もう一回その日は ちょうどクラスの日直の日だった。
放課後までに その日あったことを書いた学級日誌を担任に届けて、ようやく日直の仕事は終了となる。
べつに、律儀に自分の用事を一緒に待つ必要なんて無いのに…。
と いつも思うけど、わざわざ口で「待つよ 」とも言わず、さり気なく待ってくれることがとても嬉しかった。
「意外と書くこと見つからねぇよな、そういうの…」
毎日何かしらあったはずなのにさ、と虎鉄は続ける。本当にそうだ。先ほどから手に持ったペン先がむなしく空を切っている。日頃から思っているけど、改めて、本当に虎鉄は人の気持ちや空気を読むのがうまいなと思った。
「……あの、Sa」
前の席の椅子に こちらを向いて座っていた虎鉄が、なんだか落ち着かない様子で、さらに身を乗り出すようにして言った。
「猪里がソレ書き終わったらさ、ゴホービ、あげるYo。」
そう言って、椅子に座っていた虎鉄が半分だけ身を立ち上がらせる。
そこでようやく、ご褒美?と脳内で漢字に変換した。
日誌から顔をあげると、すぐ目の前に虎鉄の手が見えた。前髪を手で避けて おでこに触れられた触感と、一瞬の水音が鳴る。
一瞬何が起こったか分からなくてぽかんとした。
そして自然と にやけてしまう頬を、むりに拳を握ることで堪えた。握った手のひらは あまりの焦りで一瞬で汗ばんでいる。
「こ、虎鉄・・・」
「・・・N?」
「が、がっこうで、そういうのは・・・」
「ン・・・わかった。」
虎鉄は拒否されたのに優しかった。
そのまま立ち上がって、教室の中の掲示物が貼り出されているところに行ってしまったのも、彼なりの俺を急かさないようにとする優しさだろう。
…ああ、またやってしまった。
自分が恥ずかしいからという理由を隠して、正当化して、その結果たいせつな人を傷付けている気がする。
ほんとはそんな事が言いたいわけじゃないのに。
どうしてこう いつも素直になれないんだろう。
こんな自分がどうしようもなく、嫌でしょうがない。
義務的な日誌を書く欄を、いっその事と数行で書き殴って、そのまま慌ててペンを筆箱に詰め込みカバンに投げ込んだ。
「虎鉄!」
急いで声を掛ける。振り向く彼。
「日誌、書いたけん。」
「うん。」
「…」
「…?」
「さ、さっき言いよった…」
首を少し傾けて不思議そうな顔をした虎鉄の表情が変わるまで、数秒。
その後、無事くちびるにくちびるが柔らかく埋もれた。