媚薬依存体質 act.2目が覚めた時には、職員室のソファーの上。
瞼をあけたその数センチ先に、宝石のような青い目があって、心臓が大きく跳ねあがった。
額に、頬に、白い髪がサラりとあたる。
「三日と持たなかったね」
低く、澄んだ、落ち着いた声。
「五条、先生…?」
掠れた声で名を呼ぶと、その開いた唇を、五条先生の唇が覆った。
トロトロと、俺の中に流し込まれる液体。
ああ…そうか、俺…。
ボヤける頭で思い出す。
昼休み、教室で。伏黒と釘崎と一緒に昼飯を食っていた。
今朝、寮のキッチンで、自分で作った弁当。
卵焼きを食べようとした瞬間から、記憶が無い。
きっとまた、呪力切れでぶっ倒れたのだ。
五条先生から呪力をもらって、丸二日が経っていた。
口の中に流し込まれた液体…先生の唾液を、コクンと喉を上下して飲み下す。
ブワワッと、腹の内側から、身体中を血が駆け巡る。
「んっ……」
更に、先生の舌が入ってくる。口の中を押し開かれ、舌の上に舌を乗っけられ、より深く、口内が繋がる。
トロトロ、トロトロ…
流し込まれるたび、コク、コクンと音を立てて飲み込んだ。
甘…い…?
駆け巡る血に、頭がクラりとする。唇、頬、耳、喉、そして胸元。先生と触れている部分を中心に、体がカァァッと熱くなる。
それは時間にして十数秒程。
けれど、俺の中では、三十分のように感じた。
「っ、プハッ…」
唇が離れた瞬間に、盛大に息を吸う俺。
先生は、「ふぅ…」と小さく息をつき、指先で自分の唇をグイッと拭った。
「どう?」
問われ、一瞬キョトンとするが、体調の事を聞かれているのだと直ぐに気付く。
「あ、ああ、良くなってきた。ありがと、先生」
言いながら、ソファーの上で上体を起こす。
飲み下せなかった分の唾液が零れそうになり、俺も袖で口元をグイッと拭った。
あ、先生の目の前で拭ったら失礼だったかな?
行動した後にそんな事に気付き、『しまった』と思う。
先生は特に気にしていない様子で、俺の顔をマジマジと見てきた。
「今回もまた、見事にスッカラカンになってたけど…何か前兆は無かったの?」
先生にそう問われて、ハタと考える。
呪力切れの前兆?
今朝からの行動を思い起こすが、コレといったものは思い当たらない。
今回だって、昼飯を食べていたはずなのに、気付けば職員室のソファーに横たえられていたし。
「うーん…。強いていえば…、今朝は少し頭痛がしたような…。あー…自販機で屈んだ時に軽く目眩がしたかも…?」
けれど、それらは、本当に強いて言えば…であって、気のせいだと思って無視していた。
アレが前兆だったのだろうか?
俺の曖昧な答えに、先生は困った様にため息をつく。
「困ったね。僕の目から見ても、悠仁の呪力の揺らぎはハッキリ見えないんだよね。何かキッカケがあって、急激に呪力が消費されるのか…」
良く分からない俺の状態に、五条先生は考え込むように腕を組む。
もちろん、俺の頭では、考えても分からないので、何となくジッと先生の様子を見ていると、先生は何か結論を出したように「ヨシ」と言った。
「とりあえず、今のところ唾液で二日は持つみたいだから、悠仁は毎朝、授業開始前に僕の所に来なよ」
「え?」
「職員室は学長とか他の教員も使うしなぁー…。仕方ない。使ってない用務員室があるから、そこ集合にしようか」
先生の提案に、「っ…」と言葉を飲んだ。
毎朝?五条先生と…こんな事をするのか?しかも、授業開始前の…伏黒と釘崎と「おはよー」の挨拶をする前に、先生に唾液を口移しで貰うために、用務員室に通う?
