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    2019年にかいたカシウス/ユーステス

    輝夜の問答 澄み渡る蒼の中を風を切り進む船。まるで子を抱えて飛ぶ竜のごときその姿。その肌は経てきた時を感じる貫禄があったが、同時に丁寧に手入れされている様子もうかがえる。騎空艇グランサイファーの鷹揚にさえ思える翼の動きは、飛ぶことを楽しむ一個体の生き物のようだ。
     甲板には飛行によって生まれる風が常に流れているが、それは激しいものではない。むしろ艇に乗り込む多くの団員が心地よいと感じるであろう。その中を、長い髪を遊ばせながら歩く背の高い男が一人いる。絡まる様子もなくサラサラと流れ、漏れさす陽の光にはきらめいてさえ見える白金の髪は、彼の故郷である月、その光の色のようでもある。『旅行者』カシウス──こう言った男が皮肉を込めていたのかは分からないが──はとある目的があって船の中を歩いていた。


    「ちょうど良いところにいた」

     甲板から屋内に入ってまたフラフラと少し歩いた後のこと。カシウスは、目的が果たせそうな人物を一人、窓際に座る影に見つけた。

    「……なんの用だ」

     淡々と、しかも短く返したのはユーステスだった。カシウスたち月の民を敵としている【組織】に属する銃使いの男。彼が目元にひと匙の不審を混ぜて見上げると、お互いに青色をした目線が交差する。静かな一瞬。だが、関係は平穏と静寂とは程遠い。他の人間がどうであれ、少なくとも、この二人の間のほとんどを占めるのは「捕虜と監視者」だ。

    「フォッシル、いや、空の民の生活、もしくは生物としてのあり方に関することで質問がある。先ほどベアトリクスやゼタにも尋ねたのだが、論理性に欠け、満足する答えが得られなかった」
    「なぜ俺に聞く。その二人が答えられないことに、俺が答えられるとは思わないが」

     カシウスはつれない返事を聞き流しながら、エルーン特有の耳が生えた頭部を窓からの光が照らすのを何とはなしに見た。

    「それは聞いてみなければ分からないことだ。少なくとも、お前の普段の言動は端的かつ的確であると俺は評価している」

     ユーステスは銃の手入れのために下ろしていた視線を刹那だけ相手に向け、また銃を見下ろす。カシウスの言葉は良くも悪くもストレートだというべきだろう。彼は自身の考えを淡々と言葉にしているに過ぎず、褒めていることになろうが貶していることになろうがほとんど気にしていない。

    「団長にも聞こうと思ったのだが、二人に止められた。その理由も理解には至らなかったが、あまりに強く言ってくるのでな。せめて成人した男性に聞け、と」

     ユーステスは顔をあげ、分かりやすく眉をひそめた。あまりいい予感はしない。

    「具体的に、何を聞こうとした?」
    「一般的な空の民の性交、生殖、特定の関係で発生するスキンシップについてだ」
    「…………なんだと?」
    「一般的な空の民の性交、生殖、特定の関係で発生するスキンシップについてだ。簡潔に述べるなら、だが」
    「…………」


     言葉を失った後眉間を抑えてため息をついたユーステスを、カシウスはまじまじと見た。

    「その様子を見るに、お前にも難しい質問なのか?ならばあの二人のアドバイスは効果的ではないということだが、空の民の習俗の一例としてお前たちの反応は興味深い」

     ユーステスはこの一瞬で頭が痛くなったような気がした。彼は純粋に自分の疑問と興味に従っているだけだろうが、聞かれたこっちとしては堪ったものではない。なぜよりにもよってそんなことに関心を抱いたのか。ベアトリクスとゼタもさぞいたたまれない気持ちになったことだろう。カシウスがどういう人物なのか知っていなければ、セクハラだと怒り出したかもしれない。

