該当する症状をキーボードを叩いてネットで調べると、一般的な不眠症の症状に自分でも引くくらい当てはまっていた。ほぼ間違い無い。
自分のミスで怪我をして、ユニットのライブを台無しにした挙句中止にして、不眠症になって、……次は何だ?恨んでいる誰かに刺されるのか?
まぁ、自分の身にそんな事が万一にも起こったとしても、這いつくばって醜くても生き延びてやりますけど。
***
「毒蛇!その酷い顔を何とかしてから、レッスン室に来るんだね!」
レッスン室に響く日和の声に、水分補給をしていたジュンは驚いて振り返る。視線の先に珍しい光景がそこにあった。
「は、い……」
よく回る茨の舌がサボっている……のではなく、燃料切れ?電池切れ?そんな雰囲気が今の茨から感じる。自分が見ても分かるのだから、おそらく日和も気付いている。それも、自分のような輪郭が朧気な感じではなく、ハッキリくっきりと。
(あれは、おひいさん相当頭にきてますよぉ〜。変な意地の張り合いになる前に、収めとかないと合わせる時大変なんすよねぇ)
「……すみません。殿下、ジュン、お先に失礼します」
そう言い残し、茨はレッスン室から出ていく。しっかり荷物をまとめていたので、頭を冷やしてくる、といったような一時的なものではないらしい。
「おひいさ〜ん、後輩いじめ反対〜」
「失礼だね!ジュンくん!」
ぷう、と頬を膨らませ、冗談がまた飛んでくるのかと思ったら、普段以上に真剣な眼差しが返ってきた。
「……さっき、茨が言い返してこなかったね。何か悪いものでも食べた?」
「さあ?今日の茨、本調子じゃなさそうだったんすか?」
「動きにキレは無いし、ちっとも休めてなさそうな疲れた顔してたから、柄にもなく声を荒らげちゃったね」
「よく見てますねぇ。まぁ、この間のライブの件もあって、おひいさんがピリピリしてんのは分かってるんですけど、結構ガチめのトーンだったんでビビらせたりしたんじゃないですかぁ?」
「…………えっ?」
「えっ?あれ、違いました」
「ぼく、そんなに怒ってる風に見えた?」
「俺はもう慣れっこっていうか、おおよそ本気なのか冗談なのかとかその辺分かりますけど……。少なくとも、茨はおひいさんが怒ってると思ったんじゃないです?」
そんなぁ、と肩を落としその場にしゃがみこんでしまった日和を、あの手この手でどうにかしようと奮闘したジュンだったが、日和は落ち込んだまま頑なに動こうとしなかった。
どうにもならないと察したジュンは、降参して素直に凪砂を呼び出した。
***
何も、言い返せなかった。
殿下の指摘が正しかったから。いくら表面を取り繕った所で、分かってしまうのだろう。
それでも、自分は、俺は、今までずっと、こうやって生きてきた。失敗は即ち死、無能は切り捨てられる。だから、何度も何度も何度も何度も……体力の限界まで、体の極限まで、動きを染み込ませて、ステージに立ち、他人を蹴落とし、成功させてきた。
じゃあ、失敗した時は何をすればいい?“死んで、お終い”だったから、考えた事すらなかった。ただ、闇雲に足掻いて、もがいて、長い長いトンネルをずっと出口に向かってひたすら走り続けているような感覚。あるいは、呼吸の仕方すら分からないまま、水底にひとり取り残されている気分だった。
ーあぁ、苦しい。
ーいくら考えても、解決方法が見つからない。
ー自分が創り上げた居場所を、“楽園”を、守るための方法が。
***
副所長室の椅子に深く腰掛け、天井を仰ぐ。きい、と微かに軋んだ音が、静寂で満たされた部屋に虚しく響く。
眠れなくなってから、星奏館には戻らなくなった。常に人の気配に晒されるので、2日も経たずに耐えられなくなったからだ。
秀越学園の寮、プライベートルーム替わりに持っているマンションの一室、他にも色々と候補はある筈なのに、どこにも足を運ぶ気になれず、今は淡く光る間接照明にぼんやりと照らされたデスクの上のウォータータイマーを眺め、ESビルの18階コズミックプロダクションの副所長室で夜が明けるのを待つのが日課になった。
そういえば、サマースノーのイベントを催して以降、商業施設のオープンに向けてかかりきりだったので、あおうみ水族館に足を運べていないですね。閣下達も連れて、深海氏へ挨拶がてら、また、息抜きに行くのも悪くない……か。
さっきまで人の気配があると気が休まらないと言っていた矛盾に気付き、苦笑いを浮かべるのと同時に、自分も随分変わってしまったなと嘲笑する。
いつだったか、変わっていく“乱凪砂”に腹を立てた事もあった。そんな変化が自分の身に起こるなんて、本当に笑うしかない。
これが、人並みの幸せ、ってヤツなんでしょうかね。そもそも、一般人とは様々な物事の物差しが違うので分かりかねますけど。彼女……“プロデューサー”なら、自分を含めたEdenの中で“普通”を示してくれるんでしょうか……それなら、一度プロデュースを依頼してみても面白い。あぁ、でもしかしEdenよりも前にAdamとEveで何かやって貰いたい。上層部の企画はクソみたいに面倒で何より疲れた。あんなストレスを感じながら仕事をするのは二度とごめんだ。そもそも、俺がこのままなら“次”はあるのか?
