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    suzume___

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    suzume___

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    ベリファー/ショートショート/洒落怖「猿夢」のオマージュです。

    獣の夢 夢を見ている。織部は自覚していた。時折こうして、指先まで自在に動かしている自分の身体の置き所が、夢の中であることに気づくことがある。
     夕暮れの燃えるような紅に染め上げられた教室だった。腕に重いような違和があり、それはとても覚えのある感覚であると気づく。机に突っ伏して眠り込んでいた時の、枕替わりにした腕の重だるさ。夢の中なのに、どうやら自分は転寝から目覚めたところらしい。
     窓際から右に一つずれた列の一番後ろ、滅多に登校しないから愛着も馴染みも薄いその場所からの眺めはいつもと同じだけれど、自分以外の生徒は一人もいないから視界を遮るものは何もない。授業中はなんて狭苦しい場所だろうと思うのに、こうしてみると不思議なほど広々と感じるようだった。
     ふと視線をスライドさせる。左隣は自分よりさらに出席率の低い不破の席だ。机の上にも、引き出しの中にも教科書の一冊、シャープペンシルの一本入っていない。ニス掛けされた木目の天板が教室の壁よりなお赤く斜陽を反射してギラギラとオレンジ色に鈍い明かりを灯していた。夢の中なのに、驚くほど夢らしくない光景だと織部は思った。
     ギギと椅子を引きずって立ち上がると、視界がさらに一段と開ける。四面四角の生徒用机の群れが並ぶその先に、二回り程大きな教卓。黒板の下には教壇が置かれている。
     織部の記憶では明るい木肌色だったその教壇に、何か黒い染みが浮かんでいた。唐突に去来した不安感に背を突かれたように、織部はフラリと一歩前進する。黒板のある教室前方へ近寄れば近寄るほどハッキリと臭ってくるのが分かる。嗅ぎ慣れた鉄錆の匂い。血だ。

    「あ」

     机の列の先頭まで来れば教壇の全景が見渡せる。織部は思わず声を漏らした。なんとなく予想できていて、それでも堪えきれず、ぐうっと獣の唸りのような音が喉からこぼれる。
     少年の身体が、そこに横たわっている。眠るように目を閉じて微動だにしない彼の、それが死体であることは、ひと目で理解できた。まだおうとつの浅い喉仏の辺りで、彼の身体は二つに隔てられているのだ。その数センチの隙間からおびただしい量の血が流れ、教壇に染み入り、波紋のような模様を木目に浮かび上がらせている。
     織部は跪き、死体の頭をていねいに持ち上げる。そこには織部も舌を巻いてしまうほどの膨大な知識が詰まっているはずなのにとても軽くて、産まれながらに色素を持たない白灰の髪はピョンと寝癖を跳ねさせていた。

    「……ファーさん」

     不破の身体は、そうして完ぺきに分かりやすく死体としてそこにあった。胸に抱き込んだ頭の小ささに愕然とすると同時、突如として首を絞められたように呼吸が苦しくなる。
     駄目だ、駄目、駄目、駄目、駄目。ファーさん。駄目だ。違う、これは夢だ。夢だ。夢だ。ファーさんが死ぬはずがないこんな教室の中でアタマを切られてなんてそんなのはおかしい、これは夢だ。血の匂いがする。目の奥がガンガンと激しく痛んだ。夢なのにこんなに生臭くて温かくてファーさんは死んでいるのにこんなに温かいのか? 違う。夢だからだ。早く覚めなくては。ファーさん。ファーさん。夢だ、夢だこれは夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だから早く覚めて覚めて覚めて目を覚まして死んでいる訳がない駄目だ

    『フフフ、逃げるのか?』

     耳元で声がした。誰の声なのか、その正体に考えを巡らせるより早く、バツン! と大きな音がして、視覚も聴覚も触覚も織部のすべてがすべてを失った。



    「……ッ!」

     腹筋がひっくり返りそうな勢いで飛び起きると薄暗い室内だった。唯一の光源になっているブラウン管の小さな箱からピコピコと軽快な音楽が流れてきている。
     視線をさまよわせると探すまでもなく織部が寝転んでいたソファのすぐ横に不破が座っていた。ほんの一瞬織部の方へちらりと目を寄越してすぐにテレビへ視線を戻す。
     両手で握ったコントローラを器用にカチカチと動かしてゲームの画面を見ながら「飯」ぼそりと呟く不破。