    「……なぜそんなことをを知りたいと思った?」
    「先日訪れた島の本屋に行ったところ、この船に乗っているローアインとトモイとエルセムいう奴に会った」

     ユーステスの脳裏に騒がしいが厨房では頼りになる三人組の姿が浮かぶ。すでにことの顛末を察せるというものだ。……カシウスは彼らの独特の若者言葉を理解できたのだろうか。

    「彼らの言葉には俺が知らないものが多かったが、これを読むといいと何冊か勧められた中に恋愛小説というものがあった。王道すぎるが最終的にはぱないえもえもで最終的にはばびるレベルで号泣必須、であると。大衆向けの小説はこの空の文化を知る上で非常に興味深いので読了した」

     ユーステスは怪しい発音を聞き流しながら、分解した銃身を拭く。真面目に聞いている方が馬鹿らしい気がしたのだ。カシウスもカシウスで、相手が手を動かしながらも聞いている雰囲気を察しているのか、気にせず続ける。

    「俺は涙を流さなかったが、一般的に空の民が好む小説の傾向は把握した。更に理解を深めるために今後も読み続けるだろう」
    「そうか」
    「だが、それには空の民の無意識レベルの風俗、慣習、庶民文化の歴史などの知識を得ねばなるまい。規律や道徳もだ。月の資料は豊富だったが、実際に見て肌で感じなければ分からないことが多い。」
    「……」
    「特に不可解だったのが、登場人物たちが俗にいう恋愛感情を持つ過程、それに伴う言動の変化、そして性行為の挙動の意味についてだ。知識はあるのだが俺が持つものだけでは情報不足ゆえに正確性に欠けていると判断した。再度これらを系統立てて理解しようとしたが、行動の分類に難儀するケースが多くうまくいかなかった」
    「……はぁ……」

     ユーステスは大きなため息を隠しもしなかった。彼の好奇心と探究心は素直に発露され、大真面目に考察をしてるに過ぎない。それが何よりも厄介だった。見方を変えれば、月と空とでは道徳や常識に差がある証拠とも言えるが……。この男は、最初にベアトリクスとゼタに怒られていなければ節操なく子供たちにまで聞き回っていたかもしれない。そんな場面を秩序の騎空団のリーシャにでも見つかっていたらと思うと、最初の二人の犠牲は意味あったと思えなくもなかった。

    「お前が持っている本の中には答えが一つも無いのか?」
    「今現在所持しているものの中には。あるのならわざわざ尋ねるなんて非合理的なことはしない」

     その通りだ。この男のことを考えればそれぐらいは推測できるのに、全くもって非合理な質問だった、とユーステスは内心で自嘲した。

    「なら誰か知識人に話しかけろ。学者か、司書か、錬金術師か……そのあたりならお前の知りたいことを知っている可能性がある」

     錬金術、と一つのまばたきとともにつぶやくようにカシウスは繰り返した。

    「書物で知識を得ている。森羅万象の真実を探求し解読する、そして得た知識を利用して事象を変化させ新たな事象を生む存在だと。非常に興味深い。しかし、目的に合致した人選からは離れるように思えるが」
    「錬金術師……カリオストロはこの船では一番人生経験が豊富だろう。お前の疑問に答えるには頭が良くて“そういう”奴であるのが一番手っ取り早い」
    「なら、そのカリオストロというのはどこにいる?」

     カシウスはこの艇に乗って日が浅いので、船内をまだ把握しきってはいない。ユーステスはその辺にいる誰かに聞け、と言いたかったが、タイミング悪く今この空間には二人しかいなかった。他の組織の奴といってもあの二人に放り投げるのは申し訳ない。他人ならなおさらだ。バザラガとイルザに至っては単独任務でそれぞれ艇を降りている。
     余計なことを言ったかもしれないという後悔がすでに湧き始めた。カリオストロはよくチームを組んで依頼にあたるが、クセが強い人物だというのに。また一つ溜息をつくと、少しここで待っていろと言い残して、ユーステスは自室に手入れ道具をしまいに行った。




