『ゆめみるために、おやすみ』 こんなに緩やかな終わりが待っているだなんて、きっと誰もが想像出来やしなかった。ひとりぼっちで石になると、誰にも知られないままどこかへの行ってしまうようにしか死ぬことが出来ないのだと。そう思っていた。
例えば、誰にも看取って貰えないのだとすれば。北の魔法使いの矜持を持ったまま、誰かの前に這いつくばって石になる運命があったかもしれない。だって南の魔法使いを名乗っていて、南の国からの賢者の魔法使いとして選ばれていたとしても。結局フィガロの本質には北の気質が含まれざるを得ない。
だからきっと所詮自分のいのちはただ孤独に石になるだけの運命だと思っていた。愛し、愛されることを夢に見た、でもそれは夢のままだった。フィガロの人生は黒鉛筆を斜めに握った子供が書き殴った線のようにぐちゃぐちゃになってしまっている。何千年と生きてきていて真っ直ぐな人生の線を持っている者の方が逆におかしいとも言えるのだ。気を狂わせてしまうのに十分で、何かを探し求めて生きるのにはあまりにも永きに渡る年月で。その間ならばきっと望むものは全て手に入るのではないかと思っていた、でも事実はそうではない。
誰にだって求めても手に入らないものがあって、それは何を代償にしたところで落ちてくるものではなくて。だから諦める方が賢明なのは分かっているのに、どうしようもなくそれを追い求めてしまう。荒唐無稽に染め上げられた道化師の人生のようなそれに絶望して、手放して。だから、今更どうにかなるなんてこと思いもしなかった。きっと自分のこころの奥底にある願いは叶うことがなくて、信じても祈っても何をしてもひとりぼっちのまま生きて、死んでいくだけなのだと。
「いいの?」
「ああ。これでいい」
それなのに、たった一人の手が自分に差し伸べられた。それだけで幸福なことだと言うのに、相手が相手であったせいで尚更なのだろうと思う。
何千年も生きてきた、その中でも余程深い縁を持っていた、のにも関わらず、相手が自分を選んでくれるなんてことを思えなかった。だって、あの魔法使いの身体に似合う心を与えてやることが出来なかったのだ。自分の与えられなかったものをその相手に求めたってそこまで意味はない。元より教えてやることが出来なかった、つまり求めるだけ意味を成さないことであって、それ以上のものではない。それでもなお、愛し子に教えて貰った心で自分だけを選んでくれた。オズが自分の意思でフィガロのことを選んでくれて、オズが、自分と一緒にいてくれると言ってくれて。正直その時のことは覚えていない。ただ、これが紛れもない現実であることがこんなにも愛おしいのだと思いもしなかった。
「本当に?」
「ああ」
波の音が聞こえてくる。引いては押して、押しては引いて。引き合う力も押し合う力も同等ではないというのに、波も海も小さいままで、同時にどうしようもなく大きいままで。整合性が不釣り合いなまま、ただ地平のその先に浮かぶ水平を眺めた。
かつて世界の全てを無感動に見つめていたその瞳に、今は間反対にあたたかな色が宿っている。その灯火を消してしまうのが自分であることが悲しいと同時に、兎角嬉しいだなんてことを思ってしまった。
「後悔してるだろ」
「反省はしている。後悔などしていない」
噛み締めるように言葉を呑み込んで、それを幸福の味とする。お菓子のように甘いわけでも歯磨き粉のように辛いわけでもない。あたたかさと同時につめたさが宿っている、その体温だけでいいと思った。生きていけるとも思った。これから死に行く運命だというのに。今からふたりぼっちを永久のものにしようとしているのに。
「わるいこだから?」
ーー おまえのじんせいを、めちゃくちゃにしてやりたかった。ほんとうは。ほんねをいっていいのであれば、できることなら、じぶんだけのものにしてやりたかったのだ。けっきょく、そんなこといままで、いちどだってできやしなかったけれど。
