俺も、お前も、まだ知らない『――とのことです。続いて次のニュースです。アシストロイドを汚染するAウイルスの感染体が一万を超えました。専門家からはすべてのアシストロイドが感染するとの見解もあり、今後も感染は広まる恐れがあります。また政府からは感染体を目にした方にメンタルケアを強く促す方針が発表されました。皆さんくれぐれもお持ちのアシストロイドの管理にご注意ください。続いて――』
「嫌になるニュースだな」
水色髪の同僚がうんざりするように言った。最近まで自分は知り得なかったが、どうやら彼はアシストロイドであるらしい。しばらく一緒に働いていてそれに気づかないほど、彼の所作や感情は人間そのものだった。
「ネロも気をつけろよ。はっきりは分かってないみたいだが、常にオンラインだと感染するリスクが高まるらしいぞ。それにアシストロイド同士の感染もあるとか」
「はいはい分かってますよ。必要な時以外はちゃんとオフラインにしてる。ブ……署長にも言われたからな。でも今どきオフラインの個体なんて化石と一緒だぜ。なんにもできやしねぇ」
「それくらい心配なんだよ。オフでもできる仕事はあるだろ。俺なんて常にオフラインだ」
「ははは。そりゃそうだな」
最悪の場合を想像するとどうしても気が焦る。これ以上感染が広まらないといいが。
……オーエンにも気をつけるよう言っとかないとな。
「今日のパトロールは終了っと。カイン、飯食べて行くか? 作ってやるよ」
「悪いネロ。ちょっと寄るとこがあるんだ」
「おーほどほどにな」
「ほどほどに?」
「なんでもない。行ってこいよ」
「悪い。ありがとな」
ネロと別れすかさずオーエンに電話をかける。連絡がつくときとつかないときがあるから、コールに期待はしてない。それに今は通信機能を切ってる可能性もある。地道に探すしかない。幸い、まだしばらく街にいると言っていたから、どこかにいるだろう。
心当たりのあるところをバイクで回っていたら、見慣れたカバンを持った人物が目に入る。どうやら今日は広場にいたみたいだ。
「ここにいたかオーエン」
「カイン」
「ん? 後ろにいるのは誰だ?」
オーエンの後ろに子どもらしき人影が見える。怖がっているのか、なかなか前に出ようとしないがオーエンのニ本の足に隠れきれてない。
「この子、うちが分からないんだって」
「なんだ迷子か? 俺が家を探してやる」
「それはもうやった」
「お前、そんなこともできるのか?」
「違うよ。この子アシストロイドだから、製造番号を……」
「なに? そんな報告は上がってないが……。おかしいな。スキャナーにも引っかからないなんて。ちょっとこっちに来てくれるか」
オーエンの足を離れ、ゆっくりと子どもが姿を現した。見た目は十歳ぐらいの男の子で、どれぐらい彷徨っていたのか服がかなり汚れている。
人間にしか見えなかったが、たしかにアシストロイドにしかないうなじのインターフェースポートが見えた。
「名前は言えるか? なにか覚えていることは?」
「……」
「わからないのか……。オーエンに製造番号を調べてもらったんだよな? 心配しなくていいぞ。俺がすぐに家に帰してやるからな」
「カイン、それなんだけど製造番号の情報がどこにもないんだ。それどころかIDもラボ名もなにもわからないしセキュリティシグナルだってついてない」
「そうなのか? セキュリティシグナル自体がないなんて完全に違法じゃないか……。厄介だな。こうなると聞き込みをするしかないかもなぁ。とりあえず署に連絡して情報を上げてもらうよ」
「わかった。ところで僕に用事があったんじゃないの?」
「ああ、Aウイルスのことはお前も知ってるだろ? あれに気をつけるように、可能ならオフラインにしといた方がいいって言いに来たんだが」
「わざわざ探さなくてもメッセンジャーを飛ばせばよかったんじゃないの?」
「……それもそうだな。気が急いてたみたいだ。今度からはそうするよ」
そうか。メッセンジャーなら特定の相手を探して届けてくれると聞いたことがある。もともと急用で連絡がつかない人へのサービスらしいし。
