剣を持って立ち去る男を見送る他なかった。


    「カミサマ、あの剣はおっちゃんたちへの『ホドコシ』だったの?」
     大社跡の、社の前。シャッ、シャッ、という刃物を研ぐ音の中に、ミソラの高い声が混じる。刀の手入れをしていた青年は、その手を止めた。
     青年が二人の子供からあの朽ちた剣の行く先を聞いたのは、里守に剣を預けた日から半月ほど後のことだった。トクサから、非常に申し訳なさそうに明かされたのだ。預けた剣は既に綺麗に修復されており、買い手がつけば遠くの集落へ持っていかれる、と。
    「……」
    「カミサマ?」
    「ま、そういうことでいいんじゃねぇか」
     刀を再び研ぎ始めながら、青年はミソラの問いに答えた。
    「あんな剣でも金に変わりゃ里が潤うんだろ? 手元に置いてても使えねぇし」
     青年は、顔を上げない。丁寧に、丁寧に、刀を研ぎ上げていく。その、得物の一つひとつを大切に扱う武骨な手を、トクサは何も言わずにじっと見詰めている。それに気づいた青年は、ようやっと顔を上げた。複雑な顔をしているトクサに、ニカッと笑いかける。
    「そのうち、捨てようと思ってたんだ。手間が省けてよかったぜ」
     ありがとうな、と青年は笑みを深めた。研ぎ終えた刀を鞘に仕舞い、別の刀を研ぐ準備を進めていく。
    「カミサマ、いっぱい剣もってるね」
    「ん? まあな」
    「カミサマも『たけきほのお』好きなの?」
    「……、」
     青年は、また刀を研ぐ手を止めた。タケキホノオ、ねぇ。呟く。青年が是とも否とも言わずにいると、トクサがボソリと洩らす。
    「まだタケキホノーとか言ってる」
     耳聡いミソラはそれを聞き逃さない。
    「トクサちゃん、どうして『たけきほのお』知らないの?」
    「どうしても何も、聞いたことないし……」
     知っていて当然、とばかにり問われたトクサは、少し動揺を見せている。そんなトクサに向かって、ミソラは得意気に話し始めた。
    「『たけきほのお』はね、えっとね、ひゃくのりゅうをなぎたおし……ええっと、なんだっけ……」
    「百の竜? そんな強い奴、いるわけないじゃん」
    「いるよ! じっちゃんのじっちゃんが、『たけきほのお』はいるって言ってたもん!」
    「爺さんの爺さんなんて、おまえが生まれた時にはとっくに死んでるだろ」
    「ホントだもん! とうちゃんがじっちゃんのとうちゃんからきいたって言ってたもん!」
    「父さんの爺さんの父さんって……」
     ええと、誰だ? と引っ掛かるトクサ。それを他所に、ミソラはそこら辺から枝を二本拾ってきた。トクサと青年の前に立ち、右腕を上げて一本の枝を掲げる。
    「われこそは『たけきほのお』!」
     えい! やあ! と枝を振るミソラ。よほど『たけきほのお』への憧れがあるようだ。しかし、青年は思う。なぜミソラは『たけきほのお』……『猛き炎』のことを? トクサの反応を見るに、かつて番の古龍からカムラの里を救ったハンターの話は、禄に伝わっていないようだというのに。
     そうだ。『猛き炎』の伝承は、あの書が燃え尽きたことで潰えたはずだ。
    「……お前ら、あんまり騒ぐな。モンスターが嗅ぎつけて来るぞ」
    「トクサちゃん、いっしょに『たけきほのお』やろうよ!」
    「だから、タケキホノーなんていないって」
    「いるよ! ぜったいいる!」
    「いないって」
     青年の注意も、白熱する二人には聞こえていない。二人の近くの繁みがゴソゴソと動いたのを見て、青年は懐に忍ばせたクナイに指をかける。
    「いるもん! たけきほのお、強くて、かっこいいもん! トクサちゃんみたいに泣き虫じゃないもん!」
    「なっ……! オレは泣き虫じゃないっ!」
     トクサが怒りに任せて立ち上がると同時、繁みの中からイズチが三頭飛び出した。あっという間に二人を取り囲み、ギャアギャアと威嚇し始める。突然のことに二人は悲鳴を上げることも逃げることもなく、ただ硬直していた。
     そうだ。突然モンスターに襲われた生き物は、人に限らず大抵がこうだ。逃げろと言っても、無駄。