     錬金術師カリオストロ。長きにわたり封印されていた錬金術の開祖、ルリアが封印を解いたことで目覚めた稀代の天才。

    「魂を別の肉体に乗り換えて生きながらえる、とは。信じ難い技術ではあるが」
    「奴は異様に数千年前の空の事情に詳しいし、その技術にも特異な点が多い。団長たちも信じているのだから事実なのだろう」

     カシウスは顎に手を当ててほう、と呟いた。ユーステスはそれを横目で見る。団長の不思議と人を惹きつける才能は、おそらくこの月の男にも働きかけている。子供のように好奇心旺盛なカシウスを連れ出す団長は楽しそうであり微笑ましく思う反面、彼に対する警戒を解くことがないユーステスにとっては些か心配でもある。

    「俺が言うことでは無いが、そんな奴に俺を会わせていいのか?いずれ月に戻ったなら俺はここで見たこと、知ったこと、経験したことを全て報告する義務がある。情報が渡ったその時どうなるか分からないぞ」

    脅すのでも面白がるのでもない淡々とした色調の言葉に返された薄氷色の鋭い目線は、カシウスにとっては痛くも痒くもない。

    「捕虜がそう簡単に帰れると思っているのか?」
    「思っていない。しかし、月からの大規模な襲撃がもしあったとして、その時でもお前たちは俺を完璧な監視下における保証があるのか?【組織】というのはどうやら頑健な一枚岩というわけではなさそうだが」
    「どの口が言う」

     いけしゃあしゃあと痛いところを突かれてユーステスの声にささやかに苛立ちが混じった。本来カシウスはこのように空のあちこちを旅できるような身分ではない。月の民を敵とする組織にしてみれば、どこかの施設で徹底した監視下に置きたい存在なのだ。
     しかし、彼が指摘するように、今の内部分裂と派閥抗争、不透明な上層部の動きをみれば、組織を信用が置ける機関とは到底言えない。そこで信頼できる人間──この騎空団の若き団長──を頼り、組織の幾人か共々カシウスを乗せてもらっている。乗り込んでいる組織の人間は、団員でもありカシウスの監視役も帯びているというわけである。その人数は若干五名。不足の事態に対処しきれるとは言えない。

    「……確かにお前の言うとおりだ。だが、錬金術の知識の流出に関して言えば、心配はないと俺は判断している。カリオストロは力の扱い方と責任をよく知っている。得体の知れない奴には絶対に開示しないだろうし、他人が易々と見ることができないような対策もとっているはずだ。そもそも原理が分かれば誰でも強力な術が使えるわけでもなく、程度の低いものなら団長も取得している程度には普及している技術だから秘する必要がない。その場合ならむしろお前たちの方が高度な力をもっているだろう」

     なるほど納得できる答えである。両者の間柄は平穏なものではないが、ユーステスの限りなく少ない言葉で無駄なく率直に話す性質はカシウスにとって好ましいものだった。

    (以前、誰かが俺とこの男が少し似ていると言っていたな。こういうところを指していたのかもしれん)

     この自分より僅かに背の高い男は、組織の幹部アランドゥーズの暴走後、怪我をした直後のカシウスを「歩けないままにしておくべきでは」と言った。油断なく警戒し、目的のためにリスクと利益を常に計りにかけている。当然のことであり合理的な判断だ。他の人間が『お人好し』というやつなのだ、と、彼らの対応に甘えて割と好き勝手に過ごしている自分を棚に上げてカシウスは考える。
     カシウスも合理的で論理的な言動を基本としているが、団長らとの交流と自由な生活の中、非合理的なものが身の内に増えてきていることを日々感じている。新たな体験によって生ずる未知……感情を持て余していると。それを悪いことだとは思っていなかった。むしろ興味深いとさえ思う。さらに様々なことを知りたいとも。
     斜め前を歩く銀髪を見やる。等間隔に並んだ廊下の小窓からの光が、リズムを刻みながらそれを輝かせている。今日男を見つけた時も、自分はその髪と射す光を見ていた。カシウスの髪が昇ってゆく、もしくは沈んでゆく月の色なのだとしたら、ユーステスは天頂に輝く月の色だった。だからどうということはないのだが、ふとした時に見てしまう。合理性を見出せないことの一つだった。

    (この男も、非合理的な……説明のしようがない何かを持っているだろうか?)