    「あ……ゴメン。今何時?」
    「知らん」
    「爆睡してたなあ。ごめんねファーさん、夕飯遅れちゃった。起こしてくれて良かったのに」

     不破はもう織部を見ておらずブラウン管を注視している。細長い指先だけが流れるように動いており、こちらへの興味が失われていることが分かると織部は苦笑してソファから立ち上がった。
     それにしても厭な夢だった。脳裏に焼き付いてしまったかのように鮮明な光景が思い出される。鼻孔に錆の臭いがこびりついているような気がして、床に放ってあったティッシュボックスを引き寄せて鼻をかんだ。
     眼下でじっと静止している小さな頭。じっと見つめていると手先の動きに合わせて時々揺れていて、夢で見たアレとは違うのだと理解できて内心でこっそり安堵の息を吐いた。厭な夢だった。本当に。

    「変な時間に寝たからかな。おかしな夢を見たよ」
    「くだらんな。お前の仕様もない妄想の話を聞く気はないぞ」
    「ええー。悪い夢の話は人に話すと良いって言うだろ?」
    「何の根拠もない。早く飯」
    「ハイハイ」

     居間を出て暗い廊下の電灯を点ける。冷蔵庫の中身を思い出しながら献立を考え台所へ向かううち、眩暈のするような景色と饐えた臭いの気配は薄れていった。それでも鼓膜に縫い留められたように、誰かの嘲笑めいた言葉だけは、夕飯のハンバーグを食べている間も織部の耳を離れなかった。



     ▲▽▲



     夢の中だ。織部は自然とそう認識している。
     学校から数キロ程離れている農用地。持ち主が農業を辞めて久しく、見渡す限りにぼうぼうと黄金色のススキが生え散らかっている。火を放ったらそれはよく燃え上がるのだろう。織部はこの光景が大嫌いだった。絵に描いたような田舎の茫洋とした風景。さらさらと穂の揺れる音だけが静寂を削り取るように鳴っている。
     背の高いススキの野原を何ともなしに見渡しているとその一角で目が留まる。
     そこだけ強い風が吹いたようにススキが大量になぎ倒されている。それは織部が分け入るにはほんの少し足りないくらいの幅で獣道のように奥まで続いていた。根元から乱暴に蹴倒されたものもあれば織部の膝丈からぽっきりと折れているものもある。誰かが無理やりにススキの森に入って行った様子が容易に想像できた。
     織部はほとんど導かれるようにその狭隘な小路に足を踏み入れた。



     肩を擦るススキ穂を避けるように身体を斜めにして進む。かすかな土埃と枯草の乾燥した匂い。それに混じってツンと鼻孔を刺激する微かな刺激臭がする。覚えのあるそれに織部の心臓がドクンと嫌な鼓動を鳴らした。エタノールの冷えた匂い。嗅ぎ慣れた消毒液の。
     ああ、またこれだ。夢の中の織部は後悔でいっぱいの胸中とはうらはらにずんずんと足を進めていく。けもの道に飛び出したススキが頬を掠める。早く目を覚まさないとまたアレがやってくる。
     記憶にあるそのススキの原はそこまで広大なものではなかったはずなのにもう十数分は歩き続けている。こめかみに滲む汗がひどく不快だった。制服のシャツが素肌にぺたりと張り付いてくる。視界に映るものには何も変化もない。ただ焦燥感だけがいや増していくけれど半比例するように足取りは重く鈍っていく。
     それは唐突に現れた。ぽっかりと開いた空間だ。局所的に台風が発生したよう、という表現が相応しいようだった。丈の長い穂草は根元からぽっきりと折れて視野がぐんと拡がり周囲を見渡しやすいようになる。ミステリーサークルというんだったか、と冷静な頭の片隅で思い返す。
     突然に拓けた視界によって中空ばかりを眺めていた織部は、不意に地面に目を落とす。両腕を広げてもまだまだ余裕のあるくらいの円の中央に、それは無造作に放り出されていた。

     折れて散ったススキの穂を枕にするようにして、不破の頭部がころんと転がっている。

     ぷつりと途切れてその先に続くはずの四肢を喪った頸部は、まるで元から何もなかったかのような自然さで綺麗に断ち切られていた。
     それが何かを理解した途端、口内が一瞬で干からびたようにカラカラになる。代わりに全身の水分が一気に移動したようにこめかみから汗が噴き出た。不破の顔はこちらを向いて、長い前髪のかかった目蓋はしっかりと閉じられていた。居眠りをしているみたいな綺麗な顔で、顔で、顔で、顔しか、ない。
     何か声を出そうとして開いた口からは、音にもならない喘ぎが零れるだけだった。織部はその場に跪いて不破のちいさな頭を搔き抱く。枯草と土埃の乾燥した匂いがした。あまりに似合わなくてほとんど無意識に掠れた笑い声が漏れた。
     織部の知る不破は、ここ最近はいつも何かの薬品のケミカルな匂いを纏わせていた。もしくは爆食したジャンクフードの安っぽい油の匂いで、織部はそれをあまり快くは思っていなかったけれどこんな風に自然の匂いに包まれているよりはよっぽど似合うし好きだと思えた。こんな。こんなのは違う。間違いだ。悪夢だ。
     ……悪夢?