「まあ僕は会えてよかったけど」
「ああ、迷子を見つけてくれてありがとうな。さっき位置情報を送ったからすぐに誰か来てくれるさ」
『ピピピッピピピッ』
「噂をすればだ。って署長か?」
『カインか。今映像を確認したが、すぐにその場を離れろ』
「なんだっていうんだ? たしかにおかしな個体だが放って置くわけにも……」
『いいか、よく聞け。まだ報道はされていないがAウイルスが人為的にばら撒かれたものだと分かった。ウイルスっていってもコンピュータウイルス自体が自然発生したわけねぇから人の手が加えられてることは明らかなんだが……。だーっくそこんな説明をしてる暇はねぇ。ともかく自作のアシストロイドがばら撒いてんだよ。そこにいるやつがそうかもしれねぇんだ。オーエン連れて逃げろ』
「わかった! だが、人間は感染しないんだろ? この個体を保護する」
『くそ言うこと聞けよ! ばら撒いてる元の奴はとっくに内部が暴走してて……』
「カイン!」
「なんだ? ⁈」
オーエンの方を振り向くと、子どものアシストロイドが両眼から血を流していた。血、のように見える何かなんだろうが赤々としたそれはドクドクと脈打つように溢れ出ている。
「離れろ、オーエン!」
オーエンはすぐに子どもから距離をとる。血はまだ流れ出ていて、両眼が落ちそうなほど腫れてふくれ上がっているように見える。本能的にまずいと感じたが、遅かった。
充血した両眼がポトン、と音を立てて地面に落ちた。あらわになった孔からは得体の知れない液体が飛び散り、辺りを赤黒く染めている。
子どもは二つのどす黒い孔をこちらに覗かせながら、立ったまま動かなくなった。
「オーエン! 大丈夫か⁈」
「大丈……」
「どうした⁈」
「あんな……気味の悪い姿になるなんて」
「見るな。何か身体に不調はないか? すぐにメンテナンスに行こう」
「もう遅いよ。さっき製造番号調べるとき、接続してる」
「大丈夫だ。まだ間に合う。それにウイルスが入ってない可能性もある」
なかば自分に言い聞かせるようにしながら、オーエンをエアバイクの方に促す。しかしオーエンは乗ろうとしない。まるで自分の運命を知っているかのようにただ待っていた。
「カイン、行って」
「なに言ってるんだ。お前も行くんだ」
「だめだよ。僕は行けない。あれ見て」
オーエンが指を差した方には先程の子どもの姿はなく代わりに鉄の塊のようなものがあった。チキチキと音を発し形を変えていくそれは、およそ街中にあるはずのない兵器の姿になっていた。
「なんだあれは?」
「爆弾……発射台つきの。ほら行って、僕もああなる」
「何を言って……」
瞬間、言葉が出なかった。オーエンの左眼から血が流れた。泣いているようにも見えたそれは止まることなくオーエンの頬に赤い道を残していく。
「早く行けよ!」
「だめだ、お前を置いて行けない!」
「馬鹿なの? 僕も目玉が抜け落ちて、ああなる。あんな姿になりたくないけど……」
「ならない! 眼がなくなったら、俺の眼をやる。だから怖がるな。一緒に行こう」
「っっっ!」
「オーエン!」
突然、オーエンの紋章が光り出す。カルディアシステムという名の〝心〟を持つ者に与えられたユリの紋章。心の境界線はあやふやだが、少なくともこのユリの紋章を与えられた者たちは自ら考え選択し、自分の気持ちや感情をそのまま自分で受け取ることができる。
ボディ全体が光に包まれたオーエンに苦しむ様子はなく、いつの間にか眼からの出血も止まっていた。
「大丈夫か⁈」
「わからない。わからないけど……なんだか不思議な気持ち。これはなに?」
「これって…… 何が起こったんだ? 紋章が光っていたのは見えたが、また感情が昂ったのか?」
「さあ…… でも、もうなんともないよ。ウイルスも」
「本当か⁈」
「カイン! 無事だったか!」
いきなり聞こえた怒鳴り声に驚きつつも振り返ると見たこともないくらい険しい表情をしたうちのボスが駆け寄ってきた。
「署長!」
「遠くから光が見えたが、あれはなんだったんだ? まあ無事ならよかった。そちらさんも無事みたいだな」