     ささやかな疑問を口にする時間はなかった。
     ユーステスはある扉の前で立ち止まると数回ノックする。音がむなしく消えても扉が開く気配はない。

    「……不在か?」

    再び乾いた音が響く。無音。更に叩く。今度は数秒をおいて、室内から荒く床を鳴らして誰かが近づいてくる気配があった。

    「だァっれだよ!?オレ様は今実験の真っ最中だ!しょうもない用事だったら承知しねーぞ!?」

     出てきたのは不機嫌さを全身で表現する、カシウスの胸ほどの身長もない金髪の可憐な少女だった。女性の体に乗り換えているとは聞いていたが、実際に目の前にしたカシウスの脳裏にベアトリクス達の忠告-せめて成人男性に質問してくれ、というもの-が過ぎったのは仕方がないことだろう。一方ユーステスは、これから話す内容が「しょうもない用事」にあたる可能性が高いと踏んで、既にげんなりとするのを止められなかった。










     質問したいことがあるらしいと紹介を受けたカリオストロは、カシウスの顔から足、足から顔と視線を動かした後に小さく舌打ちをした。忙しそうなので出直すとユーステスが申し出たが、少し待ってろ、と言い残して中へ戻っていく。

    「さっさと入れ」

     物音がいくつかした後、入室の許可がおりた。部屋の中央の円卓につくように促されて、二人は腰を落ち着ける。卓上にはペン、羊皮紙、本、得体の知れない植物や薬品、そして種類豊富な菓子類が雑多に置かれていた。部屋そのものも、少女趣味なベッド、研究に使用する道具類が収められたガラス棚、星を模したアンティーク調のモビールなどが雑然としているのに不思議な統一感を持って空間を作っている。視線を彷徨わせるカシウスから小さな声が漏れるのが聞こえた。
     カリオストロは二人のほぼ対面の位置に座って、スカートも気にせず両足をテーブルに乗せて足を組んだ。普段はキャピキャピとして少女らしい言動を繕っているが、虫の居所が悪いのか今はそんなそぶりが微塵もない。はしたないなどと千歳越えのこの相手には言う気にもなれず、ユーステスは黙るしかなかった。

    「お前の話は聞いてる。お月様からやってきた新入りがいるってなァ。この大天才カリオストロ様は誰の質問にもホイホイ答えるわけでもない」

     笑うカリオストロは、どこぞの芝居の悪役のようだった。可憐な容姿には似合わないが、その不敵さはカリオストロらしいとも言える。

    「月出身ってのは面白そうだからな。だから聞いてやることにした。感謝しろよ?」
    「ああ、感謝する」
    「言っとくが、わざわざオレ様を選んどいてどうでもいい質問するなら本気でキレるからな」
    「質問がお前にとってどうでもいいかの判断はしかねるが、承知した」

     カリオストロは片眉を吊り上げた。ユーステスはあえて何も言わなかった。言ったところでカシウスの感覚が違うことはどうしようもなかったし、彼の質問を代弁する気もなかった。

    「まあいいか……。で?このカリオストロ様に何を聞きたいって?」
    「ああ──」

     その顔を何と表現したら良いだろうか。具体的で明瞭、かつユーステスの時よりも詳細な質問を受けたカリオストロは、あまりに予想外だったのかぽかんとした表情をしていた。それを見て、怒るどころじゃなかったな、などと他人事のようにユーステスは思うのだった。