    『おやおや。次は無いぜ?』

     背後に何かの気配を感じて、振り返る前に目の前が真っ暗になった。色も音も匂いもなく胸に抱いた首の温みだけが唯一となった世界で、織部は確かにその声を思い出す。うなじにつうと伝ったのが自分の冷や汗なのかそれ以外の何かなのか、確かめる術などないことは明らかだった。



     はっとして目を覚ます。
     いつものベッドの上だった。肘をついて上体を起こすと、びっしょりと寝汗をかいた身体はすっかり冷え切っていて襲い来る寒気にぶるりと身を震わせる。大きく溜息を吐いて「クソ……」誰にともなく悪態を吐くと、シーツの横で寝そべっている不破がもぞりと身じろいだ。慌てて滑り落ちていた毛布を引っ張り、不破の肩にかける。剥き出しの膚を冷やしてはまた体調を崩してしまう。
     織部に背を向けて寝入っている不破を起こさぬようそうっとその顔を覗き込んだ。耳を澄ませるとすうすうと小さな寝息が聞こえてくる。両目の下は青黒く落ち窪んでいて、もうずっと消える気配のない隈を織部は大分心配に思っていた。
     大学院に進学してから――いや、大学に入った頃からか。不破は何かに憑りつかれたかのように研究に没頭していて、特にここ数か月は何か急かされるように、追い立てられるかのようにデスクに向かっている。熱を入れ過ぎなんじゃないか、少しは休憩しないとと告げても、不破が織部の忠言を聞き入れることはない。だからこうして『無理やり』寝かしつけたりしているけれど、それでも刻まれた隈が消えることもなければ折れそうに細い四肢に肉が付くこともなかった。骨張った痩躯を見下ろして織部は目を細める。
     不破は幼い頃からひどく整った容姿で、いつも寝起きのようなぼさぼさの髪も寝不足で荒れた膚も蒼白くこけた頬もその人外じみた美貌に迫力を与えこそすれ損なうことなどあり得なかった。けれど最近は、余裕なく何かに追われるように実験に明け暮れる不破は。どこか織部の知る彼とは違うような、むしろ良く知る何かに近づいていくような、そんな訳の分からない奇妙な心地にさせる雰囲気を纏っているように感じて――。

    (馬鹿馬鹿しい)

     近づくって何にだ。埒もない思案を振り切ってベッドを降りる。まだぼんやりする頭をしゃっきりとさせる為にシャワーでも浴びよう。それから起きた不破が摘まめるように何か作っておかないと。
     どくんどくんと忙しなく鳴り続ける鼓動が鬱陶しかった。これが無ければ生きていけないなんて考えなくても分かるけれど、実は、もしかしたら、無くても大丈夫なんじゃないのかなんて感じることがある。だってそうでもないと一々自分の心音を不快に思うなんておかしいだろう?
     不破はどうなんだろう。ぽこぽこと沸騰するフラスコを眺めているとき、静かな図書館で分厚い図鑑のページをめくっているとき、織部と身体を重ねるとき、自分の……あるいは織部の鼓動を煩わしく思ったりしていないだろうか。それはとても気になることで、けれど織部は決して不破に尋ねようとは思えなかった。



     ▲▽▲



     天井で回るシーリングファンの音が異様にうるさい。ごおんごおんと風を切る音が耳障りで――ふと伸ばした腕が空を切って、織部はぱっと身を起こした。指先に触れた『それ』の異様な冷たさに、意識するよりすべてを早く理解している。
     隣で寝落ちていたはずの不破がいない。いや、いる。いるけれども、これは。
     固く握りしめたシーツは冷え切っていて、けれどぼんやりと手を伸ばした不破の腕の氷のような感触とは比べ物にならなかった。ぎこちなく視線を動かして、ゾワリと首筋が粟立った。
     織部が頭を置いていたすぐ傍だ。寝入る時には不破のまるい頭を受け止めていたベッドには僅かなへこみがあって、そのへこみを満たすように赤黒い液体がじっとりと沁み込んでいる。まだ乾いてもおらず、織部の身じろぎに合わせてシーツに皺が寄ると、巻き込まれるように一抱えの水面がたぷりと鈍く波打った。
     全裸のままベッドを滑り降りる。床に脱ぎ捨てられた衣類はきちんと二人分あって、けれどこの部屋には織部一人きりだった。反射的に寝室を出て、そしてそこで捜し人はすぐに見つかった。正確には、捜し人の『一部』は。