    「伏せろ‼」
     言うが早いか、青年はクナイを放った。咄嗟に伏せた二人の頭上を走った切先は、二人から一番近い場所にいたイズチの頭部を貫く。それを見届けるまでもなく翔蟲を放った青年は、背に携えた双剣を抜き、鉄蟲糸の推進力で二頭目のイズチを斬り捨てる。最後に残った一頭は、返す刃を喉笛に突き刺す。唸り声すら出さずに急所を貫かれたイズチは、少しの間ジタバタと暴れていたが、やがてダラリと四肢を弛ませて動かなくなる。そこまで見届けてから、青年は刀を振りイズチの死骸を払い飛ばした。
    「ひぇっ……!」
     水際でドシャリと音を立てて転がったイズチの死骸を見て、二人のうちのどちらかがようやく声を発した。青年は二人を見返ることなく、刃に着いた血を振り払い、鞘に納める。
    「大声で騒ぐなっつっただろうが」
    「あ……か、カミサマ……その……」
    「里近くまで送る」
     青年はそう言うと、座り込んでいた二人に目もくれず、さっさと歩き出した。二人は顔を見合せ、だがすぐに立ち上がると、青年に置いていかれないように後を追った。


     里の大門近くまで来ても、青年は二人に見向きもしなかった。いつもなら手を繋いで、他愛もない話をしながらのんびりと歩くのに、今日は無言で二人の先を行く。大門の前までくると立ち止まり、ようやく二人を見た。
    「早く帰んな」
    「あ、ありがとう、カミサマ……」
     トクサが礼を言うが、青年は硬い表情のままだ。笑顔で手を振って、またね、なんてとても言えそうな雰囲気ではなく、トクサはそれっきり黙ってしまう。青年はそれには目もくれず、大社跡へ引き返す。その背中を追って、ミソラが駆け出した。トクサが止めるが、聞かず。
    「カミサマっ」
    「自分で自分の身も守れねぇガキが、二度とあんな場所に来るんじゃねぇ」
    「えっ、」
     バシュ、と鉄蟲糸が走る音。青年は、あっという間に二人の前から姿を消してしまっていた。ミソラが青年の背中に向けて伸ばした手は、虚しく宙を掻く。
    「カミサマ……?」
    「ミソラ、ダメだよ。帰ろう」
    「なんで ?カミサマ、だってあたし……なんでっ?」
    「……帰ろう。ね、もう行っちゃダメだ」
     カミサマのばか、と泣き喚く少女の声は、伸びた大門の影を背に、いつまでも響いていたという。

        ◆

     ある、新月の夜。
     一台の質素な荷車が、人目を避けるようにしてひっそりと大社跡に入った。重そうにゴトゴトと揺れる様から、それなりの量の荷が積み込まれていると知れる。荷車を牽いているのは、数人の男だ。皆一様に傘帽子や布で顔を隠し、闇色の衣を纏って夜に溶け込んでいる。弩や刀を携えていることから、カムラの里の里守たちであることが窺い知れた。
     それを、こっそりと追いかける影が、ふたつ。
     影は小さく、すばしっこい……のは、ひとつだけだ。もう一つは草や石に足を取られそうになりながら、よたよたと進む。
    「トクサちゃん、はやくはやく!」
    「ま、待てってば……!」
     少年、トクサは少し前まで駆けて手招きする少女、ミソラにそこで待つように言い、息を切らして追いつくと、慌てて藪の中に身を潜めた。モンスターにも、荷車を牽いていく里守たちにも、決して見つかってはならないのだ。
    「トクサちゃん、ホントに行くの?」
    「怖いなら、おまえは帰れよ」
    「こ、こわくなんかないっ!」
    「しっ! 静かに……」
     藪に隠れた二人の目の前を、重そうな荷車がゴトゴトと通り過ぎていく。青年の社に何度も出向いていた二人は、里守たちも知らない抜け道を心得ていたのだ。荷車に先回りするように、後をつけていく。
     石鳥居を抜け、斜面の中腹の分かれ道に差し掛かった辺りで、荷車は停まった。どうやら休憩するらしく、里守たちは荷車から少し離れた場所で火を起こしにかかる。その様子を藪の中から窺い、トクサはゴクリと唾を飲む。ミソラはトクサの顔を見て、彼の着物の袖をキュッと掴んだ。