そんなの…
直ぐに「うん」と言わない俺に、先生が訝しげな顔をする。
「悠仁?」
先生は朝の忙しい時に、貴重な時間が潰れるっていうのに、俺の為に提案してくれている。
勿論、俺が拒めるはずがなかった。
恥ずかしいから…毎朝なんて心臓が持たない…
そんな理由で、断ることなんて出来ない。ぶっ倒れないようにするには、毎日呪力を貰った方が確実だ。
「わかった…」
俯いて、小さくコクンと頷く俺に、先生は何か言いかけたけど、結局何も言わず、ポンッと頭に手が置かれる。
大きく優しい手。
「毎回倒れられて呼び出されるのは心臓に悪いからさ。意識ない時に宿儺が出てこないかも心配だし」
先生の言うことは至極最もだ。
もしも、倒れたせいで宿儺に体を乗っ取られでもしたら、それがもしも先生がいないタイミングだったりしたら、迷惑をかけるどころの話では済まない。
「…ありがとう、先生。ごめんな、迷惑かけて…」
項垂れる俺。先生の手が優しく俺の頭を撫でる。
「言っただろ。悠仁が悪いわけじゃない。それに」
言葉を区切り、先生が長いまつ毛に縁取られた瞼を細めながら、俺の心臓の辺りをジーッと見る。
「きっと呪力切れ問題で苦労するのは、もう少しの辛抱だと思うんだよね。今、悠仁の体は宿儺を取り込んだ事で徐々に作り替えられていってる。それがある程度完成すれば、じきに治まると思うんだけど…」
「ホント!?これ、ちゃんと治んの?」
先生の推測に、俺は救われた気がして、期待に満ちて問い返した。
いくら何でも、死ぬまでコレが続くとは思っていなかったけれど、先行きが見えなすぎる状態はしんどい。
五条先生がじきに治るというのなら、きっとそうなのだろう、と、俺は少し安堵した。
「まぁ、それが何時になるかは、僕にも分からないんだけどね。今は注意深く様子を見るしかないね」
含みをを持たせる言い方だか、先生だって断言出来ないのだろう。それだけ、俺の今の状態が、不安定だということ。
「じゃあ、それまで…ゴメンけど先生、よろしくおなしゃす!」
俺は両手をパンッと鳴らして拝むようなポーズをし、頭をペコりと下げた。
少し元気を取り戻した俺を見て、先生はククっと小さく笑う。
「やっと元気になったね。悠仁がしおらしいと調子が狂う。じゃ、気を取り直して、もう一回…」
先生がそう言いかけて、俺の顎に手を伸ばした時、職員室のドアがガラガラッと音を立てた。
「失礼します。」
伏黒の声。
突然の事に、体が浮き上がる程ビクリと驚く。
慌てて振り返ると、伏黒と釘崎がドアの向こうに立っていた。
スッと静かに引かれる先生の手。
「やっと見つけた!アンタ虎杖を何処に連れていくかくらい、言ってから飛びなさいよね!」
文句を言いながら、ドカドカと職員室に入ってくる釘崎。その手には、俺の弁当を入れていた袋が握られている。
その後ろをついて、伏黒も部屋に入ってくる。
「大丈夫か?虎杖」
心配を含んだ声を聞き、俺は自分と先生の近すぎる距離を誤魔化す為、急いでソファーから立ち上がった。
「お、おう!もうヘーキ!ありがとな、二人とも」
「……。」
俺の様子を見て、先生もソファーに膝をついた体勢から立ち上がる。
「マジでビビったわ!虎杖は弁当食べてる時に急にぶっ倒れるし、そうかと思ったら次の瞬間には先生がイキナリ瞬間移動してきて、虎杖抱えて飛んでいくし。思わずアンタの弁当箱引っ掴んで追いかけてきちゃったじゃない」
フンフンと鼻息荒く愚痴をまくし立てる釘崎。それだけ心配してくれたのだろう。伏黒も同じように少し不機嫌そうだ。