    「次は無い、って言ったろう?」

     背後で聞こえる声の主はもうとっくに理解していた。振り向く気力もなく織部はその場に座り込む。
     小さな首は後頭部にピンと跳ねた寝癖を付けたままで、閉じた目蓋の上にある柳眉はギュッと寄せられていて、眠っていても眉間に皺を寄せている不破に小さく笑みがこぼれた。

    「ああ……三回目か。いや、四回目?」
    「そうそう。しかし、やっぱり駄目か。どうやっても置いてかれるな」
    「酷いよなあ」
    「でも、そこが最高で、愛してる」
    「違いない」

     抱き寄せた不破の唇にキスをした。ほんのりと生温くて鉄さびた馨りがして、織部はぽろりと涙を零した。



     ▲▽▲



    「寝すぎだ」

     ぱちり、ゆっくりと目瞬きを数回。明瞭な視界には最高潮に不機嫌であることを隠そうともしない最愛の造物主が、ベリアルの額を指先でぐりぐりと突いている。ちょっと爪が食い込んでいる。地味に痛い。
     狭間の世界に落ちて来たところまでは覚えていたけれど、そこから今までの記憶がすこんと抜けている。というよりは完全に『落ちて』しまっていたのだろう。ほとんど全身に生じていた機能障害はまだ残っているけれど、意識が途切れる直前と比べると大分回復している。ルシファーが調整してくれたのだろう。その間自分はどうやらぐっすりと眠り込んでいたようだ。
     睡眠どころか身体を休めることすらここ数千年は行ってこなかったものだから、覚醒してもどこかぼんやりとした感覚が抜けない。起きるというのはどのようにやるものだったか、思い出すにはもうしばらく時間が掛かりそうだ。そんなことをルシファーに伝えてみると、彼は実に面倒臭そうに盛大に嘆息してみせた。
     しかしそれから不機嫌な顔のまま「時間が掛かること自体に不都合はない……未だ観測段階だがこの空間に現世界と同程度の時間軸が定義されているかは不明だ。脱出方法の考察も、一渡りの観測が済んでからの実験を元に行う。それまでお前のやることなど何もない」早口にそう言い、立ち上がってベリアルから離れると何もない(ように見える)虚空を睨んで思案を始めたようだった。要はしばらくやることもないから適当に目を覚ましておけということらしい。ベリアルは半覚醒状態のままで自身のコアに神経を注ぐ。エネルギー自体は消耗していたが機能は修復が終わっている。何を置いてもベリアルの調整を優先してくれたのだと思うと――それがベリアルの望む意図とはまったく異なる理由からだとしても、嬉しくて、誇らしくて、口元がひとりでにふにゃりと弛んだ。

    「あー……何か、変なユメを見たみたい」
    「天司が夢など見るものか」
    「え、そういう機能ついてないの?」
    「実用性が無い。人体であれば記憶の整頓やホルモンバランスの調整等に必要となることもあるが」

     バッサリと切り捨てた後で、ルシファーは「しかし……」と珍しく不明瞭に続けた。

    「お前は俺の意図しない行動を取るからな……一般に言う『夢』とは異なるにしても、近しい現象が起こる可能性自体は否定せん」
    「フーン。……あれ、フフ、なんだか優しいね?」
    「死ね」
    「あ痛っ!?」

     振り返りざまのルシファーに伸ばしていた手指の先を思い切り抓られ、咄嗟に反応できず悲鳴が出た。まだ身体が思うように動かず避けようもない。それでもベリアルは笑みを堪えきれず、指先のじんじんとした痛みもまったく気にならない。

    「やれやれ。ここは何処か……出られるのはいつになるのかな」
    「知らん」
    「……フフ。今度は起こしてくれたんだ」

     訳の分からないことを呟くベリアルを見下ろして益々不可解そうに首を傾げるルシファー。ベリアルは一人頷いて、果ての見えない狭間の空間を見渡す。
     なかなかどうして、悪くない気分だった。



     end
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