     二人は火を囲んで休んでいる里守たちの様子をチラチラと見ながら、参道の隅に停められた荷車にこっそりと近づく。閂をずらしてなるべく音を立てないように戸を開けると、中には所狭しと荷が積み込まれていた。月明かりの届かない荷車の中は外よりも更に暗く、何処に何が置かれているのか検討もつかないが、そうかといって灯りを使えばすぐに気づかれてしまうだろう。だが、里から出ていく交易品は加工前の鉄や茸、筍などが主。武器はそう無いはず、とトクサは手探りで荷を改めていく。
    「トクサちゃん、あった?」
    「待って、まだ……あっ、」
     目が暗闇に慣れてきたせいか、トクサの視界の隅を闇の中でも目立つ紺碧が掠めた。咄嗟に手を伸ばして掴むと、見覚えのある、これは。
     逸る気持ちを抑え、荷の中からそっと引き出す。白い布に丁寧に包まれた、鉄の剣。あった。あとはこれを、社まで持っていって置いてくれば。子供の腕には重すぎるそれを、トクサが必死に荷の中から引き出した、その時。刀身が布から出てしまわないよう、留めるためのものだろうか。布の上から剣に巻き付けられていた紐が、近くに置いてあった他の荷に引っ掛かったらしい。だが暗闇の中で二人はそれに気づかず、荷車の床に荷を落としてしまった。ガシャリと、大きな音……
    「うわ……⁉︎」
     トクサが思わず声を出すとほぼ同時、なんだ? モンスターか? と里守たちが動き出す気配。足音が荷車に近づいてくる。まずい。トクサは剣を抱え、ミソラの手を引いて荷車から飛び出した。
    「なんだコイツら⁉︎ 子供⁉︎」
     だが、もう遅い。気づかれてしまった。トクサはミソラに走るように言いつつ、剣を抱えて駆け出す。だが、やはり子供の腕にこの剣は重い。加えて視界も悪く、木の根に足を取られたトクサは転んでしまう。先を行っていたミソラは振り返って立ち止まる、が。
    「トクサちゃんっ!」
    「逃げろ! 早く!」
    「でも……!」
    「いいから行け‼」
     ミソラは一瞬泣きそうに顔を歪めたが、後ろから追いついてトクサの首根っこを掴む里守たちを見て、振り切るように藪の中に飛び込んだ。


     大社跡の、古い社。
     導蟲たちの頼りない灯りのもと、青年は手の中の何かを眺めていた。それは、くすんだ金色の輪だった。指輪にしては大きいが、腕に嵌めるには小さい。そんな、半端な大きさの輪が、ふたつ。青年はその輪に紐を通し、首飾りにして身につけていた。手のひらの上に乗せたそれ、随分と傷んで黒ずんではいるが、導蟲がゆらりと揺れれば鈍く金色に光る。青年はそれを大事そうに胸元に仕舞うと、ふと社の奥へと目を向けた。いつもそこに立て掛けてあったはずの古びた双剣は、もうそこにはない。
    こうやって、ほんの僅かに手元に残したはずのものも、少しずつ、ひとつずつ消えていく。青年は目を伏せ、ゆるゆると首を振った。
    「待ってる、か……」
     どちらかと言えば、待たせている方だというのに。かといって青年自身ではどうすることもできず、自身が自身だと示すものを少しずつ失っていくだけの日々。こんな状態であの人の所へ行けたとして、自分だと解ってもらえるのだろうか。もう、とうに忘れられているかもしれない。ふう、と溜め息。考えても、詮の無いことだ。青年は手入れ途中だった剣を一振り持ち出し、砥石をかけ始めた。その時、社の外でパタパタと何かが走るような音が聞こえ、青年は手を止めた。もう夜だ。小型のモンスターか、小動物か。どちらにせよ、放っておいて問題ない。だが青年は何故か気になってしまい、腰を上げた。社の戸を開け───
    「カミサマあぁ‼」
    「おわあぁ⁉︎」
     社の戸を開けるか開けないかくらいの瞬間、階段の下から何かが青年に飛びついてきた。月明かりの下でもよく映える黒髪と、青い目。
    「ミソラ……⁉︎ おまっ、もう来んなっつっただろ!」
     また舌の根も乾かぬうちに、しかもこんな時間に来やがって、と言いかけた青年だったが、着物を掴むミソラの手がガタガタと震えているのに気づき、飛び出しかけた言葉を収める。よく見れば、小さな足を守る草履は片方だけ。その足も、手のひらも、擦り傷と泥だらけだった。