釘崎の剣幕に押されて、「ゴ、ゴメン」と謝る俺。
不機嫌さは収まらないが、二人は俺のピンピンした様子を見て、幾分か安心してくれたようだった。
釘崎の話を聞く分には、二人が先生を呼んでくれた訳じゃないのか。
不思議に思っていると、先生は察したのか、「学校内であれば、どんな小さな呪力の揺らぎでも、僕には直ぐ分かるからね」と説明してくれた。
どうやら、俺の呪力切れを察知し、すぐさま飛んできてくれたみたいだ。
相変わらず規格外の最強っぷりに驚く。
そして、先生はいつの間にか、いつものアイマスクをつけている。
「お前、五条先生から呪力貰ってるんだってな。ここに来る前に医務室に行ったんだが、家入さんから聞いたよ」
イソイソと二人に近づくと、伏黒がそう言ってきた。
「あ、うん。まぁ…そんな感じ」
ギクリとし、小さく返事をする俺。
「やり方教えておけよ。俺達もヤバい時には分けあえるようにしておくべきだ」
「そーよ!イキナリぶっ倒れられるとビックリするのよ!呪力わけるって具体的にはどーするわけ?」
二人の申し出に、サァッと血の気が引いた。
具体的に…どうって…。
そんなの、言えるわけがなかった。
勿論、二人は良かれと思って申し出てくれている。実際、目の前で二人のうちどちらかがぶっ倒れたとしても、俺だって同じ事を言うだろう。
それは分かっている。
けれど、言えるわけがなかった。
俺がどうやって呪力を貰っているかなんて。
「ぁ…」
助けを求めるように、俺は五条先生の方を見た。
先生は何も言わない。
特に口出す素振りも見せない。
先生なら、何か上手いこと誤魔化してくれるかも。そう思ったのに、先生は助け舟を出してくれることもなく、…少しの沈黙が流れた。
「…ダメなんだ」
やっとの事で、俺は口を開いた。
「?」
「何が?」
二人が怪訝な顔をする。
「その…大量の呪力貰わないとダメなんだ。フツーの呪術師じゃ無理なくらい…。い、家入さんもそう言ってたし。五条先生じゃないと…」
嘘は、言っていないと思う。
家入さんが、手を握って呪力をくれた時、疲れた顔をしていた。きっと大量の呪力を消費してくれたのだろう。だから、反転術式で自己回復できる先生が適任だと言っていたし。
しどろもどろにそう答えると、伏黒が先生を見た。
「…だとしても、先生一人に任せっきりってのは、負担かかるだろ」
表面は、先生を気遣うようなセリフだったが、その声は、自分たちが何も相談されていないことを、少し怒っているかのような口ぶりだった。
伏黒の言葉に、先生はクククッと笑った。
「おいおい、恵。僕を誰だと思ってるの」
先生のいつも通りの自信たっぷりの口ぶりに、口を噤む二人。現代最強のその言葉は、二人に出る幕はないと言っているようなものだ。
二人の反応を見て、俺は密かにホッと胸をなでおろした。
「まぁ、悠仁の事は僕に任せてよ。もう倒れたりしないように、明日からは毎日呪力をわける手筈にもなってるし。ね、悠仁?」
先生から投げかけられた視線に、コクコクと頷く俺。
伏黒と釘崎は顔を見合せ、渋々といった感じで納得したようだった。
「虎杖。俺たちで出来ることがあれば、遠慮せずに言えよ」
伏黒の気遣いに、俺は「あ、ああ、サンキュー!」と答えながら、内心では後ろめたさのようなものを感じていた。
心配してくれる二人を裏切っているかのような後ろめたさ。
呪力を貰う為とはいえ、先生と…
恥ずかしくて二人に言えない事をしているからだろうか?
