ベランダのセイレーン ●
その日はとても霧深くて。
東京でここまで濃霧になるなんて珍しいことだな、と奉一はアスファルトを踏み締める。UGNの若者達に生き延びる為の術を教え、支部で諸々の用事を済ませた帰り道、ガンケースを背負い直す。
それにしても右も左も真っ白で――少し異世界じみている。
こいつは交通網にいろいろ支障が出てそうだ。徒歩で良かった。どれだけ白に閉ざされても、歩き慣れた道は、奉一にとって一つ目を閉じても迷わず歩くことができる。そろそろ自宅付近だった。
「――…… ン」
ふと、そんな時だった。声のような――歌だ。歌声が、霧の向こうから聞こえてくる。
不思議な……日本語のようで日本語ではない、聞き取れぬ歌詞の旋律は静かに朗々と……『神秘的』と『未知への忌避感』の境界線をなぞりながら……それは二度と帰れぬ場所への切ないほどの憧憬、静かな静かな寂寥を滲ませ……――この白い世界も相俟って、異界より響いているかの如く。
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