    「……何があったんだよ」
    「トクサちゃんが、」
    「トクサ?」
     青年は、辺りを見渡す。だが、いるのはミソラひとり。トクサの姿はない。
    「トクサちゃんが、カミサマの剣、もってるの」
    「え? ……ありゃ、売り飛ばされたはずだろ?」
    「トクサちゃんが、とって、にげて」
    「……オイオイオイそりゃドロボーだぞ⁉︎ 返しに行くから持ち主教えろ!」
    「だから、トクサちゃんがつかまってるの! カミサマたすけて!」
    「もーめちゃくちゃァ‼」
     何やってんだよお前らは! と青年は頭を抱える。が、それどころではない。改めて、頭ではなくミソラを小脇に抱えて立ち上がった。トクサは何処にいるのかと尋ねれば、あっち、と社の南を指差すミソラ。どうやら、大社跡の中にいるらしい。荷車を動かすにしても、モンスターに狙われやすいこんな時間に───恐らく、密売ルートに乗せる気だ。大方、骨董品だ何だと適当に理由をつけて値を吊り上げ、不正な裏ルートに流すつもりなのだろう。元の持ち主が根なし草の青年ならば、足が着くはずもなく。
    「……」
     売り払うのならば、勝手に売り払えばいい。だが、こんな風に子供を危険な目に遭わせて……いや、これには自分にも否があるか、と青年は思う。
    「走るぞ。しっかり掴まってろ」


    「この、泥棒猿が!」
     荷車を牽いていた中でも一際大柄な里守りが、トクサの身体を突き飛ばす。子供の力では抵抗などできず、小さな身体は地面に転がるが、抱き締めるように持った剣は決して離さない。
    「この剣は、カミサマのなんだ! 勝手に売ろうとしてるアンタらこそ、ドロボーだよ!」
    「なにをこのクソガキ! そいつを返しな!」
     気色立った男が、腕を振り上げる。だがその時、何かが藪の中から飛び出してきた。小さく細い何かは、トクサに拳骨をお見舞いしようとしていた里守に跳びかかる。
    「うわぁッ⁉︎」
    「イズチの群れか!」
     どうやら、彼らの縄張りの中で騒ぎすぎてしまったらしい。眠りを妨げられたせいかイズチたちは気が立っており、四頭、五頭と次々に増えてはギャアギャアと騒ぎ始める。このまま囲まれては、格好の獲物だ。里守たちは軽弩で応戦し始める。トクサはその隙に里守たちから離れ、藪の中に逃げ込もうとした、が。
    「あ……」
     地面を這うようにして藪に入ろうとした、その時。トクサの視界に、異様なものが映り込んだ。黒々とした鋭い鉤爪。一見すると鳥の足のようだが、大きさは明らかに鳥のそれではない。トクサは、恐る恐る顔を上げる。夜目でもはっきりとわかる橙色の体毛に、白く逆立つ立派な鶏冠───
    「オサイズチだ‼」
     里守の一人が叫んだ。どうやら、彼らの縄張りの中で騒ぎ過ぎてしまったらしい。ついに現れた親玉は、もともと気が立っていたのだろうが、無惨に軽弩で貫かれた子分たちの亡骸を見て激昂し、闇夜の中で咆哮した。
    「まずいぞ! 下がれ!」
    「尾だ! 尾を狙うんだ!」
     鎌鼬竜───オサイズチの最大の武器は、その鋭い刃物のように発達した尾。カムラに住む者なら誰でも知るところだが、そうかと言って簡単にどうにかできるわけではない。里守たちは軽弩で追い払おうとするが、子分たちと違って親玉は撃たれても怯みもしない。特に尾は硬く、里守が使う程度の武具では傷ひとつつけられなかった。加えてオサイズチは素早く、里守たちは徐々に劣勢になり後退していく。
    「お、おい、あの子供が……!」
     里守の一人が取り残されたトクサに気づくが、オサイズチに立ちはだかられてはどうしようもない。里守たちのそんな様子を見て足元にいるトクサのことを思い出したのか、オサイズチは標的を変えたようだった。ゆっくりと、へたり込んだままのトクサに近づいていく。
    「ひ……!」
     逃げろ、離れろと里守たちに口々に言われ、トクサはハッと我に返る。恐怖で竦む四肢をどうにか奮い立たせてオサイズチから離れようとするが、抱えた剣の重みで上手くいかない。
    「坊主! そんな剣捨てちまえ!」
    「いやだ……!」
