俺の味噌汁をこれからも毎日作ってくれ! 憂鬱な飲み会だった。
なぜこうも大学生というものは飲み会が多いのだろうか。ゼミに新歓、サークル。飲み会の口実は様々だ。
当たり障りのない程度に参加はしているが、楽しいかと言われれば答えは否だ。特に今回みたいな馬鹿が多いメンバーでの飲み会はハズレもいいところだ、と思いながら盃を煽る。
「脹相さん~、次、何飲みますぅ?」
「脹相さんは、お酒強いですね! さっきから日本酒ばっかり! すごおい」
なにが、「すごおい」だ。
こういう居酒屋はカクテルに質の悪い酒を使っている。いくらジュースなんかで割っているとはいえ、そんな風に浴びるように飲んだら二日酔いは確実だ。それだったら、日本酒やワインなんかを、ボトルで頼んだ方がよっぽどマシだろう。
「……。まだいらない」
何も返さないのも不自然だと思い、一言だけ告げれば、途端に「えーっ、ちょぉ良い声〜」という甘ったるい声が響く。どんな気持ちになればこんな気色悪い声が出るのだろうか。不快なので即刻やめて欲しかった。
俺は、飲み会というものが嫌いだ。
しかし酒を飲むことは嫌いではない。今世では赤血操術を使えないことで体内でのアルコールの分解をすることは出来なくなったが、酒には強い体質みたいだ。酒を飲むと気分は高揚するし、誰かと飲めば普段聞けないような話が聞けたりする。酒は人生の潤滑剤だとすら思っている。俺が嫌いなのは、酒に酔っていれば何をしても許されるだろうと思っている勘違いした呪霊以下のクズだ。
「あーっ、そうだ! 脹相さんって、彼女さんとか……、いるんですかぁ?」
「…………」
「うわぁ、誰も聞けなかったのに! 直球ぅ!」
隣に座った女がそう聞いてくる。上目づかい……、というやつなのだろう。だが俺の角度から見ると、まつげに乗ったマスカラばかりが目立ってしまう。ひじきが乗っているようだ。お世辞にも綺麗とは思えなかった。
「…………」
「え〜っ、なにその反応!」
「ごまかさないでくださいよぉ〜?」
相手をするのも面倒で、日本酒をそのままグイと煽る。はっきり否定しても良いが、それだと面倒になりそうだ。
ちらり、と周りを見回すと、さっきまで他の話題で盛り上がっていたやつらまで、聞き耳を立てていることが分かった。自分のそういう話題が、一部で噂となってやり取りされているらしいことは知っている。家庭的な彼女がいるだとか、付き合っているのは他大学のミスコン出身のOLだとか、果ては人妻や未亡人というのもあった。どうやったらそんなに脚色できるんだといっそのこと感心してしまう。
手の中のお猪口をあおりながらそんなことを考えていると、横で騒いでいた連中も、俺が口を割らなそうだと諦めたらしい。すぐさま次の手を打ってきた。
「じゃあ、彼女はいないとしてー、脹相さんの好みは?」
「あっいいね、脹相さんの好みのタイプ、知りたいなー」
脹相さんって理想高そうだよね。まず顔とか?脹相さんにつりあう顔ってなかなかいなさそう!たしかにー。あとは年上の人が似合いそう。えー、年下じゃない?絶対包容力がある年上だって。それはあんたが年上だからでしょー。スポーツができる人とか?ああ、それは分かるかも!一緒にテニスとか。いいねー!あとは……。
「……料理が得意な人」
「え?」
「俺が好きなのは、料理が得意な人だ。俺の好きな物や苦手な物をちゃんと知っていてくれる人。でも好きな物だけではなく、苦手な物でも食べなきゃだめだと出してくる」
「え、」
「本当にダメなものは、細かくして分からないようにしてくれたりもする。知らない間に食べて、よく食べたと褒めてくれる」
「…………」
「それから、俺が飽きないようにいろいろな料理を作ってくれる。例えば味噌汁ならば、豆腐にわかめに油揚げに、大根とかかぼちゃ。じゃがいもやネギ、お麩に油揚げ……。とにかくその日によって具材に変えてくれる」
「…………」
「朝早くに起きて、だしもちゃんととってくれる。にぼしに昆布、鰹節にあごだし。具材によって出汁を変えてくれていて、だがそれを全然苦にしてないようで『楽しいよ』と言ってくれるんだ。共に過ごした日の翌朝は味噌汁のにおいで起きる。そういうことができるのが、俺の理想の人だ」