「まあね」
オーエンが気分良さげに答える。
「ねぇ、でもあれをなんとかしないと」
「ああ、わかってる。応援に来たから安心しろ。おい!」
ベイン署長が呼ぶと、待機していた重武装の署員たちが一斉に兵器を取り囲む。今のところ対象に攻撃の意思は見られないが、いつ爆弾を打ってきてもおかしくない。
「とにかく、ここは俺に任せてお前たちは避難してろ」
「イエス、ボス。ほら、行くぞオーエン」
「うん」
「精密検査も、なんともなくてよかったな、オーエン」
「うん」
「しかし、どうして紋章が光ったんだろうな? あんなに光ったのは見たことないぞ」
「……パパに聞いた。僕は、まだ僕の気持ちを分かってないだろうから分かるまでパパは答えを言わないって」
「なんだそれ。まあガルシア博士がそう言うならオーエンは大丈夫なんだな。安心した」
「ねぇ、カイン」
「なんだ?」
「CBSCが食べたい」
「またか? 食べすぎじゃないか? さっき二つも食べただろう」
「……もう一つ食べたい。僕はここから出られないんだ。可哀想だと思わない?」
「だめだ。そんなに食べたら顔がCBSC色になるぞ」
「ならないよ」
事件からだいぶ経つ。あの事件は署長の活躍でとくに被害もなく片がついた。らしい。俺はあれ以来現場に出向けず、検査のために入院した病院で報告を聞いた。兵器を壊さず凍結させ、ラボで解析を進めているらしいが一体誰があんなものを作ったのかはまだ分かっていない。
オーエンが見せたあの光はなんだったんだろうか。目撃者が多数いるようで、オーエンは事件との関わりを疑われ仕方なくいまだアシストロイド専用のメンテナンスホスピタルで保護されている。自分たちの街が脅かされたのだから無理はない。しばらくオーエンの監視という名の護衛任務からは外れられないだろう。
「ねぇ、食べたい」
「……一つだけだからな」
「やった」
こんなこともあろうかと、買い置きしておいたCBSCを病室の冷凍庫から持ってくる。
放っておいたら病院を抜け出すかもしれないオーエンを大人しくさせるために、仕方なくだ。誰に言い訳をしているのか自分でもわからないが、持ち帰り用のパッケージから出してやってオーエンに渡す。
「ほら」
「ふふ、カインは優しいね」
そう言って、満面の笑みでCBSCを頬張るオーエンの姿を見て、胸が痛んだ。
「……もう、危ない目には遭わせない」
「?」
「俺が、お前を守るから」
この先ずっと一緒にはいられないとしても、俺の側にいる間はオーエンを守ってやりたい。この感情が何なのかは分からないけれど、大事にしたいと思う。甘いものが大好きで、自分に素直な無垢で愛おしいこの存在を。
ふと、オーエンを見やると、食べる手を止めてこちらをじっと見ていることに気づく。笑みがこぼれないようにしているような、唇を引き結んだおかしな表情だ。それに頬は……。
「やっぱり、CBSC食べすぎたんじゃないか?」
なんのことか分かってない様子のオーエンに鏡を見せてやる。
「……嘘でしょ」
オーエンの頬は、あの大きな桜の木のような、薄紅色に染まっていた。
*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*
後日談
ガルシア博士のはかりごと
「結果的にカルディアシステムがAウイルスに有効だってことが証明されたわけじゃない?」
誰に話すでもなく、白衣を着た男は飄々とした口調で続ける。
「議会にカルディアシステムの是非を問うて、そりゃあ賛否両論あるよね。それは分かってた。早速、導入ってわけにもいかない。カルディアシステムの必要性を証明しないとね。今回はウイルスに対して有効なプログラムってことを実証できただけで上出来かな」
男は、にやりと口角を上げてなおも続ける。
「次はもっと大きな舞台を用意するよ。アシストロイドに心は必要だってみんなが分かるような、ね」
一人で話しているように見えた男の手元にはモニターが見えた。画面には髪の長い男の姿が映っている。
「これは、彼らを守るためでもあるんだよ、オズ」