生きている音「先程は失礼した」
声をかけてきたのは、従者の方からであった。
幕舎の前に立ち、寝ずの番の構えだろう。外は夕闇が支配し、小さな篝火すら明るく眩しく感じられた。
黒甲冑は戻る足を止め、改めて従者をながめた。背こそ女性にしては高いが、僧兵の鎧を着てはいても、胴の厚みや腕の太さが女性のそれだ。見誤った原因は立ち居振る舞いだろうか。
「…こちらも、手加減の出来ぬ性質で」
従者が頭巾を上に引き上げて真っ直ぐにこちらを向いた。照らされた顔は、目元の朱塗りが目を大きく、厳しく見せている。
「多少だ。問題ない。
あの程度で壊れるような鍛え方はしていない」
この女。
「「夢読み」は王女であったが、おぬしは何者だ」
小刀を抜き、素手になっても首を狙う身のこなしは並の者ではない。
「ただの側近だ」
「…そうか」
照らす火が急に弱まった。水でもかけたかのように篝火が火を落として、消えた。
雨も風も無い。
「ただの側近」は姿勢を低くし、既に小刀を抜いている。
火が消えたのは、「何か」がいるのだと勘付いている。
黒甲冑も槍を構え、見回す。匂いを嗅ぎ、気配を探る。肌の、鱗の感覚を研ぎ澄ます。
相手は魔道士の類いだろう。容易く近寄っては来るまい。
『どこだ…賢者…』
言葉ではなく、意志そのものが頭に侵入した。
「…な」
何者だと言葉が発せられる前に、黒甲冑の手が口を塞いだ。
「喋るな。見つかる」
顔を寄せ、小声で。耳元に熱い呼気がかかる。
熱い?
王女にたしなめられ流そうとした疑念が湧き上がる。やはり後で問い詰めよう。
今は。背合わせに立ち、気配を探る。
『居るはずだ…闇の賢者…』
割れ鐘の意思に眩暈と吐気がし、体の力が抜けていく。黒甲冑の背に身体が当たり、次いで膝が緩んだ。
闇の賢者を排除する気か?
トライフォースの一片がある真横で…!
「?」
地面に落ちる前に太い腕が回り込んで抱き止められた。手から小刀がすり抜け甲冑に当たって甲高い音を立て
『 見 つ け た 』
同時に黒甲冑の肩越しに魔物の燃える眼が見えた。
「後ろっ」
声は掠れ小さな呻きにしかならなかったが、黒甲冑の長駆は瞬時に動いた。
片腕でこちらを抱えたまま、槍を捌く。
魔物の声は執拗に頭に侵入し意識を掻き乱す。甲冑に耳を押し当て、「生きている」音にしがみつく…。
強く早い心音。
呼吸と同時に地鳴りのようにゴゴゴと唸る音。
面ぼおの隙間から、口角を引き上げる口元と、チラチラと炎が燻っている様が覗いた。
噂には聞いた事がある。
ヒトの姿を操る竜の一族が存在する、と。
槍が魔物を突き、断末魔が耳をつん裂き、意識が途切れた。
闇ノ賢者ハ、護ラレタ。
賢者ノオ役目ハ、マダ先。
「インパを助けて下さり、感謝致します」
ゼルダ王女は気を失ったままの側近を見下ろしながら礼を述べた。額と頬に触れ、胸に耳を当てる。
「ギブドの呪いを受けたようですが、少し休めば大丈夫でしょう。
彼女はシーカー族で、私を公私に渡り支えてくれていて…闇の賢者となる者でもあります」
言葉を切り、彼女を護り運んできた黒甲冑を見上げる。
「お礼をしたいのですが?」
「…必要ない」
「そう言うと思いました。…これを友好の証に」
ポケットから、小さな宝飾品を出した。
「私の髪飾りです。何かあった時に、王女ゼルダに会うための助けとなりましょう」
「…そういうことなら」
素直に受け取る彼に微笑みかける。
「あと、あなたの事を騎士と呼ばせて下さい。
竜騎士、と」
兜の下で炎が揺らぐ。
「見張りに立とう…勇ましい賢者殿の代わりに」
踵を返す「竜騎士」に、ゼルダは会釈した。
「竜騎士」が魔女の手に堕ち、ハイラル王国に牙を剥くのは、まだしばらく先。