言い切ったあと、しばらくは誰もが口をつぐんだ。アルコールとたばこの香りで満たされたこの空間の中で、妙にすっきりとした気持ちになった。ようやく面倒な絡まれ方がなくなったな。さて、トドメを刺すか。
「今日みたいな飲み会の日には、次の日の朝にしじみの味噌汁を作ってくれる。『これが効くんだ』って言ってな。おかげで二日酔いもなく、その日もその人が作った夜ご飯をおいしく食べられる」
「…………」
「夕飯前になるといつも『夜ご飯、何がいい?』って聞いてくるが、なんでもいいといつも答える。その人が作るのはなんでも美味しいからそう答えるんだが、『それが一番困る』と言ってウンウン唸りながら考えるんだ。あーでもないこーでもないと言いながら、買い出しに行ってくれて、旬のものや最近食べてなかったものを、絶妙なタイミングで出してくれる」
「…………」
「タイミングに関して言えば、俺のことをよく分かってくれていて、具合悪いというときには黙っていてもあたたかいうどんや、消化に良いものを作ってくれる。最高だ。そういう人が理想で好みで、好きだ」
「…………」
もはや、さっきまでうっとうしかった連中は完全に勢いを失って、ぽかんと口を開けていた。するりと、テーブルの下で膝に置かれていた女の手も、居心地悪そうに引いていく。
なぁ、そう思うだろう?と隣りの女に話しかけると、複雑そうな笑みを返された。マスカラが影を作って、すごく顔色が悪く見えていた。悪酔いだろうか?ははは。
「…それって彼女さんの話……ですか?」
この空気の中でその話題を切り出せるとはなかなか見込みのある女だ。二度と会う気はないが、名前だけは覚えて行ってやろうと思う。すぐに忘れるだろうが。
「……想像に任せる。それから、俺はそろそろおいとまさせてもらう」
「えっ!」
「このあと約束があってな。もともと長居をするつもりはなかった。……話が盛り上がってつい長居をしてしまったがな」
素早く鞄をもち、席を立つ。
出る前に財布から万札を引っ張り出して、見込がある女に渡した。会計係に渡しておいてくれ、と頼むと「わ、わかりました……」と引き攣る口元で答えられる。
まぁ、あとは頑張ってくれ。
その場で俺を見つめている視線に僅かに微笑み返すと、「それじゃあ」と軽い挨拶で飲み屋を出ていく。
――飲み会も悪くない。最高の気分だ。
◇
「おい!! マジでふざけるなよ!?」
「落ち着け、悠仁」
「あんなところで、あんなっ、あんな風に言う!?」
「普通は言わないな。すまない、酔っていたんだろう」
「嘘つくな!! お前、あの程度じゃ酔わないだろ
!?」
「まさか悠仁に聞こえているとは思わなかったんだ、すまない」
「聞こえねぇわけないだろ!? おんなじテーブルだったじゃん!?」
後から店を出てきた悠仁と駅で合流する。
もともと少し時間をずらして出よう、そして一緒に帰ろうと話はしていたものの、俺の立ち去り方がひどかったためにその後、出てくるのに時間がかかったらしい。悠仁と落ち合うことができたのは俺が店を出てから一時間以上たってからだった。
『お前ふざけんなよ。絶対に先帰るなよ』という命令形のメールが来たときから分かってはいたものの、悠仁は烈火のごとく怒っていた。まああんなに盛大に、それでもって赤裸々に自分のことを語られてはそうなるだろう。
そう、さっきの話は全て悠仁のことだ。料理が得意な、俺の恋人。付き合ってもうしばらく経つが、男同士ということで恋人同士ということを伏せていた。大っぴらにできればいいんだろうが、気持ちだけで渡れるほど、世間は甘くはない。だからあんなにまわりくどく惚気をするのだが。
「お前と同じ飲み会なんてほとんど顔出さないけど、他の飲み会でもこういうこと言ってるのかよ!?」
「まぁそんなものだな。酒の勢いで絡んでくる女はああやるとひいていくから、一番簡単だ。今日のメンバーでは話したことがなかったから、せっかくだしと話してみた」