「おまえも同じだろう」
「…………うん」
罪を犯している自覚がある、だからこそ自分達は共犯者だ。両手を繋ぎ合って縛りあって、文字通り死ぬまで離れることができないふたりなのだから。
死とは、紛れもない喪失だ。それはとうの前から知っているただの事実。石になる感覚は味わったことがないけれど、この世界の全てを手放すことになるのは紛れもない真実だった。それが痛いのはきっと、今生に未練があるからなのだろう。それはその通りなのかもしれない、だってこの世になんの躊躇いもなく死を選ぶことが出来る生物はほとんどいないだろうから。
「ねえ」
手のひらを取ろうとして、やめる。できやしないことはやらない方が良いと思うのに、でもどうせこの先短い命なのであれば一緒なのではないかとも思う。でもできないのだ。それがもしもできていたら、きっとこんなことにはなっていないだろうから。
いつだって彼の心の中にはそんな風なアンビバレンスが共存していた。一方の自分が許可したとしてももう一方の自分はそれを拒絶する。そいつらの不和が治らない限り、きっと自分は一生をかけたところで幸福の足がかりすら掴むことが出来ないのではないかと、そう、本気で思っていた。結論から先に言えば、現実はそうではなかったらしい。
「なんだ」
繋いでやろうかと迷っていた手のひらを見かねたのか、オズの方から指先を絡められた。思わずびっくりした変な声が出そうになるのを抑えて、彼の言の葉に返事をする。
「おまえ、今までたのしかった?」
「ああ。おまえは」
自分の声に振り返って歩調を合わせてくれる男ではなかった。振り返りはすれどこちらを待ってくれることはなかったはずだった。でも今はどうだ。こんなにも、ひとにあたたかいものを与えることが出来る男になってしまった。
「俺は……辛くて苦かったよ」
「……そうか」
「でも」
言葉を切って噛みしめるように。空白がそれを証明するように、彼の人生の重みを受け止める。それでも、と告げる、苦痛に塗れた人生であった、楽しいことと同じくらい、つらくて痛いことがあった。それでも、そうだとしても。
「おまえのお陰で、今はちょっとだけ、しあわせだ」
「……そうか」
はにかんだ口角を笑顔に変えて、目線を海の先に向けた。握り返してくる体温がある。それだけで胸がはりさけてしまいそうな幸福を感じる。こんなものだけでしあわせを噛みしめている自分は現金なのかもしれないけれど、でもほんとうにほんとうに、胸のあたりがあたたかくていとしくて。これがずっと続けば良いのにとさえ思うほどで。
「もっと嬉しそうにしてもいいんじゃない? オズ」
「……ようやく名前を呼んだな」
「そんなこと……」
「私にとってはそんなこと、ではない」
名前を呼んでやることは価値のあることだと教えたのは双子で、フィガロであった。そのものの名前を決して忘れることがないように、それはある意味でそのものの死であるのだと。そうオズに教えたのはフィガロであった。彼から学んだことを真逆忘れる訳がない。
「おまえだって呼んでくれないじゃん」
「拗ねたのか」
「拗ねてません」
「分かりやすい嘘を吐くな」
「おまえには言われたくないよ。っていうか嘘じゃないし」
「本当か?」
「……ほんのちょっとは嘘かも」
ほらみろ、とでも言いたげな瞳と頬を抓るようにして引っ張ってやる。さして痛みをも感じないだろうに、わざわざ眉間に皺を寄せているオズをみるのは気分が良い。
「フィガロ」
「なあに、オズ」
「……いや、何もない」
「うそつき。何もある顔してるよ」
