満月に身を尽くし(仮題) 大陸の東側の国、その中で大きな領を持つブランシェット家。シノはその家の小間使いだった。小間使いの仕事は様々であるが、城外での見張りや庭仕事がシノの仕事にあたる。他に何人もの使用人達が屋敷の内、外と働く中、シノには特別な役割がもう一つあった。
それは満月の夜に訪れる。星ですら輝くことを許さないほどに夜空を明るく照らしている。月明かりで影をつくりながら、シノは普段は歩くことを許されない城の廊下を静かに進む。人の世ではないような、不思議な感覚だった。
一際豪華な扉の前で止まり、手をかける。押そうとした瞬間、来たことがわかるようにノックをしろと言われたことを思い出した。慌てて決められた回数ノックをすると、それは静かな廊下に大きく響き渡る。ずっと待ってたように開いた扉がシノを招き入れた。
「シノ」
月夜に透ける金色の髪、奥様譲りの深い海の瞳。ブランシェット家の一人息子であるヒースクリフがシノの名を呼んで、扉を閉じた瞬間シノを強く抱きしめた。ふわりと香るのは花の匂い。この間シノが渡した花に似ている。
「体調は?」
「最近は特に悪くはならないよ。シノがいてくれてるから」
そう言って微笑むヒースクリフを見て、シノは安堵する。同時に、自分の存在を認められた気がして、気分は高揚した。
「早く終わらすぞ、あんまり長居すると怒られる」
「誰も怒んないよ。俺が呼んでるんだから」
仕事を促そうとすれば、またぎゅうと腕に力を込められて抱きしめられてしまう。普段は過激なスキンシップを取るのは苦手なくせに、この日だけヒースクリフの欲は強く出る。それが嫌でもあり、嬉しくもあった。
特別大切にされるのは困る。自分の身の丈に合わない愛に溺れて息苦しくなる。でも、いつも我慢しているヒースクリフが自分にだけ欲を吐き出してくれるのは、悪い気はしなかった。その欲が愛の形をしているだけ。
緩められた腕にほっとすると、手を引かれてベッドに招かれる。柔らかなそこに入ったことのある人間はシノくらいだろう。そっと倒された先のベットから香る、ヒースクリフの匂いに少しだけ安心した。
「優しくできなかったらごめん」
「いつも言ってるが、気にするな。好きなようにしろ」
「痛いときは言ってね」
痛くてもやめてくれと言わないことを、ヒースクリフは気にしているようだった。丁寧に言葉を用意してくれるが、きっと、今日も言うことはないだろう。
ぷち、といくつかのボタンが外され、首元が緩められる。伸びてきた手によってチョーカーがパチリと外された。いつも隠されているところが、人の手によって晒されるのはそわそわとして落ち着かない。丁寧に扱われるから、余計にそう思った。
「ごめんね」
ヒースクリフがチョーカーは抜き取り、首筋に顔を埋める。触れる吐息がくすぐったいと同時に、熱すぎて緊張した。当てられた牙に、心臓はひやりとして鼓動を早めた。
「っ、ぁ……っん」
牙が食い込んだところが、熱くなるのを感じる。全身の血がそこに向かって流れるのがわかる。強すぎる快楽は痛みであるように、強すぎない痛みは快楽のようだった。生理的に滲む涙が、シーツに吸い込まれていく。
くらくらする。部屋に満ちる血の匂いと、すぐそばにある花の匂いがうまく噛み合わなくてガチガチと音を立てていた。なんとか食い合わせてるのは、シーツに縫い付けられた、指を絡めている手だけ。
この瞬間、ヒースクリフのためだけに生きている心地がして気持ちがいい。自分のいのちがそのためにあるということを自覚できて、シノは好きだった。ヒースクリフに言ったら怒られてしまうので、口に出さないようにしているが。
牙が体から抜ける感触も今ではわかる。傷口を労るように、舌が這った。その感触とぴりとした痛みにぞわりとし、思わず声が出る。薄い肩を伝って、水滴が落ちていくのがわかった。
「大丈夫? シノ」
「っ……ああ」
生を吸われたと言っても過言では無いシノの息は荒い。落ち着けるように、ヒースクリフは覆い被さるようにしてシノを抱きしめる。
「ごめん、ごめんね」
「謝るな。嫌だと思ってない」
ヒースクリフの背に腕を回して言う。自分の存在を否定されているようで、謝られるのは嫌いだった。何度か言ったこともあったが、ヒースクリフはその度に困った顔をして笑っていた。
目の前にいる男の瞳に、僅かだが赤が滲んで夕焼けの色になることを知っている。口元を唾液でびしゃびしゃに濡らして、生を求めることを知っている。全部、シノだけだった。優越感と独占欲が、こんなにも自分に生きる意味を与えてくれる。
シノは頬に手を添えて、自分の血に塗れた薄い唇を舐める。ヒースクリフの目はこれでもかというほど大きく開かれた。
「シノ!」
「はは、まずい」
ヒースにとってはうまいのか? と聞けば躊躇ってから美味しいよ、と返ってくる。
「それならよかった」
もう一度重ねた唇はやっぱり鉄の味がした。いのちを分け与えている事実がきゅうと胸を締め付ける。月がうんと明るい晩、二人だけの小さな食事。知っているのは満月だけ。
【設定】(Twitterの下書きに入れてたネタ原文)
ヒースが結構名の知れた吸血鬼の本家さんの息子で、シノはブランシェットに贄として出された子。
ヒースは人に手出すのが嫌(人見知りと痛い思いさせるのは嫌)で人の血を飲みたがらないんだけど、飲まないと後継としてはよろしくないので小さい頃から悩んでた。
そしたらシノが「オレはそのためにいるから」って言ってヒースに首を差し出すっていう……。
ヒースはシノの血だけを飲んで生きるし、シノがそのためだけに存在するっていう共依存なのパロって感じで最高。