    「いいから早くこっちに来いって!」
    「いやだ……いやだ、いやだ、いやだいやだいやだッ‼ この剣はカミサマに返すんだ‼」
     オサイズチが鎌尾を振り上げた。剣を引き摺って逃げようとするトクサの背に狙いを定め、振り降ろす。もう駄目だと里守たちが目を覆ったその時、
    「トクサちゃあああん‼」
     バシュ、という音と共に、白緑色の光線が走った。同じ色に輝く鱗粉を残して流星のようにオサイズチに突っ込んできた何かが、地面に伏せて身を縮めていたトクサをかっ拐って駆け抜ける。直後、オサイズチの尾がドスンと轟音を立てて地に打ちつけられた。そこにトクサの姿は既になく、オサイズチはキョロキョロと辺りを見回している。それと同じく、何かに抱えられたトクサは事態について行けず、目を白黒させていたが。
    「よお、無事か」
    「えっ……あっ、え……? カミサマ……?」
    「だから、俺はカミサマじゃねーって」
    「トクサちゃん! だいじょうぶ⁉︎」
    「おい、頭に乗るんじゃねえ。危ねぇだろ」
     カミサマ───社に住まう青年は、頭の上に登ってきたミソラを背中に戻し、小脇に抱えたトクサにニッと笑いかける。
    「か、カミサマ……オレ、」
    「話は後だ。とりあえず、借りるぜ」
     青年はトクサが抱き締めるようにして持っていた布の中から、剣を抜き取った。刀匠ハモンが打った、無二の刃。スラリと鞘から剣を抜けば、月明かりを反射し、妖艶に輝く。
    「へぇ、カムラの職人は相変わらず……イイ腕してんじゃねーかよッッ‼」
     振り向きざま、オサイズチが振り下ろした鎌尾を受け止める。響く金属音。散る火花。気を吐く青年と、激昂するオサイズチ。渾身の力で振り下ろされた硬い尾を受けてもなお、刃毀れひとつしない。最高の気分だぜ、と青年は犬歯を剥き出して笑った。対するオサイズチは、既に二の矢を放とうとしている。
    「掴まってろオォ‼」
     青年は二人を抱えたまま、翔蟲を放つ。頬を掠めるか掠めないか、ギリギリの線でオサイズチの尾を躱し、擦れ違いざま尾に一撃。オサイズチの尾を、いとも容易く叩き折る。悲鳴を上げて無様に転がオサイズチ。対して青年は、ほとんど音も立てず軽やかに着地を決めると、最早ほとんど戦意を失っているオサイズチに切っ先を向けた。まだやるかい? 逃げた方が身のためだがな───その金の目は、雄弁に語る。青年に気圧され、その上最大の武器を失ったオサイズチは、ヒイヒイ鳴きながら藪の中へと退散していった。
    「ふう……ちょっと、熱くなっちまったな」
     オサイズチの気配が完全に消えると、青年はようやくミソラとトクサを降ろした。それから、里守たちに目を向ける。青年の圧倒的な膂力と剣戟能力に腰を抜かしていた里守たちは、青年が一歩近づくと同じだけ後ずさった。
    「かっ、かっ、カミサマ……! 双剣はこの通り、綺麗に研ぎ直しましたんで……!」
    「そうかい」
     青年の声は、怒ってはいない。だが、弾んでいるわけでもない。無表情で、平淡な声だ。それが恐ろしく思えたのか、里守たちは地面に平伏する。
    「お、お、お許しを……天罰だけは……」
    「だから、俺はカミサマじゃねーからそーゆーのできねぇって」
     青年は里守たちにそう返しつつ、ミソラとトクサに目を向ける。ミソラは元気。トクサも掠り傷はあるが、大きな怪我はなさそうだった。
    「カミサマ、その剣かえしてもらえたの?」
    「どうだかなぁ」
    「トクサちゃん、ケガだいじょうぶ?」
     青年たちのやり取りを見て、里守たちは非常に気まずそうにしている。それもそうだろう。本来なら里や子供を守る立場にある里守が、こんなことでは。
    「……別に、剣なんざどーでもいいさ。だがなアンタら、欲にかまけて子供を痛めつけたり、危険な目に遭わせたりするんじゃねーよ。コイツらは、里の宝なんだからよ」
     里守たちは座ったまま項垂れて青年の話を聞いていたが、やがて申し訳ありませんでした、と再び頭を下げた。青年は困ったように頭を掻いて、だからカミサマじゃねーんだって、とポツリ。