なにもあるのはあるけれど、と言いたげな表情のオズを急かすようにフィガロが頷くと、くちびるを開きかけて、閉じる。オズは口下手だけれど、自分の本音を隠そうとすることは滅多にしない。だからそんなに言いにくいことなのだろうかと思い、彼の言葉を待った。もういちどひらいて、閉じかけたくちびるから弱々しい口調が飛び出す。
「私で、いいのか」
フィガロはきょとんとした顔をして、何を言ってるんだ、とでも言いたげな胡乱を瞳に浮かべた。お小言が飛んでくると思ったオズはそんなフィガロの様子に逆に驚いたような顔をする。二人して言葉や表情を揃えてしまっていることがなんだかおかしくて、耐えきれなくなった笑い声をフィガロが上げてしまう頃にはオズの方もほとんど笑いかけていた。
「……本当に私で、いいのか」
選んだのはオズであって、フィガロであって。選ばれたのはフィガロであって、オズであって。お互いの意思の結果でここにいるというのに、その事実にあまりにも現実感がない故に、確認の言葉が出る。
誰が、誰を選んだと思ってる。誰を選んだと、なんでおまえだけを選んだと思ってるんだ。おまえが俺を選んでくれて嬉しかった、それはおまえも同じだろ。今更そんなこと聞いてくるな、だってフィガロはフィガロ自身の気持ちを以てオズを選んだのだから。思わず泣きそうになる。心の音が零れ出す。
「おまえがいい」
掠れかけた声に涙が混じりそうになっているのを見た。次の瞬間に透明色がぽろぽろと目尻の端から流れ出すのを、一瞬くしゃりと表情が苦しそうに歪むのをオズはただ見ていた。
その苦痛を、辛酸を、この男に与えてきたのは誰なのだと思う。その一端をきっとオズは無意識のうちに担ってしまっていたのだろう。それがどうしようもなく歯痒い事実となってオズを苦しめてしまうのだ。だから拭えない。その頬を伝う透明を掬って口付けを与えてやることができやしない。今すぐにでもその涙をなくしてやりたいと思うのに、そうしてやる権利がないのだ。
「おまえだけがいい」
その言葉の重みを、きっとオズは完璧に理解することが出来ないだろう。フィガロの人生の一部分しか知り得ないのだから当たり前の話だ。
「それじゃ、だめ?」
本音を言えば、一生分の花束を贈ってやりたかった。祝福の魔法をめいっぱいかけて、おまえの未来によくここまで生きてくれたと。愛を知り、孤独を知り、痛みを知り、喜びを知り、苦しみを知り、何度折れても、苦しんだとしても、何年も、何十年も、何千年も。この男の孤独の悲哀と未練とを、何もかもを肯定する花の形をした言葉達で。そして、このまま。これから先もずっと、きっと自分がいなくなっても前を向いて生きていって欲しいと。
だから、共に石になってくれるだなんて思いもしなかった。それはきっと半ば呪いのような愛でないといけないものだと思っていたからこそ尚更だ。それと同時に胸にひっかかりができたまま取れてくれない。最後の最期に、自分を選んでも良かったのかと。本当に、フィガロはオズを選んで良かったのかと。それだけが心残りなのかもしれない。でもきっと明確な答えは与えられないと思う。きっとこれがフィガロへの罰なのだ。オズを共犯者にしてしまった、フィガロのどうしようもない罪。
「そうか」
手の甲でぐいと涙を拭って恨みがましそうにこちらを見つめるフィガロの頬に触れた。急にオズの間方の手のひらが触れてくると思っていなかったのだろう、目を丸くしたフィガロは「へ」と間抜けな声でオズの手のひらを受け入れる。涙を一粒だけ掬って顔を近づけそこにキスを落とすと、フィガロはまるで生娘のように頬を赤らめた。
「もう、オズの馬鹿」
「どうとでも言えばいい」
もういっそかわいらしいとも言えるフィガロの罵倒をどこ吹く風に、オズは視線を海の方に向けた。日差しが水面に反射してきらきら光る。マナエリアで海に見慣れているはずのフィガロですら目を細めるような眩しさだった。その沈黙は数分続いたように思えたが、実際は数秒程度だったのかもしれない。そんな行間にも終わりは来る。意を決したような表情をしたフィガロがオズに向かいあう。