……駄目だ、まとまりの無い思考が、苛立ちを招く。1人静かに過ごす夜はこれだから嫌いだ。
体を動かして思考をスッキリさせたいと思って、最初は軽い運動も取ってみたが、体力を回復する為の睡眠がそもそも取れないので、日中に恐ろしい疲労感に襲われ頭も体も使い物にならなかった。それ以降、ただ静かに、思考を手放し時間を潰すという行為に耽っている。
コンコン
副所長室に乾いたノックの音が響く。
デスクに置いてあるデジタル時計を見れば、日付が変わった深夜0時30分。まだまだ夜は始まったばかりだ。
「……茨、いるんでしょ?」
「閣、下……?」
「あぁ、良かった。茨が居て」
ガチャリと扉を開けて、入ってきたのは間違いなく乱凪砂その人だ。こんな時間に、こんな場所に、何かの間違いかと思ったが、常に側にいてプロデュースをしている、相方である自分がその姿と声を間違える訳がなかった。
服装こそいつもと変わらない私服だが、普段は後ろで束ねている髪は下ろしていた。銀糸のような髪は歩くたびにふわふわと揺れ、外から差し込む月明かりや眠らない街の照明を受けてきらきらと輝く。
「……もし居なかったら、私は深夜のESビルを徘徊する不審者になってたかも」
「いやいや、自覚あるならそんなふざけた真似は……いいえ、閣下は自分がここに居ることを“知って”いましたね?」
「確信ではないけれどね」
眉を下げ、少し困ったような表情を浮かべながら、凪砂は微笑む。デスクの前で歩みを止め、ゆっくりと口を開く。
「……寮で、茨の同室のみんなから話を聞いて、きっとここだろうと思ったから、来た」
「つむぎ殿下ですか?」
「……みんな、だよ。つむぎくんはES全体がそこまで忙しくないから、茨自身が案件を抱えすぎてないのかと心配していた。天満くんも、茨の様子が普段と違っているのを感じてRa*bitsのみんなと話していたみたい。創くん、すごく心配してて泣きそうな顔をしていたって。翠くんも、朝早くから実家の手伝いで寮から出る時に茨の姿が見えないのを気にしていたよ」
「何が、言いたいんですか」
優しく子を諭すような、柔らかな口調で話す凪砂に、苛立ちを露わにする。もう何日もロクに眠れていないんだ、頭が回らない。ダメだ、これ以上口を開いたら、止まらない。駄目だ、やめろ、止まれ……!
ダン、とデスクを叩き立ち上がるのと同時に、腹の中に溜め込んでいた感情が、堰を切ったように溢れ出してくるのが分かった。
「何なんですかッ!そっちが勝手に心配しているだけでしょう!自分みたいな最低野郎の事なんて、気に掛ける必要、無いんですよ……。時間の無駄で、何も生まない。答えなんて、出ないし、心労ばかりが……積もるのに。バカじゃ、ないんですか?」
言いたい事を全部ぶちまけて、椅子に座る。じわじわと後悔とか、恐怖とか、これから何を言われるのかとか、そんな事ばかりが頭の中を埋め尽くす。
「今の茨も、そうなの?」
「えっ、」
「……答えの出ない、暗闇の中で、出口を探して疲れ果ててしまった迷子みたい」
「俺は……なんにも、心配なんてしてませんよ」
ー何だったっけ、なんでこんな事になったんだっけ。
「いらない子なんて言われて、捨てられる恐怖に追われる日々から、おさらばしたんです」
ー分からない。
「した、筈なんです……。自由を手に入れて、俺の楽園を創ったん、だ……」
ーそうだ。楽園を、壊したくない。守りたい。傷付けたくない。でも、俺自身が傷付けてしまった。
「もう、俺……疲れました。どうしたら、いいのか分からない、です」