    「今までいろんな奴に会ったが、この美少女カリオストロ様にセックスのことを聞いてきた奴はいなかったぜ」

     その言い方はあまりにも直截に過ぎた。

    「何だよ、違わねえだろうが。この月からきたお客様は空の民のセックス事情がよくわからねえって言ってんだろ?なんでオレ様に聞こうと思ったのか不思議でしょうがない」
    「正確には性交以外の状況の疑問も含まれる。包括的に《ある恋人同士》、またはそれに準ずる関係において見られる特有の行動の原理、動機が解析しきれていない」
    「……人生経験とこいつを納得させるだけの論理的説明能力を考慮した結果だ」

     カリオストロは数千年で一番呆れたかもしれないとまで言ったが、依然として怒り出す気配はなかった。それどころか笑みを見せて、この月の民を面白がり始めたようだった。

    「ハッ、これなら十歳のガキの方がまだよく知ってるってもんだな。つまりは恋も愛も理解できていないってことだろ?」
    「恋は他者に強く惹かれ思い慕うこと、愛は慈しみや物事を大切にする気持ちなど性の要素を含みながらも性以外の広義に渡る意味を持つ言葉だ」
    「アッハッハ!ボケなら寒過ぎるが大真面目ときた。そういうことじゃねえよ」
     
      ボケ?と繰り返したカシウスを無視して、カリオストロは話し続ける。

    「確かにオレ様は天才だし他のやつより長く世界を知ってるが、流石に専門外ってのものがある。そりゃ、むかーしには惚れ薬とか作ったこともあったけどな。それは人間の五感が脳に与える影響や、分泌物質が肉体にどう働きかけるかを研究分析して錯覚させるに過ぎない」

    カリオストロは四つ脚の椅子の足の半分を浮かせて、揺り椅子のようにゆらゆらと揺れている。少し遠いところを見るような目だった。彼が経てきた数千年のうちの、最低でも数百年前を思い出しているだろうその姿には、容姿に見合わぬ風格が滲んでいた。

    「誰かに夢中にさせたり感情に干渉する魔法があったって、それは完全に心を書き換えることはできない。俺は魂を別の肉体に移す技術は持っていても、魂の中身をいじったりはできないし、できたとしてもしない。長生きだからって何でも答えを知ってるわけじゃねえよ」

     すくめた肩が降りると、紫の宝石のような双眸が、無機質なガラス玉のような水色のそれをまっすぐに捉える。

    「つまり、お前自身が感じないと実質はわからないってことだ」
    「なるほど。一理ある。確かに実際の経験から得る情報量は桁違いだ」
    「いやだからそういう……って言っても無駄だな。なあ、月ではみんなお前みたいなのか?」

     足を下ろしてテーブルに頬杖をつくと、今度はカリオストロが口の端を釣り上げ冗談めかして質問をした。

    「俺みたい、とは?」
    「みんなセックスや恋愛を知らないのか、ってことだ」
    「空の民に関する知識として知っているが、実際に体験する者は恐らくいない。必要がないのでな」
    「必要がない?」

     カシウスの視界の端に、沈黙していたユーステスの目が細められたのが見えた。このことを話したところで月が不利益を被るわけでもないだろう。そう判断して話を続ける。

    「月ではこの空のように性交によって子を成すことはない。特定の施設で受精から一定の段階の成長まで機械的に管理されている」
    「人工的に生命をつくってるってことか」
    「人がつくっているとは定義できないが、お前たちに合わせた言い方ならばそういうことになる。ゆえに親という概念もない。強いていうなら施設そのものが生みの親ということになるかもしれないが」

     月からやってきた機神の姿がユーステスの脳裏に蘇る。空の技術を超えた巨大な機械生命体は、カシウスが今述べた信じがたい世界の影をよりはっきりとさせる。この男に対する尋問でも、月が徹底した管理社会であることは伺えていた。それが生命の誕生に関わることになると、予想できたことであるはずなのに他の事象に比べて妙に座りの悪いような、身体の芯の落ち着かなさを感じる。