「ねえ、オズ」
「なんだ」
両の手のひらを重ね合わせ、指を絡めて。力を入れて引っ張ると、なんの抵抗もなくオズがこちら側に引き寄せられた。
「そろそろ、行こうか」
「ああ」
運命の赤い糸なんて信じていないけれど、きっとオズとフィガロの薬指の間には真っ黒に染め抜かれた糸が絡まりあっているのだろう。それは決して簡単にほどけるものではないし、元よりそのつもりはなかった。
いっそそれこそ、これから二人で死んでしまうようには到底思えないほどに。ふたりのそれぞれの人生において、揃いのものはほとんどなかった。それは端的に、自分たちの関係にそのようなものが必要であったと思わなかったこともあるが、何よりきっと自分たちがふたりぼっちになって死んでいくなんて思ってもみなかったからだろう。
「魔法を」
「うん」
オズが呪文を唱えると、触れたままの指先からじわりと滲む魔力が身体中に回っていくのを感じた。同じように呪文を唱えて、最後の魔法をかけてやる。祝福に似た呪いを、呪いに似た紛れもない祝福を込めて。
もしかしたら、地の果ての最後まで共にいることは、ハッピーエンドになる可能性を秘めているものであるのかと思う。それはきっとほとんどの人々にとって妄言であるし、詭弁で虚言に聞こえてしまうのだろう。でも、一緒に死を選んで、さいごまで一緒に、虹色の宝石になってしまうまで揺るがず一緒にいたいと思うこと。きっと、それも一種の愛なのだろうと。
微笑みを交わして、今更な感謝を舌に載せて。刻々と迫るその時間を、最後の猶予期間を使い古した。沈黙の帳が降りて、どちらとともなく歩き出す。泡になるために、最後の約束を果たしにいくために。
「じゃあね、オズ」
「ああ、フィガロ。……ありがとう」
「こちらこそ、今までありがとう」 もう一歩踏み出せば海の底へ真っ逆さまな場所で、一度立ち止まる。せーの、とタイミングを指し示し合わせたつもりはなかった。ただ経験則がふたりの息を合わせて、ひゅっと呑み込んで吐き出す前に、重力に満ちた空へ。毛先が宙に舞って、浮遊感に襲われてから数秒もしないうちに派手な水飛沫が上がった。開いたままだった唇に塩水が流れ込む。喉が焼かれるみたいに痛くなって、口と同じように開いたままだった目にも塩が染みだした。
水分を吸った衣服がと魔法がどんどんと水底へとふたり分の身体を誘って、どんどん下へ、下へと落ちて行く。そこに奈落があるのか、楽園があるのか、それとも業火が待っているのだろうか。分からない。分かりたくもない。でも、きっとその全てだろうと思う。
天国に行くことが出来るほど純粋無垢な魂を持っていないことを自覚している。散々いきもの達を殺さないと生きていくことができなかった。それが世界だと思っていた。だからこそ、この赤黒く汚れた身体が透明になるまでは、ふたりぼっちで歩くしかないのだろう。それがひとりぼっちでないことが兎角嬉しいと思うあたり、馬鹿なのかもしれない。
つめたいね。そうだな。苦しいか? ううん、きもちいいよ。ねえ、オズ。なんだ。ねえ、本当にこれでいいの? と。そう聞き出そうな瞳に、ただ口付けを贈ってやった。これでいい、ではない。これがいい。おまえがいい。そう、口角が物語る。
塩味の濃いキスを何度も交わして、肺の中に残された空気を全て相手に吹きかけて。吐き出すものがなくなってもなお縋るように掴まれた胸元にいっそ吐きそうなほどの愛おしさが湧いてきて、ろくに力の入らない指先で抱き寄せ最後に唇だけに落とした。声は出ないまま、あたたかさを共有して、最後の最後まで瞳を向けて、視線を交わし合って。ゆっくり、徐々に自分の輪郭を失っていくのを肌で感じて、最期に浮かべられたひび割れた笑顔がばらばらに砕け散る。