沸き起こる不思議な感情に、自分で整理がつかない。
それに…少しだけ背徳的な…昂りのようなものを感じるのは何故なのか。
俺はモヤモヤとする気持ちを必死で悟られないようにしながら、教室に戻るため、食い下がりそうな二人の背中を押しつつ、職員室を後にした。
その様子を、先生は肩を竦めて、なんだか面白そうに笑いながら見送っていた。
※※※
「……んっ……は……ぁっ……」
漏れる声と上がる息を、先生に気づかれないように、必死に噛み殺す。
先生は気を止める素振りもなく、舌を差し込んでくる。
あれから、毎日、毎朝、呪力の供給をうけている。
最初の数日間は、使われていない用務員室の畳の上で。
その後すぐ、俺は、宿儺によって一度殺され…それからは、匿われた地下室のソファーで。
俺がソファーの座面に体を預けて横になり、先生がその上に覆い被さるように乗って、口を付ける。
それがお決まりの体勢になっていた。
毎朝、毎朝。
俺は先生の唾液を飲む。
「……っ…ふ…ん」
先生の唇がフッと離れ、たまらず、息が漏れる。
先生には鼻で呼吸しろと言われたが、未だに、上手く呼吸が出来ない。
なので俺の様子を見つつ、先生はたまに唇を離して、呼吸する時間をくれていた。
それ以外は、ずっと唇を付けたまま…。
といっても、時間にすれば五分たらずなのだが。
俺にとって毎朝の日課となったコレは、三十分…いや、1時間にも感じられる時間だった。
十数秒、ハァ、ハァと上擦った息をし、少し落ち着いた所で、先生の唇がまた降ってくる。
「んっ…ん…」
先生は優しい。
毎朝授業の前に地下室に寄ってくれる事も、こうやって俺の息するタイミングを伺ってくれる事も、そっと合わせられる唇も。
だからこそ勘違いしてしまいそうになる。
なんでこんな事をしているのか、なんで優しいのか。目的や理由を忘れそうになってしまう。
その度に俺は、目をギュッと瞑って、下半身に集中しそうになる血の流れを必死で誤魔化す。
トロトロ…トロトロ…
再び口の中に流れてくる液体。
先生の唾液も、日に日に強く甘く感じるようになっていた。
それはカクテルのような甘やかさと、ブランデーのような濃厚さ。
そして、目眩がするほどの呪力の渦が体に流れ込んでくる感覚は、まるで強いアルコールの様だった。
「っ…せん、せ…」
俺の目は俺の意志とは関係なくトロンと蕩け、俺の声は恥ずかしい程に掠れる。
ああ、嫌だ。こんな顔、こんな声。
先生に見られたくない。
先生に気づかれたくない。
「ん、んっ…んっ…んー…」
俺の膝がガクガクと震え出したところで、先生は唇を離し、フーッと息をついた。
「ふー…今日はこんなとこかな。喉乾いちゃった」
言って、先生は部屋の隅にある冷蔵庫の方へと立ち上がった。
俺は、ハァ、ハァと大きく息をつき、グイッと口元を拭う。
酸欠と、熱気で赤くなった頬も、誤魔化すようにグイグイこする。
あぁ、今日もやっと終わった。乗り切れた。
ミネラルウォーターのペットボトルのキャップがカチカチッと開かれる音。そして500mlの半分が、一気に飲み干される。
先生が、ペットボトル片手にソファーに戻って来て、何も言わずに、ほいっとそれを渡してきた。
俺は、ボーッとしたまま反射でソレを受け取り、ハッとして「ありがと」と礼を言う。
幾分か、慣れてきたとは言え、呪力を貰ったあとの二人きりのこの空間はなんとも気まずい。
先生はそんな素振りは見せないけれど、俺は恥ずかしくて、居心地が悪くて、たまらない。
そして下半身のむず痒さに、しばらく身動きも取れない。
これだけは、先生に気付かれないようにしなければ…。
「そうだ、今日は悠仁にコレを渡しとこうと思ったんだよね」
先生がソファーの隣に腰を下ろしつつ、ポケットから小瓶を取り出した。
薬瓶のような…片手に収まる小さな蓋付きの瓶。
中身は、空だ。
「……?」
何だろう?
不思議に思いつつソレを見ていると、先生は小瓶の蓋を取り外し、ソファーの目の前のローテーブルに、小瓶本体をコトリと置いた。
どう見ても、何の変哲もない空瓶。
先生が腕を伸ばし、軽く袖をめくる。
そして。
「なっ…!?五条先生!」
俺が止める暇もなく。
先生はいつの間にやら持っていた小型ナイフの切っ先を、ピンッと弾くような軽さで自分の左手首に走らせていた。
俺の目の前で。
誰もが認める最強無敵の五条先生の左腕から、真っ赤な鮮血が滴り落ちた。
act.2 end