    「じゃ、産まれたらどうなるんだ?」
    「能力を検査され、どの職が適正かどうか判断される。そしてその職を全うするための教育が施される。生活は誰もが最低限保証されているが、用意された職務をこなして成果が認められれば階級が上がり、生活の水準も向上する」
    「飢えることはないってか」
    「基本的にはそうなる」

     カリオストロは質問を挟みながら終始興味深そうに聞いていた。一つの学問を開いた探究心の塊には、知らない世界の話ほどそそられるものもなかなかないだろう。ましてや月由来の技術のほとんどが未知であると知ればなおさらに違いない。

    「国が民の衣食住を管理する社会ってのは歴史の中にいくつかあった。けど、そこまで徹底してるのはこの空にはなかったろうよ。ま、オレ様は他人勝手に人生決められるなんてさらさら御免だけどな」

     確かに独立不覊の意志で周囲と運命をねじ伏せてきたこの錬金術師には、月の社会は論外だろう。少し皮肉っぽさを含んだ台詞に、月の男は不可解を乗せた表情を向けた。

    「何故だ?非常に合理的だと思うが。個体には向き不向きがある。最大限能力を活かせる職につけることが最良だ。そうでなければ当人にとっても周囲にとっても、そして生産性の面から見ても損だろう」
    「向いてようが何だろうが押し付けられんのが性に合わないんだよ。好きでもないことをやることもな」
    「そもそも職に対し好悪の価値観が無い。以前団長とこの話題について語った時も理解に苦しんだが、何故好きなどという感情論を持ち出す?俺は戦士の適性を持って生まれた。ゆえに戦士になることを定められ、戦士になるための教育を受け、戦士として活動した。それだけのことだ」

     苦虫を嚙みつぶしたようと言うべきか、カリオストロの表情は複雑だった。一つのことしか知らないのなら、選択肢が無いのなら、『好き』はどこからも生まれない。浮世離れした男の説明は、きっと彼にとっての事実と普通をありのまま述べている。だからこそ、空の民である二人は生きてきた世界の相違というものをまざまざと感じざるをえなかった。

    「なるほどな。こことは何もかも根本から異なるってことだ」

     嘆息するように出た声は、普段なら少女特有の甘さがあるのに、今は不思議と深い。少し考え込むように一点をを見つめた後、カリオストロは再びカシウスに質問した。

    「生まれてくるヤツはみんな職が定まっているっていうが、病気はないのか?病気で定められたことができない場合もあるのか?」
    「数は少ないが様々な不具合……お前たちの言う病気になる個体は一定数存在する。治療によって完治し、より長く活動できそうなら処置が施される。そうでないなら処分される」
    「そうかよ。くそくらえだな」

     ユーステスは静かに二人を窺いながら、カリオストロの過去に想いを馳せる。数千年で何を得て何を失ったのか。封印された時期があったとしても、途方もない時があの小さな体の中に降り積もっている。最後の言葉に含まれていた毒はカシウスにとって空の民の価値観の一例として処理されただけなのだろうか。この男は、誰かの過去を慮るなんてできるのだろうか。
     疑問を言葉にすることはこの場でも、そして今後もないだろう。ユーステスにとってカシウスは監視対象であり個人的な内心を知る必要はなく、情というリスクを無闇に産むのも避けるべきだった。ユーステスにとってのカシウスは平穏と静寂の世界の外側にいる。今日のことは例外であり、今以上に深く入り込むことは望ましくない。

    「気は済んだか」

     落ち着いた声が部屋の空気をわずかに変える。時間もそれなりにたち、聞きたいことはもう無いだろうと踏んでユーステスが立ち上がると、カシウスもそれに倣った。

    「ああ、あらかたの目的は果たせた。カリオストロ、急な来訪にも関わらず質問に答えてくれたことを感謝する」
    「……俺からも礼を言う。時間をとらせてすまなかった」