ほぼ同じタイミングで脳裏で破裂音が響いて、全てが崩壊していく。そこからは先はどこへも目的地のない、透明の白に塗れた世界。目を開け、感覚のあまり浮かばない身体を動かしてみて、やっぱりひとりぼっちなのか、と思い瞳を閉じると、覚えのある気配がすぐ横に現れた。まさか、そんな。
ほんのりと目尻を下げ、こちらを見つめる紅色の宝石。石になる直前まで交わしていた温度はない。これが現実なのか、夢なのか、ああ、もう自分は石になったのかと思いつつ。ここはどこなのだろうと思う、けれどそんなことは些細な問題だと思った。だって、どうだっていい。例えばここがしろいせかいであっても傍にいてくれるのならば。
ゆるりとどこかへ、あてもなく歩こうか。ふたりぼっちでならきっと、どこへでも行けるだろうから。
そうやって美しい岬にまた冷淡な色が戻ってきた。人の気配も魔法使いの魔力も存在しない。あれだけ渦巻いていた力の波動も、何もかも無くなってしまったかのように、全部。
いのちがふたつ、うつくしい宝石になっただけ。言葉に軽くのせて飾ってやるのならば、ただそれだけだった。
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夢から醒めるのはいつだって唐突のこと。
それは自分の頭の中で起こったことでしかないことを実感してしまって、どうしようもなくやるせない感情になるものでしかない。所詮夢は夢で現は現で。その区別が付かないほど子供のままではいられない一生だった。
それが夢想であったことを恨めしく思って、同じくらいそれがもしも現実になっていたらと思考が回る。寝ぼけ眼の世界ですよすよと寝息を立てて眠る男に指を伸ばしてその頬に爪を滑らせた。自分よりも体温の低い肌が指の腹に触れて、ようやく生きていると実感する。心臓のあたりに手のひらを潜り込ませると、確かに鼓動音が伝わってきた。何をされていても起きようともしないフィガロが本当にそのまま一生の眠りに落ちてしまいそうで、それが不安になってしまって、気紛れにキスを落とした。
そんな口付けの途中、ふっと瞼を開けたフィガロはオズの唇が離れた途端、乾いた唇で言葉を紡いだ。ごもっともなその質問への返事を全く用意していなかったオズは喉仏を詰まらせる。
「どうしたの」
「……何も」
寝たままの男に口付けている時点でなにかあったと言っているも同然だと言うのに、シラを切るようにそう否定したオズに寝ぼけ眼のフィガロは「変なおず」と言いつつへにゃっといつもの彼らしくない溶け出しそうな笑みを浮かべた。
「まだあさはやいよ」
「ああ、そうだな」
視界が暗く遮られているのを見て、言葉を放つ。まだ眠いのだろう。全てがまろやかに聞こえる声であった。
「ふふ、……あったかい」
頬を擦り寄せて再び微笑んだフィガロの頬骨当たりに、まるで傷をつけるようにキスをした。くすぐったいと言わんばかりに身を捩らせた彼が自分の方を見る。実りの榛色がオズの姿を捉えた。生きている。この男は、自分と海で心中するハッピーエンドを選んでいない。それが、この現実だけの事実。
「もうちょっとねられるよ」
「ああ……、おやすみ、フィガロ」
「ん、おやすみ、おず……」
それだけ言うと、そんなに眠かったのだろうか。すうっと瞳を閉じて、フィガロは再び眠りに落ちてしまった。オズに頬を寄せたままの距離でいた彼の痩躯を抱き竦める。あたたかい、生きている、死んでいない。
ーー ああ、この男が死んでいなくてよかった。あの夢が正夢になっていなくて本当に本当に良かった、と。そう、同じように思ってしまった。
ただその思考だけが自分の中の原罪を白に染め上げるものになるように、そう願って瞳を閉じた。もういちどあの夢想に脳裏を沈めて、きっと一緒に溺れてやるために。