「信じらんねぇ……っ!! お前が彼女持ちだっていろんな噂ひろまってるの、ぜってぇそれのせいじゃん!?」
そういえば、と話題を変えようとすると、きっ、と鋭い目でこちらを睨んできた。琥珀色の目はなんとも迫力がある。だがしかし耳が赤くなっており、その効果も半減だ。今日も俺の悠仁が可愛い。
「明日の朝の味噌汁は、しじみがいい。買って帰ろう」
「言われなくってもしじみはもう買ってあるんだよ!! いま家の冷蔵庫で砂抜き中! あーーもーー!! どうして買っておいたんだよ、過去の俺!!」
「愛の力だな」
「うわーー!!俺の馬鹿!!」
「……悠仁、まさか酔っているか?」
「悪い!? 俺だって酔いたいときぐらいあるんだけど!? 爆弾発言残していくどっかの誰かさんのせいでさァ!!」
どうやら俺が一足先に店を出た後、悠仁は残った酒を一気に煽ってきたらしい。よく見ると目が据わっている。こんなに酔うなんて悠仁としては珍しい。
「………す、すまなかった」
「思っていないくせに謝るな」
「本心だ。そんなにやけ酒をさせるつもりじゃなかった」
「……本当にそう思ってんの?」
「思っている。……お詫びに、明日の朝は寝ていてくれ。朝は俺が作ろう」
「それは、」
そこで、くるりと悠仁は振り返った。繁華街も遠ざかり、住宅地の中にある小さな公園に背を向けたその体を、頼りない街灯が照らしていた。ぼんやりとした灯りを受けて、昼間は色鮮やかに輝く桜色の髪も、今は優しく闇に溶けている。
想い人は真っ直ぐに俺と対峙し、不貞腐れたように尖った唇を緩めると、ふと、笑った。
「それは、だめ。俺が作んの。……そんな俺が好きなんだろ」
「悠仁……」
「なぁ、脹相。俺さ、自分が作った料理をすげー美味しそうに食べてくれるお前が好きなんだよ。俺に気を遣わないで『これは少し味が濃いな』って遠慮なく言ってくれることが嬉しいの。言われるたびにお前の好みの味に近づくことができるんだもん」
「……」
「前世ではさ、食べ物に頓着してなかったじゃん? 俺に合わせて食べていただけで、好きなものとか全然なくってさ。それが前はかなり寂しかった。だからこうやってお前に料理つくって、一緒に好きなものを探していけるのが嬉しいんだ」
「……ゆ、うじ」
「知ってる? お前さ、本当に気に入った料理を食べるとき、無言になるんだよ。何にも話さずに、ただただ食べることに集中しているんだろうな。それで本当に幸せそうな顔をして『ごちそうさま』って言ってくれる」
「…………悠仁」
悠仁はこちらを見てふふふっと笑った。ほろ酔いの顔は楽しそうにニコニコ笑っている。ああ、これは本当に酔っているな。こんな風に素直に思いの丈をスラスラ喋れるような子じゃない。いつもだったら羞恥心から口にしてくれないような言葉が、今は息を吸うようにどんどんと口から出てくる。
「味噌汁だってさ、自分一人だったら作らねぇよ? 一人だったら、インスタントでも十分だろ。けどさ、脹相が『うまいな』って言ってくれるから、残さず全部食べてくれるから作るわけ。毎朝今日はかつおだしにしようかなあとか、仙台味噌を買ってみようかなあとか、そういうこと考えんの。脹相が起きてきたときに、『いいにおいだな』って言って笑う顔が好きなんだよ。だから早起きだって苦にならない。豆腐だってわかめだって、油揚げだって、いろんな切り方があるけれど、脹相はこんくらいがいいのかなって、いつも考えてる。そういう時間が好きなんだよ」
琥珀色の瞳からキラキラと星屑がこぼれ落ちるような笑い方だった。悠仁は俺が食事を楽しむことが今世での喜びだと語ってくれたが、俺の場合はこの笑顔だ。
あの頃どれだけ笑っていても心の奥底で切なそうだった笑みが、今世では一点の曇りもない星空のように輝いている。
「…だから、明日も俺が作る。お前のために」
「悠仁」
「ん?」
「……明日の夜は、キャベツと油揚げの味噌汁がいい」
「ははっ、わかったよ」
「俺の味噌汁をこれからも毎日作ってくれ」
「ふはっ!プロポーズにしちゃ、古いだろ!」
【終】