     向き直った背の高い男二人を一瞥して、少女は苦笑いをする。

    「今更だな。オレ様も答えらしい答えは出してないが……。論理的な答えが知りたいなら心理学に詳しい奴に聞いた方がいい。哲学者なんかもいたか?じゃなきゃ実際に恋愛してる奴か。それが一番手っ取り早いと思うがな」
    (……なんだかんだと言っても最後に次に繋がる助言をするあたり、人を教え導く人間らしい)

     ユーステスは態度には出ない感心をして部屋を後にしようとしたが、連れの男は部屋を出る気配がない。扉に手をかけたまま振り向くと、相手はテーブルを見つめていた。

    「最後にもう一つだけ聞きたいのだが」
    「?何だよ」
    「これはカップケーキというものだと推測するが、どこで購入した?」

     予想外の質問に、カリオストロは変なものを見るような顔を隠しもしなかった。カシウスはテーブルに乱雑に置かれたお菓子の山の中で、一際華やかなデコレーションが施されたものを指差している。

    「ああ?前に寄った島の繁華街にあったケーキ屋だけど……もしかして欲しいのか?やらねーぞ」
    「別にお前のものを欲しがりはしない。だが、興味を引かれるので機会があれば俺も購入したいと思ったまでだ」

    『彼は空の世界の食に対して大いに興味を持っているようだ』と報告したのはベアトリクスだったか。ジャムに衝撃を受け、餅をよく食べて、そして……

    「食物は栄養補給の目的が果たせればそれでいいはずだ。そのケーキの装飾は栄養の観点から見て合理的なのか?そもそもケーキというものがかなり糖分や脂質に偏った食品だと記憶しているが、そこに着色料を使用したクリームや砂糖菓子、チョコレートなどを乗せている。非合理極まりないように見えるが」
    「そりゃ可愛いくするためにデコレーションしてるんだろ。栄養補給とか合理のためのもんじゃない」

     カリオストロはカップケーキを一つ手に取り、顔の近くに持ってきてポーズをとった。瞬間、声音までガラリと変化させる。

    「可愛いカリオストロには可愛いものが似合うんだよ☆可愛いってことの尊さは他と比べようがないんだから♪」

     今度はカシウスが変なものを見る顔をする番だった。

    「庇護欲を誘い生存の確率を上げるという点で『可愛さ』の一定の有用性は認めるが、食物を可愛くするのは全く理にかなっていないのでは?」
    「いやデコレーションはどっちかっていうと購買意欲の促進のためであって……ってもういい。なんか疲れたし」

     大きなため息が小さな口から流れ出る。げんなりしたカリオストロにユーステスは同情の視線を向けた。価値観の違いという大きな溝は、時に必要以上の疲弊をもたらすのだ。そんなことはつゆ知らず分析を続けている姿を見ると、カリオストロは一発蹴ってやりたくなる気持ちも湧いたが、グッっと堪えた。

    「娯楽食ということか?以前にも疑問に思ったが、この世界は食に関しても非合理な事例が多い。ラーメンもそうだった。栄養バランスが塩分・脂質・炭水化物に偏重しているというのに人々はあえて好んで食べにゆく。……俺も、分析が済んだというのに興味が尽きず、なぜか何度も食べに行ってしまった」
    「お前、ラーメンが好きなのか」
    「興味が尽きないと感じている」
    「だからそれが好きってことだろ?」

    身長はだいぶ違うが、似た髪型の金髪の二人が目を見合わせぱちくりと瞬かせる。





    「何だよ。知ってるんじゃねえか、愛」







    「俺の状態を『ラーメンが好き』であるということに値すると判断する理由は理解したが」

     カリオストロの部屋からの帰り道、唐突に月の男は話し出す。ユーステスは訝しげな目線だけを相手に向けた。『好き』を理解できないカシウスはあの後カリオストロを質問責めにして、若干の疲労と面倒くささと実験を中断された苛立ちを思い出してキレた相手に部屋を追い出された。「実利を度外視して特別興味深く思うのは『好き』ってことなんだよ!」という言葉で一応納得したのか帰りの道中は静かだったのだが、歩きながら思考に耽っていたらしい。