     里守たちは青年たちに何度も頭を下げた後、無事だった荷を持ってカムラの里へと引き上げていった。道中モンスターに襲われたとなれば、今回の取引はひとまず中止になるのだろう。かなり反省していたようだし、あとは裏道での取引を思い止まってくれればいいのだが。
    「さーて、お前らも里の近くまで送ってやるから、今日のことは父ちゃん母ちゃんや里長には黙っとくんだぞ」
    「はあい」
     素直に返事をするミソラ。対してトクサは、俯いて黙り込んだままだ。青年は、二人に視線を合わせるようにしゃがむ。
    「ボロボロになっちまったなぁ……ほら、見せろ。痛いとこはどこだ?」
    「……っくない」
    「社に薬草あったっけな……ん? どうした?」
    「よくない、どうでもよくなんか、ない……ッ!」
     どこか痛むのか? と青年が問うが、トクサは俯いたまま首を横に振る。痛がっているというより、どこか怒っているようにも見える様子に、青年とミソラは顔を見合わせた。
    「どうしたんだよ?」
    「……どうでも、よくないッ! この剣、カミサマの大事なものなんだろ⁉︎ だからあんなにボロボロで汚なくても、ずっと持ってたんだろ⁉︎」
    「……、」
     トクサにポカポカと腕を叩かれ、青年はしばし言葉を失った。
    「大事なものなのに、どうでもいいなんて言うなよ! あんな奴らに渡していいなんて、言うなよぉッ‼」
     刃は朽ちて、柄は擦り切れて、一振りするだけでも折れてしまいそうなほど傷んだ双剣を持ち歩いて、結局ここまで共に来てしまった。武器として見た時、戦いに耐えられなければ捨てるしかない。だけど、それでも捨てることができなかったのは。
     青年は、背に携えていた双剣を降ろした。鞘から抜き、月明かりに向けてかざす。磨き上げられ、銀色に光る美しい刀身。あの日見た時と、何ら遜色ない。ハンターになって初めて剣を打ってもらった、あの日と。きらきらと輝く刃を見る青年の口に、ふと笑みが浮かんだ。
    「……ありがとな」
     青年はしがみついてくるトクサの頭をポンポンと叩く。するとトクサは、耐え切れなくなったのか、大粒の涙をこぼし始めた。青年は、よしよし、頑張ったな、とトクサと、それにミソラもまとめてその逞しい腕で抱き締める。するとミソラももらい泣きしてしまったのか、ぐすぐすと鼻をすすり始めた。
    「おいおい、泣くなって」
    「だ、だって……カミサマと会えるの、これで最後だし……」
    「……」
     そうか、と青年は思う。正直なところ、二人に会えなくなるのは寂しい。だが、今日のようなことは、本当はあってはならないのだ。子供がモンスターに襲われて傷つくなど、あってはならない。
    「カミサマ、カミサマ」
    「なんだ?」
    「もう、カミサマにあいにきちゃダメ?」
    「駄目だ」
     言うと、ミソラは涙と鼻水でべたべたの顔を青年の棟に押しつけてきた。青年は気にせず、ミソラの小さな頭を抱き寄せてやる。
    「けどな」
     そのまま、二人に言い聞かせるように。
    「けど、お前ら二人が大人になって、里守くらい強くなったら、ちゃんと装備整えて遊びに来い。その時になっても、俺はここにいるから」
    「っ、やくそくだよ!」
    「ああ、約束だ」
     青年が小指を差し出すと、ミソラが小さな可愛らしい小指を絡めてきた。が、トクサは気恥ずかしいのか、ぐすぐすと鼻を鳴らすだけで。
    「ほら、お前もだ」
    「……」
    「おらっ、貸せ! こうだ!」
    「ちょっ……」
     青年はトクサの腕を取り、無理矢理小指を絡めさせてやる。ミソラがゆーびーきりげーんまん! と鼻声で歌って、合わせて青年も歌い始めると、恥ずかしそうにしていたトクサも最後には混ざってきた。


     そのまま、三人手を繋いでぽくぽくと歩く月夜道。
     里の大門を遠くに見ながら、人を待ちながら過ごすのもそう悪くないものだな、と青年は思うのだった
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