    「その『好き』とは愛に直結するものなのか?」

     カリオストロの発言は、彼の心に爪痕を残した。それが彼にとって良いことなのか悪いことなのかを知る者は現在どこにもいない。

    「……お前が愛の定義で述べたような『物事を大切にする気持ち』に値するのなら、それはラーメンに対する愛があると言える可能性はある」

     まるで子供のようにこの世界の全てがカシウスにとっては目新しい。文化だけでなく、心や人々の在り様までもが。ゆえに彼の疑問は素朴で、難解で、哲学的でもあり、答えに窮しやすい。

    「そうか。確かにその定義に沿うならば、『俺はラーメンに対する愛がある』ということもできる。なるほど、当初の疑問に対する解答は得られなかったが、興味深い」

     微かな笑みを見て、ユーステスは遠い日の自分を思い出す。俺も子供の頃はこの男のように目に入るもの全てに興味を抱いて楽しんでいたのだろうか。少なくとも、故郷が火焔の向こうに滅した日を境に、ユーステスの世界は様変わりした。灰と消える前の平凡な故郷、組織に入る前の平凡な子供時代。今あそこに行っても、思い出を辿れるようなものは無いだろう。
     ユーステスのかつての平穏と静寂は『敵』──隣の男の故郷である月の者たちによって奪われた。しかし今、ユーステスは再び新たな平穏と静寂を見出している。それを守るためにはどんな犠牲も払うし、組織の犬と罵られたって構わなかった。隣を歩く男は今後それらを害なす存在になるだろうか?それとも、この騎空団に、あの団長に感化されて、ユーステスの平穏と静寂の一部になる日が来るのだろうか?『好きなもの』や『愛するもの』を手に入れた時、この男はどんな場所に立つのだろうか?
     思考に沈んだ意識を月の男の声が引き上げる。

    「俺のラーメンへの興味がひいては愛につながるというなら、同様に興味が尽きない対象への思いも愛となりうる、ということか」
    「……全てがそうなるのかは判断しかねるが、可能性はあるかもしれない」
    「そうか。ふむ……」

     無機質で澄んだ瞳がユーステスに向く。

    「お前にはそのような対象が存在するのか?」
    「何故俺にそんなことを聞く?」
    「実例を収集するのは解析の初歩だ」
    「……答える必要性がない」
    「合理的な判断だな」

     お前は何を愛するのか?そんな質問に馬鹿正直に答えることは、自分の弱みをさらけ出すことになりかねない。ユーステスはそんな愚を易々と犯す男ではなかった。やはり、この船で一番言動に納得がいくのはこの男かもしれない。だがカシウスは同時にほんの少々、ひとつまみもないほどの落胆も感じた。

    (俺は団長達やこの空の文化に対するのと同様の興味をこの男にも抱いている。知りたいと思っているが、それが叶わなかったので落胆した。これが一番正解に近いはずだ)

     この油断なく組織の任務を遂行する男のことを知りたいと思うときはどうすればいいのか。答えはすぐに出た。

    (論理的に考えて、他人からの伝聞しかあるまい。俺の立場では直接知れる機会は無いだろう)

     だからどうということはない。そのはずなのに、言語化できない空寒い感覚を覚える。分類するなら不快に相当するのだろうか。
     カシウスは隣を歩くユーステスを見る。窓側を歩く彼を、差し込む光がリズムを刻みながら縁取る。なぜ、この男を意味もなく見るのだろう。度々浮かぶこの疑問にも答えを出せたことが無い。

    「非合理極まりないな……」

     小さな呟きは誰の耳にも届かぬまま大気に溶けてゆく。光はもうそろそろ夕刻を告げようとしている。窓の外、彼方まで続く空と雲の色が、水色の瞳にささやかに染みた。
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